2019年11月10日

11月の品友会はお休みです編

10年以上お休みしたことがなかった品友会ですが・・・今月は初のお休みです。
忙しいのもあるのですがある会食の席で泥酔してしまい参加者の前で前代未聞の醜態をさらしてしまい座敷牢に入れられている状態です。
泥酔人様大迷惑事件に関しては以前にもありましてトータル前科2犯でごわす。
若い時ならいざ知らずこんな年寄りになっての自制のなさ自堕落さに自分でも呆れております。
これではいかん! ということで反省の意味を込めて一度も欠落したことのない品友会を1回お休みすることにしました。←嘘です。実際には日本帰国やら来客等でめちゃタイトなのでお休みさせて頂くことになりました。スミマセン!

車には暴走しそうになるとブレーキアシストシステムや自動ブレーキシステム(ABS)が作動して被害を最小限に抑える働きがあります。
今後さらにAI技術が発達したら泥酔未然防止システムが秀さんの脳に本人の同意なしに家族や弊社の女親分から強制的に取り付けられるかもしれませんねぇ。まるで禁治産者のような わ・た・し です。

まぁ、笑い事ではなく深く反省しておりますのでご迷惑を被った被害者の皆様に陳謝いたします。ごめん!


ってことで、さ〜あて また飲みにで出かけましょう 死んだら飲みに行けないもの ね! 

だめじゃこりゃ ということでまた次回



posted by 秀さん at 15:34| ハノイ | Comment(0) | ホーチミン貧乏友の会編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月04日

猫のチーもいなくなった編

今月半ばに息子家族が日本に帰国するので今のアパートは秀さんが一人になる。
でもって出張とかで家を数日空けた場合に猫のチーをどうするかとの話になりましてね結局元捨て猫のチーは近所に住む猫大好きなベトナム人のおじさんに養子に出されたのであります。

かれこれ7〜8年くらい一緒にいたと思うのですが悲しい別れとなってしまいました。
お別れの時には息子家族全員でもらわれていくチーが新しく住む家まで出かけたそうです。
といっても歩いて2分です。

下の孫のター君が別れを惜しんで泣いたとの報告を帰宅した秀さんは受け取ったのであります。

息子家族との別れ、チーとの別れ、それ以外にも過去様々な別れを経験して来た秀さんです。
まぁ、出会いがあれば別れもあるのが人間さまの人生です。
そうこうしている内に、秀さんの場合は長くて20年、下手すると10年程度でこの世とのお別れが待っております。

まぁ、そう悲観的に考えるのではなくもっと楽天的に考えましょう 秀さん と言われますか?

決して悲観的に考えているわけではなく、必ず起きることを淡々と冷静に見つめているだけなのですが・・・ね!

ここで一休さんの話を思い出しました・・・以下転載します。

めでたい髑髏

 年のはじめの元日は、賢者も馬鹿者も、憂鬱人も能天気も、貴賤を問わず祝い飾ること、世界中どこでも変わることはない。ドブロクであっても屠蘇を飲み、鏡餅を据えるのだと尻餅をつくといった具合に、それぞれなりに祝うのである。

 元日の朝だからといって昨日と違うわけもないのに、なぜか空ものどかに霞みわたったような気がする。通りでは家ごとに門松が立ち、注連縄(しめなわ)が張られている。大晦日の晩は遅くまで借金取りが戸を叩いて街中を駆けずり回っていたが、一夜明ければ打って変わって気が緩み、また大晦日が巡ってくることなど念頭になく千代万世を祝う。いつ死ぬとも思わず不吉を忌み恐れ、つかの間の人生に名利をむさぼることと、命の終わりが迫るのも知らずに子孫を溺愛することを、蟻が茶臼を巡るがごとく毎年毎年ひたすら繰り返し祝って、飽きることを知らない。
 こうした人心を、一休禅師は奇怪なことに思った。
「なんてくだらないんだろう。人のこの世にあるのは、早朝に咲いてたちまち萎れる朝顔さえ盛りの長い花と思えるはかなさだ。カゲロウが青空に羽ばたいて楽しむ間ほどもない世の中なのだ。糞に糞を塗りつけたような正月の祝い言葉など、たちまち煙と消えてしまうもの……。よし、人々に目にもの見せてくれよう」

