ほんの1〜2分くらいだったような気がするのですが良くは分かりません。
だって夢ですもん。
当時、亡き親父さんがいつも給料日には決まって子供たちに何がしかのお土産を買って帰っていました。
それは、時にはバナナだったり2重焼き(九州では回転饅頭と言っていました)だったりと果物や甘いものが多かったような気がします。
今の時代のようにケーキなんてぜいたく品は特別の日以外はほとんど口にすることはなかったですねぇ。
卵やバナナが高価だった時代のことですわ。
新日鉄の事務職のサラリーマンで大した出世はしなかった父親でしたが子煩悩でとても優しい父親でした。
夢に出てきたのは親父さんが良く買っていたその2重焼きを売っている店のことですわ。
店の名前は「美よ志」だったかな?
メインはお好み焼き屋さんで気の強い女将さんが仕切っており、逆に気の弱い優しそうな親父さんが店の道路側に面した一画で2重焼きを焼いており当時で確か10〜15円程度ではなかったと思います。
黒あんと白あんの2種類で秀さんは黒さんの方が好きでした。
はっきりとした映像ではなくおぼろげながらですがその店の親父さんと秀さんの父親さんが会話しながら2重焼きを買っている場面のような気がしました。
夢はたったそれだけです。
何でこんな夢見たのかなぁ〜 と不思議でしたわ。
秀さんが30過ぎて金回りが良かった時に、親父さんに向かって生意気な口をきいたことなど今となって恥ずかしいというか自分の尖がった部分を笑顔で受け止めてくれていた親父さんの包容力と言うか優しさに胸が締め付けられる思いです。
今日の朝はその優しかった親父さんのことを思い出しながら感謝の言葉とお線香を上げましたよ。
ええ歳こいた爺さんが、何を寝ぼけた古い話をしておるんかい! と言われるかも知れませんねぇ。
まぁ、お許し下せぇ〜 お代官様です。
ふと松尾芭蕉の有名な書き出しで始まる文章が浮かんだ・・・
月日は百代の過客(はくたいのかかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。
過去幾多の人間の暮らし、悲喜こもごも、それらの思ひを過去にしながら時は過ぎて行きます。
今に生きる秀さん含め現代人は日々忙しすぎて目の前にあることや自分のことで精いっぱいですね。
そんなゆとりのない秀さんに
昨日のように誰かが・・・
夢でも良いから亡き人を思い出すように・・・と教えてくれたのかも知れません。
芭蕉を思い出したついでにこの書き出しで始まる奥の細道の第一章を張り付けて
本日のじじい思い出し夢ブログは終了でごわす。
明日からまた新しい一週間が始まります。ぼちぼち行きましょう! へい
[古文・原文]
月日は百代の過客(はくたいのかかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊(ひょうはく)の思ひやまず、海浜(かいひん)にさすらへ、去年(こぞ)の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神(どうそじん)の招きにあひて取るもの手につかず、股引の破れをつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて、住めるかたは人に譲り、杉風(さんぷう)が別墅(べつしよ)に移るに、
草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家
表八句を庵の柱に掛け置く。
[現代語訳]
月日は永遠の旅人であり、来ては過ぎる年もまた旅人のようなものである。絶えることなく行き交う舟の上に人生を浮かべる船頭、馬の口をつかまえて老境を迎える馬借(馬方)などは、毎日が旅であり旅を自らの住処としている。昔の人も旅の途上で死んだ者は多い。私もいつの頃からだろうか、千切れ雲が吹き飛ばされる風情に誘われて、さすらいの旅に出たい気持ちを抑えられず、須磨・明石など近くの海辺をさすらったりしていた。去年の秋、ようやく隅田川のほとりにある深川芭蕉庵の家に戻り、古巣を払いのけたりなどしている内にその年も暮れた。
春の空に霞が立ちこめるようになると、白河の関(現在の福島県にあった関所)を越えたいと思い、気持ちを急き立てるそぞろ神がついて狂おしい心境になり、旅の神(道祖神)の招きにもあって取るものも手に付かなくなってしまった。旅の準備をするために、股引きの破れを修繕して、笠の紐をつけかけ、足を健脚にする三里のツボにお灸を据えたが、まずは松島の月の風情が心に浮かんできて抑えられない。今の小さな庵は人に譲って、弟子の杉風の別荘にまずは移った。
草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家(この小さな草庵も遂に住民が住み替わることになったが、新しくやって来る住民一家にはお雛様を飾る小さな女の子がいるらしい。今までの男だけの家とは打って変わって、ひな祭りを家族で祝う明るい家へと変わっていくのだろう)
この最初の句を書き付けた『表八句(第一紙の表に記した八句)』の懐紙を庵の柱に掛け置いて、旅立つ前の挨拶とした。
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