吹けば飛ぶような小さな旅行会社の越日旅行社ですが一応これでも正規に手続きを踏んでハノイ政府より旅行業のライセンスを取得してやっておりますぞぃ。
旅行会社に関わるきっかけは元をたどれば背オムドライバーのフォンとの出会いが原因でした。
もうかれ彼との関係は6年になろうとしています。
当時喧騒と空気の汚いホーチミンを離れるための週末には再々ミトーに遊びに行っていた秀さん・・・
縁がありフォンと知り合い、英語も出来るし営業センスもある奴が何で背オムドライバーなんてその日暮らしの職業をやっているのか 能力があるのに勿体無いではないかと思った次第ですわ。
しかし一番秀さんが惹かれたのはフォンの澄んだ目かもしれない。
お袋さんの葬式や兄弟の結婚式等にも参加しフォンの家族親戚を観察し、また数年に渡る交流を通じて何とかこいつをそれなりの仕事に就けてあげたいと言う思いが段々と強くなって来た秀さんでありやす。
フォンのおやじさんは戦争中は南ベトナム軍(アメリカ側)に参加した人で戦後はハノイ政府による弾圧に苦渋をなめて来たようです。
今はなくなっていますが当時南側についた兵士や官僚の戦後はハノイ側の弾圧差別はそりゃ酷いものであったそうです。
今でも共産党に入党する場合は身元調査があり南側の人間は排除されるようです。そういう理由で南側の人間は裏では北の人間を悪くいう人も多くいますよ。
フォンは一時期軍隊勤務、その後ホーチミンで働いたこともありますが、どうも大都会ホーチミンの喧騒の中での仕事は合わなかったようで田舎のミトーに戻ったはよいが中々良い仕事は見つからない。そこで仕方なく背オムドライバーをやっていたのであります。
そこである時、秀さんが無報酬で応援していたあるミネラル・ウオーター会社のベトナム人女性社長にミトーの知り合いで仕事の出来る者がいるのでそいつを営業所長として営業所を出したらどうか打診した。
秀さんの推薦する人ならば信用しますので直ぐにでも営業所を出しましょう と即答してくれたので
秀さんフォンに連絡を取って、お〜し お前も背オムドライバーなど辞めてこれからはビジネスマンじゃ! と言いましたわ。はい。
あるレストランでこの日のために身奇麗な服を着たフォンとその嫁さん、秀さんと女社長で面接の始まりであります。
にこやかに面談は進んでいたのですが・・・
女社長が以前の仕事は何をやっていたのですか? と聞いた。
フォンは正直に背オムドライバー と答えた。
それを聞いた途端、その女社長の態度が激変したのを今でも思い出します。
その後は営業所設立の話などハナから無かったような態度に豹変した女社長に秀さんが 話が違うではないか! 私が彼の能力は保障するから約束通り営業所を出して下さいな と言うが
一切聞く耳持たずの頑なな女社長の態度に秀さんが激怒
おっしゃ!そこまで彼の能力を否定するなら 私が資金を出して販売店を作ってやるので水を薄利で出荷してくれと談判してミネラル・ウオーターの販売を開始したフォン。
初めての仕事ながら日々努力して顧客を開拓して半年後にはそこそこの利益を出すようになった。
まぁ、日本人からすれば笑ってしまうような利益ですがゼロから成功させたことで秀さんの顔も立ちましたわ。
しかしその後がいけませんわ
利益が上がっているのなら 今までは薄利で出荷していた水を値上げするわ、何と 同じミトーで自分の所の社員を使って直販するわ、ましてやあの販売店はあくまで販売店で内は会社直の販売だから云々と言ってフォンの取引先の切り崩しかかった。
要はフォンが開拓したミトーの市場を取ってしまいましょう と言うことですわ。ベトナムらしいと言えばそうですな。
この一連の仕打ちにさすがのフォンも秀さんに アンハイよ 水の仕入れ先を変更するよ と言って別の会社の水を販売するが今まで築いて来た信用は落ちてしまい売上は半分まで減少した。
これじゃ先は先はないと感じながらも別の会社の水の販売に精を出すフォン、しかしながら水に関しては競争相手も多く売上はそれ程急には回復しない。
そこでフォンは前からの夢であった旅行会社の設立を考えた。
水の販売は奥さんに任せて、背オム時代の仲間に人望のあったフォン、メコン観光に来るベトナム人を観光会社まで案内する背オムドライバーの数は多い。先ずはそのルートを使って営業を開始出来る。
毎日毎日ベトナム国内は元より海外からも大勢の観光客がメコン観光に押し掛けるミトー。
彼は自分の夢を秀さんに話す。
アンハイ 旅行会社を作ってくれ 必ずや成功させて見せるから と言うが・・・
そんな金があるわきゃないわ わかっちゃいるけど どうにもならない秀さん。
フォンよ 今秀さんは金が無い、今からでも少しずつ金を貯めるから ある程度貯まったら足りない分は兄弟にでも借りてでも旅行会社をお前さんの為に将来はきっと作ってやるから数年はかかるが待ってくれや と言う秀さん。
本日はここまで 続編はまた明日に・・・
2010年03月02日
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感動します。
北も南も同じなんですねー。
つい最近まで(いまも?)、日本人から見ると、ハノイ支配層には、南は満州、サイゴンは新京(旧長春)といった感覚が強かったですから、有能な人でも辛酸をなめてきた人は多かったはずです。
秀さんの話---いいなぁー。わたしも今、会社造りで似たようなことをしているのかも知れません。サイゴンに出張したらお会いしたいです。
実際の話ですよ。
世の中面白いですねぇ。
ほぃ、いつでもHCMにいらっしゃる時にはお声掛け下さいな。
予定が合えば是非食事でもご一緒しましょう。
スマソ。でも1回では書ききれないので・・・
て言うかお前の話は脱線が多いねんと言われそう。
さて、ベトナムで新聞・・・日系ですかベトナム新聞ですか?
ベトナムではムアバン(売り買い情報だけでなく様々な情報あり) またはトイチェー(青年)がメジャーかな?
中にはコンアン(警察新聞)等も読んでいる方もいます。
日系は、飛行機で運んでもらうルートあるみたいです。スポーツ新聞なども日本食レストランでおいていますので。詳しくは分かりません。ゴメンナサイ。
また英字新聞のベトナムタイムスかジャーナルか忘れましたがそんな新聞もあります。
しかし、今は新聞読むよりはネットの方が情報は正しいような気がします。
日本の新聞は・・・もうダメでしょう多分。
一番役にたたないのがそう 秀さんのブログですわ。はい。