2021年03月15日

ぼやいても仕方がない編

昔はよく自分の不幸やアンラッキーなことをぼやいて愚痴をよく言っていましたわ。
ぼやき嘆いたところで状況が変わるわけでもなくかえって余計にそのことを引きずってしまい気が重くなるばかりですわ・・・
特に夜に思いめぐらす時はマイナスの思考がより増幅される感じがしますねぇ

なぜ俺ばかりこんなことが起こるのか、何も悪いことはしていないのに・・・・と自問したところで起こってしまったことは取り消せないのがこの世の人間様の定めでごわす

40代までの若い時は結構マイナス思考でくよくよと考え心の中に石の重りを付けたように長く引きずっていたような気がします

しかしこの歳(66歳)まで生きて来ると経験上人生なんて良いこともあればドツボはまるような不幸なことも時には起こるものだとある程度達観出来るようになりましたわ へい

ゲームのように、あ! こりゃマズイわ もう一度リセットしてやり直そう ってなわけには行かないのが人間様の一度きりの人生ですわ

昔むかしある人に 悪いことも よかよか 良いことは更に よかよか 色々あるから人生は楽しいと思いなさい と言われたことがあります
当時はそんな心境にはなれなかったのですが、シワ出て腹出てカレー臭が出て足腰もボテボテになって来れば何となくその意味の半分くらいは分かるような気がします

お金で幸せは買えない が 不幸の問題の大半はお金で解決できる と昔ブログに良く書いたのですが・・・

よくよく考えると最近ではお金で解決できるような問題は不幸には入らないのではないかと思うようになって来ましたぞぃ
決してお金では解決できないもっと深遠な魂の底からドンドンとヘドロのような汚水が湧き出て来るような感じの恐怖や不安がいつまでたってもぬぐえない状態の日々が何年も続く
この何とも形容のしようのない状態に陥り抜け出せない状態が本当の不幸
その不幸から何とか逃れ逃げ出そうとしてあらぬ宗教に走りさらに洗脳され幸福も不幸も分からなくなった状態、闇が支配する日々の繰り返しから福岡の篠栗町の5歳児の餓死事件が起きたのではないかと・・・

母親とその知人の女に同情するつもりは決してありませんが、その二人の心に潜む闇の深さに秀さん 言葉がありませんでしたぞぃ
そこまで行くまでに何とかできなかったのかと思ってしまいます

不幸とは闇に支配された心の状態を言うのではないでしょうかねぇ 

お金は無くてもいずれいつかは掴むことは出来るでしょうが・・・
心を闇の底に落としてしまったらもう回復は出来ない 

アホな秀さん流の言葉で言うならば  お金なんてどうでも良くて 愛を無くすことが本当の不幸であって愛に満ち溢れていることが幸せなのだとしみじみ思います

家族や親戚からの愛情、会社のスタッフさん達からの愛情、仲良くお付き合い頂いている知人友人の方々からの愛情、ブログ読者さんからの愛情、有難さに涙が滲みそうです 大げさではなく!

そういう秀さんも 皆様にささやかながら愛をお送りしたいと思います

有難うございます!





posted by 秀さん at 21:26| ハノイ ☁| Comment(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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