2008年02月08日

ベトナム〜プノンペン(長文)編

久しぶりにテトの休みを利用してカンボジア旅行を思い立った。

絶世の美女、いやこの際美女でなくてもいい、普通の器量の子でも構わないのだが不幸なことに秀さんにはいつも同伴希望者が一人もいない。そこで当然ではあるが・・・秀さんひとりで旅に出た。

ホーチミンを出発してメコンデルタの町、水上マーケットで有名なカイベーを観光してチャウドック泊、国境の町ビンスーン経由プノンペン行きの船の旅を貧乏旅行者ご愛用のシンカフェに申し込みして行ってまいりやした。
費用は一人参加費用5ドルを追加されて計32ドル カイベー観光 ホテル1泊朝食付 プノンペンまでの船代 バス代にミネラルウォーター2本おしぼり付き。
ただし超肥満ばかりの欧米系外国人のバックパッカーも付いています!

何度か訪れているカンボジアですがベトナムから船で行く旅は初めてなのでどんなもんかいな と少し期待して自宅からシンカフェのあるデダム通りへタクシーを走らせた。

シンカフェはテト前ということでベトナム各地へ行く外国人やベトナム人で店内はごった返しというより店内に入れない。

1シンカフェ前1.JPG

メコンデルタツアー&プノンペン行きのバスの発車時刻は朝8時だが、他の観光地へ向かう客も多く大混雑&遅刻する客も多数おり約1時間遅れの9時前にやっとこさ出発。
2シンカフェ前2.JPG道路私有地化のシンカフェ

その後もバスはノロノロ運転のままロンアンを過ぎた辺りから少しスピードが上がり予定を大幅に遅れてメコンデルタの町カイベーに到着。一言でメコンデルタと言ってもその範囲はベトナムだけでも四方数百km以上の範囲が有りホーチミンから南西の方角の町は全てメコンデルタの町と言ってよい位広いのである。一般的に観光客の方がよく行かれるメコンデルタの町はホーチミンから一番近いミトー&ベンチェー、次にカイベー、一番遠くてカントーである。日帰りツアーは大半がミトーでの観光である。
はるかチベットの雪解け水を源流に幾多の国を通って最後はベトナムの海へと終息するメコン川は豊かな恵みをそれぞれの国に分け与え母なる川としての長い間尊敬を集めて来た偉大な川である。

2匹の犬なに思う.JPGメコンの犬達よ川の上の生活は辛いかい?

そんなことは別にどうでもいいですね、はい観光に話をもどしましょ!

カイベー到着後船に乗り換えカイベー水上マーケットを見学したのは良いのですが時間が悪く既に終了気味。
カイベー1.JPGカイベーの観光船

テト前でスカイ売りと黄色い菊の花売りが多いとのこと。
ベトナムではテトにはスイカは欠かせないした果物ですし黄色い菊や杏の花も必ず家に飾ってテトを迎えます。北の花ハノイではこれが桃の花になります。

3カイベーの生活.JPG


2カイベー2.JPGカイベーの花売り船


船はその後ライスペーパーやお米で出来た菓子(おこし風)作りを見学、民謡鑑賞をした後メコン川をフェリーで横切りビンロンに到着。ビンロンから車に乗りかえチャウドックへ。
ポン菓子.JPGポン菓子作り

民謡.JPG中々歌の上手い2人でした

ビンロンフェリー内.JPGフェリー船内

チャウトドックの町はカンボジアからの密輸品の集積地だそうで町は結構潤っているとガイドのお兄さんが説明したおりましたが・・・秀さんは晩飯の美味しい所を紹介しますと言って多くの観光客を連れて行きバックマージンを受け取るガイドのお兄さんの方が更に潤っているような気がしてならないのであるが無論それを言う勇気は秀さんには無い。

チャウドックのホテル.JPGチャウドックのシンカフェ提携のホテル?

チャウドックのシンカフェ提携のホテル到着後フーティウを屋台で1杯かきこんでそのままでベッドに倒れこむように就寝。

翌朝6時30分朝食・・・いや朝食らしきモノと言った方が正しい。要はかなり最低レベルに近い朝飯(固いパンに不味い卵料理)であった、まぁツアー代金がこの金額だもの朝食があるだけまだマシかも・・。

7時過ぎにチャウトドックの公園側の船着場から少数民族のチャム族が暮らす島に手漕ぎボートで渡り上陸。
3チヤムの島へ.JPG手漕ぎボート

そこには獲物を待ち構える大勢のチャム族の子供達の姿が・・・観光客はその物売りの大攻勢に遭うのであった。
いっそのこと、この子供の物売りも観光コースに組み入れて様々な物売りのガキん子を大勢集めた島を作り、1時間観光客をガイド無しでその島に放す。
見事、何も買わずに終了した観光客には筋金入りのケチであるとの証明書を交付する。
しかし、そのしつこさに負けて買ってしまった客にはペナルティとして10ドルを科して子供達の学費に当てるというプランはどうでしょう! 
このように逆手に取ったイベントもあっても面白いと秀さんは思うのだが・・・誰も行かないってか?・・はい、判りやした。

