2008年11月22日

ベトナム製バイクと両親の結婚秘話編

前日、事務員さん達とバイクの値段が景気のせいで売れ行きが悪くなっており価格も以前に比べて安くなった等とバイクの話をしていたら 

何と!ベトナムメーカー製のバイクがあるという話になり驚いた。

ええ〜 そりゃ本当かい? と聞き返すが本当ですよ〜 とお答え。

名前はスプリームかストリームと言うらしい。
ネットで調べてみたいのでスペルはどう書くのかと聞いたが覚えていないとのこと。

スペルも知らないメーカーって本当かいなと秀さんは思ってしまうが純ベトナム製のバイクがあることには間違いないと言い張るのでありやす。

コピーバイクの大多数を占める中国製、我が国の日本製、台湾製に韓国製以外ではイタリアのベスパ、ごく稀にブジョーのバイクをよく見かけるが100%ベトナムの会社の作ったバイクがあるとは今まで知らなかった。

エンジンも100%ベトナムで作っているのかい? と聞いたが詳細は分からずじまい。

近年経済発展著しいベトナムでありますが・・・
製造業にしても外国資本の技術を背景にしたアセンブリーが中心であります。ベトナムの会社が独自の技術でエンジンその他を自前で設計開発したとはどうも信じられない秀さんであります。

よくベトナムは30年〜40年前の日本のようだと言われるが・・・
ベトナムでは未だに車のエンジンひとつ自前では造れないのが実態である。戦前の日本のそれと比較しても大きな違いがある。

技術と言うものの多くは戦争によって大きく進歩して来たという悲しい事実が横たわる。
国の存亡をかけた戦いであるので戦闘機に戦艦に空母、戦車と機械工学&電気工学の粋を集めて日夜開発競争を繰り広げた結果である。

戦争で思い出しました!
ハイ、ここでいつものように話は脱線。

秀さんの親父さんの男兄弟は全て第二次世界大戦(太平洋戦争)で戦死した。
辛うじて親父さんだけが現在の北朝鮮から帰還した。
秀さんの義理の親父さんはシベリアに3年間抑留され毎日何人も戦友が死んでいく中で幸運にも生きて帰還した。
その生死をさまよった収容所生活に対して日本政府から贈られたものは銀杯と10万円そこらの金額だったよ と笑っておりやした。
母親からは鉄の町北九州八幡を爆撃する為に上空を飛ぶ
B29を何度も見たと聞いた。

実家に戦後の町の様子を写した写真が何枚もあるが・・・全て焼け野原。
高い建物らしきものは皆無で街中瓦礫の山ばかりである。

ついでに脱線その2。

戦争前に当時の八幡製鉄で勤務していたおやじさんは母親の両親の持つ借家に兄弟と住んでおり、戦争後焼け野原になった八幡の町に立ち寄った時に母親と再開。

当時母親は小学校の先生をしていた男性との婚約(養子縁組)がまとまり結婚式を挙げる段取りになっていたのであるが・・・

が・・・

帰還した親父さんを見た母親はいきなり翻意、前から親父のことを密かに想っていたとのことである。

後で聞いたが・・・親父さんは別段そうでもなかったらしい・・・。ん〜・・・。

当時、仲人を立て結納まで済ました状況下で 何と!母親はこの人と一緒になれなかったら死ぬとまで言い張ったかどうか分からないが・・・

知り合いの親戚の家にいきなり逃亡したのであります。

残された母親の両親は そりゃ大変だったと思う。
今と違い昔の時代の日本ですので・・・。
終いにはどうしてもこの人と一緒になると言い張る母親の決意の固さに根負けして婚約者&仲人その他の人にそれなりのお金を払いお詫びをして収拾したそうである。

法事の席で、昔お前のお母さんは1ヶ月俺の家に逃げ込んでいたのだと親戚のおっさんが笑いながら話していたことを思い出す。

当の親父さんの気持ちは・・・・それが未だに良く分からんのであります。

当時、母親の実家は手広く商売をやっており 食料品なども扱っていたので
戦後の混乱期の食糧難の時代・・・飯の食いっぱぐれは無いわいと親父さんが思ったのかどうか分かないが・・・・

二人は結婚して4番目の子供としてこのようにアホな秀さんを授かったのでありやす。

しかし、ベトナムのバイクの話が何故に両親の結婚秘話に発展するのか秀さんの脈絡のない話の展開について行けませんわぁ と言う そこのあなた!

そりゃ、いきなりの翻意は母親譲りですばい。許してたもれ!

posted by 秀さん at 06:54| ハノイ 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | ベトナム日常生活編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして 大変楽しい日記?ですね。最近、仕事で ベトナムに行くことになりそう?なので いろいろと情報が知りたくて 検索してたらなぜか?ひでさんにたどりにつきました(笑)10年前?に香港に2回行ったきりで海外経験の少ない私にとっては未知の国。不安だらけです。デング熱やら色々な病気もあるみたいなので、さらに不安がつのります。またのぞきにきますんで、よろしくです。

Posted by ひでじい at 2008年11月22日 10:33
秀さん、お久しぶりというか、書き込み有難うさんでした。

昨日の秀さんのブログは食い入るように読みました。
正に波乱万丈の人生を歩まれていますが、あのようにさらっと暴露されるところがいつもながら凄いと思います。

私が2000年6月にベトナムを去りましたから、ちょうど入れ替えでベトナムに来られたことになりますか。

8年ですか、長いですね。私などベトナム語は全く話せないまま帰国しましたが、もうペラペラの世界のようで、自分の努力のなさを恥じ入ってます。

まあ、親会社がどうにもならない会社になってますが、ベトナムに建設した会社は立派に成長しているのが唯一の楽しみですが・・・
これもパナさんに買収されたらどうなることやら。ベトナムに二つの白物の会社は必要ないですよね。
Posted by take at 2008年11月22日 18:40
ひでじいさん 初めましてどうぞよろしくです

デング熱等々・・・は体調の悪い時はお気を付け下さい。
元気な時は問題ありません。
長期の滞在でしょうか?それとも短期出張でしょうか?
いずれにせよ、楽しいベトナムを・・・

時間がありましたら一緒に食事でもしましょう。

コメント有難うございます。
Posted by 秀 at 2008年11月23日 09:00
takeさん お久しぶりです

ベトナム語・・・最近は全く勉強していませんので愚息に怒られています。
会社の件は・・・ん〜
まぁ、もともとは親戚関係の会社ですのでうまくやっていけるのではないでしょうか。
電池関係の技術は世界レベルですので・・・
相乗効果はありますね。
ちなみに自宅の白モノはtakeさんの会社のものです。ベトナムではブランド確立していますねぇ。

今後ともよろしくお願いします。
コメント有難うございます。

Posted by 秀 at 2008年11月23日 09:09
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