2020年09月04日

「私達が生きるウソ」転載編

この動画は、アメリカ人と思われる「スペンサー・キャスカート(Spencer Cathcart)」という男性が2015年1月に作成して投稿した動画で、2600万回という再生回数を誇っていたのだが一度、削除され、それが、他の有志の方によって再度アップされたものだそうです。
今の秀さんとは違い、昔仕事バンバンやって金を稼ぐのが120%善だと思っていた当時の秀さんがこれを見ても何にも思わなかったと思いますがね、そもそも日々仕事に追われてそんなことを考える暇もなければ興味もなかったのですからこの動画及びその内容に共感することはないですわな! へい

その後色々と勉強する内にだんだんと世の中の隠された仕組みが分かって来まして今ではこの動画の言っていることは良く理解できます。
日本銀行が国の機関ではなくジャスダックに上場している株式会社なのだということも日本人の多くは知りません。
飛行機が激突していないのに貿易センター第7ビルが9秒で自然倒壊したことなど・・・日々の仕事に追われている人にとってはおかしいと感じる暇もゆとりも無いのですから無理もありません。

ウソと欺瞞に満ちた世の中を肯定しているのは我々自身なのだとこの動画は警告しています。
お暇な方は是非、ご覧ください!



「私達が生きるウソ」下記urlです。(どういうわけか貼り付け出来ないようになっています)

https://youtu.be/dNVZ0ZPfE8s


今、この瞬間、あなたはどこにでもいられるし、何でもできる。

なのに、あなたはこの画面の前に座っている。

一体、やりたいことや、なりたいことから、



私たちを遠ざけているものは何なのだろう。


毎日、同じ部屋で目覚め、同じ道を通り、昨日と同じ1日を生きる。

かつて、私たちの日々は、時間で縛られてはいなかった。
途中で何かが変わってしまったのだ。

今は、すべてが計画されている。
これが「自由になるための成長」ということなのだろうか。
私たちは本当に自由なのだろうか。


食料、水、土地。
私たち人間が生きるために必要なものは、今は企業だけに所有されている。

木々に私たちが食べる食物はなく、小川には飲むことのできる新鮮な水はない。
小さな家を1軒建てられる自由な土地もない。
それらの「地球が与えてくれたもの」を、もし自由に手に入れようとすれば、

あなたは刑務所に入れられる。
なので、私たちはルールに従って生きている。

私たちは「教科書」を通して世界を発見する。
若いあいだの何年もの間、私たちはただ座り、言われたことをオウム返しにして

生きている。

実験室で扱われる物質のようにテストされ評価される。
世界の中に違いを生み出さないように育てられ、違わないように育てられる。

結果として、与えられた仕事をこなすには充分な能力があるが、
「なぜ、それをするのか?」ということを問うまでにならない。

なので、私たちは、もう仕事ができないと言われる年齢まで働き続ける。
けれど、その時には「私たちが働き続けた意味」を考える時間は人生に残って

いない。

その子供たちも、また「同じゲーム」を引き継ぐのだ。

子供たちは、ひとりひとりは個性的だ。
しかし、社会的にひっくるめれば、私たちの存在は「燃料」以外のなにものでもない。
エリート存在を力づける燃料。
大企業の看板の後ろに隠れるエリートたちの。


この地球は「彼らの世界」なのだ。
彼らのもっとも重要な資源は地下にあるのではない。
彼らの資源は「私たち」だ。

私たちは「彼らの街」を建設し、「彼らの機械」を操作する。
私たちは「彼らの戦争」で戦う。

彼らを動かすものは金ではない。
それは力だ。
金は、彼らが「私たちをコントロールするために使う道具」に過ぎない。

私たちは、食べるために、移動するために、そして、楽しむために、お金に依存し

なければ生きられない社会にいる。
しかし、それは、本来は「価値のない紙切れ」なのだ。

エリートは、私たちに金を与えた。
しかし、そのお返しに、私たちは彼らに世界を与えてしまった。

私たちの空気を清浄にした森のあった場所は「森を汚染する工場」になった。
私たちが飲んだ水のあった場所は、ひどく臭う「汚染されたゴミ捨て場」になった。
動物たちが自由に走り回った場所は、私たちの欲望を満足するために、永遠に続く「虐殺の工場」となった。

私たちには充分に食べ物があるにも関わらず、世界では何百万人もの人々が飢えて

いる。
その食べ物は一体どこに行っているのか。

私たちが育てる穀物の 70% は、私たちが肉として夕飯に食べる動物に飼料として

与えられている。
なぜ、飢えを助長させるのか。
それは、飢えを消滅されると、利益が得られないからだ。

私たちは、まるで地球に広がる「ペスト」のようになってしまっている。
私たちは、私たち人間に生きることを許しているその環境を粉々に砕いている。

私たちは、この世界にあるすべてのものを売ることができる物質として見なす。
まるで、この世に存在するものすべてが所有されるべきものであるかのように。
いつになったら、私たちは、金という存在は食べることもできない「まったく価値

のないもの」だと気づくのだろうか。

私たちは地球を破壊しているのではない。
その上に生きるすべての生命を破壊している。

もし、あなたがアメリカに住んでいるのならば、41% の確率で、あなたは癌に

なる。
3人に1人は心臓疾患で死亡する。

私たちは、これらの問題に取り組むために、病院で処方された薬を飲む。
しかし、癌と心臓疾患の裏で「医療」そのものが、アメリカの主要な死因の3番目だ。

科学者に金を投入すれば、科学者たちが私たちの健康の問題を消し去るような薬を

発見し、すべての問題を解決してくれると私たちは思っている。
しかし、現実は、製薬会社と癌社会は、私たちが病気になることに利益を依存して

いるのだ。

私たちは、自分たちが「治癒の方向に向かって進んでいる」と思っているが、
実際には「病気の原因に向かって進んでいる」。

(ここは、製薬会社に支配されている現代医療が医療ビジネスが儲かるようにわざとつくり出している「医現病」の深い問題を伝える重大な視点です。大衆はみな、自己認識することができない「無知」の中で、現代医療が「正当」という名で売り付けて来るインチキ医療によって、大金をふんだくられながら大量殺処分されているのです。
無知なる衆愚を洗脳し、洗脳医療の中で大衆の生命を殺処分しながら金に変換して儲ける集金システムに暴走しているのが、現代医療という魔境なのです。大衆が「現代医療は魔境である」という事実に気づけないのは、大衆が「活きた知性が劣化した盲目的無知」に安住しているからにほかなりません。大衆の多くは、事実を探求した判断ではなく、メディアによって視覚的に擦り込まれたイメージだけで判断しています。メディアが放つイメージこそが、権力が大衆を都合よくコントロールするための悪質なる洗脳である事実に、大衆はいまだ気づけないのです。
現代医療の8割は「集金のために設けられたもの」であり、本来は「不要なもの」であって、この現代医療の演ずるエセ医療によって日本人の人体はじわじわと破壊され、意図的に病気が生み出されいます。こうして、この「病人だらけの日本社会」が計画的につくり上げられているのです。この現代医療の現実に対し、日本人はいつ目を覚ますのか‥)

私たちの体は、私たちが食べるものでできているが、その食べ物は、純粋に利益の

ために計画される。
私たちは、有毒な「化学物質」や、薬や病気に侵された「動物の肉」を、自分たち

の体に詰め込んでいる。

でも、そんなことを、私たちが知ることはない。
メディアを所有する一握りの企業グループは、私たちにそのことを感づかれないた

めに、「これが現実だ」というようなファンタジーで私たちを囲い込んでいる。

かつて、人間は「天動説」として「地球が宇宙の中心だ」と考えていた。
しかし、今度は、人間は「自分たちが地球の中心だ」と考え始めている。

私たちは科学技術を持ち出し、人間は最も賢いと言う。
しかし、コンピュータや自動車や工場が、私たち人間に知恵があるということを現

わしているものだろうか。
それとも、それらは、ただ私たちがどれだけ怠惰であるかを示しているに過ぎない

のか。

私たちはそのような「文明の仮面」を被っているが、その仮面を取ったら、一体、

私たちは何者なのだろうか。
私たちは、まるで自分たちが「何でも知っている」ように振る舞う。
しかし「見落としていること」はたくさんある。

私たちは、小さなことを無視しながら通りを歩いている。
見つめ合う視線、分かち合う物語。
すべては、まるで「私には」背景なのだと思いながら、それを無視して歩く。

もしかすると、私たちは自分ひとりではなく、より大きなものの一部だと感じてい

るかもしれない。
しかし、私たち人間は、つながりをつくることに失敗している。

豚や牛や鳥、あるいは、他の国の者は殺してもよい。
でも、自分たちが理解し、愛する近所の人々やペットの犬や猫は殺してはいけない。

私たちは、自分以外の生き物を低く見、自分たちの行動の正当性のために、それら

の価値観を持ち出す。
しかし、自分たちが他のものものを低く見ているというだけで、殺害は正しいと言

えるのだろうか。

私たちは「崩壊間際の世界」に生きている。
明日の戦争は、どんな勝者ももたらさないだろう。
なぜなら、暴力は答えにならず、すべての解決の可能性を破壊するから。

もし、私たち全員が自分たちの中にある欲望を見つめたなら、私たちの持つ夢はそう違わないことに気づくだろう。
私たちは同じ目標を分かち合っている。
これは幸福なことだ。

しかし、その同じような喜びを求めて、私たちは世界を粉々にしているのだ。
私たちは、スマートフォンや大きな家や高性能の車を持ち、本当に幸せだろうか。

私たちは、変化をもたらす誰かを待っている。
「自分たちが変化になろう」とは考えずに。

アメリカ大統領選挙は「コイントス」のようだ。
ふたつの面がひとつのコインにある。
私たちは、私たちが欲するそのコインの面であると同時に、作成された「変化の幻影」を選ぶのだ。

しかし、人々が真剣に選んで考えた何人もの大統領の登場の後も、世界は何も変わ

ってはいない。

政治家が「私たちの役に立つことは何もない」ということに気づくことに、私たちは失敗している。
政治家は「彼らに権力を与えるために出資するもの」に仕える。

この従属の世界の中で、私たちは「私たち自身を導くのは自分である」ことを忘れてしまっている。
変化を待つことを止めるべきだ。
そして、自分が見たい変化に自分が「なる」のだ。

この歴史の中で、人類が生き残った理由は、最も足が速いからでも、最も強かったからでもない。
人類は共に行動してきたから生き残った。

殺戮はもう充分に身に付けた。
今こそ、生きる喜びを身に付けるべきだ。

それは地球を救うことではない。
この地球は、私たちがいてもいなくても、ここに存在するだろう。
私たちが生きる時間はせいぜい 80年 ほどで、その時間は地球から見れば一瞬の時だ。
しかし、その影響は計り知れない。

私は、しばしば「コンピュータのない時代」に生きたかったと思う。
しかし、私は気づいた。

ひとつだけ、この時代に生きる理由があるとすれば、
それは、インターネットが、私たちがメッセージを分かち合う力と、世界の多くの人々と団結させる力を与えていることだ。

良かれ悪しかれ、この地球の未来の世の中を決めるのは、私たちの子供たちだ。
私たちは、ただ、この「破壊の仕組み」に身を投じるのか、
それとも、私たちは進化しているのではなく、退化していると気づき、目覚めるのか。

あなたは、自分自身のカーブする道を選ぶこともできる。
あるいは、これまで数え切れない人々がたどって来た道に従うこともできる。

人生は映画ではない。
脚本はまだ書かれてはいないのだ。

あなたがこれから書く脚本は「あなた自身の物語」であり、
そして「あなた以外の物語」でもあり、「私たちすべての物語」でもあるのだ。

posted by 秀さん at 04:39| ハノイ | Comment(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月25日

人間に死ぬまで生きる、だから 楽しく生きましょう編

昨晩のことですが・・・
ある方の言葉の一説に・・・

「あなたが心配するあまり、朝日が昇らぬ
ようなことが起これば、心配のしがいもありますが、どんなに心
配しても、朝日は必ず昇りますよ。人の無欲の想念には、無限
のエネルギーが存在しています。心配することは、無意識に悪
い方向に事を進めようとしているようなものです・・・」