 一休は墓場へ行って、髑髏(しゃれこうべ)を拾ってきた。それを竹の先に取りつけ、正月元日の朝、京都の家々の門口にニョコニョコと髑髏をさし入れては、
「ご用心、ご用心」
と言って歩いた。人々は縁起でもないと門を閉ざしてしまった。
 そんな一休を見かけて、ある人が言うことには、
「ご用心とおっしゃるのはもっともなことだ。正月を祝おうが飾ろうが、人はいつか皆この髑髏になる。けれども世の習いとして祝って喜んでいるところへ、そんな不気味なものを突き出して水を差すのは、いかがなものであろうか」
 すると一休は、
「そうなんだよ。だから、わしも祝って髑髏を見せて回っているのだ。『目出たい』という言葉の由来を知ってるかね。昔、天照大神が天の岩戸をお開きになって以来いろんなことがあったが、この髑髏のほかに目出たいものはない」
と応えて、こんな歌を詠んだ。

   にくげなきこのしゃれこうべあなかしこ 目出たくかしくこれよりはなし

「これを見なさい、皆さん。目が出てしまって穴だけ残っているのを『目出たい』と言うのだよ。人は知らぬうちに、昨日を無事に過ごした気持ちの馴れにまかせて今日を暮らしている。『飛鳥川の淵瀬常ならぬ世』とは言うけれど、それを目で見るわけでもないから実感できない。そんな人々に『ご用心』と言いたいのだ。誰でもみな骸骨にならないかぎり、目出たいことなど何もないと心得るべし」
 一休がこのように言うのを聞いて、いやはや賢い聖だと、拝まない者はなかった。

・・・という話ですがね。

一休さんという方は変わり者だった言われますがこの話を秀さんが勝手に解釈するに・・・
なんじゃかんじゃいっても日々生活できていること自体が幸せ=めでたいことであり感謝すべきことなのでしょう。
人間の一生なんてあっという間、仏教用語でいえば刹那(100京分の1の時間)と思えば今生きている時の何と貴重なことでしょう。

短い人間様の人生で何かの縁で知り合い時空を共有する稀有な幸運のことを昔の人は一期一会という言葉に表したのではないでしょうかねぇ

おっといつものように妙な風に脱線しそうなので本日はこの辺でやめますが
孫のいない秀さんなんてクリープが入ってないコーヒーより苦い・・・・
会いたくなったら素直に即日本に会いに行くことは間違いさなそうです、へい

最後に諸般の事情により11月の品友会は23日または12月と合併号ということになりそうです。
また、改めてご案内いたします。

ではまた次回まで!





posted by 秀さん at 15:40| ハノイ | Comment(0) | ベトナム日常生活編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月22日

10月が終われば11月って編

10月が終われば11月が来ると・・・当たり前のことを言って何になるの? と問われれば言葉がないのですがね。
要は、月日の経つのは早いということが言いたいわけでありまして他意はございません。へい

先週バンコクに行っていたのですがバンコクの友人と交わした会話が、年取ると1年が早いということでした。

時間の概念ですが昔は不変一定と思われていたのですが今では時間の概念なんて変化するし一定のものではないことが科学的に証明されておりますねぇ。
現在流行りの量子力学もそうですが、人間の思考や思いが物理現象に影響を与えるなんてことになっておりますので年寄りと若い人で時間の認識に対して違いが出てもおかしくはないのかも? なんてことを考えてしまいました。

秀さんの場合は、物質(肉体)が無くなっても人の魂は永遠に生き続けると思っている変わり者ですのでどんな辛い時でもこんなことは永遠に続かないきっと幸運のめちゃ美人の女神さまが秀さんにウインクしながら微笑んで何とかしてくれる・・・と根拠なき楽天主義者なので無問題ですわ。

実際、1年間以上悩む問題なんてほとんどないのが実情ですね、どんなに苦しんでもいずれはすべて時が解決してくれます。
時は動いているのですから、自ら固執してそこにとどまらない限りは周りの景色はどんどん変わっていきます。
悩むことなんてこの世には本当はないのだと達観できればもっとのびのびとした人生がおくれるのに我々凡夫は自ら呼び寄せた悩みから脱却出来ないで苦しんでいます。

それは何故でしょうねぇ?

