在越の日本人の方なら寿司バーさんの盛況ぶりは皆さんご存知でしょう。
またゴーバンナムに移転した焼肉の浦江亭さんも多くのお客さんで潤っています。
この両店とも最近は大型の店舗形態で開店または移転しています。
他の日本食レストランとの違いはお客さんに外国人(特にベトナム人の比率が高い)が日本人よりはるかに多いということでしょうか。
次に店の内装レベルの割りにはそれ程高額ではない値段設定をしています。
接客や味の方も日本のそれと比べると100点満点とはいきませんがまぁ十分満足できるレベルのものを提供しています。
美味い食べ物には国境はないということでしょうが遠い異国の地で成功するにはそりゃ大変ご苦労されたことだと思いますねぇ。
苦労なき成功は何事もありませんわ。
秀さんのように成功なき苦労はありますが・・・・。
特に飲食商売なんてものは直ぐにお客さんに不味いか美味いかが分るものですので開店当初はキープ出来た味のレベルもオーナーが楽をしてベトナム人任せにしていると微妙に味が変化して来るから問題ですわ。
流行らない店はよく味が変わるのであります。やはり日本人のオーナーが目を光らせてチェックしていないといけませんが素人さんほど飲食業と言うものをイージーに考えてしまいます。
何の世界でもプロでないと生き残れないのは同じであります。
ネクタイ締めて電車に揺られながら通勤している冴えないサラリーマンのおっさんでも給料(お金)を貰っている以上はプロですわ。
色んな職業がありますがそのプロとしてのレベルが高かったから日本はここまで成長できたのではないでしょうか?
しかし一昔前だったらベトナム人が日本の寿司や焼肉を喜んで食べるなんて考えられなかったでしょう。
時代の変化と言うものは早いものですわ。
特に食べ物(食)に関してのグローバル化には目を見張るものがありますねぇ。
今秀さんがメタボなのは・・・ピザやらハンバーガー等と言う南蛮渡来の食べ物が日本に進出して来た初めの頃に青春時代を迎えその西洋チックな明るい店舗作りに何か今までに無い新しいものをその若さゆえ感じたからでしょう。
またコカコーラを初めて飲んだ時には薬のような味がした記憶があります。
今ではコーラとはこういう味なのだと体が覚えていますがガキん子の頃の印象は違ったものでありました。
慣れとは恐ろしいもんですわ。
今、ホーチミンではロッテリアやケンタッキーフライドチキン、ピザハット、ピザイン、マイナーなところでフィリピンのリョルビーと言ったファストフーズの店があちらこちらに出来ておりベトナム人の子供達の肥満促進に貢献しております。
秀さんがガキん子の頃、今は無き祖母に母か姉か忘れてしまいましたがスパゲティを出したところ・・・私にミミズを食べさせる気かい? とお怒りになったことがありましたぞぃ。
寿司やビザ、ハンバーガー等と言うものは大都会のホーチミンやハノイでの話でありまして、地方の田舎に行きますとそんな店はありませんわ。
日本のマクドナルドに一号店は東京銀座の三越に臨時店舗形式で出したのが最初ですが、それが日本全国津図浦々まで店舗数を広げ店内には遊び場まで拵えて日本の子供達にも支持されて数千店舗も展開できたのはここ数十年のことであります。
ハンバーガーの日本国内シェア60%前後とダントツの強さを誇っていますがベトナムにはまだ進出していないようです。
日本にマクドナルドを最初にフランチャイズとして持って来たのは大阪生まれの藤田田さんで中々面白いじい様でしたが5年ほど前に亡くなってしまいました。
アメリカとの戦争に負けた当時の人々にアメリカが持ち込む全てのものが目新しく斬新に見えアメリカに夢をかけ成功した人の一人でしょう。
そのアメリカも今は青色と息の状態ですわ。
栄枯衰勢は世のならいですねぇ。
最近は秀さんお昼は会社の隣りのビルに入っている社員食堂のお弁当を毎日食べています。
1食18000ドンに値上りしましたが100円以下ですわ。
このお弁当のおかずは日本食のそれと変わらない豚肉・魚や野菜、豆腐といったものが主でいわば家庭料理に近い内容ですが外のレストランで食べるものよりはす〜と胃袋の中に入っていきます。
年取ってくると野菜や魚が美味しく感じるようになりました。
いきなりですが、本日はこれにていつものぐだぐだブログは終了っと!
実は・・・昔の会社の部下がホーチミンに来たので今からメコンにお供で行って来ます。
では失礼します。
明るい未来を信じよう♪
暗い日常は自ら切り開くモンだぜ?
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