チャム族はムスリム(イスラム教徒)で頭に独特の帽子(男性)やベール(女性)を被ってはいるがベトナムに住むチャム族に信仰心はないとのこと。顔付きはベトナム人とは明らかに異なりスープで言えば非常に濃い味の顔をしておりやす。

秀さんは今回はカイベーの観光というよりは船でカンボジアに行くことが目的だったので一所懸命に説明(英語)する真面目なガイドさんには大変申し訳ないが殆んど聞いていなかった。

4ツウヅック船内.JPGチャウドックから船はビンスーンへ

チャム族の島の見学の後船は一路ベトナムのボーダーの地ビンスーンまで船は進む と文章に書けば簡単みたいであるが・・・何せ旧式のポンポン船でスピードも10ノット出ているか否か程度なのでもう何時間乗っているのか判らなくなった。何も無い時間、こんな時間を日本で過ごすことは稀でしょう。無為の中の有意義 と言えばいいのでしょうか何とものどかな時間です。あるのは外に広がるメコンデルタの景色だけ。

メコン2.JPGメコンの流れ

メコンの兄弟船.JPG鳥羽一郎 メコンの兄弟舟

浮き草.JPG何故か秀さんは同情して撮影してしまった。
同じ浮き草同士 流れのままに行こうではないか


途中、所々にあるの川沿いの家々から子供達が船が通る度に大きく手を振る光景が何とも微笑ましくて可愛らしい。多分外国人が沢山乗った船ということを知っているのかも知れないが大勢で走りながら笑顔で一所懸命手を振る子供の姿を何度も見た。これだけでも今回の船でのカンボジア行きの意義があったと一人で納得、ご満悦な秀さんでありやす。
ガキんこの屈託の無い笑顔を見ながら船はやっとこさベトナムのボーダー ビンスーンに到着。ボーダーと言っても何〜んにも無い!無い!干からびた村そのもの、イミグレーションには牛がのんびりとマヌケ面を晒しておりやした。

ベトナムボーダー.JPGイミグレーション

ボーダー牛.JPGイミグレ内の牛さん

ここでバカ高いクソ不味い昼食をとる。(自腹)要は1軒の食堂しかないので完全独占状態。
不味い、遅い、高いの3拍子に汚いのオマケ付きのウルトラ食堂 というより掘っ立て小屋でありやす。
ビンスーンで入国手続きといっても大半がシンカフェの係員がやるので荷物検査で荷物を持って並ぶくらいである。そして出獄・・・訂正 出国手続き終了後また船に乗り今度はカンボジアボーダーへ移動、ここは牛の代わりにマヌケ面した入国官があくびをかきながら寝ぼけ眼でスタンプを押しておりやした。
カンボジアのボーダーを越えて船は更に進むこと数時間、午後3時30分にLEK LUANGという場所に到着。大きな船着場ではなく何処にでもある普通の家の船着場から土手を上がり民家の脇の細い路地を通り抜けるとそこには絶世の美女が・・・じゃないそこにはジュース売りのおばはんが・・・シンカフェは旅行料金は安くても食堂やジュース売りは他に選択肢が無いような場所に用意している。いや〜 やり方が上手いわぃ と関心いたしやした。

lek luang.JPG船着場を出た後のジュース屋

その店で待つこと20分でバスは到着。外人の皆さんもう飽き飽きバテバテムード一杯でごわした。国籍は多数で判別不能。
ここからバスに乗り換えたのは午後3時30分一路プノンペンへ無事キャピトルツアー社前に到着したのは午後5時過ぎでありました。

プノンペンまでの船の旅を振り返ってみて、船でのプノンペン行きは時間に少々ゆとりのある人には秀さんとしてはかなりお勧めでありやす。大都会ホーチミンの小生意気なガキん子より数倍も数百倍も子供らしいガキん子の屈託のない笑顔と雄大なメコンの流れの中に身を浸すと都会で汚れた自分の体が中から洗われる様で何とも清清しい気持ちになりやした。

カンボジアある市場.JPG市場プノンペン

カンボジア台地.JPGこれもプノンペン


プノンペン町A.JPGそしてこれもプノンペン


プノンペン街並み.JPGまたこれもプノンペン

スラム.JPGそしてはたまたこれもプノンペン

キャピトルツアー社に到着すると何と!4年前に秀さんが数日チャーターしたバイクタクシーの運転手LIMが秀さんの後ろから声を掛けた。
おお〜何と言うめぐり合わせか!と神に感謝し抱擁しなければならないのだが・・・
このLIMは秀さんがカンボジアの情報を全く知らないと思い込んでバイクタクシーの値段を前回はボッていたのである。

