9月14日が今年の中秋節。
いわゆる中秋の名月、お月見の日であります。
ベトナムでは子供のお祭りの日とも言われます。
現在、ホーチミン市の路上にはデコレーションされた臨時の店舗で月餅をあちこちで売っています。
が・・・この月餅、日本人には甘過ぎてどうも味覚に合わない。
新聞記事によるとこの月餅の製造管理はずさんな会社もあり衛生的とは言えないと書かれていました。
ベトナムは中国文化の影響を受けている国ですのでこの中秋節や正月(テト)などは従来の旧暦を基準にしている。
お月見の日は家族揃って食事をし月餅を食べながらお月見をする家もあるでしょうね。
日々忙しく走り回っているベトナム人ですが昔からの風習を大切にする古風な面もあります。
なかなか一面的にベトナム人を判断するのは難しいですわ。
こういったハレの日は普段娯楽の少ないベトナム人にとっては特別の日なのでしょうね。
昔は日本もハレ(晴れ)の日とケ(褻)の日という概念が根強く残っていたように思います。
ケの日とは普段日常の生活のことであり、ハレの日とは非日常の日のことである。
晴れ着や晴れ舞台といった言葉があるように普段日常とは違った特別な日という考え方である。
現在の日本では毎日がハレの日であるかのように錯覚してしまうほど殷賑を極めているが昔、じい様やばあ様の話を聞いたところによると昔の日本の普段の生活はそりゃ地味で質素なものだったそうである。
そういう地味な生活が続く中にアクセントのようにハレの日が来ると皆さん綺麗な着物やお祭り衣装を着てご馳走を食べその日を特別な日として楽しもうではないか! という風に昔の人は考えたのかも知れないですね。
人間辛く地味な生活ばかりでは気が滅入ってしまいますもんね。
お月見なんて純日本風な行事だとばかり思っていた秀さんでありますがそうではないということが分かりました。日本ではススキにお団子がお月見の定番イメージですが、常夏のホーチミンでは秋のお月見というイメージが湧かないですわ。
月の満ち欠けは地球から見て太陽と月の位置関係が変わることから起きる自然現象ですがどうもロマンが無い。お餅つきのウサギやらかぐや姫あたりが出てくる方が楽しくて良いですね。
ガキの頃、天体望遠鏡で月の表面のデコボコを始めてみた時に失望した記憶がある。
そう言えば大人になってじっくりと月を見るようなことがなくなりました。
それだけ日々の生活に追われ自然を観察するゆとりがなくなっている証拠です。
ベトナムはまだ雨季の最中であります。
そこで野口雨情の童謡が浮かんできました。
雨降りお月さん雲の上 お嫁に行くときゃ 誰と行く
一人で唐傘さして行く唐傘ないときゃ 誰と行く
しゃんしゃんシャラシャラ鈴つけた
お馬に揺られて濡れて行く
どうもお嫁に行くのに 一人で唐傘さして行く とは寂しいですね。
またこの曲のメロディも哀愁を帯びて物悲しい感じです。
何故なんだろうと思いそこでいつもの癖で気になって調べてみまた。
この曲を作る少し前に年頃の娘さんを亡くした野口雨情がせめてお月さんに娘を嫁がせてあげようと思い作った歌だそうです。
なるほどでありやす。
子を亡くして悲しまない親はいませんね。
娘(秀さんのおかあちゃん)を亡くして悲しみのあまり寝込んでしまった義理の母の顔が浮かんできます。
人間の営みを長きに渡って見続けて来たお月さん
何も言わないけれど
夜空にぽっかりと存在しているだけで 何故か頼もしく感じる秀さんでありやす。
秀さんも中秋節にはビール飲むのを止めて
ゆったりとお月さんを眺めて風情を楽しもうかな と思う。
でもバイクの騒音うるさいホーチミンではその趣も台無しであります。


今 バンコクに来ています
バンコクも大変活気がありビルが建ち、道路もきれいに整備されています。
明日ココを発ち夕方にホーチンミンに着きます。9月1日にはご迷惑をおかけします。
バンコクもよく雨が降りますが、日本の集中豪雨には困ったものです。
1時に50mmから100mmの集中豪雨は恐ろしいそうです。
この状態が一過性のものであればいいのですが、、、
前回はブログへのコメントになっていませんでした。私も月や太陽の動きをじっと眺める(感謝を込めて)時間があってもいいと思っています。日中の太陽は眺められませんが朝、夕の太陽は感動的かもしれません。
その点月は何だかロマンチックでしょうか
名月の鑑賞をできる心のゆとりを是非取り戻したいと思っています
明日お会いできることを楽しみにしております。100円の社員食堂の昼食をご一緒しましょう!
お気をつけていらして下さい。