お釈迦さんが言うように 人間が欲に囚われているからでしょうねぇ 自らの欲のために自ら悩みを抱える我々人間の浅はかさに偉人たちは何度も教えてくれているのですが 一向に悔い改めないアホな人間たちよ! と嘆いていることでしょう。


って連日酒飲んで愚だ巻いているお前が言うな! と言われそうなので本日はこれでおしまいです!

本日も良き一日を! Good Luck!







posted by 秀さん at 09:12| ハノイ 🌁| Comment(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月07日

第123回ホーチミン品友会開催のお知らせ編

暑さも随分とおさまりこれから良い季節になって行きますねぇ
暑さ寒さもやはりほどほどが良いですね

ほどほど・・・程々・・・中庸・・・そこそこ・・・これでいいんじゃないでしょうか?

極端を追えば必ずひと悶着というか問題が生じるのが我々人間様の世の中ですわ
利益でも愛情でも極端に求め過ぎれば何らかの齟齬が生じます
秀さんもそうでしたが、若いときはそのコントロールがなかなかできない、暴走しがちになるのは精気が有り余っているからでしょうかねぇ
情けないかなその精気やエネルギーを少し分けてもらえればもう少し爺臭い立ち振る舞いも改善されるのではないかと思うのですが年寄りは年寄りらしく生きなさい! って天の神様の言うとおり・・・指切りげんまんってことでしょう

何を訳ワカメなことを言っとるんじゃ! と言われそうですが何千何万年と人間様は古来より日々生活を営んでいるのではありますが、科学技術は確かに飛躍的に発展して便利な世の中にはなりましたが、人間の感情や思いや生き方は昔と大して変わってはおりませんねぇ
利に流され情に流され日々悩んだり落ち込んだりはたまた狂喜したり有頂天になったりと・・・
よくよく考えてみればわずか70〜80年前後で誰しもご臨終を迎え焼かれて骨になり数年もたてば誰もあんたが生きていたことさえもも忘れてしまう儚い人間の人生ですわ

形あるものは滅し後に残りしは荒涼たる地に吹く一風のみ

夏草や兵どもが夢の跡・・・と かの松尾芭蕉のおっちゃんが詩に読んだように誰しも塵芥になって忘れ去られて行く我々人間様の人生です

だから・・・・どうすんの? と問われれば 

今を大いに楽しもうじゃありませんか!
一期一会 今生で出会えるご縁を大切にたとえひと時でも語らい楽しい時を過ごそうではありませんか!

ということで・・・大して楽しくはないかもしれませんが高齢の、いや間違い、恒例の品友会の開催のご案内です!
皆さま、震えて、じゃない、奮ってご参加いただけましたら幸甚です。



第123回ホーチミン品友会開催のお知らせ

日時 2019年10月12日(土) 午後7時〜

場所 肴や(ATEYA) 50 Mê Linh, Phường 19, Q. Bình Thạnh (37 Phạm Viết Chánhのコンビニ(ミニストップの直ぐ近く)
電話 0125 200 4323

予算 40万ドン前後を予定

10月11日(金)午前中くらいまでにご参加の可否をブログ下にあるコメント欄にお書き頂くか または ymt@yhk.com.vn(秀さん)まで
ご連絡をお願いいたします。

初参加の方も大歓迎です。
皆さまのご参加をお願い申し上げます。


posted by 秀さん at 07:25| ハノイ | Comment(4) | ホーチミン貧乏友の会編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月03日

孫と過ごした5年間編

上のマー君が現在5歳6ヶ月、下のター君が12月で3歳ですわ。
二人の孫も11月下旬から日本の幼稚園に通うことになります。
その名は済世第一幼稚園と言いまして100年以上の歴史がある秀さんの田舎福岡北九州市にある私立幼稚園ですわ。