今どき、様々な旅行ガイドブックが出ており乗り物や食い物にホテルの相場は旅なれた旅行者なら皆知っているのに・・・アホぅ と前回は秀さんはあえて文句は言わずに奥さんに子供が出来たというのを聞いて(本当)素直に言われる金額を払ってやったのである。

今回もおいしい客が来たと彼は思ったであろうが、今回は秀さん滞在日の最後に支払う約束をして価格交渉をせずにしておいた。
LIMのバイクに乗って市内の安宿を数件探した挙句、結局1泊18ドル(ツイン)のファンシーゲストハウスという名の宿に決めた。内容はホテルと言っても良いくらい新しくて清潔。

店のオヤジは、昔地下鉄はどうやって駅の中に入れるのでしょうかねぇ? と言っていた漫才師のおっさんに顔が似ておりいつも笑顔で何故か親近感が持てる。
その日はやはり長時間の移動で疲れていたので近くの飯屋で軽く食事をして早々にお休みいたしやした。

次の日は終日バイクではなく客席付きバイク(ルーモー)

ルーモー.JPG

をチャーター(1日15ドル)してプノンペン中心部から南西12Kmにあるチュンエク村にある通称キリングフィールドと呼ばれる所に行った。ポルポト政権時代に大虐殺が行われた場所のひとつである。

納骨堂.JPG犠牲者の遺骨を納めた納骨堂

今までのカンボジア旅行でもここと市内の収容所跡地には秀さんは行っていない。
何故か?・・・楽しい旅行気分が暗い雰囲気に包まれるのを避けたかったからである。

しかし今回のカンボジア旅行の主目的はこのポルポト時代の負の遺産を見に来たのが本音です。若い時に散々TVで放映されていましたが何せカンボジアやベトナムといった国がどんな国であるのかないのかアルバイトで忙しかった秀さんには全く意識外の国でありました。

年取った今はベトナムに住むのも何かの縁と思い、ベトナムが侵攻した隣国カンボジアの悲惨な跡を歩いてみたくなったのでありやす。
数少ない読者の皆様には申し訳ないのですがしばらくお付き合い下さい。
ここキリングフィールドはプノンペン市内にあるトゥールスレーン刑務所に収容された人々の処刑の場所である。
殺された多くの犠牲者の内、後で掘り出された8,985の遺骨が安置されている。(頭蓋骨のまま)

殺戮の遺骨.JPG

青い目の外国人がなみだ目で骸骨になった人々の姿を眺めていたのが印象的であった。秀さんもこれだけの数見ると押し黙ってしまった。


人間は何故にこのように馬鹿で無意味で残忍な行いをすることが出来るのでしょうか?

秀さんはそのような虐殺に加わった全ての人が確固たるイデオロギーをベースに確信を持って行動をしたとは思えないのである。
日本のカミカゼ特攻隊もそうであるが、全員が全員お国の為に晴れ晴れと潔く死んで行ったとは思えない。
実際残された数多くの手紙にあるように戦争という異常事態が無ければみな家族のある良き父であり夫であり兄であり弟であり恋人なのである。好き好んで死にたいと思う人などいる訳がないのである。

大半の人間は決してやりたくも行きたくもなかったと秀さんは思う。
しかしそうしなければ自分に矛先が向い非難され今度は自分が差別され虐待されるという恐れを内面に押し隠し己の心とは裏腹な行いをせざるえなかった苦汁の選択ではなかったのではないだろうか?

自国民をこんなに大量に殺すなんてことは絶対に間違っていると声高に叫んだ勇気ある人も中にはいただろうが
ほとんどの者は、無論秀さんもそうであるが弱い人間なのである。

人間とはいざ究極の状態に置かれた時に単独でどれほど正しい行いが出来るだろうか・・・それも自分の命と引き換えに。

秀さんはそれが出来るような人間になりたいと思うことだけ は出来るがいざその究極の場に自分が立たされると100%命令されるがままの秀さんがいると思う。

昔の武士は大したものである、いとも簡単に切腹していたような感じがする。
実際は違うのだろうが、秀さんだったら必死こいて逃げ回り介錯人もお手上げといった死に方をするに違いない。

常に死を心の中に意識しながらガキの頃から生きて行かなけれなそのような強固な精神は育たないのだと思う。
しかしそれも問題でヒトラーユーゲントのような子供の集団が出来る可能性もある。
子供は指導する側の資質に大きく左右される。立派な教育が必要なことは自明のことである。