という部分がありまして深く感じ入ったのであります。

と言うのも昔々人生の中でどん底の時に思い余って深夜に海辺まで出かけここまま海の中に入ってしまおうかと魔が差したことがありましてね。
結局はそんな勇気?は無く朝方ジリジリと照り付ける太陽の熱気で浜辺で大汗をかいてよだれ垂らして寝ていたアホな自分がおりましたわ。
夜に浜辺に来たのだけどそのまま砂浜で寝入ってしまい朝が来ただけなのですがね。(この話は前にも書いたかもしれません もう半ボケなのでよくおぼえておりません へい)

その時にふと冒頭の言葉とは違いますが、何じゃい! おれがこんなに思い詰めて悩み苦しんでいるのにお天道さんはそんなことは一切お構いなく毎日陽を昇らせているのか・・・と思うとあれほど悩み苦しんでいた秀さんの気持ちなんて全く取るに足りない塵芥以下のことなのだと思ってしまいましたわ。

アホらし! もう悩み苦しむことはや〜めた と決めたある日の朝の出来ごとでした。

起きてしまったことはどう考えても元には戻らない それなのに起こらなかったら良かったのに・・・何でじゃ 何でじゃと同じ思考がぐるぐると回るだけ、出口のないブラックホールみたいな渦の中でもがき苦しんでいた自分を突き放して俯瞰できるようになったのですわ。
悩み苦しんだ期間は半年ほどでしたが頭や肩にいつも大きな黒い石がのっているような重苦しい=結局は自分で自分自身を身動き取れないようにしていただけなのですがね。
お天道さんのお陰で目が覚めたというか何もしないまま半年もグダグダしていた自分に活を入れられたのだと後から思いましたよ。

そんでもって、まずは仕事探しから始めるしかなかべぇ ということで中年再就職活動の一歩を踏み出した次第ですわ。
決して楽ではありませんでしたが何とか再就職先も見つかりまずはおふくろの少ない年金をねこばばしなくても済むようになりました。
あれから約25年、今も決して楽という状態ではありませんが気持ち的には怖いものなしと言うか心配してもどうにもならない のならあるがままその日その日を歩いていくしか仕方ないべぇ という心境で毎日を過ごしております。

死ぬのは怖い 怖い と言って心配しても 永遠の寿命の人間はいないのですから人間誰しもその時が来たら死ぬのですから心配しても仕方がありません
逆に言えば死ぬ時までは生きるしかないのですから どうせ生きるならいらん心配はせず楽しいことばかり考えて生きたいものですね

じゃぁ その楽しいことと言うのは何かね? と問われれば 
お金が沢山あるとか偉い人になるとか言うものではないのだと思いますが 正直まだ良く分かりません

一つ言えることは 孫と話をするのは楽しい(孫はそう思っていないかも?)と言うのは100%正しいです!
気の合う仲間と一緒にご飯を食べるだけでも楽しい のも事実
若い時の思い出に浸るのも熱いものが込み上げて来て楽しい
好きな音楽を聴くのも楽しい 人から好意を持たれるのも楽しい 会社のスタッフと何気ない会話も楽しい
こんなアホなブログにコメントを頂けるのも楽しい・・・etc

そう考えると生きているから上記のことがあるわけですので 生きているだけで楽しい のかも知れませんねぇ〜

発見! 悪いこと嫌なことは考えずに 楽しいことだけを考えれば 良いんじゃねぇ というアホな結論になりました

昔秀さんが小学生低学年だった頃、当時朝日新聞に 小さな目 という小学生の詩を掲載するコーナーがありましてね
今のあるのかな? 良くわかりませんが・・・
当時、悪ガキだった秀さんの詩が新聞に載り 学校で表彰されたことがありました(表彰なんて一生でこれきりですが・・・)
その時の題名が 明日が楽しみだ という詩ですわ。
あまり良く覚えてはいないですが、布団をかけて目を閉じる前は今日、目を閉じて眠ってしまえば明日が来る 
明日が楽しみだ みたいな感じの内容ですわ

当時クラスでは悪ガキで有名でしたので よく理由もなく気の弱い生徒をいじめていました 
そんな悪ガキだったので怖いものなしだったので毎日学校が楽しかったのかもね
でもって明日が楽しみだ というタイトルで詩を書いたのかも?

でもね、いじめられていた生徒からすれば 明日は憂鬱だ という心境だったのかも知れません
今反省しても遅いのですが・・・・当時の秀さんの行いに ごめんなさい です 

この歳になればもういじめることはありませんが、せめて深酒して人に迷惑かけないように注意します!

童心にかえって 明日が楽しみだ! の心境でこれからの日々を送りたいと思います。

これで何とか結びの言葉になったかな?

これからもこのアホなブログをどうぞよろしくです!




息子の誕生日にVちゃんが作ったケーキを追加で掲載

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posted by 秀さん at 02:24| ハノイ | Comment(6) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月17日

知らぬ間に気を張り詰めているベトナムでの生活編

義娘のVちゃんといつものように1日のお互いの報告を兼ねてLINE会話、孫の様子や天気の話、
昨年の11月に日本での生活を始めてから半年くらい経ったねぇ〜 なんて他愛の会話ばかりですわ

そんな中でVちゃんが、コロナの影響でベトナムに帰国できないのは寂しいけれど、毎日ここ(福岡北九州市)で生活してみて感じることは知らない者同士が道で互いに笑顔であいさつをするのが最初は不思議で驚きだったが今では皆人柄、もしくは地域の雰囲気が良くて心地よいのだと・・・言っておりました。

ふと、ベトナムでの出来事と重ね合わせてみたそうな・・・

今秀さんが住んでいるアパートの電気温水器が故障したのでVちゃん経由でVちゃんの兄弟が修理の手配をしたのだが・・・業者が工具の忘れものをしたらしく2度手間をかけたからか午前中、最初に言っていた金額より10万ドン高い金額をこっそりと請求書に書いた
最初言っていた金額は110万ドンだったでしょう、覚えているわよ! 勝手に金額上げないでよ ・・・ということがあった。

道を歩けばバイクや車優先が当たり前、何でも我先にと・・・あまり人様のことは考えない人が多い、町中バイクだらけでクラクションの音を鳴らしまくって ほらどけ! おらおらそこどかんかい! といった喧騒が当たり前
無論、知らない人と道ですれ違っても挨拶なんかしない、そもそもそんなに道を人が歩いていない、いや歩けないのだが・・・
エレベーター下りるのに乗る人間が我先にと押し寄せて下りるに降りれないことはしょっちゅうあるが当たり前だと驚かなかった・・・

その他いろいろ


いったい、Vちゃんは何が言いたいかというと・・・・

ベトナムにいた時はそういうことに慣れっこになって知らず知らずの内に自分でも気を張り詰めていたのかなぁ〜?

今の家に住んでから毎日のように買い物や子供の通学の付き添いや出迎えに近所に行くが、みなさん優しくて笑顔で道を譲ったり挨拶したするのが当たり前なのが嬉しいし 住んでいて気持ちが良いの・・・お義父さんと言うではありませんか!

秀さんが一番最初にベトナムに来た時のカルチャーショックとは逆のカルチャーショックみたい・・・

望郷の念でそりゃ、ベトナムの親や兄弟友人には会いたいけれど・・・・今ここでの生活は落ち着きがあって当初思っていたよりはすごい気持ちが楽と言っておりましたぞぃ!

まぁ、秀さんの田舎は爺婆ばかりで尖がった人がほとんど居ないのもあるでしょう、また北九州特有の情に厚い土地柄もあるでしょうが
義娘からそう言われりゃ 単純に嬉しくなっている秀さんですわ だんだんと日本での生活に馴染んでいるようで何よりですわ へい


ベトナム人でさえ、大都会ホーチミンでの生活は気を張って生きていかなければならないのなら・・・我々日本人はなお更ですね!
日本人的なゆったり感を長いホーチミン生活で忘れてしまった秀さんですのでVちゃんの話には考えさせられる面がありましたぞぃ

ということで本日の、北九州良いとこ一度はおいで こりゃよい良い という話でした〜

また、次回まで




おまけ!
お揃いの服を自分で縫った写真

おそろいの服.jpg


posted by 秀さん at 04:55| ハノイ | Comment(4) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月18日

久々に伊勢白山道さんの記事の転載編

新型コロナウイルスの騒ぎが大きくなっていた時に伊勢白山道さんは日本人には致命的な大問題にはならないと・・・
言っていたことを思い出す。
その根拠といえば色々あるようだが日本国民の清潔さを好む生活習慣にあるようなことを書いていました。
毎年インフルエンザで数千人から多い国だと1万人以上が亡くなっている事実に比べると今回の新型コロナウイルスによる死者数は少ないと思うのですがマスコミが危機感を煽るので心配症の人は大騒ぎ状態ですね(ベトナム人しかり・・・)

中国は発生源国なので死者数が多いのは分かるのですが・・・イタリアは何故? スイスは何故?と首をかしげてしまいます。
イタリアはバチカンがあるから? スイスはバーゼルのBISがあるから?  

まぁ、よく分かりませんが何か裏があるような気がしてなりません。っていうか秀さんの考えを言ったところで都市伝説でかたずけられるので
沈黙ですわ。へい

これだけは陰謀論ではなく新型コロナウイルスは自然界ではなく人工的に作られたものだと多くの国で言われています。
陰謀論好きなw  秀さんとしてはばらまいた連中にブーメランのように逆に跳ね返って来ているのではないかと疑っています。
株式市場暴落に対して安全資産と言われた金が暴落している現状は異常ですわ。加えてビットコインも暴落・・・
FRBのゼロ金利、とんでもないドル刷り、間違いなく今までのユダヤ系資本の金融経済操作とは違った動きですわ。
記事にもあるようにスイスフランも暴落・・・
長く続いた今までの経済金融政策をリセットするような動きですね。

2020年何かわかりりませんが百年以上続いた金を中心とした流れが激変する大きなパラダイムシフトが起こっているような気がしてなりません。それが良い方に向かうのか悪い方に向かうのかは分かりゃしませんがね!
楽天家の秀さんですので前者だと信じて鼻毛を抜きながらまた〜り としておりやす。へい

何があろうが、死ぬまで生きる のが人間ですので気楽に生きまひょ!



