2014年10月11日

なぜにウクライナがもめているのか編

本日は硬い話で恐縮ですが、ユダヤ金貸し勢力とロシアのプーチンさんが国際政治の裏側で丁々発止の戦いをやっておりますが、なぜに今ウクライナでここまでの紛争が起きているのか秀さん分かりませんでした。
元々、クリミア半島はロシア領だったものをフルシチョフがウクライナに割譲したことが間違いのもとなのですが、原因はそれだけではないようです。
後で転載する記事を読んでロシア(スラブ系国家)とイスラエルを代表するユダヤ系(アシュケナジーユダヤ人=偽ユダヤ=ハザール人)が牛耳る国家間との軋轢の根の深さはもっと歴史的な背景があると分かりました。

共産主義ソ連連邦が崩壊した後、ゴルバチョフ、エリツィンと続いたユダヤ金貸し寄りの政権でロシア国内をユダヤ金融勢力が牛耳るようになりロシア国民は欧米で見られるように持つものと持たざる者との格差が拡大し欧米しかり今の日本と同じように国民の生活は困窮を極めていたわけですが、そこに愛国者プーチンが長い下積み苦労の末に政権を取り改革に取り組んでユダヤ資本に抑えられていたエネルギー資源会社等の国有化を進めユダヤ金貸し勢力をロシアから追い出しロシア経済をロシア国民のものに取り返した経過は過去勉強しておりました。

ロシア国民の80%がプーチミン政権を支持している背景は国の富(富の分配)をユダヤ金貸し勢力からロシア国民に取り返したことが大きいでしょう。
日本国政府のようにアメリカユダヤ勢力に国の富を略奪されっ放しという軟弱なことはやっておりません。
数百兆円とも言われる日本が保有するアメリカ国債ですが、国債証券そのものをアメリカが所持するといった通常では考えられないことが戦後長く続いております。
ましてやその利息が過去一度でも支払われたこともありません。
ドイツしかり日本しかり第2次世界大戦で敗戦国となった国はアメリカユダヤ資本が穴の毛までむしり取っております。
小泉竹中政権時の売国政策から始まるここ20年、日本の国益は損なわれ続けております。
世界で唯一基軸通貨と言う特権を行使しまくり担保なしに刷りに刷りまくったアメリカドルはとっくに崩壊しているのですが、「有事の際にはドル」 を起こすために今ユダヤ金融勢力が世界中で紛争を起こしまくっているわけですわ。南米諸国、キューバ、イラン、リビア、シリアとユダヤ金融資本の政策=ユダヤ金融勢力が牛耳る中央銀行制度を採用していない国々 に対して過去いちゃもんをつけ続けて国をひっくり返してきたわけですがシリアあたりからロシアのプーチミンさんが断固とした対応を取り始めてから様子が変わって来たわけです。ロシア、中国、ブラジルを中心にブリックス銀行制度の設立がブラジルで調印され私有企業の連合体である現在のユダヤ国際金融制度を変えようとした動きにユダヤ金融勢力がそうはさせじと世界中で紛争をインサイドジョブで作り出しているのが現在の世界情勢とも言えます。

話しが少しそれてしまいました。

では転載記事をお読みください。

脱グローバリズムの可能性をロシアに探る10〜ロシアとユダヤ金貸し勢力との闘争の歴史

前回記事http://blog.nihon-syakai.net/blog/2014/10/4157.htmlでは、欧州の極右勢力とプーチンの関係を扱ったが、今回は話しを少し戻し、ロシアとユダヤ金貸しの闘争の歴史について振り返ってみたい。
労働者発と言われるロシア革命であるが、実際その立役者とされたレーニンもトロッ キーも、ユダヤロスチャイルドとその子飼いであったロックフェラーから資金援助を得ていたということは「金貸しが社会主義国家を作り上げた理由は?」 http://blog.nihon-syakai.net/blog/2014/08/3950.htmlで述べた。そして実際、革命以降のロシアは、 主要な官吏をユダヤ人で牛耳られることになる。

かくして「近代金貸しに翻弄され虐げられてきたロシア」 http://blog.nihon-syakai.net/blog/2014/08/3744.htmlでも扱ったように、ロシアは近代金貸しに翻弄 され続けてきたわけだが、その歴史をさらにさかのぼると、また違った視点も見えてくる。
ロシアとユダヤのかかわりは歴史的にも古く、6世紀ごろハザール王国との戦いにさかのぼる事が出来る。
今回の記事ではこのハザール以降のロシアとユダヤの歴史に焦点を当てる。

