2020年09月04日

「私達が生きるウソ」転載編

この動画は、アメリカ人と思われる「スペンサー・キャスカート(Spencer Cathcart)」という男性が2015年1月に作成して投稿した動画で、2600万回という再生回数を誇っていたのだが一度、削除され、それが、他の有志の方によって再度アップされたものだそうです。
今の秀さんとは違い、昔仕事バンバンやって金を稼ぐのが120%善だと思っていた当時の秀さんがこれを見ても何にも思わなかったと思いますがね、そもそも日々仕事に追われてそんなことを考える暇もなければ興味もなかったのですからこの動画及びその内容に共感することはないですわな! へい

その後色々と勉強する内にだんだんと世の中の隠された仕組みが分かって来まして今ではこの動画の言っていることは良く理解できます。
日本銀行が国の機関ではなくジャスダックに上場している株式会社なのだということも日本人の多くは知りません。
飛行機が激突していないのに貿易センター第7ビルが9秒で自然倒壊したことなど・・・日々の仕事に追われている人にとってはおかしいと感じる暇もゆとりも無いのですから無理もありません。

ウソと欺瞞に満ちた世の中を肯定しているのは我々自身なのだとこの動画は警告しています。
お暇な方は是非、ご覧ください!



「私達が生きるウソ」下記urlです。(どういうわけか貼り付け出来ないようになっています)

https://youtu.be/dNVZ0ZPfE8s


今、この瞬間、あなたはどこにでもいられるし、何でもできる。

なのに、あなたはこの画面の前に座っている。

一体、やりたいことや、なりたいことから、



私たちを遠ざけているものは何なのだろう。


毎日、同じ部屋で目覚め、同じ道を通り、昨日と同じ1日を生きる。

かつて、私たちの日々は、時間で縛られてはいなかった。
途中で何かが変わってしまったのだ。

今は、すべてが計画されている。
これが「自由になるための成長」ということなのだろうか。
私たちは本当に自由なのだろうか。


食料、水、土地。
私たち人間が生きるために必要なものは、今は企業だけに所有されている。

木々に私たちが食べる食物はなく、小川には飲むことのできる新鮮な水はない。
小さな家を1軒建てられる自由な土地もない。
それらの「地球が与えてくれたもの」を、もし自由に手に入れようとすれば、

あなたは刑務所に入れられる。
なので、私たちはルールに従って生きている。

私たちは「教科書」を通して世界を発見する。
若いあいだの何年もの間、私たちはただ座り、言われたことをオウム返しにして

生きている。

実験室で扱われる物質のようにテストされ評価される。
世界の中に違いを生み出さないように育てられ、違わないように育てられる。

結果として、与えられた仕事をこなすには充分な能力があるが、
「なぜ、それをするのか?」ということを問うまでにならない。

なので、私たちは、もう仕事ができないと言われる年齢まで働き続ける。
けれど、その時には「私たちが働き続けた意味」を考える時間は人生に残って

いない。

その子供たちも、また「同じゲーム」を引き継ぐのだ。

子供たちは、ひとりひとりは個性的だ。
しかし、社会的にひっくるめれば、私たちの存在は「燃料」以外のなにものでもない。
エリート存在を力づける燃料。
大企業の看板の後ろに隠れるエリートたちの。


この地球は「彼らの世界」なのだ。
彼らのもっとも重要な資源は地下にあるのではない。
彼らの資源は「私たち」だ。

私たちは「彼らの街」を建設し、「彼らの機械」を操作する。
私たちは「彼らの戦争」で戦う。

彼らを動かすものは金ではない。
それは力だ。
金は、彼らが「私たちをコントロールするために使う道具」に過ぎない。

私たちは、食べるために、移動するために、そして、楽しむために、お金に依存し

なければ生きられない社会にいる。
しかし、それは、本来は「価値のない紙切れ」なのだ。

エリートは、私たちに金を与えた。
しかし、そのお返しに、私たちは彼らに世界を与えてしまった。

私たちの空気を清浄にした森のあった場所は「森を汚染する工場」になった。
私たちが飲んだ水のあった場所は、ひどく臭う「汚染されたゴミ捨て場」になった。
動物たちが自由に走り回った場所は、私たちの欲望を満足するために、永遠に続く「虐殺の工場」となった。