以下伊勢白山道さんの記事より天災じゃない、転載です。


新型コロナウイルスに関する3月18日前後のデータを、世界の様々なサイトから寄せ集めて集計して見ました。
数字の間違い、誤差、が有るかも知れない前提で見て頂ければ幸いです。

          (感染者数)
1 中国・・・・・・・80,881人 ・・・死 3,226
2 イタリア・・・・・31,506人 ・・・死 2,503
3 イラン・・・・・・16,169人 ・・・死 988
4 スペイン・・・・・11,409人 ・・・死 510
5 ドイツ・・・・・・8,604人 ・・・・死 23(ドイツと日本の医療水準は非常に高い)
6 韓国・・・・・・・8,320人 ・・・・死 81
7 フランス・・・・・6,633人 ・・・・死 148
8 アメリカ・・・・・5,696人 ・・・・死 97
9 スイス・・・・・・2,742人 ・・・・死 27
10 イギリス・・・・・1,950人 ・・・・死 71
11 オランダ・・・・・1,705人・・ ・・死43
12 ノルウエー・・・・1437人・・・・・死3
13 ベルギー・・・・・1243人・・・・・死10
14 スウェーデン・・・1190人・・・・・死7

17 日本・・・・・・・880人・・・・・・死 29
(ダイヤモンド P ・・・696人・・・・・死 7)

感染者数は、「日本は検査をしないからだ」という意見が有るにしても、死亡者数や、ご自分の周囲の人々を見てください。
EUや米国に見られるような騒動には、日本はまったく成っていません。

新聞のお悔やみページも、通常の件数ではないでしょうか。
(これは誤魔化すことが出来ない実態データ。今のイタリアの新聞は、お悔やみページで埋まっています)
日本は、海外の緊張したニュースを見て、「怖いねープルプル」と震えている状態で済んでいます。

注目するデータは、意外にもスイスです。
あの少ない人口で、これは非常に深刻です。
スイスフラン通貨が今週に爆発的に売られた理由は、これでしょう。

あれだけ安全保障が厳しくて、自国民を最優先して、周囲には厳しい国でも、この感染データです。
世界の金融を陰から支配すると言われて来た国(スイス・英国)のデータが特に悪いです。
北欧諸国も、少ない人口なのに、非常に深刻なデータです。

1月中旬ごろの海外のニュースでは、
・ 新型コロナウイルスが取り付く特定の遺伝子「ACE2受容体」の存在が判明した。
・ その遺伝子受容体は、特に日本人に多い。
・ だから、日本人は感染に注意したほうが良い。
・早々に、日本人の入国を拒否した国が発生した。 

でも2カ月が経過した今の実態データは、
* 日本人だけに特別に多い(約50%も)「ACE2受容体」が有るにもかかわらず、
* 日本の感染者も死亡者も非常に少ない。

* 「ACE2受容体」が非常に少ないから安全とされた国(中東・北欧)の感染者が、多い結果。

つまり、感染受容体が多い ⇒ 危ない。
という現代の感染病理学に対して、真逆の状況が発生していると思われます。
ウイルスに対する考え方を、根本から変える必要性を感じます。
(「ACE2受容体」に関する関連記事:
http://luce-tabi.jp/index.php?word=%E2%97%87%E2%97%86%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%99%BD%E5%B1%B1%E9%81%93++ACE2+%E5%8F%97%E5%AE%B9%E4%BD%93&type=and&sort_flg=1&encode=utf-8

報道によりますと、3月17日にWHO報道官は、新型コロナウイルス感染の疑いがある場合、
・ 医師の助言なしに抗炎症薬「イブプロフェン」などを服用しないよう注意。
・ 抗炎症作用の少ない「アセトアミノフェン」など服用が望ましい。
・ フランスの保健相は3月14日に、新型ウイルス感染時にイブプロフェンなど抗炎症薬服用は「悪化させ得る」とツイッターに。

つまり、抗炎症薬をもって新型コロナウイルスに抵抗しようとすると、
サイトカイン・ストーム(猛烈な副作用)が発生して若者でも重症化しているようです。
これはまるで、強盗に拳銃を突きつけられた時に、抵抗して撃たれるような現象です。

だから、新型コロナウイルスには、
・ 抗炎症薬や投薬で抵抗するのでは無くて、
・ 食事と、睡眠、清潔さで抵抗すること。

・ あれだけ多くのウイルス感染者国の旅行者を受け入れた沖縄が平気な事実。
・ 沖縄の食文化には、モズクなどの海藻類の消費が非常に多い県民性であること。
・ 「ACE2受容体」は、海藻類の分解酵素とも関係すること。
・ 日本海側の県や、東北の、海藻類を食べる食生活の県と、感染者数を調べること。

1年後に出来る?というワクチンを待つよりも、
(新型コロナウイルスは無数に変異を繰り返すから、私はワクチン開発は疑問です)

・ 「ACE2受容体」を、海藻類がフタ、コーティングするような関係性は無いか?
・ 海藻の成分を調べるほうが、早いのではないか?
・ EUに、海藻を食べる文化や習慣は有るのか? 無いのではないか。
このような方向性を提示して置きます。

ヒントは、日本食に有ると感じます。
海藻、緑茶、納豆、豆腐、・・・どれも抗炎症薬のようにウイルスに抵抗するのでは無くて、
「友達友達、ととのう ととのう、なかよし なかよし」
と成ることを夢想します。

日本は、ウイルスから守られる手段・習慣に満ちています。
日本食、入浴習慣、トイレ機能、清潔さ、ハグなし、靴を脱ぐ習慣、・・・・ドンドコ ドンドコ。

でも、
ヒトラーに憑依した牛頭魔神が、日本のことを「子供の国」と呼んだように、
「詳しくは、過去記事( https://bit.ly/39zZ0eq )( https://bit.ly/2wImAXR )参照」

海外で沢山の人が亡くなっている中で、
日本がオリンピック開催を声高に発信するたびに、
世界が白けるムードを懸念します。
今は、世界のことを真剣に思いやる時なのでしょう。

生かして頂いて 有り難う御座います


以上転載終了

posted by 秀さん at 15:20| ハノイ ☁| Comment(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月22日

10月が終われば11月って編

10月が終われば11月が来ると・・・当たり前のことを言って何になるの? と問われれば言葉がないのですがね。
要は、月日の経つのは早いということが言いたいわけでありまして他意はございません。へい

先週バンコクに行っていたのですがバンコクの友人と交わした会話が、年取ると1年が早いということでした。

時間の概念ですが昔は不変一定と思われていたのですが今では時間の概念なんて変化するし一定のものではないことが科学的に証明されておりますねぇ。
現在流行りの量子力学もそうですが、人間の思考や思いが物理現象に影響を与えるなんてことになっておりますので年寄りと若い人で時間の認識に対して違いが出てもおかしくはないのかも? なんてことを考えてしまいました。

秀さんの場合は、物質(肉体)が無くなっても人の魂は永遠に生き続けると思っている変わり者ですのでどんな辛い時でもこんなことは永遠に続かないきっと幸運のめちゃ美人の女神さまが秀さんにウインクしながら微笑んで何とかしてくれる・・・と根拠なき楽天主義者なので無問題ですわ。

実際、1年間以上悩む問題なんてほとんどないのが実情ですね、どんなに苦しんでもいずれはすべて時が解決してくれます。
時は動いているのですから、自ら固執してそこにとどまらない限りは周りの景色はどんどん変わっていきます。
悩むことなんてこの世には本当はないのだと達観できればもっとのびのびとした人生がおくれるのに我々凡夫は自ら呼び寄せた悩みから脱却出来ないで苦しんでいます。

それは何故でしょうねぇ?

お釈迦さんが言うように 人間が欲に囚われているからでしょうねぇ 自らの欲のために自ら悩みを抱える我々人間の浅はかさに偉人たちは何度も教えてくれているのですが 一向に悔い改めないアホな人間たちよ! と嘆いていることでしょう。


って連日酒飲んで愚だ巻いているお前が言うな! と言われそうなので本日はこれでおしまいです!

本日も良き一日を! Good Luck!







posted by 秀さん at 09:12| ハノイ 🌁| Comment(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月12日

人生を終わりから逆算して考える編

60歳を過ぎたあたりからだろうか・・・
来年どうする、5年先はどうなんて考えなくなりましたわ。
計画や予想なんてそのとおりに行かないのが現実だもんね。

将来どうするこうするというより75〜77歳位が自分の寿命と考え、後10年ちょっとでこの世からおさらばするんだと考えてみる。
そう思ったのは孫が結婚するまで生きているだろうかと考えた時に仮に上の孫が30で結婚するとした場合、後24年後、秀さん88歳・・・
過去の暴飲暴食や不摂生によりそこまで長生きするとは思えない、多分

せいぜい長生きしても77歳位かな?
そう考えるとあと11年から13年しか残っとらんばい、それなのにベトナムでほけぇ〜っとしとって良かと? と思わないでもないのですが
後5〜7年位はホーチミンにいるような気がしております。

で! 自分がくたばる時を想像してみた・・・

どこでくたばるのか? 
=やっぱ日本でしょ! 日本の秀さん家の墓に入ります! ってか息子が手配してくれないと入れませんがね!

どんな風にくたばるのか? 
=寂しがりやなのでやはり息子夫婦や孫に囲まれてくたばりたい! ん? これから少し優しくせにゃいかんばぃ!

何を残すのか? 
=大した財産は無いので残すのは家族と一緒に住んだ思い出だけになりそう。おっと!それとこのアホブログもね!

くたばる前にしたいこと? 
=生前お世話になった方々全員に順次せめて食事くらいはご招待してお礼を言ってからくたばりたい。

くたばった後に行くところは? 
=善悪プラス・マイナス自己採点では70点くらいでギリギリ地獄行きは免れそう・・・しかし天国に行けるのは100満点の奴だけだとすると無理ですわ。でも蜘蛛の糸が3本くらいは垂れてきそうな予感。

と・・・ここまで書いて一体全体お前は何ばかなブログ書いとるねん! と思わないでもないのですが、誰にでも必ずお迎えは来るので
自分の最後の時を想像してみるのも良いかも?

普段の生活に追われていると自分が死ぬことなんか考えることもないでしょうが・・・生き死には誰にでもついて回るものです。
昔の特攻隊の若い人たちをのことを考えるとくたばる時の最後の言葉は家族の幸福に加え日本という国の繁栄も祈らずにはいられないですね。

本日はこの辺で

また次回まで!



posted by 秀さん at 06:13| ハノイ ☀| Comment(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月13日

もっと素直に生きなければ編

時々自分の内面をのぞき見るというか普段の自分の言動を牛のように反芻してみることがある

おい! お前何格好つけとるねん! 見栄はってからに・・・と秀さんにめちゃ批判的な内面の心がつぶやく
金も力も全く無いのにあたかもそれがあるように見栄はって振る舞う自分の外面(外ずら)の良さに己の器の小ささを感じております。へい

特に九州の男はそういったええ格好しいの面が強いのかもしれませんが直ぐにポロポロと剥がれ落ちる薄っぺらな見栄なんてかなぐり捨てて
もっと素直に生きればよいのに〜 と翌朝空っぽになった財布をみて嘆く己の馬鹿さ加減に早く目覚めよ! この愚か者めが〜 と天の神様は
アホの秀さんに再々忠告を発してくれるのですが改めない大ばか者ですわ

男が見栄をはるのは飲み屋のおねえちゃんの前ではなく、もっと骨太の志のある事柄に己の全精力をかけて張るべきでしょうねぇ
自分で自己分析すれば 一言! 人間が薄っぺらいんだよ! と答え一発カシオミニなのであ〜る(年配の方にしか分からない言葉でごめんなさい)


もっと泰然自若の風格を持ち、茫洋たる人間にならねばと思うのですが・・・実際はせかせかと軽薄で狭隘な自分の姿が心の内面には大きく写し出されるから始末に負えません

日本の神社の神殿の奥に祭られているのは丸い大きな鏡だと言われます
それを見る者、拝む者の内面を写し出していると聞いたことがあります

昔の武士は身に覚えのない不名誉なことがあればお腹(内面)を掻っ捌き
己の潔白を命をかけて証明したそうな・・・


内なるもの、腹の内、心中 VS 外面、表、見てくれ 内と外の対比


内や外と言えば そう 節分の豆まきで使う 鬼は外、福は内ですが

ネットで過去ぐぐったことがあります
秀さん家は禅宗(臨済宗大徳寺派)ですがその臨済宗のお寺が共同で禅ネットなんてものを作っておりましたわ
いやはやお寺さんもネット時代に適応しなければならない時代でしょうねぇ やれやれでごわす
ここに書かれていた内容の1部ですが下記のとおりですわ

「福は内」「鬼は外」

ところで、誰が鬼になり逃げまどうのでしょうか。果たして「鬼」とはいったい何なのでしょうか。ふと考えてしまいました。
人は、普段はなかなか表に出さないのに何かの縁でふと出すものがあります。これを「隠」といって、後にこれが「鬼」に変わったのでしょう。
人の毛穴は、八万四千あるといわれ、その穴を通して毎日本当の自分が出たり入ったりしているのですが、それに気づいている人は少ないのです。
八万四千を縮めて百八の除夜の鐘にしている煩悩はよく知られています。一年の十二ヶ月は、二十四節気、七十二候からなり、その季節の変わり目を加えると百八になり、節目節目を大切にし、また、体に気をつけてくださいとの教えです。

