2010年10月12日

大雨で川のような道路編

いやぁ、日曜日の降り止まない大雨は凄かったですねぇ。

過去にも経験していますが雨季の最後の10月は結構豪雨があります。
インフラが十分に整備されていないベトナムですので許容範囲以上の大雨が降りますと道路は冠水で川のような状態になります。 
場所によって違いがあるのでベトナムに初めて来られてアパート等を借りる人はその場所が雨で冠水する場所かどうかを十分確かめた方が良いですね。はい

2000ドル以上もするようなサービスアパートを借りてもらえる大手企業の駐在員さんはそんなことは関係ないでしょうが、プアーピープル、ま、早い話が秀さんのような貧乏人は普段は自分のバイク、または背オムにのるケースが多いので良く考えてアパートを借りるに越したことはありませんわ。 

冠水で川のようになった道路をバイクで走る恐怖感はそりゃ 言葉に出来ないくらい恐ろしいですぞぃ。
秀さんも過去に1度経験があります。
道路を走るというより濁流の中に取り残されたいかだの上にのっているような気にさせられましたわ。
アクセルを絶対に止めず、吹かしながら進まないとマフラーに泥水が入りエンストしたら一巻の終わりです。

日曜日の夕方は冠水でバイクが止まり手でバイクを押しながら道行くベトナム人を大勢見ましたよ。 
しかし、こんな大雨の中を何事もなかったかのように平然とバイクを転がしているベトナムの人達と言うのは軟弱になった日本人からみれば何と! 打たれ強い人達だろうかと感心してしまいます。
子供達の中には冠水した道路をプール代わりに遊んでいる子たちもいましたよ。
災難を遊びに変えてしまう子供達の無邪気さに脱帽ですわ。

冠水した道路を有るがままを受け入れ黙々と道を進むその姿に秀さんはベトナム人の強靭さを見たような気がしましたわ。 

まるで人生のようです。このような豪雨を災難(不幸)だと考えると、あ〜 どうしようか ったく何で俺の人生(バイク)の進路は止まってしまうねん と途方に暮れる時も有るでしょうが・・・

考え方を変えると不幸、不幸と言っても何十年も続きゃしないですね。
仮に深い悩みに陥ったと悲観しても、いい所長くて1年程でしょうか?
いつかはその不幸を乗り越えてまた新しい気持ちになって人間は進むものです。

人生は雨の日もありゃ、天気の日、曇りの日もあります。

まるで天気と一緒ですね。幸福なことも長くは続かない代わりに、不幸もいつかは解決するもんです。
肝心なことはあるがままを受け入れて、心つよく進むことですね。 

そんなことを考えてしまった豪雨の日曜日でした。
また日曜日は貧友会のissapiさんの結婚式に出席させて頂き皆さんと楽しい会話が出来ました。
有り難い事ですね。感謝しなければ・・・
Issapiさんおめでとうございます。いつまでも睦まじく仲良くね! 

また、このアホなブログを読んで下さる方にも感謝の言葉を捧げて本日のブログは終了です。 

日本は秋本番ですね、良い季節です。どうか皆様、楽しんで下さいまし〜


posted by 秀さん at 02:06| ハノイ ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | ベトナム日常生活編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
秀さんお疲れ様です。
島国に先月9/18に戻ったばかりなのに今月末10/30にまたHCMに戻り?ます。
これは幸せと言わず・・・なんてこったい。
またHCMでの日本人の人口密度増えますのでよろしくお願いします。
Posted by 610 at 2010年10月12日 16:47
秀さん、こんにちは。

去年までは夏大好き人間で通してきましたが、さすがに今年の日本の暑さは堪えまして、よる年波もあり、秋の到来を歓迎している昨今です。とはいえ、昨日は真夏に逆戻りしたような陽気で、一日中Tシャツ一枚で過ごしました。一体どうなっとるんや!地球さん。

ところで、秀さんの仰るとおり、どんなに辛いことでもそれが永遠に続くことはないですね。渦中にいるときはなかなかそう思えませんが、「あるがまま受け入れて強く生きる」ことができれば、必ず乗り越えられると私も思います。

それは、身近な人の死など「時が過ぎるのをじっと耐えて待つ」だけで精一杯もこともあり、ある時は逃げ腰では大波を横腹に食らって転覆してしまうのでとにかく真正面から突っ込んでいって乗り越える=嵐の中の船のように・・。

人智で計り知れないものにも突進していく「ドン・キホーテ」のように生きたいな、と思ったりします。(ええーい、お主はえぇ格好しぃか?自責の念にかられつつ)

何が言いたいのか、不肖私めは!
とにかく強く思うこと=強気で生きることを
実践したいのであります。
と申しますのは、昔、NHKの番組で「四つの目」というのがありました。その中で「人間の意志は植物に通じるか」というテーマで実験をしていました。それは、土手に咲く花に「きれいだな。きれいだから摘んで帰ろう」と思いながら近づいた場合と、「きれだなぁ。なんてきれいなんだろう!」ただただ美しさを讃える気持ちで近づいた場合とで、花に変化が起きるかというものでした。

その様子を当時としては最高の技術で高速撮影してスローモーション再生してみたのです。
花はどうなったと思いますか。なんと、「摘んで帰ろう」と思った場合は、花弁を閉じ気味にしつつ後ろに下がり、ただただ「美しい」と思った場合は、さらに花弁を広げて前にせり出したのです。(遠い昔の記憶ゆえ、細部の違いはご容赦ください)

長々失礼しました。
Posted by るぼの at 2010年10月12日 16:59
610さん どうもです

忙しそうですね。
ご自愛下さいまし。

コメント有難うございます。
Posted by 秀 at 2010年10月15日 00:56
るのぼさん どうもです

ん〜、植物にも何らかの認識能力はあるみたいですね。
良い音楽を聞かせて何かの食物を育てる と言うような話を昔聞いたことがあります。

この世に生きているもの全てが、宇宙の気?みたいなものと一身同体なのかもしれませんねぇ。

最近私の知人が癌で亡くなりました。
頑固な顔付きな方でしたが内面は優しさ溢れる男気のある人でした。
最近疎遠になっていたことが悔やまれます。
彼は間違いなく天国行行きの切符を持った人物でした。

私も・・・もう遅いかも知れませんが、
真っ当に生きていかなければ と思いましたよ。

コメント有難うございます。


Posted by 秀 at 2010年10月15日 01:05
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