私たちには充分に食べ物があるにも関わらず、世界では何百万人もの人々が飢えて

いる。
その食べ物は一体どこに行っているのか。

私たちが育てる穀物の 70% は、私たちが肉として夕飯に食べる動物に飼料として

与えられている。
なぜ、飢えを助長させるのか。
それは、飢えを消滅されると、利益が得られないからだ。

私たちは、まるで地球に広がる「ペスト」のようになってしまっている。
私たちは、私たち人間に生きることを許しているその環境を粉々に砕いている。

私たちは、この世界にあるすべてのものを売ることができる物質として見なす。
まるで、この世に存在するものすべてが所有されるべきものであるかのように。
いつになったら、私たちは、金という存在は食べることもできない「まったく価値

のないもの」だと気づくのだろうか。

私たちは地球を破壊しているのではない。
その上に生きるすべての生命を破壊している。

もし、あなたがアメリカに住んでいるのならば、41% の確率で、あなたは癌に

なる。
3人に1人は心臓疾患で死亡する。

私たちは、これらの問題に取り組むために、病院で処方された薬を飲む。
しかし、癌と心臓疾患の裏で「医療」そのものが、アメリカの主要な死因の3番目だ。

科学者に金を投入すれば、科学者たちが私たちの健康の問題を消し去るような薬を

発見し、すべての問題を解決してくれると私たちは思っている。
しかし、現実は、製薬会社と癌社会は、私たちが病気になることに利益を依存して

いるのだ。

私たちは、自分たちが「治癒の方向に向かって進んでいる」と思っているが、
実際には「病気の原因に向かって進んでいる」。

(ここは、製薬会社に支配されている現代医療が医療ビジネスが儲かるようにわざとつくり出している「医現病」の深い問題を伝える重大な視点です。大衆はみな、自己認識することができない「無知」の中で、現代医療が「正当」という名で売り付けて来るインチキ医療によって、大金をふんだくられながら大量殺処分されているのです。
無知なる衆愚を洗脳し、洗脳医療の中で大衆の生命を殺処分しながら金に変換して儲ける集金システムに暴走しているのが、現代医療という魔境なのです。大衆が「現代医療は魔境である」という事実に気づけないのは、大衆が「活きた知性が劣化した盲目的無知」に安住しているからにほかなりません。大衆の多くは、事実を探求した判断ではなく、メディアによって視覚的に擦り込まれたイメージだけで判断しています。メディアが放つイメージこそが、権力が大衆を都合よくコントロールするための悪質なる洗脳である事実に、大衆はいまだ気づけないのです。
現代医療の8割は「集金のために設けられたもの」であり、本来は「不要なもの」であって、この現代医療の演ずるエセ医療によって日本人の人体はじわじわと破壊され、意図的に病気が生み出されいます。こうして、この「病人だらけの日本社会」が計画的につくり上げられているのです。この現代医療の現実に対し、日本人はいつ目を覚ますのか‥)