仏教では、これを貪・瞋・痴の三つに縮めて「三毒煩悩」と称しています。貪ることなかれ、執着することなかれ、怒ることなかれの意味で、人間最大の煩悩です。

そこで登場するのが鬼、つまり煩悩です。赤鬼、青鬼、黒鬼という、私たちの深層に住んでいる三匹の鬼がいます。怒って真っ赤になったのが赤鬼で、何か心配ごとがあったり、心配して青くなったのが青鬼、無知でお先真っ暗なのが黒鬼です。自分の心の状態ありのままを表わしている姿です。
この鬼たちを豆で追い払おうとするのが、節分という追儺行事(悪鬼を追い払うために行なう儀式。鬼やらい。昔は大みそかに行われていた)になったと言われています。

黄檗五十七代玄妙管長に、「鬼は外 福は内なる 外の鬼 つかまえてみたら 内の鬼なり」の歌がありましたが、まさしく鬼は内にいます。

以下略

まさしく鬼は内にいる との記述に納得というか

外ずらはええ格好ばかりの軽薄な人間ですが内面の心はまだ鬼になっておらず冷静に外のアホな自分を見ているようですので少し安心というか
外も内も鬼に占領されたらそれはもはや人間の姿ではなくなるのでしょうねぇ

外ずらの良さ(美人?)に魅せられその内面が見えなかったために 苦労している殿方も多々おります(逆も真なり)

あった瞬間その人の心が全て読めるあまのじゃくみたいな能力があれば良いのにとベトナムで仕事をされている日本人の方だと強く思われるでしょうねぇ ベトナム人の本心は本当に読めませんもん へい

しかしそんな能力がもし全ての人間にあったら皆友達が一人も出来なかったりして・・・良いのか悪いのか分からなくなってしまいますねぇ



おっと! 本日もまた脱線してしまいましたわ


最後に蛇足ですがあまのじゃく(天邪鬼)の由来(ウィキペディアでは)はもともと天探女という女神だそうです。

【天探女はその名が表すように、天の動きや未来、人の心などを探ることができるシャーマン的な存在とされており、この説話が後に、人の心を読み取って反対に悪戯をしかける小鬼へと変化していった。本来、天探女は悪者ではなかったが天稚彦に告げ口をしたということから、天の邪魔をする鬼、つまり天邪鬼となったと言われる。】



また次回このアホなブログにお付き合いお願いします!



posted by 秀さん at 03:09| ハノイ | Comment(2) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月26日

何となくの不安感の原因は編

普段、様々な分野の記事を読むのが好きな秀さんです。← 要は暇なんですかね? へい

物理や医学、またまたジョークや漫才まで いろいろな記事がネットには満載です。
買い物もできれば友達とのコミュケーションも即時に取ることが出来る、世界がより広くまたより親密になりました。
インターネットが無い時代を考えると何と! 今の世の中は便利になったものかと爺さんは思いますぞぃ。

そのネットの中で今日はストンと秀さんの心に響く伊勢白山道さんの記事がありましたのでそのまんま転載します。

要は不安は自分自らが勝手に作り出しているものなんですね。
秀さんも過去の過ぎ去ってしまった大変事(破産や父妻との突然の死別が立て続けに起こった)を今考えると 

ふむ? 大したことなかったねぇ と簡単に言えるのですが

当時は寝ても覚めても元に戻らないことばかりをまるで牛が反芻するように考え悩み
また、将来に対しての不安で押しつぶされそうになっておりました。
しかし、その真っ只中にいる間は前には進めませんでしたし不安は解消されるどころか更にますばかりで負の悪循環を繰り返しておりました。
秀さんが前に進むきっかけは太陽さん、そうお天道様、正確に言えば眩しい朝陽を疲れ切って動けなくなった時に漫然と眺めたことからです。

済んでしまった起こってしまったことに対していくら考えようが悩もうが元には戻れない、それより生活のために早く仕事を探して生活の基盤を作らんかい! 俺だって毎日毎日嵐が来ようが大雨が降ろうが二日酔いだろうが朝早ようから起きて世の中に陽を灯しておろうが! この怠け者め! とお天道様に言われたような気がして過去に拘泥していた重苦しい気持ちが吹っ切れたのでした

自ら命を絶たない限り人間は寿命ある限り生きなければならない、逆に考えれば寿命が来るまでは生きていけるということです
何が起ころうと人間命まで取られやしません ブログトップの言葉がその時に浮かんだのでした

人間死ぬまで生きる 

だから何の心配をもしなくても良いですよ! という言葉をお天道様から頂いたような気がしましたよ へい
まぁ、秀さんの過去話はこの辺で 伊勢白山道さんの転載記事をお読みくださいね! 以下転載開始



何となくの不安感の原因は、先を心配する気持ちから
2019-04-24 02:30:40 | Weblog

何となく不安感を感じている人は多いです。
では、何が原因か?
これが自分でも、人は分からないものです。

私が感じますには、その原因の元は、
・ 先のことを心配する不安。
・ 未来の自分への不安。
・ 今の目の前のことよりも、先を知りたがる心の不安。

人間の心は、今・現在を離れますと、不安感が起きるように出来ていることを感じます。
だから、占いが好きな人ほど、不安感に包まれます。

未来を心配するとは、まるで足場の無い空中に立とうとすることに通じます。
まだ実態が無いからです。
だから、「落ちる」不安感を人は本能で感じています。

実態は、今の次元にしか無いのです。
今の瞬間・瞬間の目の前だけが現実であり、地に足の着いた状態に成れます。
では、今の目の前だけに生きれば、不安は消えるのか?
答えは、そうです。

赤子は、今の瞬間・瞬間に生きています。嬉々とした、心配の無い笑顔をします。
動物も、未来を心配することがありません。
目の前だけを、生き切っています。

小学生に成りますと、宿題をしなければ生けない心配。
次のテストの心配が始まります。
未来への心配が始まります。
テストが悪ければ、親に怒られるという未来への心配です。

このような先への心配が、年齢が進むにつれて、生涯にわたり人間に付きまといます。
入試への心配。就職。結婚。病気。金が尽きる心配。・・・・すべて先の事への想像の心配心が、人の意識の奥に存在して消えることがありません。
未来への心配が、テーマを変えて憑いて来ます。

これが最初に述べた、何となく不安感を感じている人が多い原因に関することに感じます。
もし、何となくの不安を感じ出せば、

・ 先のことを考えることを止めてみること。
・ 今の目の前のことに集中する努力をすること。
・ 二度と来ない今の瞬間・瞬間を大切にすること。
これを参考に試して見てください。

過去の聖者たちも、
・ 今という瞬間だけに生き切る重要性。
・ 今だけに、永遠性へのカギが在る。
・ 過去も未来も実在せず、全ては今という1つだけだった。
という示唆をしています。

神道でも、以上のことを「中今」(なかいま)と呼んでいます。
今に集中して生きることが、永遠性に繋がります。

人は、過去にも、未来にも、住めないのです。
足場の無い世界に、住もうとしては生けません。


住めるのは、今の現在、この瞬間・瞬間だけです。
今に生き切れば、嬉々とした躍動感が、自分の心に戻って来ることでしょう。

生かして頂いて 有り難う御座います


以上転載終了




posted by 秀さん at 03:57| ハノイ ☁| Comment(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月26日

ベトナム人ベトナム生活あれこれ雑感編

十数年前に一人で来越し右も左も分からない中悪戦苦闘しながらベトナム生活を送っていました。
ベトナム人に騙されたり会社を乗っ取られたりと悪いことも多々ありましたわ。
幸い正義感のあつい女親分(今では秀さんのビジネスパートナーというより監視役)が十数年にも長い間秀さんの会社で頑張ってくれたせいもあり何とか辛うじて潰れずに秀さんの毛細血管企業は存続することが出来ております。

高級外車に美女をはべらせ贅沢三昧と言った夢?のような生活に若いときはメチャ憧れておりましたが人生いろいろ経験して年老いてくると価値観が変わるといいますか・・・まぁ、俺の人生こんなもんかな? といった良い意味で達観、マイナスの意味で諦めの心境になるもんです。

特に60も半ば近くになると残りの人生をエンドから逆算して考えるようになり人生の価値観が大きく変化しました。

大金稼ごうが絶世の美女に囲まれようが誰しも寿命が来れば棺桶に入って焼かれて灰になってしまう訳ですから何かなぁ、人間の生き方の最終結論がそれでは寂しすぎますね。
しかしそれが真実ですので映画のように一発逆転ウハウハな人生にはならないのが人間様の定めなわけであります。

人間はなぜに生まれてくるのか? 人間の使命は? そもそも人間って何よ? てなことを深く考えた時期もありました。
話は変わりますが当時インドのある国の王子さまと生まれ何不自由ない暮らしをしていたお釈迦様がこの世の真理を悟りたいと思い詰めて苦行を重ねた結果、とうとう動けなくなって死ぬ寸前までになって木陰で、ここまで頑張っても悟りを得ずに死ぬのか? 私は今までいったい何をしていたのだろうか?と嘆いたそうです。

このような時に、インドのある村の貧しい女性・スジャータ(あるメーカーのコーヒーフレッシュに名前が付いていますね)が死にかけているお釈迦さまを可哀想に思い、森の精霊の供養のため持っていた貴重な乳粥を釈尊に食べさせて命を救いました。
お釈迦様がスジャータから慈悲を掛けられて、大いに気付いたことは、自分に足らないものは、最後に慈悲心だった、万物の創造主(宇宙)こそは、生成育成の与える一方の慈悲心だった、コノ世は、慈悲心で構成された産物だったと後に悟ったそうです。

そう考えると秀さんの若いころなんて他人を蹴落としてでも上にのし上がろう、早くビックになって金儲けするぞ! なんて全く根拠のない自信で溢れておりましたわ。はぁ〜
それで思いとおりに行ったかと言えば、ある期間は絶好調の時もありましたがその後没落・・・ホーチミンに島流し(冗談です)になり貧乏無一文生活スタートとなった訳ですわ。
自分が思い描いたとおりには行かないのが秀さんの人生というか大半の方がそうではないでしょうかねぇ?

倒産破産して無一文になった時には何が自分に欠けていたのか後になって散々自問しましたよ・・・へい

スジャータの話ではないですが人に対する慈悲の心が足りなかったのでしょうかねぇ

ベトナムに来た当初ですが、今のようにベトナムも経済発展もしていなくて路上には物乞いの子供や極貧で路上で寝ている人を良く見かけました。汚れた服や目つきに少し嫌悪感を覚えたことを思い出します。

そんな時、ベトナム人(決して裕福そうではないどちらかというと貧乏)がそんな人たちに施しをしたり食堂に勝手に入り込んで来た貧相な身なりの者から無理して宝くじを買っている姿を何度も目にしました。
その時、日本よりはるかに貧乏な国なのに、また裕福ではない貧乏なベトナム人が自分たちより更に極貧に喘いでいるベトナム人に嫌な顔もせず応援している姿に驚いたというより少し感動したことを鮮明に覚えています。

ベトナム人の仏教的な面(施しの習慣)もあるでしょうが日本人よりよほど慈悲の心があるのではないかと思いましたよ。
そこ頃日本はクローバル化の掛け声と共に合理化、効率化、利益最優先主義に邁進していた時期です。

慈悲の心=無償の愛 でしょうかねぇ

今の世(アメリカも欧米も我が国日本もですが)おれが一番、おれ(わが社でも同じ)が良ければあとはどうでもよろし、
自分さえ良ければ他人のことなどお構いなしみたいな世相になって来ております。
悲しいことですが他人のことを顧みる余裕がなくなって来ているのでしょうねぇ

貧乏な国の貧乏な人間だけど更に貧乏な人にわずかばかりでも援助の手を差し伸べた当時のベトナムに惚れてしまって秀さんはこんなに長くベトナムの生活をしているのかも?知れません。

元極貧の背オムドライバーに会社を乗っ取られた過去がある秀さんですが・・・
今ではそれ程、憤りを感じていないのは少しは秀さんも丸くなったのかと思います。
無くしたものは帰ってこない残るのは思い出だけですがあの世に持っていく思い出は良いものだけにしたい。
だから・・・恨みつらみは捨てることにしましたわ。
だってその方が健康に良いですもん! へい