第1章:ハザール王国 vs ロシア帝国

■■8〜9世紀、ロシア人はハザール王国と戦った
6世紀後半、中央アジアのヴォルガ川流域に強力な民族が台頭しはじめた。のちにハザール(カザール)王国を形成するハザール民族である。一方、当時はロシアもまだ帝国としては存在していなかったが、ロシア人はすでにキエフなどに定着していた。
6世紀から8世紀にかけて、ハザール民族はカスピ海の北方に進出すると、ロシア人とたびたび衝突するようになった。ハザール人はロシア人を支配下に おき、奴隷にして、カスピ海の北にあるイティルというハザール人たちの首都に連れて行った。イティルでは当時、ロシア人の奴隷がいとも安価で売買されてい たという。

8世紀になり、ビザンチン・キリスト教とイスラムの圧迫を受けたハザール民族は、王 から奴隷にいたるまで国を挙げてユダヤ教に改宗し、ハザールはユ ダヤ国家になった。そして彼らは自らをユダヤ人と名乗るようになったのである。現在、世界のユダヤ人の大半を占めるアシュケナジー・ユダヤ人は、このハ ザール人の子孫である。
8世紀から9世紀にかけて、ロシア人とハザール王国は数回にわたって戦争をしたが、965年、ついにロシア人がハザール王国を占領した。そして、首都イティルをほとんど壊滅させてしまった。それ以来、ハザール国家は再びかつてのような強国となることはなかった。
13世紀に入ると、タタール(モンゴル)がハザール王国を完全に滅亡させた。ユダヤ教徒ハザール人、すなわちアシュケナジー・ユダヤ人たちはロシアが近かったので、その多くがロシア領内に逃げ込んだ。
ロシアのユダヤ教徒ハザール人たちは、すでに12世紀に、ロシア国家の中でロシアに対する陰謀を画策するようになっていた。そして1174年、彼らはロシアの最も有名な皇帝、アンドレイ・ボゴリュプスキー皇帝を暗殺したのである。
当時のロシアは多くの国々の集合体だったので、それぞれの国の皇帝が集まり会議が行なわれた。その結果、彼らはロシアにいるユダヤ教徒ハザール人を弾圧することに決定した。そして、多数のユダヤ教徒ハザール人が殺されることになったのである。

■■ポーランドへ移ったハザール系ユダヤ人
ヨーロッパの歴史を振り返ると18世紀の末、1772年から3回にわたって、ポーランド分割が行なわれている。ポーランドは3つに分けられ、当時の強国で あったロシア帝国はポーランド領の一部を自らの領土内に組み込んだ。ところがそのポーランドに、ハザール系ユダヤ人たちが「国家内国家」を形成していたの である。
大規模なユダヤ・コミュニティは、15世紀まではスペインの中にあった。もっとも、 このスペインにいたユダヤ人は、そのほとんどすべてが聖書でいう 本当のユダヤ人、すなわちスファラディ・ユダヤ人であった。1492年、スペイン政府がスファラディ・ユダヤ人を国外に追放したことによって、スペインの 中のユダヤ国家は消滅した。スペインを追われたスファラディ・ユダヤ人たちは主に、北アフリカ、オランダ、イギリスなどへ渡って行った。
一方、ロシアから追放されたユダヤ教徒ハザール人たちは、そのほとんどがポーランドに移っていた。そのため、15世紀にはユダヤ教徒ハザール人たちの政府はポーランドの中に設けられていたといってもよい。
15世紀の終わりから16世紀にかけて、ポーランドのユダヤ人たちはポーランド人よりも強大な力をもつようになっていた。彼らは実際、ポーランドの国内に自分たちの政府、自分たちの国会、自分たちの教会などをつくっていた。
一般のポーランド人たちはもちろんのこと、ポーランド政府でさえも、そうしたユダヤ人たちの「国家内国家」に対しては、一切手をつけることができない状態にあった。

