時々読んでいるマドモアゼル愛さん(でも男の方ですが)のブログの記事です。
星占い師というどちらかというと胡散臭そうに見える職業ですが、語っていることは大いに賛同できますわ。
ベトナム人は日々金かねの生活だと言われる方も多いですが、よ〜く観察してみるとそうでもない多くの方がおられます。
1部の都会を除いては家族愛・郷土愛に満ちた生活をされていますし、近隣・地域の助け合い意識も日本よりは高いように見受けられます。
資本主義経済=要はいかに多くのお金・不動産・動産を所有し得るかが生き方の基本ベースになったシステム。
そのゲームに参加する1部の者たちのそのあまりにも貪欲な精神性のせいで世の中が殺伐としたものになってしまいました。
より多く持っている者が勝ち組、そうでない者は負け組というアホらしい社会風潮が蔓延している現代社会。
所詮、死ぬときは全て置いてくものに対して執着し過ぎて、人間が生まれて来るという本当の目的(それが何かは分かりませんが、物欲ではなくもっと精神性の高い何か?)から大きく乖離しているような気がしてなりません。
まぁ、年こいて熾烈な経済活動から脱落しかかっているアホの秀さんだから感じることかも知れませんねぇ。
以下愛さんのブログを無断転載して貼り付けますわ。
中々面白い観点で世の中を見ていると思います。
「所有と利用の違い」
所有とはひどいもので、たった一人の人間でも多くのものを所有することができる。
たった一人の人が車を10台持つことはできるし、家を10件持つことも、お金ならそれこそいくらでも持つことが可能。
しかし、それを利用面から考えると、人はその日を暮らすための家や服や車があればよいのであって、何も沢山のものを持って大きな倉庫に眠らせておく必要などなくなる。
私たちの時代の現実は、多く持つ人は沢山のものを所有し、さらに所有を最大限まで高めようとする。お金はいくら持っても、ふえれば増えるだけよい、、、ということになっている。
そうなると、利用されないお金のみが数少ない人にあつまり、その分、多くの人の使う分がなくなっていく。
所有欲が多くの人の貧乏を招いている構図がある。
前にも言ったが、所有欲を捨てて、利用欲に人類が移行したなら、誰もが高級車に乗れるし、誰もが豪邸に住めるようになる。
常時使用される車はせいぜい300万台もないと思う。余裕を持っても日本に500万台程度の車があれば十分ということになる。利用面からのみ考えるとそれで十分になる。
車を所有したいと誰もが思ってしまうため、多くの車が必要になるに過ぎない。みんなでシェアしあえば、それこそロールスロイスやポルシェ、マセラティクラスの車を全員が利用できる。好きなだけ。
家も同様である。これは本当の神の経済につながっていく。神の経済には、所有が無い。好きなだけ利用するだけ。いつでも好きなだけ使えるので、所有しているのと何も変わらない。
現在の経済のシステムの問題は、所有を皆が求めるところにある。そのため、死蔵するものが多くなり、その分、みんなが貧しくなっていく。
本当にバカな経済なのだ。あまりに遅れている。
これは経済の中に人間に対する理解が足りず、単に欲求に火をつけ、人間を獣のように捉えることから出てきた経済だったからだ。
しかし、本当の人間はそうではない。海も陸も雨も風もみんなで共有してきた歴史のほうが長い。
一部の金持ちがさらに権力と金を得ようとして所有の経済を作ったからに他ならない。
羨望と餓えがその基本にある。羨望を満たそうとして人は所有に走る。餓えの不安への対応として、所有に走る。所有したものを守ろうとして、武器に頼る。
変なものはどこまでも変な流れにつながってしまう。
どの政治の集いに行っても、どこも同じような、貧しい取り巻きの顔の表情に出会う、、、政党は関係なく政治の世界はそういうものだ。
経済の世界も同様に感じる。財界人の集まるところに行ってみると、特有の貧しさやおろかしさ、もしくは見えていない感を抱かせる。
普通の主婦感覚とは異なるものがそこにある。普通の社会生活の感覚と異なるものがそこにある。
やっぱり世の中は、まだまだ悪い人たちが運営している面が大きいのだろう。東電のあまりのひどい体質はさすがに一般人とかけ離れていることを気づかせたものの、それでもまだ続いている。