そういう秀さんも逆境の時に多くの方に助けられましたもん 金額ではなく心の温かさ・寒さをプラスマイナスしたらプラスの方が多いかも?こうしてささやかながらも孫に囲まれて親子3代でベトナムでの生活を送れるのもご縁のある方のお蔭と思っております。

最後は人情話になってしまいましたが受けた恩は一生忘れるな、かけた温情はすぐ忘れろ と昔の人は言いました。
これも真理かな? と思ってしまいます。

では、本日はこの辺で







posted by 秀さん at 03:28| ハノイ ☁| Comment(4) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月22日

品友会、九州健児会、福岡県会等など様々な食事会に参加するのですが・・・編

1次会が終わってすぐに帰宅すれば良いものを・・・
生まれ持った劣性DNAのせいで直ぐには帰りませんホルモンが放出され秀さんを2次会、3次会の酒ばか地獄へと誘うのであります。

午前様で帰宅した時には細心の注意を払ってそろ〜り そろ〜りと玄関のドアを静かに開けるのですが・・・

昨晩の帰宅は午前何時ですね、お義父さんお酒飲むのは構いませんが健康を考えて遅くとも12時位までには家に帰って下さい云々・・・と義娘から説教を食らうアホ爺です。秀さんの知らない特殊なセンサーを付けているのかね? ったく!
当然その情報は会社のマフィア女親分に伝わり会社でもひとしきり説教を食らうのであります。

わかっちゃいるけど止められない ほれ! と植木等状態の体たらくですわ。
秀さんの父はほとんどお酒は飲めなかった人なのでこれは酒好きだった祖父の影響でしょう。
いわゆる隔世遺伝と言うやつですね。
今の御時世は酒もタバコもやりません、女性にもあまり興味がありませんなんて言う若い方も多いです。
ましてやカッコ良いスポーツカーに乗りたい、俺はバリバリ仕事を頑張って昇進昇給を勝ち取って将来リッチな生活をゲットするぞ!
なんてこともあまり聞きませんねぇ。

生活のリズムや価値観が秀さんの世代とは180℃違う若い方々の出現はどう捉えたら良いのでしょうか?

お金よりは自分の時間や生き方を優先する若い世代の方のほうが秀さん世代よりより自由で気持ち豊かな世代なのかも知れません。
秀さんの世代は、何をしなければいけない、苦労しろ勉強しろ努力しろ、頑張れ、人に遅れを取るな、人より金を稼げ・・・と自分の意志ではなく何か別のものに追い立てられ流れて来たような気もします。

よくよく考えると楽なことは一つもない言葉ばかりですね、人間様は頑張るためだけに生まれて来たんかいな?と思わずにいられません。

以前はまでは日本の会社も社員の努力に報いるべくそれなりの対応はしていたと思うのですが、約20年前くらいから景気が悪くなるとアメリカ式の合理的な経営手法がもてはやされ株主優先の経営が主流になってしまい中高年層の肩たたきや仕事も与えず部屋に机ひとつだけ部下無しといった早く辞めんかい!政策が普通になった時期ですね。
いくら長い間頑張っても最後は座敷牢では報われないですね。へい

そんな前世代の価値観に今の若い世代の方は疑問ももったのかも知れないですね。
多くを望まずぼちぼちで自分の価値観を優先する生き方の方が良いのではないかと・・・

秀さんもそう思いますぞぃ

それが連日のはしご酒かい! と言われると返す言葉がございません へい

では、また















posted by 秀さん at 13:00| ハノイ ☁| Comment(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月14日

猫はアンラッキーなのでバス移動はダメなんだって編

今回のテトは秀さんはバンコクに行きましたが愚息夫婦はダクラック省に当初は個室バスを予約して帰る予定だったのですが・・・
秀さんもバンコク行きでホーチミンにいないので元捨て猫のチーをどうするかということに・・・・
秀さん、かごの中にチーを入れてバスで運べば良いじゃん と言ったら猫はバスに乗るのはアンラッキーだから禁止です 義娘のVちゃんに言われて驚いた次第ですわ。

へぇ〜 猫はバスに乗せちゃだめなの? じゃぁ、犬もだめなの? と聞いたら犬はOKですというではありませんか!
犬はOKで猫はダメってどういうこと? と聞いても特にテトの期間中は猫はアンラッキーな動物なので絶対ダメとのこと・・・
いやはやベトナムでは変な風習もあるもんだと驚いた秀さんでごわす。

結局秀さんの会社の車を愚息が運転してダクラック省まで帰ったのですが行き帰りにダックノン省で交通警察に捕まる羽目になったのも猫のチーでせいだと弊社のマフィアの女親分は申しております。
女親分のお蔭で交通違反そのものはどういう訳か元々なかったことになりましたがね!
帰って来た愚息が言うには、車の調子悪いので修理に出した方が良いよと・・・・
結局あれやこれやの交換修理で3500万ドン程費用がかかったのですが・・・これもアンラッキーの猫チーのせいだと女親分は申しております。
不幸の原因はすべて猫のチーのせいにされちゃうのですからチーも困惑していることでしょう! やれやれ

こう考えるとベトナムに住む猫は大変ですね、あらぬ疑いをかけられすべて悪いことは自分にせいになるのですから・・・
6〜7年前に雨の中で死にそうな子猫をVちゃんがかわいそうだと拾って来て動物病院で治療をしてもとの道端に返す予定が情が移ってしまいそのまま飼ってしまったチーですわ。
そう言えば、チーが来てから秀さん一家は貧乏に・・・・ん? いや、チー来る前から貧乏だったのでチーのせいではないですわ、へい

人間さまの悪い所で何かのせいにすれば気が晴れるのか? 特にベトナムではゲン担ぎというか風水というか他のせいで不幸になる云々・・・とよく聞きますねぇ

今の現状が不満足なのは誰のせいもありゃしません、すべては己が招いた結果です。
秀さん一家は貧乏でも嘆いてはおりません。貧乏でも皆幸せですもん 無問題ですわ。
どんな状況下にあろうと日々健康で家族仲良く最低限のおまんまを食べていけるだけでOKでごわす。

立って半畳、寝て一畳・・・・人間なんてしょせんこれくらいのもんですもん、いずれは老いさらばえて身ひとつで死んでいく諸行無常(しょぎょうむじょう)の定めですもんねぇ、今ある時を楽しみまひょ 悩みなんて人間様が勝手に作り出したもの
そんなもんに振り回されて生きてもねぇ〜   気楽に楽しく生きまひょ  

ってことでまたまたアホの秀さんの独り言で本日は終了っと!

では、また次回まで



ps:品友会2/16(土)へのご参加、宜しくお願いします!










posted by 秀さん at 23:35| ハノイ ☁| Comment(2) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月31日

10月もはや終わりですねぇ編

会社のパソコンがクラッシュしてしまいましたわ。
ディスクがパンクです。そんでもって頭にカーッと来て会社のデスクを叩き壊すということはやりませんでしたが とほほ 状態の秀さんでごわす。ま、所詮道具ですから壊れる時は壊れるのですがね。

それにしてもここベトナムでは秀さんのパソコンはなぜかよく壊れます。持ち主にテロ行為をしているわけではないでしょうが秀さんとパソコンの相性は良くないようです。
くよくよしても仕方がないので家から古いノートパソコンを持って来て仕事はしております。へい
老眼なのでノートパソコンの小さなモニターではよく見えないので効率がよくありません って じゃぁいつもはバリバリ働いているのか? と聞かれれば沈黙の艦隊の秀さんですがね。
家に帰ったら帰ったで電動かき氷機が壊れておりましたわ。ったく不運なことは連続してあるもんですねぇ。

さて、そんな愚痴めいたことより、ほい、もう今年も10ケ月が経過して残り2ケ月となりましたねぇ。
朝夕は割と涼しいのですが雨季の終わりにお天道さまがめちゃ頑張っているのか日中は猛暑が続いております。

しかしお天道さまは愚痴も言わず毎日動植物のために陽を照らしてくれております。有り難いことです。
お天道さまといい空気や雨(水)もただでこの地球に降り注いでくれています。
無ければ皆死んでしまうほど有り難いことなのですが、あまり感謝する人はいませんねぇ。

親もそうですが何が悲しゅうて秀さんのような出来の悪い子を放り投げもせず育ててれたのか・・・今考えると感謝せずにはいられません。
もう俺りゃ一人前だぁ〜 と勝手に思い込んで親に向かって大口を叩いたことが恥ずかしいですわ。
悲しいかな亡くしてみて本当の有難味が分かるのですね。

お天道さまだってこんなアホな人類のためにもう働くのやめた! と言って職場放棄すればたちどころに人間の生活は儘なりません。
そう考えると自分の力で生きているぞ なんて偉そうぶっても人間の力なんてたかがしれていますねぇ。
ここは謙虚になって、生きているのではなく生かされているのだと感謝しなければと思いますぞぃ。

そんなことを言い出すと棺桶も近いのかも知れませんが、パソコンが壊れようが電動かき氷機が壊れようが はいはい、そうですかあなた達も今まで働き続きで大変お疲れだったのでしょうねぇ と言って逆に感謝をしましょう。へい

また、いつもは何じゃぃ この国は ったくどうしようもない国だわ と憤っている自分を反省して こんな役にもたたない外国人でも生活させて頂いて有難うございます と感謝しなければと思いたいのですが・・・・この国の様々な行政システムははその許容範囲の上を行くからやれやれですわ。

明日もお天道さまは貧乏人にもお金持ちにも平等に昇ります メゲずにがんばりましょう! へへ〜い




posted by 秀さん at 02:01| ハノイ | Comment(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月15日

我が家は全米オープン、ベトナム人はワールドカップ編

同じような時期にゴルフメジャーの全米オープンとサッカーのワールドカップの開催ですね。

秀さんは息子と眠い目をこすりながら松山君はじめ日本人選手の応援&タイガーやマキュロイ、ダスティンジョンソンなどトップクラスの選手のプレイを見ながら楽しんでいましたが・・・
義娘のVANちゃんの兄弟(息子夫婦はアパートの11階、義娘のVANちゃんの長兄が同じアパートの8階、弟夫婦も10階)は全員でワールドカップを見るために同じ部屋で集まって観戦とのこと。

まぁ、ベトナム人はサッカー大好き、サッカーきちがい人間が多く家でゴルフ番組なんぞを見ている人はほとんどいないでしょう。
趣味は人それぞれですので自分が好きな番組を楽しめば良いですね。

さて、全米オープンの初日ですが・・・
難関コースということで世界のトッププロが5オーバー、10オーバーと驚きの悪いスコアを出しておりましたわ。
仮に同じコースを秀さんがラウンドしたら・・・300くらい叩くのではないかと想像しましたわ。
まぁ、その前に超名門コースですのでラウンドさせてもらえないから関係ないですがね。

下手なりに過去20数年ゴルフをたしなんで来ましたが、いまだに上達はせずベストスコア87というのが奇跡的に1回ありましたがこれは事故みたいなもので現在では100切るのも年に数回、100〜120の間を行ったり来たりと全く話にならないスコアばかりですわ。
100%言えることはベトナムのコースは日本のコースより格段に難しい! 結構距離もありますしハザードも多し、ドライバーはボールが転がらないので距離も出ません。まして御年63歳の爺となれば200ヤード飛べば お! 今日はメチャ調子が良いわ なんてレベルですのでスコアが伸びないのは仕方がないですわ。

・・・・・・て

そう言えば過去に 今回こそは愚息に頭を下げて100%正しいスイングを身につけるため真剣にレッスンをする なんてことを何度もほざいておりましたが

いつものように三日坊主という古くからの有名な老師が出てまいりまして 無駄 むだ 無理 むり やめとけそげんことは! と変な呪文を唱え、やる気満々だった秀さんの心に響きわたっていつの間にやら元のぐーたらな人間に戻されてしまうのでありやす。

ベトナムに長く住んでいると日本と違い物事がスムースに流れることはありません、仕事でも人間関係でも・・・秀さんのゴルフでも
社会の共通認識がまったく違うお国柄に加え公務員様たちの理由なき介入&お礼強要、一般ベトナム人も日本人に比べると社会公共性に欠けた人が多く長く住んでもう慣れたとはいえこの秀さんでも時にはストレスがたまる時もありますわ。

そんな時には気分転換にゴルフでも行くかぁ〜 となるのですがあまりにも自分の下手さ加減に嫌気がさして出発時とはちがい帰路はふさいだ気持ちで帰宅するので何のために行ったのやら? と自問する日々でごわす。

人生と同じかも知れませんねぇ

自分が思い描いた夢や計画とは大きくかけ離れた現実、全て己の責任から生じた結果だと心底では理解しても いや、あの時こうやってれば違った結果になった、あいつと付き合わなかったら今頃はもっと良い結果が出た、この人と一緒にならなかったらもっと幸せだった、俺は生まれつき運が悪い等など・・・・

あらゆる御託や言い訳を並べ立てても自分の奥の心は良く知っております へい、全て自分のせいだと!
他に原因を求めるのは自分可愛さの言い訳、詭弁ですね

ほい、そこで頭の切り替えが必要です、今ある自分をいとおしむ、なには無くても健康で生活できていることに喜びを感じる、ゴルフが下手でも親子でラウンド出来るなんてなんて幸運なのかと思い直す、金がないのはもめごとや心配ごとが起きない証しと喜ぶ、彼女がいないのは様々な男女間の面倒を抱え込まなくてラッキーと思う、へい、要は気持ちの持ち方次第ですわ ストレスを抱えない生き方が人生を楽に生きる処方箋かもね?

