と言うより正直に納税することはアホらしいと考える人が圧倒的に多いのが実情だろう。
秀さん、昔昔は納税して一人前だ と言うような認識であり、当時はそれなりの収入を得ていたので新卒の人の給料の倍くらいの税金を当然のように毎月払っていました。
脱税は大きな犯罪だ! と言う考え方は日本や欧米では当たり前の感覚ですが、
ここベトナムではそもそも脱税と言う感覚がない人が多い。
極端な話、脱税を取り締まる税務署員に黄金のお饅頭を渡せばお目こぼし当たり前、
個人と個人での裏取引成立と言うわけですな。
ベトナムの公務員は給料も安く黄金のお饅頭がないと生活が立ち行かない人も多く、
個人が黄金のお饅頭を一人占めする場合もありますが、多くは役所のセクション内で分配をして足りない生活費の補填をしていると言っていいかもしれません。
特に下級公務員の場合はそれがないと一家の生活を支えていくのも難しい人も多く、一概に大悪だと決め付けるわけにも行かない と言うことが秀さんも最近分かってきましたわ。
過去の歴史において人間が世界で平均してこれまで苦しめられてきたものの最大のものは、
権力者、支配者による圧倒的多数の貧乏人から収奪する 税金 なのではあるまいか?
千年もの長い間、中国の属国(支配下)にあったベトナム、その中国役人(お上)の収奪の凄さは半端ではなかったようです。
ここで少しベトナムの歴史の話(ネットから転載)になりますが・・・
奏の一将軍であった趙佗は、奏の始皇帝の死後、衰退滅亡の混乱際に自ら南越国の王となり、
中国広州を首都とした。その後、中国・漢は南越国と融和政策を望むが、前漢・武帝の力が増強し紀元前111年、南越国を滅ぼし交趾、九真、日南の3郡をベトナム国内に設置(全部で9郡)ベトナム千年に渡る中国支配が 始まる。
紀元前40〜44年 二微夫人(ハイバチュン)の反乱 は現在のハノイ北西、メリン地方
紀元40年土豪のティサック(微側の夫)が漢の役人の首を刎ねる事件を起こす、二微夫人は 65県の土豪をまとめ後漢に抵抗、後漢から派遣された官僚蘇定はこの反乱を聞くと逃亡、ベトナムは微側を王妃(在位3年)とし独立。
しかし後漢の光武帝は 42年に伏汲将軍率いる馬援軍兵2万人を派遣、43年漢軍によって鎮圧され、旧暦2月6日姉妹は首を刎ねられた(河に身を投げたとも言われている)
上記の記事から考えると・・・
役人の税の取立てに関しては昔から抵抗すると言うのがベトナム人の心の源流に流れているのかもしれないですね。
そう考えると脱税と言う意識がないのも何となく頷けるような気がします。
話は脱線しますが・・・
ハイバーチュン通りに平行して走る道にティサック通りと言う名の通りがありますが、
これはチュンチャックTRUNG TRACの夫の名前にその由来があるのかも知れないですねぇ。
もしそうだとすると、夫婦で仲良くホーチミン市1区の通りの名前になっているとは何となく微笑ましいですね。
では本日はこの辺で・・・


主任会計士はおられないのでしょうか?
普通は会計士が処理しますが・・・
最初からお饅頭云々はしないほうがよろしいかと思いますが。
秀
御饅頭ですか・・・しばらく食べてないなー
・・・食べたいです