私たちの体は、私たちが食べるものでできているが、その食べ物は、純粋に利益の

ために計画される。
私たちは、有毒な「化学物質」や、薬や病気に侵された「動物の肉」を、自分たち

の体に詰め込んでいる。

でも、そんなことを、私たちが知ることはない。
メディアを所有する一握りの企業グループは、私たちにそのことを感づかれないた

めに、「これが現実だ」というようなファンタジーで私たちを囲い込んでいる。

かつて、人間は「天動説」として「地球が宇宙の中心だ」と考えていた。
しかし、今度は、人間は「自分たちが地球の中心だ」と考え始めている。

私たちは科学技術を持ち出し、人間は最も賢いと言う。
しかし、コンピュータや自動車や工場が、私たち人間に知恵があるということを現

わしているものだろうか。
それとも、それらは、ただ私たちがどれだけ怠惰であるかを示しているに過ぎない

のか。

私たちはそのような「文明の仮面」を被っているが、その仮面を取ったら、一体、

私たちは何者なのだろうか。
私たちは、まるで自分たちが「何でも知っている」ように振る舞う。
しかし「見落としていること」はたくさんある。

私たちは、小さなことを無視しながら通りを歩いている。
見つめ合う視線、分かち合う物語。
すべては、まるで「私には」背景なのだと思いながら、それを無視して歩く。

もしかすると、私たちは自分ひとりではなく、より大きなものの一部だと感じてい

るかもしれない。
しかし、私たち人間は、つながりをつくることに失敗している。

豚や牛や鳥、あるいは、他の国の者は殺してもよい。
でも、自分たちが理解し、愛する近所の人々やペットの犬や猫は殺してはいけない。

私たちは、自分以外の生き物を低く見、自分たちの行動の正当性のために、それら

の価値観を持ち出す。
しかし、自分たちが他のものものを低く見ているというだけで、殺害は正しいと言

えるのだろうか。

私たちは「崩壊間際の世界」に生きている。
明日の戦争は、どんな勝者ももたらさないだろう。
なぜなら、暴力は答えにならず、すべての解決の可能性を破壊するから。

もし、私たち全員が自分たちの中にある欲望を見つめたなら、私たちの持つ夢はそう違わないことに気づくだろう。
私たちは同じ目標を分かち合っている。
これは幸福なことだ。

しかし、その同じような喜びを求めて、私たちは世界を粉々にしているのだ。
私たちは、スマートフォンや大きな家や高性能の車を持ち、本当に幸せだろうか。

私たちは、変化をもたらす誰かを待っている。
「自分たちが変化になろう」とは考えずに。

アメリカ大統領選挙は「コイントス」のようだ。
ふたつの面がひとつのコインにある。
私たちは、私たちが欲するそのコインの面であると同時に、作成された「変化の幻影」を選ぶのだ。

しかし、人々が真剣に選んで考えた何人もの大統領の登場の後も、世界は何も変わ

ってはいない。

政治家が「私たちの役に立つことは何もない」ということに気づくことに、私たちは失敗している。
政治家は「彼らに権力を与えるために出資するもの」に仕える。

この従属の世界の中で、私たちは「私たち自身を導くのは自分である」ことを忘れてしまっている。
変化を待つことを止めるべきだ。
そして、自分が見たい変化に自分が「なる」のだ。

この歴史の中で、人類が生き残った理由は、最も足が速いからでも、最も強かったからでもない。
人類は共に行動してきたから生き残った。

殺戮はもう充分に身に付けた。
今こそ、生きる喜びを身に付けるべきだ。

それは地球を救うことではない。
この地球は、私たちがいてもいなくても、ここに存在するだろう。
私たちが生きる時間はせいぜい 80年 ほどで、その時間は地球から見れば一瞬の時だ。
しかし、その影響は計り知れない。

私は、しばしば「コンピュータのない時代」に生きたかったと思う。
しかし、私は気づいた。

ひとつだけ、この時代に生きる理由があるとすれば、
それは、インターネットが、私たちがメッセージを分かち合う力と、世界の多くの人々と団結させる力を与えていることだ。

良かれ悪しかれ、この地球の未来の世の中を決めるのは、私たちの子供たちだ。
私たちは、ただ、この「破壊の仕組み」に身を投じるのか、
それとも、私たちは進化しているのではなく、退化していると気づき、目覚めるのか。

あなたは、自分自身のカーブする道を選ぶこともできる。
あるいは、これまで数え切れない人々がたどって来た道に従うこともできる。

人生は映画ではない。
脚本はまだ書かれてはいないのだ。

あなたがこれから書く脚本は「あなた自身の物語」であり、
そして「あなた以外の物語」でもあり、「私たちすべての物語」でもあるのだ。

posted by 秀さん at 04:39| ハノイ | Comment(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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