現在のホーチミンの日本幼稚園では二人で月10万円ほど教育費がかかっており家計に占める教育費の割合は高いので息子夫婦も大変そうです。
日本は10月から幼稚園も無償化されましたので息子夫婦も教育費で頭を悩ますことは当面はなさそうです。
ホーチミンも昔と違い日々の生活のコストは決して安くはなく日本食レストランで食べようとすると日本と変わらないかへたすると日本よりは高いところも多々あります。

秀さんが来た19年前と比べると あっと! 驚く為五郎ですわ って為五郎って何よと若い方々に言われそうですがね! 
はぁ〜、昭和も遠くなりました。

秀さん、お孫さんと離れると寂しいでしょう? といろんな方に言われます。

正直、めちゃ寂しいですわ。

幼稚園の送り迎えも大半が秀さんがやって来ましたので行き帰りの車の中でよく孫と話をしました。
下の孫も最近では随分と会話が成り立つようになって来ました。年は離れていても会話が出来るというのは嬉しいものです。
性格の全く違う二人の孫を爺から目線で観察して来ました。親の場合は子供の成長に対して直接的に大きな責任がありますが、爺さんは気楽なもので歯に悪かろうが甘いお菓子を買ってあげることに何のためらいもありませんわ。虫歯大歓迎! 駄目じゃこりゃ

太平洋戦争後10年経って生まれた秀さんの時代の日本と今の孫たちの日本とは偉く違うと思いますがどうんな環境であろうと人さまの営みは昔も今も大して変わりはありゃしませんわ。極論言わせてもらえば飯食って糞して寝るのが人間の人生の大半の営みですわ。

ただ単に生きるのではなく何のために生きるのか考えなさい! なんて哲学者みたいなことを言っては人生は楽しくはありません、へい!
それぞれが思うままにそれぞれの楽しいと思う人生を他人の目なんか気にせずにためらいもなく進んで行って欲しいと思っております。

ただ、一つだけ条件がありますね、人様や社会に決して迷惑はかけない範囲であればという・・・。

そういう秀さんは人様に迷惑かけっぱなしの人生でした。両親含め多くの方々に迷惑をかけ温情をもらい何とか今現在生かしてもらっております。

人間何のために生きるか? なんて難しいことを考え出すと顔が暗くなり歪み生気がなくなるのでしょう きっと!
居間で四肢をおっぴろげて間抜け面であおむけに寝ている猫のチーをみているとなんの悩みもなさそうです。

考え事して顔をしかめている動物ってみたことありませんねぇ、人間も動物の一員ですので本来人生はもっと気楽であっても良いのではないかと・・・あほな爺が夢想しております。

そんな動物たちも繁殖期になるとオス同士は熾烈な戦いがありその勝者がめでたくメスさんと子孫を残す権利を得ます。
人間様の場合は、幸運にも生死を分けた戦いなんかせずとも高望みしなければ誰でも子孫を残すことはできます。

勉強しろ、人より頑張れ、良い大学に入って大会社に就職しろなんて秀さん口が裂けても言いません。
人様、社会に迷惑をかけない範囲において思いっきり人生を楽しんで縁あらばお嫁さんを貰い縁あらば子供が出来その子供を育てながら人生の喜びを謳歌してくれたら良いなぁ〜 と二人の孫には思っております。

さて、人間も動物も植物も、よくよく考えると子孫を残すために生まれてきたのかもね?

生き物の中でカゲロウは成虫になってから24時間しか生きられません。(以下wiki)
その寿命の短さゆえ、カゲロウは口が退化しており、エサを食べることができません。
世界には2500種類のカゲロウが存在しますが、その中には数時間しか生きられない種も発見されています。
彼らはエサさえ食えず、繁殖のためだけに成虫となり、交尾相手を見つけて自分の子孫を残すことに専念しているのです。

でもね、いくら子孫を残したいとはいっても我々は人間ですので相手の合意なしにやってはいけませんぞぃ。

爺ちゃんが早くひ孫が見たいというのでその願いを叶えるためにことに及んでしまいました なんて警察で言わないように・・・

女性にも男性にもモテる人間になってくれたら・・・爺ちゃん本望です。

それでは本日はこの辺で



posted by 秀さん at 05:05| ハノイ ☀| Comment(2) | ベトナム日常生活編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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