と・・・ぐーたら、有言不実行の爺が変なことを言っておりますが、賢者の皆さまは、もっと真面目に真剣に気を張り詰めて緊張感満杯のベトナム生活をエンジョイして下さいな〜 って やっぱこの国では無理ですね

へい、気楽に行きまひょ 生きまひょ 



posted by 秀さん at 14:38| ハノイ ☁| Comment(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月21日

もうテトも終わりですが今日はまだ渋滞なし編

明日から一応、普通の方はテト明け仕事の始まりです。
本日、急用で会社に向かったのですがてっきり帰省のクルマやバイクでハノイ道路も少しは混んでいるのでは?・・・と思ったのですが道路はガラガラで渋滞なしでしたわ

一体ベトナムの方はいつまでお休みなのでしょうかねぇ
まぁ、日本人のように明日から会社が始まるので早めに帰宅して準備をしておこうなんて考えないのかもね、
休みの間、ギリギリまでエンジョイしましょうってことでしょうねぇ
その楽天的な考え方に乾杯でごわす へい

約一週間のテト連休もおわりまた通常に戻りますが、あと一週間位はテト気分が抜けないベトナム人も多しですので本格的に動き出すのは来月当たりからでしょうね
長期の休暇の少ないベトナムですのでそれも良か、ヨカ、よかばってん というふうに秀さん的には考えております

愚息家族はダクラック省の嫁の実家に帰省、その後ニャチャンビーチで遊んでいたようですが
秀さんは一人、猫のチーと家でお留守番でした
チーも誰もいないので寂しいのか秀さんのそばによく寄って来ては猫語でなにやら話しておりました
お腹が空いたら鳴いてそのまずいキャットフーズを早よ出さんかい! おりゃ〜 と催促することしきりでした

猫語と人間語ですので会話は出来ませんがチーはチーなりに何ごとか考えているのではないかな?
動物だって人間様と同じように意識でものを考えているのではないかと秀さんは真面目に思っております
この世に生を受けたもの全てに何らかの力がはたらいて生かされているのではないか・・・
なんてことを言うとジジ臭い、オカルトかよ ったく と言われそうですが何故にこの世の中に多種多様の動植物が存在しているのか? 誰も分かりません

現在ではかのダーウインの進化論に対して懐疑的な考え方の学者も増えており何が正で何が邪なのかおエライ学者さんの間でも分からない状況になっております

最新物理学の世界では意識とか思いが物理作用に影響するなんて研究結果も出ております

昔々かの有名なデカルトさんが

我おもう、ゆえに我あり・・・と深い哲学的洞察を行いましたが
要約すると・・・
わたしは、ほかのものが本当に存在するのか、などと疑い思考するが、
そのように疑い思考するわたしが存在することは、疑えない
(だから、ほかのものも確実に存在するということができる)

と述べておりますが、最新量子物理学では「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」なんてことになっております
アインシュタインさんと共同研究を行っていたホイラーさんて方が予測していた説がオーストラリアの量子学研究チームが実験で確認されたということは、前にも書きましたがそう考えると生き物(人間、動物、植物)が持つ秘めたる力というか意識と言うか、思いというか言葉では表せない根源的なパワー、フォース?が生まれながら備わっているのではないか・・・・

なんてことを言い出すと お前はアホか? と再度言われそうなのであと少しでやめておきますが

その前提で考えると動物のチーだって人間と同じように思考する力があってもおかしくはないでしょう?
牧場で飼われた牛が市場に出荷される時に車に乗りたがらないまた涙を流すという話を以前聞いたことがあります
広いこの世の中にはで感情がある生き物=動物の肉は決して食べないという一派もおられます

この世の中分からないことだらけの秀さんですが・・・
確実なのは100歳までには確実に死を迎えるということは間違いありません
問題は、死後どうなるのかということですが以上の話の流れから言うと肉体は滅んでも魂?、スピリッツ?、霊魂?は永遠に存在し続けるのではないでしょうか?
過去の悪事や過ちや嘘ついたことなどは他の人には絶対わからなくても自分の心、良心は絶対に忘れていませんもんねぇ・・・・
純真無垢で生まれた赤ん坊が長く生きている内に秀さんのようなどんよりとした目になってしまいます
悪事、嘘、欺瞞、嫉妬、妬み、自惚れ,その他etc・・・・
そんなことに100%ならなかった人間のみが極楽浄土(天国)に行き精神的な真の快楽を得る
1%でもそのようなことがあれば己の魂、御霊を磨き直すために過去の記憶は消されて輪廻転生を繰り返すのかもね?

へい、本日はチーの話から脱線しまくりでしたね 
まぁ、こんな空想が出来るのもテトのお休みのお陰ですね

明日からは・・・また物欲にまみれた餓鬼の世界に舞い戻る秀さんでごわす

では、また次回まで



posted by 秀さん at 01:45| ハノイ ☁| Comment(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月01日

謹賀新年、明けましておめでとうございます編

皆さま、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

元旦の空はいつもと違って青い空が広がっておりました。
下記はベランダから見た様子です。

2019年元旦.jpg

さて、2018年になりましたねぇ、って言ったて昨日から一晩明けただけですがね。
人間様は何かの区切りを付けないと落ち着かない生き物かもしれませんねぇ
その区切り区切りの中で一喜一憂して生活しているのでありますが
犬猫に盆・正月なんて関係ありませんわな

門松は冥土の旅の一里塚
めでたくもありめでたくもなし

かの有名な一休さん(一休宗純禅師)の言葉ですね
一節には、正月に骸骨を長い棒の先につけてこの言葉を吐きながら町を歩いていたとも・・・
今だったら不審者扱いで警察送り確実ですわ へい

貧夫&凡夫の秀さんにもこうして無事正月を迎えることができております
有り難くめでたいことでありますが逆から考えると確実に死に近づいていることでもあります
そのことをよく考えながら正月を祝わんかい!  と言う一休さん
この突き放した死生観はきっぱりとして気持ち良いですね。

秀さん家の菩提寺は実家の近くにありますが一休さんと同じ京都臨済宗大徳寺派のお寺ですので一休さんにはなぜか親しみを覚えるのであります。大徳寺は茶の湯とも縁が深いお寺ですわ
その関係かどうかは知りませんが秀さんの家の和室の客間には茶釜の炉を切っていましたので幼い頃からお菓子目当てに美味くもない抹茶を良く飲まされたものですわ
詩吟の先生をしていた親父さんから若い時に習った詩吟もそうですが
今の秀さんに茶の湯なんてミスマッチ100%でへそが茶を沸かす方がお似合いですがね!

さて、一休さんの話に戻しますね・・・

死んでしまえば何もない何も残せないのが我々人間様です
だからこそ、今生きている(存在していること)がありがたい
ありがたい=有り難い=有る(在る)ということが得難いものである
今こうして正月を愛でることが出来るにも己が存在しているからでありまして
人間様の一生なんてまばたきするほどの時間もない刹那・・・刹那とは仏教用語ですわ
一回指を鳴らす間に65回の刹那があると言われます
それくらい短い時間という意味ですね

その短い人生の中で様々な人に出会い時間を共有出来ることは稀有のことであり無常の喜びである
へい、一期一会 ですね

まして、その短い時間を家族や知人友人と共有できることは 更なる喜びとしなければなりませんねぇ

こうして家族みな健康で新しい年を迎えることが出来ることに感謝しなければバチがあたりますね

おい! お前正月から何を抹香臭いこと言うとるねん! アホか! 
と言われそうですが・・・アホはそのとおりですが人生観はもう変わりません

皆さまのお陰で秀さん親子はこうして正月を迎えることが出来ました
そのことに深く感謝を述べて本日のブログは終了っと!

今年も皆さま、どうぞ宜しくお願い致します。




posted by 秀さん at 13:59| ハノイ | Comment(2) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月15日

乾季なのに気温が高いホーチミン編

ここのところ乾季に雨が降ったり気温が高かったりと例年と違いホーチミンの気候はおかしい。

って・・・お前の頭のほうがもっとおかしいわぃ! と言われても返す言葉がない秀さんですがね。へい

ベトナムはテトも終わり人々の暮らしぶりも通常に戻っておりますが秀さんの方は仕事上の様々な問題処理に追われ落ち着かない日々を過ごしております。
過去を振り返っても落ち着いた日々が数年も続いたことなんてありませんでしたわ。
いつも波乱万丈というか何がしかの問題が生じその処理に忙殺されるといったことの繰り返しで落ち着く暇も金も恋人もいないのが秀さんの一生なのかしら?と思うこともありまして 嗚呼 悲しいのう と嘆くこともしばしばでごわす

しかし見方を変えれば、本来なら妻を亡くしベトナムで寂しい独居老人生活送るべきところを愚息夫婦との仲も良く可愛い孫2人に囲まれ和気藹々とした家族生活をさせていただいていることを考えると幸せ者と言えるのかも?ですね。
まぁ、妻を亡くしていなければベトナムに住む可能性はほぼゼロに近かったでしょう
だって秀さんの奥さんは秀さんと違い東南アジアはダメダメ人間でしたから

この歳まで生きて来ると過去の過ちや判断ミスなど後から分かることも多いですわ
しかし過ぎた過去は幾ら望んでも変えることは出来ないので振り返らずに前を向いて歩いていくしか残された道はありません
様々な問題が生じてもそれを受け入れ、よっしゃ〜 何とかやったるわぃ! と前向きに考えて努力していけば過去もそうであったように何とかなるもんです それがどんなに大きな出来事でもね

秀さん そうは言ってもね・・・・

金もない 彼女もいない 仕事もないのですが・・・
どうすれば良いのですか? 