■■ポーランド分割でロシアへ入ったハザール系ユダヤ人
ロシアは18世紀の終わりに、こうしたユダヤ人の「国家内国家」が存在するポーランドの領土の一部を自国の領土としたのであった。領土を得たのはよかった が、領土とともにユダヤ人の政府をも取り込んでしまったのである。このときにロシアは、きわめて危険な毒を飲み込むことになってしまった。
こうして、18世紀からロシア国家の内部には、再びユダヤ問題が生じるようになったのである。
ロシアのユダヤ人問題は昔も今も、最も難しい民族問題である。それは、ロシアにとっ てのユダヤ問題が、10世紀以来のロシア対ハザールの確執を含んでいるからである。ロシアが抱え込んだユダヤ人は、スファラデイ・ユダヤ人ではなく、ア シュケナジー・ユダヤ人であり、彼らはユダヤ人ではないにもかかわらずユダヤ人と称する人々である。つまり彼らがユダヤ教徒ハザール人であるところに、こ の民族問題の複雑さがある。
その当時、ロシアに入ったハザール系ユダヤ人は300万人ぐらいであった。そのほとんどがロシアの西側、すなわちウクライナ、西白ロシア、あるいは旧ポーランド領に住んでいた者たちである。
それでも、ユダヤ問題は18世紀には、まだそれほど大きな問題ではなかった。19世紀の終わり頃から、ロシアのユダヤ人たちは熱心に革命運動に参加 するようになった。革命運動を指導していた政党、社会民主党や社会革命党などのリーダーおよび活動家たちは、ほとんどすべてがハザール系ユダヤ人であっ た。
古来からロシア人は戦闘的、革命的な要素をもたない民族であった。一方、ユダヤ教徒ハザール人にとってロシアは敵国であり、ロシア文化は敵国の文化であった。したがって、彼らはロシア国家に対しては常に戦闘的、革命的であった。
ユダヤ教徒ハザール人たちは、古い過去の歴史をすぐに引き合いに出す。現在の歴史と古い歴史を同じように並べたて、3500年前の「出エジプト」(エジプトで奴隷となっていた古代ユダヤ人がモーセに率いられてエジプトから脱出した)の事跡などを持ち出してくる。
ユダヤ人は過去の歴史の中に生きているといってもよいだろう。だからこそ、ユダヤ教徒ハザール人は、 かつてロシア人がハザール王国を崩壊させたことをよく覚えている。そのためユダヤ人の中には、常にロシアに対する復讐の思いがある。ロシアで革命を起こ し、国家を転覆させることは、ユダヤ教徒ハザール人にとって最も重要な課題であった。
当時のロシアの知識人の中には、すでにそうしたユダヤ教徒ハザール人の動きをキャッ チしていた人々がいた。たとえばロシアの作家、ドストエフスキー の著作を読むと、彼は繰り返し「ユダヤ人は革命を起こすだろう、ユダヤ人はロシアの中に入った毒であり、悪魔だ」と強調している。ドストエフスキーは「必 ずユダヤ革命が起きる」と断言していた。
しかしロシア政府は、そうした動きをまったく感知していなかった。そして、ほとんどのロシアの知識人たちは、ユダヤ人と戦わずにユダヤ人と一緒になって革命を準備したのだった。

以上の歴史のまとめ

6世紀後半:ヴォルガ川流域にハザール国が形成される。このころロシアはキエフ周辺に定着。国家は未形成
6〜8世紀:ハザール国はロシアを支配下に置き、ロシア人を安価な奴隷として売買。
8世紀:ビザンチンキリストとイスラムの圧迫を受けたハザール国は国家ごと中立のユダヤ教に改宗してしまう。(アシュケナジーユダヤ人の誕生)
8〜9世紀:ロシアとハザールが戦争。ついにロシアがハザールを占領。首都イティルは壊滅。
12世紀:ハザールユダヤ人はロシアへの陰謀を画策。1174年にロシア皇帝を暗殺。ロシアはハザール人の弾圧を決め、多くが殺された。
13世紀:タタール(モンゴル)がハザール国を完全に滅亡させる。多くのハザールユダヤ人がロシア領内に逃げ込む。
〜16世紀:ロシアの弾圧を受け追放されたハザール人達は、ポーランドに移っていくが、ここでポーランド政府も干渉できない国家内国家を形成することに成功する。
18世紀:ロシアはポーランドの一部を自国の領土に取り込むことになるが、その時ハザールのポーランドにおける国家内国家も同時に取り込んでしまうことになり、ユダヤ問題が生じることに。
19世紀後半:ロシア内ハザールユダヤ人達は、革命運動に参加。革命運動を指導した政党リーダーのほとんどがハザールユダヤ人たちであった。