話は変るが・・・子連れ狼の大五郎君は大人に成長していたらどんな人間になっていただろうか?
といつものようにアホな秀さんの想像が浮かんでしまった。

話をカンボジアに戻しましょう。
次に市内に戻り当然の流れとしてトゥールスレーン収容務所跡展示館に行った。以前は高校の校舎として使われていたのをポルポト時代に収容所(拷問監禁場所)として転用した。

刑務所跡.JPG収容所跡展示館

犠牲者写真.JPG

拷問死.JPG拷問死

人間の愚かさを警告するためまた戦争(戦闘)の悲惨さを伝える為にあえてこのような写真をブログに掲載した。展示の写真を見てもらえればお分かり頂けると思うが、多くの女子供も尋問され監禁された。
記録によれば約2万人が収容された生き残ったのはたった6人だけだとある。
子供の犠牲者.JPG子供の犠牲者

独房.JPG独房跡

このポルポトの率いる赤いクメール(クメールルージュ)はカンボジア全土で数百万に上る人々を虐殺したと言われている。今から27〜29年前のことである。

ベットと拷問.JPG拷問用の鉄製のベット

笑い禁止.JPG不謹慎にもこの場所で大笑いする外国人がいた為掛けられた笑い禁止のプレート


今の若いカンボジア人たちは知らなくてもその親やじい様ばあ様はまだ記憶に残っていることでしょう。
不思議なのがこれだけ虐殺したポルポト派なのだがいまだにカンボジア内でそこそこの政治力を持っていると客席付きバイク(ルーモー)の運転手から聞いて驚いた。

今回のプノンペン旅行は決して楽しい気分に浸れる思いの旅行では無かった。人間の無情さ愚かさをまざまざと見せつけられ何とも言えぬ気持ちで胸が一杯になってしまった。

唯一の救いは街のたたずまいはホーチミンと違って落ち着いており市内に数多くあるお寺やクメール風の建造物の美しさはトレンサップ川の水面と共に秀さんの気持ちを少し和ませてくれた。

王宮h.JPG王宮

国立博物館.JPG国立博物館


秘宝シルバー.JPGシルバーパゴダ


平和とは何ものにも代え難い貴重なものである。また人間同士が殺しあう愚かさを嫌と云うほど強く強く感じた今回の旅行でありました。

最後に

予定が終了しバイクタクシーの運転手LIMに相場通りの金額を渡した時の驚いた顔。
ブツブツと文句を言っていたが最後にはあきらめて帰って行った。

余り日本人を舐めてはいかんぜよ!!LIM君
と象のおっさん(秀さんの来世の生れ変わり?)が笑っておりやした。

将来の秀さん.JPG



posted by 秀さん at 12:42| ハノイ ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | ベトナム観光編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ポルポトや収容所に関しては、
当時を経験していないぼくが
何を言っても綺麗ごとに
聞こえてしまいそうなので
遠慮して…
ぼくも1番最初に
ミトーに行ったとき
ボッタクられたのです。
ボッタクリ当事者は
今でもぼくのよき
ミドルエイジアドバイザーですが…
Posted by Bentre at 2008年02月08日 13:13
Bentreさん
こんにちわ。ベトナム戦争やカンボジア内戦は私が若い時の出来事ですが・・・今それらの国で仕事をやったり旅行に行ったり出来る不思議さ?喜びを感じますねぇ。争いの無い世界に早くなって欲しいですが・・人間は滅びる時までアホなことの繰り返しでしょう。

ボッたボレれたはよくある話ですね。
些細なボッタは東南アジアの挨拶料と思っています。
死んだ女房に言わせれば、あんたが一番ボッタくり亭主と言われそう。
Posted by 秀 at 2008年02月08日 14:01
了解です。

そもそも高いからって
ボッタクリとは限りませんもんねー
その人がオレはこれだけの付加価値
を与えてるんだから、高くて当然。
その人が根強く、諦めず、その値段
で突き通し続ければ、いつかきっと
みんなが認めてくれて、ボッタクリから
高付加価値商品への変換が可能かもですね。
銀座のキャバクラと八王子のキャバクラ
の値段の差のように。

そうそう、ぼくは日本に帰った後
ネットでいろんな記事を読んでそれ
がボッタクリであると知ったのです。

…実は満足してたのか?
Posted by Bentre at 2008年02月08日 16:12
秀さん。こんにちは。

読ませて頂きました。
んー。
んー。

頭が、動きません。
自己防衛力?考えることを止めてしまいます。真正面から考え進める事が怖いです。


最近(この1年)、夜寝る前に「おじちゃん達、おばあちゃん達に感謝します。」と心の中で唱えてから眠ります。(関係無いかもね。)でも、僕の思考の終着点はいつもそこです。
Posted by 中尾彰良 at 2008年02月10日 17:56
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