と言うそこのあなた には次の歌詞をプレゼントしますわ
植木等さんの歌で青島幸男作詞の

♪ 黙って俺について来い ♪

ぜにのないやつぁ
俺んとこへこい
俺もないけど 心配すんな
みろよ 青い空 白い雲
そのうちなんとかなるだろう(笑声)

彼女のないやつぁ
俺んとこへこい
俺もないけど 心配すんな
みろよ 波の果て 水平線
そのうちなんとかなるだろう(笑声)

仕事のないやつぁ
俺んとこへこい
俺もないけど 心配すんな
みろよ 燃えている あかね雲
そのうちなんとかなるだろう
わかっとるね わかっとる わかっとる
わかったら だまって俺について来い

へい、人生、生きてさえいれば最終的には何とかなるもんです

悩むこたぁ〜 ありゃしませんよって ぼちぼちといきまひょ


posted by 秀さん at 05:40| ハノイ 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月07日

確かに親孝行は親が生きている内にやるべき編

エエ歳こいて時々思うことは・・・
もう少し親孝行しておけば良かったなぁ〜 とか 亡き妻ともう少し一緒にいる時間を意識して取るべきだったとか・・・後になって後悔の念がふつふつと湧いて来ますがもう遅いであります。

後から悔やむから後悔と言うのでありまして、逆に何もないのに先に悔やむ人は秀さんのようなアホだですね  へい

結局、俺がおれが! 自分がじぶんが・・・と何事にも自分中心でしか行動できなかったことがその原因ですわ。まぁ、仕事やその他様々な理由や言い訳はあるにしてもね

誰しも子供時代は与えられるばかりで自分で子供を持ち大人に育てるまでは親の苦労の1/10も理解できないのが実際でしょうねぇ。 そういう秀さんもまたしかり・・・

秀さんは姉2兄1弟1を入れて5人兄弟でしたがそれぞれ平等に親の愛情を受けて大きくなりましたわ。
しかし お前(秀さん)は特に可愛がられたと・・・他の兄弟からよく言われましたわ。

まぁ、親にとってみればどの子も同じでしょうが相性は多少影響があるのかも知れませんねぇ
秀さんの場合は父親との相性が良かったのか大変可愛がられた記憶が今でもこころの奥に残っています。

その受けた愛情に対してのお返しはまったく出来ませんでした・・・
ただ、4番目で次男の秀さんがどういう訳か・・・(いや、訳はあるのですがね=要は長男から押し付けられた?)両親の老後の面倒をみることになりましてね。加齢による度重なる病気やら痴呆やら色々ありましたが両親を最後までお世話出来たことが唯一の慰めですわ。

叶うなら・・・もう一度会いたい、でも不可能・・・

そう考えると人間の一生は儚いですねぇ。

若い時、人生時間は有り余るように考えていたのですが、今年取って思うに・・・
実際はあっと言う間というか自分が思うより短い 短すぎると言っても良いかもです
お金でモノは買えますが人生という貴重な時間は買えません
そう考えると今この世に存在して生きているだけでも感謝すべきことなのかも知れませんねぇ。

昔、観たSF映画のように大金持ちの人は他人の人生時間を買うことが出来るようになって
仮に500年1000年 永遠に生きることが出来たとしても・・・
家族友人知人が全ていなくなった世界で一人生きることは果たして楽しいのか?・・・・

アホの妄想が続いておりますねぇ、 スマソ

そう考えると
愚息夫婦と孫2人に囲まれて同じマンションに同居させてもらっている秀さんは幸せ者ですわ
まぁ、愚息の嫁が良く出来た娘でこんなクセのあるアホ爺の秀さんにも良くしてくれます
有難いことですわ

その代わりと言っては何ですが孫めちゃ可愛がっています 

って・・・
お前が相手してもらっている方だろう! と言われたら反論できません。
だって可愛いもん! 


へい、駄話はこの辺でやめまして
こんなブログを書くきっかけとなった記事を転載して本日は終了っと!


皆さま、良い週末をお過ごし下さい。




転載開始・・・・

生きている間に親孝行をして置いた方がいい。何がいいか。
それは両親が死んでから自分の気持ちに差が出る。

◆独身人生は両親が死んでから本当の天涯孤独の人生がスタートする。貯金なんて役に立たない

自分の老後って、老後、老後と貯金や年金くらいしか今の現役世代は考えてないんじゃないだろうか?

確かに老後にお金があれば急な医療費や困ったときに食材の宅配なども頼めるし、身体が不自由な分、周りにお金で助けてもらえることは多い。

だけど、最近思うのはそこまでして生きたところで何があるのか?ということである。

結婚をして、子供がいれば、親子関係が良好ならば子供とも少々接触する期間があるだろう。だが、昔からのことわざで「親孝行、したいときには親はなし」というものがある。

つまり、実際は親が生きているときに感謝して親孝行しようと思う人は少ないのである。

人生の終焉になる頃に近づいて、自分が親をありがたいと思う頃、親は寿命でもう居ないのである。つまり、自分の子供だってなかなか自分たちのところへは来てくれないだろう。これは結婚相手によるところが大きい。

変にブランド好き、浪費家の嫁と結婚した息子は、親孝行なんて思うどころか、親にお金を借りに来る。そして、そのお金は返ってこないのである。

ここまでの話は、結婚をしている人を前提に話しているが、今日の話の重要な部分は、ここではない。独身の場合で老人になった場合である。

孤独の世界がさらに本格的に

日本でも世界でも人はいっぱいいる。だが、昔の個人商店なら、買い物をしつつ、ちょっとした近所の会話があったが、コンビニの店員と世間話なんてしない。ものの売買が非常に工業化され、人間味なんてない世の中になった。

電車に乗るのも降りるのも改札口でタッチして、人との関わりはない。

ここで両親が死んでしまった後の世界を考えたことがあるだろうか?と言うことである。

ここから本当の天涯孤独な老人の人生がスタートする。会話する人はゼロ。本当に頼れる身よりもゼロ。都会のアパートで孤独死でもしてしまったら、無縁仏として共同墓地にゴミのように捨てられてしまうのである。

最後はそういう人生であったとしてもだ、そこまでの期間が長い。痴呆になり、体力もなく、関節が痛み、持病の薬を毎日飲む。

毎日、毎日テレビを見るくらいで、どこかへ行く体力すらない。実家もないし、両親も知り合いもいない。

友達?先にもう死んでいないよ。

これって何の罰ゲーム?

本当の老後の世界って今のネットがあふれている若者には分からない。老後、お金。これくらいだ。だが実際は生きていても楽しくない、死ぬまでの期間を延々と何もせずに孤独に待ち続けるような人生になるのである。

孫が遊びに来るなんてことはない。

いま結婚している同世代を見て、家庭があってうらやましい。子供が生まれて成長していくのを見ていいなぁと思う。それが老人になり、まわりで孫を連れて遊びに来ているのをみて、いいなぁと思う。そして強烈な孤独に襲われる。

自分の人生は何だったのだろうか?何の意味はなかったが何となく生きてきた。その結果だ。そういうことを考えられるような脳も退化し、痴呆が入り、モヤモヤと何も考えられない。

本当の老後というのは、いまの現役世代が考えているような五体満足な貯金だけあり、老後はハッピーに旅行にでも行ってというものではない。

痴呆で持病を持ち、気力と体力もなく、死を待つ天涯孤独の強烈な人生となる。

重要なことは、年金をもらうことや貯金を老後に備えて貯めておくことではない。いま、今こそ重要なのである。

貯金をした老後になんて何もハッピーエンドはない。地獄の孤独の牢獄で、お金が日々減る恐怖にも怯えるのである。もう現役世代ではないので貯金すら増えずに切り崩す。その減りは早く、あっという間に数年、そう5年も持たずに枯渇する。

現役世代は、孤独地獄に備えよ。

生きている間に親孝行をして置いた方がいい。何がいいか。それは両親が死んでから自分の気持ちに差が出る。親には何もしてあげられなかったと思う自分。自分はやることはやったから、親はいい人生だったのだろうか?

どう思うかでまた違ってくるものである。

なぜ日本人は孤独を選ぶのか

お金持ちの相手がいないから?イケメンじゃないと結婚できない?

ならばその孤独の結果も自業自得だ。だが、世の中にはそういう人ではなく、まじめに生きてきて結婚もしたが結婚後にうまくいかなく離婚し、そのトラウマから生涯独身になる人もいる。

結婚だって一生に1回ではなく、3回も4回もする人だっている。

昭和の時代は、こういう人も普通に近所に存在していたものである。そもそも誰もが結婚し、離婚もせず、耐える時代であった。男尊女卑。そういう時代である。

男としてはいい時代であったが女性としては姑との地獄の日々など、結婚して幸せとは言えない時代でもあっただろう。

今の時代、女性が結婚してこんなに苦労が少ない時代は人類の歴史上ない。初めての文化である。

それが年収600万円以上、イケメンなど、色々言っているのである。そういう人もいればそうではない女性もいる。

そうではない女性はもう結婚し、子供もいる。もしかしたら収入も良く、イケメンかもしれない。だがそういう人を見ていると大抵は、女性の家柄もいいし、アナウンサー並に美人だ。

男性側もしっかり選別している。

自分には無いのに求めることが大きい。結局はそこなのである。孤独は自分が選んだ道の先にたまたま現役世代の時に見えていなかった道の先にあるものであり、誰かのせいでもない。

そして歳をとると、道を変更したり、引き返すことは二度と出来なくなるのである。間違えて先がない道をゆっくり自動歩道のように無理矢理進められていくのである。その先は断崖絶壁の崖である。


posted by 秀さん at 07:59| ハノイ | Comment(2) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月30日

再度、出光佐三さんのお話を編

前にもブログで取り上げたことがあるのですが秀さんが最大限の尊敬を払う人物であり、また同じ福岡県出身ということもあり秀さんの心に 人間とはこうありたいものだ と強烈に思わせる人物のお話です。
実業家 出光佐三さんその人です。
下記の写真で見て頂くと分かるのですが良い顔をされています。

人の思いはお金では測れない・・・・そんな生き方に震えが来ます。

本日は、ねずさんの記事からの勝手に転載ですが出光佐三さんの生き様がよく書けている記事だとと思います。

では、以下転載開始です。


海賊と呼ばれた男 出光佐三物語

出光佐三さん.png


「題名のない音楽会」というテレビ番組があります。
この放送は、昭和39(1964)年8月から続くご長寿番組で、東京12チャンネルで放送されています。
もともとこの番組は、TBSとの専属契約を打ち切られて苦境に陥っていた東京交響楽団に、出光佐三さんが、新たな活動の場を与えてあげようと企画した番組です。

番組は、番組途中でCMを入れない構成であることでも知られていて、現在もそれは守られています。
番組スポンサーは出光興産です。
一社だけの提供です。

番組途中でなぜCMが入らないかというと、番組スポンサーの出光興産の創業社長である出光佐三(いでみつさぞう)氏の「芸術に中断は無い」という考えに基づくものです。

その出光佐三氏に有名な言葉があります。
「社員は家族だ。
 家計が苦しいからと
 家族を追い出すようなことができるか?
 会社を支えるのは人だ。
 これが唯一の資本であり今後の事業を作る。
 人を大切にせずして何をしようというのか。」

どこまでも会社は「利益のために存在する」のではなく、「人のために存在する」という考え方です。
昨今では、儲けのために人をないがしろにする会社が多くなりましたが、ではそうした会社が長く継続して生き残れているかというと、答はNOです。

世界に、創業から200年以上経過する会社は5,586社(計41カ国中)あるそうです。
このうち半分以上の3,146社が日本の会社です。
さらに創業千年以上の会社が7社、
500年以上が32社、
100年以上になると、その数5万社以上です。

それだけご長寿企業がたくさんあるということは、終身雇用、儲けよりも人という、日本的経営の考え方が、正しい、もしくは理にかなっているということになります。
出光佐三氏は、終生自分は、社長でも会長でもない。
どこまでも出光商会の店主であるという考え方を押し通しました。

具体的には次の4つの理念を掲げ、これを終生守り抜いています。
それは、
 (1) クビを切らない
 (2) 定年を設けない
 (3) 出勤簿を作らない
 (4) 労働組合をつくらない
というものです。
これを出光佐三氏は、出光の「四無主義」と呼びました。

ひと目見ておわかりいただけますように、これは戦後、欧米からマネジメント手法として輸入され、いまではごくあたりまえになっている、
 リストラをする
 定年制を敷く
 勤怠管理を徹底する
 労組を置く
といった、現代企業があたりまえとする考え方の対局にある考え方です。

