ホーチミンで生活していると日々様々な仕事をしている人に会う。
秀さんが日頃会う人達・・・取引先や技術者は除いても、朝はフォーやフーティウの店の人から、タクシーや背オムの運転手、駐車場の係員、ビルの警備員に弁当配達のお兄ちゃん、旅行会社のカウンター嬢にホテルや百貨店・スーパーの従業員、路上の物売りのおばちゃん達、カフェや食堂のウエイトレス、各小売店の従業員と数えだしたらキリが無い。
皆さん好きでその仕事をやっているのかどうか判らないが元気に働いている。
秀さんはガキの頃はデパートの店員になるのが夢でありやした。
今考えると何でかいな?と思うが・・・ガキの頃はキラキラしたデパートで働いている人がすごく素敵に見えたのである。
今のベトナム人と同じかもしれない、デパートに行くこと自体がワクワクしたものである。
40年以上の前の日本は今からは想像できないほど貧乏な国でありやした。
その中で色とりどりの商品がきれいにディスプレイされ綺麗なお姉さんが化粧品なんぞ売っている当時のデパートは別世界かと思われるほど魅惑に満ちていたのである。
物質的な豊かさの芽吹きを感じる日本がそこにありやした。
話はいつものように変るが・・・秀さんの家は戦前から商売をやっておりまして、酒にタバコに食料品に野菜、灯油に練炭まで何でも売っていたそうである。
秀さんの下に1つ違いの弟が出来て子供が5人になったのと じい様ばあ様(共に母親の両親、親父は入り婿)が高齢になったので商売嫌いのサラリーマンの親父が商売を止めようと言い出したので、母親は仕方なしにYさんと言う人に最初は貸していたが後で売ったそうである。
ちなみに年子の弟は秀さんを母親の乳を取り合う競争相手と思ってたのか知らんが・・ガキの頃から秀さんのことを お、お兄様と敬語で呼ばずに・・・秀○と呼び捨てにしているのを何度も聞くにおよんで良くけんかした想い出があるが、本来弟は気の優しい奴である。
今は共に腹の突き出たおっさん同士、多分けんかしても2分も持たずにお互いハァハァと息絶え絶えになると思う、歳は取りたくないものである 悲しいのぅ・・・。
当時スーパーマーケットというものが今後日本で流行りだすと思った母親は店をそれに転換しようと考えていたそうであるが親父が大反対するので諦めたと話しておりやした。
もし親父が反対してなければ秀さんも、今や日本屈指のスーパーチェーンの御曹司としてウハウハの身分だったかも知れない・・・といつものようにアホなことを考えるのである。
その店を1歳1ヶ月の秀さんに0歳の弟、上に姉2人に兄1人の5人のガキに高齢のじじばば様を抱えて母親一人で商売をやって行くのは無理だろうと容易に想像出来る。
さて、ベトナムに話しをもどしましょ!
ベトナム人に将来何になりたいか?夢はなんですか?とよく聞くが、多くの者が自分で商売を始めたいと言う。
何の商売かと聞くと美容院、小さな工場、喫茶店経営、食堂経営、洋品店経営に旅行会社etcと多種多様である。日本人のお嫁さんになりたいは別次元の話ですぞぃ、でも多い。
秀さんが考えるに、ここベトナムでは自ら経営者にならなければ給料は安く良い生活が望めないと考えている人が多いのであろう。
実際、経営者と従業員では月とスッポンほどその収入に違いあるので無理もない。
サラリーマンとして一生会社の為に尽くします! なんて言うベトナム人は逆に秀さんは信用できない!・・・位自立心旺盛の国民である。
いずれにせよ、人間は生活の為には、大金持ちのボンボンやオネェちゃん以外は働かなければ食べては行けないのであるから何らかの仕事は持たなければならない。
しかしベトナム人の夢は何か小ぶりで夢が小さいように感じる秀さんでありやす。
そういう秀さんのもデパートの店員さんになるのがガキの頃の夢だったので大きなことは言えないが・・・
ベトナムも今後益々経済発展が続くでしょうから、その内東南アジアのビル・ゲイツになるとか、新しい宇宙船を開発するとか言い出す者も出てくるかもしれないですね。
この国の将来が楽しみです。 が
少しは家族主義一辺倒の気持ちをほんの少し変えて・・・
国や国民の為に頑張りたいと言う人達の出現を秀さんは期待しておりやす!
自分に尽くすは当たり前、
家族・縁者・地域に尽くすは成功者、
真の成功者は広く世の為 人の為に尽くす
そうありたい!秀さんも頑張ります! と・・・いつも掛け声だけ!すみませ〜ん。
最後の一言。
夢を語れるのは若い人の特権、
日本の高齢者に聞いてごらん・・・夢は何ですかって?
多分、何の答えも出てこないでしょうねぇ・・・
そう、年取ると、人生の結果が出たように考えてしまう人が多いですね
いやいや、若いおネエチャンをモノにするぞぃ!
新しい会社を興すぞぃ!
赤いおべべ着て化粧してスナックでもやろうかぃ!
と言うじい様 ばあ様が沢山いるような元気な国に日本もなってもらいたいですね
国の元気さにかけてはベトナムに逆立ちしても勝てない日本、
早く、女性が安心して子供を沢山産める国にしないと
明るい未来は決して無いような気がしてならない・・・
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ブログとは全然関係ないですが、先日、O村君と久しぶりに食事をしました。
札幌での昔話になり、盛り上がりました。
「お主も悪じゃのぉ〜イチゴ屋」
「何をおっしゃいますか、おダイコン様」
↑これ覚えてます?秀さんに教えてもらったコントです。
懐かしいですね・・・札幌。
今もこの私ノー天気な所は変りませんわ。
イチゴ屋の話しは前回のブログに使いました。使い回しが多いのも秀さんの困った所ですわ。近い内に会いたいですね。