やはりまだ悪の世、、所有にこだわる者達の時代なのだろうが、そろそろ出口は近づいてきたのではないか。
私がシェアしあうやり方で月3万円生活を勧めるのは、所有意識をすてた形での新たな生き方を、今の若い人たちが何かで、どこかで成立させたなら、時代の変化は急転直下にいたるからだ。
もう所有の迷妄の中にいるものが未来をつくることなどできはしない。大体、人間が何かを所有することは論理的におかしなこと。
家も土地も金も、一時あづかることはあっても、それを所有できるとは限らない。実際に破産することで家も土地もなくなるものであり、数千年もの間、同じ土地を持ち続けた者などほとんどいないに等しい。
要するに土地も物も、本来誰の物でもないということ。唯一、食べ物だけは、間違いなくその人の血となり肉となるので、取り入れることができるから、私たちが持てるものである。それ以外はみんな借り物。
所有が最終的に戦争をもたらすことになるのは、所有そのものが本質的でないからなのだ。それは同時に人間の本質は欲にあるのではないことを示す。
人間を欲の塊にさせることで、時代を操り、権力を維持し、すき放題にしてきたものがいるだけの話し。
欲が人間のベースにある限りは私たちは解放されることはない。欲の政治、欲の経済、欲の行動はこれから滅んでいく。所有からいかにして自由になるか。
すぐに持っているものを手放すことは確かに誰にもできないと思うが、持っているものを、一時の借り物、、、と考え、その価値を生かす。生かせないものは持っている資格などないという考えは大切だと思う。
それは身を軽くすることにつながっていく。身が軽くなれば生きることはその分自由になっていく。
人間に必要なものはそう多くない。命につながる食べ物、、、命につながる事柄、、、そこだけをシンプルに追求していく行き方が、所有の代わりに生まれてくるだろう。すべては若者の力や生き方にかかっている。
いつでも泳ぎたいときに泳げと神は海を与えている、、、その海も、どこかの金持ちが海岸の所有権を言い出せば、誰も海で泳げなくなる、、、
神は所有を人になど許していない。金持ちに海など与えていない。自然を所有することが正しいというものは、まず先に、太陽にこれまでの電気量を支払ってからにして欲しいと思う。
私のものなどこの地球にはない。すべてのものは、私たちのものであり、神のものだったのだ。
イエスを捉えたいと思っていた律法学者たちは、イエスに尋ねた。「ところで主よ、税金を払ったほうがいいのでしょうか、払わなくてもいいのでしょうか」と。
イエスが払え、、、といったら、イエスはローマの下に位置づけされる。払うなと言ったら、イエスはローマの敵として捕らえることができる。
悪意を知ったイエスは答えて言う。「デナリのコインを見せなさい。そこには誰の肖像が書かれている
か。」「カエサルです。」
そこでイエスは語る。「ではカエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」
これからこれと同じことが起こる。金は誰のものだったのか。金とは何だったのか。銀行の貸付とは、壮大な詐欺行為だったのではないのかと。
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私も共感しました!
私はケチなので(笑)貧しい中でも分け合うベトナムの家族愛に学ぶことしきりです。
次の世代がちょっと良くなるように努力して生きる。
そういう人が増えれば良い世の中になるんじゃないかと思います。
ベトナムのダクラックのお暮らしとブログで拝見しました。
愚息の嫁もダクラック出身で私も何回か訪れています。
良い所ですね。
コメント頂きありがとございます。
秀
髭オヤジさんのコメントとは思えない素晴らしい言葉にたじろいでます(笑)。
良い国になって欲しいと切望しております。
また、ゴルフ宜しくです。
秀
以前、ベトナムコーヒーの淹れ方やジャックフルーツの種で栗ごはんといったコメントをさせていただいた者です。アオザイ仕立て屋と名乗っていたかもしれません。
お嫁さんはダックラックの方なんですね!私は今ラムドンにいますが、今週yasukoさんが遊びに来てくださるので、またのぞいてみてください。お返事お構いなく(*^^*)