歴史まとめ終わり

歴史的にロシアにかかわってきたユダヤ人とは、中東発(イスラエル)のユダヤ人ではなく、近隣キリスト国とイスラム国との軋轢を逃れるために、無理やり中立のユダヤ教に改宗したアシュケナジーユダヤ(白人)がその源流にある。
このハザールとロシアは上に見てきたように、長きに渡り争いの歴史を繰り広げてきた。
このユダヤ人国家ハザール国はロシアによって崩壊させられた後、隣接ポーランドへ逃れ国家内国家の形成に成功するが、ポーランド分割の過程で図らずも、ロシアは自国領内にこの地を取り込んでしまうことになる。
ハザール発のアシュケナジーユダヤ人達は、ロシア領内に身を置きながら、国家を崩壊 させられたロシアへの復讐の念を抱き続けることになる。それが、やがてロマノフ王朝崩壊へと繋がるロシア革命へと引き継がれていくのであるが、これを主導 したのは、彼らアシュケナジーユダヤ人達であった事は言うまでもない。
近代、ロシア人がユダヤ金貸しに搾取され虐げられてきたと感じているのと同様に、ユダヤ人達も、国家崩壊の復讐の念をロシア人達に抱き続けてきたという視点は、同時につけ加えておかなければならないだろう。
そしてこのロシアとアシュケナジーユダヤとの戦いは、現在も続いている。
かつてハザール王国のあった地。それはまさしく現在のウクライナである。
ウクライナを廻る、ロシアと西側諸国の対立の背後には、このような、千年以上に渡る、ロシア人とアシュケナジーユダヤ人との対立構造がある。事実プーチンが追放したオルガリヒと呼ばれた新興財閥もほとんどがユダヤ人であった。
現在のアメリカがウクライナ問題に干渉するのも、欧米に散らばったアシュケナジーユダヤ人達を源流にもつ、金貸したちが裏で糸を引いている事は容易に想像できる。

以上転載終了



posted by 秀さん at 05:04| ハノイ 🌁| Comment(6) | TrackBack(0) | ベトナムで政治・経済雑感編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ひでさんの言うように
これから世界はかわりますね。
今働いている工場がベトナム人50パーセントになりました。
ベトナム人を日本に紹介とかできますか、
Posted by asa at 2014年10月11日 10:21
asaさん

久しぶりですね。
お元気ですか?

ベトナム人を日本に紹介とのことですが
元々の本業ですのでいつでもご相談くださいな。

宜しくです。




Posted by 秀 at 2014年10月11日 19:58
日本は対米従属国ということですね。日本人をサファリパークの動物に例えていた人がいました。つまり本人達は自由だと信じ込んでいるが実際はそうではなく米国支配の枠組みの中にいると。ただ同じ敗戦国でもドイツは米国の言いなり国家ではないと思います猫
Posted by 大澤悟 at 2014年10月11日 21:51
大澤さん

ドイツも戦後長い間、裏では連合国の裏支配を受けていた状態だったと秀さんは認識しております。検証は数々ありますが省略。

最近ではメルケルさんの電話盗聴事件などもありアメリカさんとはギクシャクしているようですが・・・

ここ数年で戦後の連合国中心の体制(ユダヤ支配)がロシア&中国、インドを中心としたブリックス体制に変化して行くような気がしております。

ユダヤ連中も無茶やり過ぎましたもん。


まぁ、コメント欄であれこれ議論する話題ではないですね。

引き続きアホブログ共々を宜しくです。

コメント有難うございました。





Posted by 秀 at 2014年10月12日 07:32
秀さん

ごぶさたしてます。
今の工場はベトナム人の留学生ばかりです。
10代も多く社会人経験もなく日本にただ来たというレベルです。
そのため、夜勤開けは更衣室が
ゴミの山です

Posted by asa at 2014年10月12日 12:05
asaさん

留学生ではなく研修生制度出来たベトナム人たちですね。
国民性の違いは仕方がないですね。
日本国民のモラル、公共性の良さを見習って彼らも帰国することでしょう。

応援してやってくださいな。




Posted by 秀 at 2014年10月24日 05:49
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