なぜ対極になるかというと、これもまた出光佐三氏の言葉があります。それは、
「社員は、雇用しているのではない。家族なのだ」
というものです。
佐三氏は、これを「人間尊重主義」、「大家族主義」の経営哲学と呼びました。
要するに、昔からある日本式商店の経営哲学です

出光佐三氏は、明治18(1885)年、福岡県赤間村(現・宗像市)で生まれました。
生家は、地元で藍問屋を営んでいて指折りの資産家でした。
ご先祖は、大分にある宇佐八幡宮の大宮司だったそうです。
宇佐八幡宮というと、和気清麻呂の物語に出てくる御神託をいただいた、あの神宮です。

佐三氏は、小学校に入った頃は、病弱でしたし、ひどい近眼でした。
そのために本が読めない。
また、視力が弱くて体力も弱い。
そこで佐三氏は、本を読んで学ぶかわりに、常に「なぜか、どうしてか」と必死で考える習慣を身につけたそうです。

そして16歳のとき、旧制福岡商業に入学しました。
福岡商業では、ストライキの首謀者などをしています。
このときは、ついに学校側を屈服させることに成功しています。
その代わり、成績は下る一方となりました。
卒業時の成績は下から二番目にまで落ちています。

20歳で、神戸高等商業(現 神戸大学)に入学した佐三は、そこで二人の師匠に出会いました。
ひとりは水島鉄也という、初代校長です。
この校長は、
「カネの奴隷になるな。
 『士魂商才』をもって事業を営め」
と教えてくれました。

武士の商法という言葉があります。
明治維新のあと、官職を失った多くの武士が「生き馬の眼を抜く」という商業界にあって、財産をなくし、路頭に迷いました。
もともとは、それを茶化して言われた言葉が、その武士の商法です。

そういう時代への反省から、明治の終わりごろには、国内には拝金主義が台頭しました。
義理人情や筋道や道理や正しさではなく、とにもかくにも「儲かりさえすれば良い」という思想や行動が主流となっていったのです。
ところがそんな時代の中にあって、水島校長は、
「人を大切にせよ、武士道の精神をもって商売に励め」
と教えてくれたのです。

江戸の昔「もし期日に返済なくば、人前で笑われても異議なく候」と借金の証文に書いた武家と、とにかく儲かればよいという商家では、その基盤となる考え方がまるで違います。
だからこの当時、武家の流儀では商売はできないというのが、常識となっていました。
ところが水島校長は
「それでも武家の心を失ってはならぬ」
と説いたのです。
そして、
「男子たるもの、国家に貢献できる事業を営め」
と生徒に語りました。

もうひとり、佐三はなくてはならない出会いがありました。
それが、内池廉吉教授です。
内池教授は、
「これからの商人は、
 生産者と消費者を直結し、
 その間に立ち、
 相手の利益を考えながら、
 物を安定供給することにその価値がある」
と教えてくれました。

この時期、佐三氏の実家は、商売が傾きかけていました。
このため、いまでいう大学生活を送る佐三氏には、家からの仕送りはありません。
このため佐三氏は、家庭教師のアルバイトをして、学費と生活費を得ていました。

そのときに教えた子供の親に、日田重太郎という名の大変な資産家がいました。
日田重太郎の趣味は、神社仏閣の巡拝でした。
たまたま佐三氏の実家が、宇佐八幡宮の大宮司だったことを知った日田氏は、佐三氏を無条件に信頼してくれました。

明治42(1909)年、神戸高等商業を卒業した出光佐三氏は、神戸で小麦粉と石油を扱う酒井商店に、丁稚として入店しました。
酒井商店は、小麦粉と機械油を売っている従業員4、5名のこぢんまりした商店です。

高等商業というのはいまでいう大学です。
いまのように、誰もが大学に進学するという時代ではありません。
ですから当時は大学出は学士様と呼ばれたし、官庁の職員や大企業で重用してくれました。
ところが出光佐三氏は、大企業ではなく、零細商店に入社したのです。

なぜこんな小さな会社を選んだのかと、学友たちはいぶかりました。
それどころか仲間たちからは、
「お前は気違いだ。学校のつらよごしだ」とさえ非難されました。
高等商業を卒業しながら、丁稚奉公に出るというのは、学校のメンツを汚してるというのです。

しかし佐三氏は、周囲の非難などまったく意に介しませんでした。
なるほど大企業に入れば、収入も多いし生活も安定します。
しかし大企業では、仕事の一部しか担当できない。
自分が将来、独立して事業を営もうとすれば、仕事の基礎から終わりまで、全部を覚えなければなりません。
そうであれば、小さな商店の方が、むしろ、なにもかも担当させてもらえますから、仕事を速く覚えられます。

さらに佐三氏には、ひとつの勝算がありました。
それは、「これからの時代は、必ず石油の時代になる」というものでした。
酒井商店は、油を扱っていたのです。

こうして佐三は、大学を出ていながら、小学校卒がなるような丁稚になり、前垂れのはっぴ姿で自転車に乗って集金に駆け回りました。
いまでいったら、かっこ悪いことかもしれません。
けれど未来の独立を夢見る佐三氏にとっては、それは夢を叶えるプロセスでした。

ところが佐三氏に困難がやってきました。
実家の藍屋の商売がいよいよ傾き、もうやっていけなくなってしまったのです。
このため佐三氏は、一日も早く独立開業しなければならない状況となりました。
丁稚奉公では、給金はタカが知れているからです。

けれど、所詮は丁稚です。
給料はたかが知れいてます。
いまどきのように、ベンチャー向けの開業資金融資制度なんてなかった時代です。
頭を抱える佐三氏のもとにある日、日田重太郎氏がやってきました。

日田氏は、佐三氏に、当時のお金で六千円を渡してくれました。
これは、現在のお金に換算したら、約1億円です。
日田氏は、
「京都にある家が売れてな、六千円の現金ができたんだ。
 それを君にあげよう」
と言いました。しかもそのお金は、「貸す」のではなく「もらってくれ」というのです。

ただし条件が三つありました。
 第一 従業員を家族と思い、仲良く仕事をすること。
 第二 自分の主義主張を最後まで貫くこと。
 第三 自分がカネを出したことを人に言わないこと、です。

佐三氏は「果たして自分にできるだろうか」と迷ったそうです。
けれど、腹を決めました。
「よしっ。水島校長の言われる、人道主義と士魂商才の商人となろう。
 そうなることで、この日田さんへの恩返しをしよう!」

ここに大切なポイントが2つあります。
ひとつは、日田氏の大金の寄付は、もちろん佐三の人柄を信頼してのことだということです。
佐三の実家は、このときすでに傾いていることを日田氏も知っています。
1億円のキャッシュをあげれば、そのお金は、単に実家の借金返済資金に流用され、佐三氏が丁稚のままでいる、あるいはどこかに逃げてしまうというリスクもあったのです。
それでも日田氏は、寄付をしましょう、と言ってくれました。
「金は大事だ。
 しかし、それ以上に、人を信頼することはもっと大事なことではないだろうか。
 そしてお国のために役立つこと。
 君にはそれができる。」
どこまでも「人」が第一なのです。

第二の条件は、上に示された三つの条件は、いずれも無形のもの(=インタンジブル)であるということです。
拝金主義は、
「いま、カネを持ってる、
 いまカネを稼いでいる、
 いま贅沢な暮しをしている」
というように、とかく「いま」しかみようとしません。
とにかく「いま」さえ良ければ、何をやっても構わないと考える。
日本の近くにある歴史のない国など、国をあげてそれをやっています。

ところが伝統的な日本的価値観では、過去現在未来にまたがる普遍性を大切にします。
そうなると、いまこの瞬間に金を持っているということよりも、もっと大切な価値があるということを大切にするようになります。
そしてこの場合、自力で人道主義と士魂商才を、新しい資源エネルギーの未来に向けて実現しようとする男への投資こそが、まさに価値ある行動となるのです。
明治の終わりごろの日本には、まだまだそういう無形のものを大事にするという日本人本来の文化的価値観が、色濃く残っていたのです。

明治44(1911)年6月、佐三は福岡県門司市(現在の北九州市門司区)に、出光商会を設立しました。
このときの佐三氏は、まだ25歳です。
これが、後の世界的大企業、出光興産の創業です。

事務所の正面には水島校長の揮毫による「士魂商才」の額を掛けました。
商品は、日本石油下関支店の機械油です。
佐三氏は、その特約店の資格をとったのです。

ところが、油が売れません。
理由は二つありました。
ひとつは石炭から電気モーターへの切り替えの時代で、機械油の需要そのものが減っていたということです。
もうひとつは、佐三氏の商売の姿勢です。
機械用の油ですから、当然、営業の相手は工場や商店です。
商売人同士のお付き合いですから、袖の下はあたりまえですし、値引きもあたりまえです。

ところが「士魂商才」を掲げる佐三は、
「そんなことまでして売る必要はない!」
とにべもないのです。
おかげで日田氏からもらったお金は、3年で底をついてしまいました。

さすがの佐三も、憔悴しきって日田氏を訪ねました。
「申し訳ない。廃業したい」
と申し出る佐三氏に、日田氏は言ったそうです。
「三年で駄目なら五年、五年で駄目なら十年と、
 なぜ頑張らないのですか。
 さいわい神戸にまだ私の家が残っています。
 それを売れば当面の資金には困らないでしょう。」

日田氏の断固とした姿勢に、佐三氏は慄然としたそうです。
日田さんは、本気で命がけでワシを信じてくれている。
こうなりゃ、なにがなんでも前に進むしかない!
日田さんに家を売らせるわけにはいかん!

倒産寸前の佐三氏は必死に考えました。
単に目先の売上げの確保ではない。
もっと抜本的に、強気で士魂商才を実現するにはどうしたらよいのだろう。
佐三氏は考えに考えます。

そこで、「海賊」をすることを思いつきました。
「海賊」といっても、船を襲うのではありません。
夜中の十二時から早朝の二時頃にかけて、漁船がエンジン音を響かせながら帰ってくるのを待ち構えたのです。

漁船のエンジンは「ポンポン蒸気」と呼ばれるツーサイクルの焼き玉エンジンです。
焼き玉エンジンには、燃料油として「灯油」が使われます。
佐三は、帰ってくる漁船が岸辺に着く前に、伝馬船で漁船に近づいて、海の上で「灯油」の代わりに「軽油」を売ったのです。

軽油は、灯油より下級です。
ですから軽油で漁船の焼き玉エンジンを回すと、クサイにおいがでます。
けれど値段は灯油の半額なのです。

当時の燃料油店というのは、油を元売りから買ってきて消費者に売りました。
小売りは特約店の仕事です。
特約店は、下関、門司、小倉、博多など地域別に分かれて、それぞれに縄張りがあります。
陸にあがった漁師たちは、その港を縄張りとしている特約店で燃料を買います。
そしてその縄張りは、同業の特約店が、荒してはならないというのが、しきたりとなっていました。

そこで佐三氏は、縄張りがない海上で、油を売ったのです。
文句を言われると、
「海に下関とか門司とかの線でも引いてあるのか」
と言い張りました。
佐三氏が「海賊」と呼ばれたゆえんです。

多少ニオイがあっても、値段が半値の軽油販売は大当たりしました。
佐三氏はさらに工夫し、揺れる船上での油の販売のために、「計量器付給油船」という海上給油装置まで開発しています。
そして事業を軌道に乗せました。

いったんは廃業まで決意したこの年(大正3年)、佐三氏は南満州鉄道への車軸油の納入に成功しました。
当時、南満州鉄道で使う油は、スタンダード社などの外国の油が独占していたのです。
独占は癒着を生み、癒着は高いコストとして跳ね返えります。

佐三は、そのからくりを見抜き、満鉄当局に粘り強く交渉したのです。
国産油の品質の良さを実験とデータで示し、それを使うことが、満鉄に利益をもたらし、国益にも適うことを具体的に示したのです。

さらに大正8(1919)年には、貨車のトラブルが続出していた南満州鉄道に、酷寒でも凍結しない「ニ号冬候車軸油」を納入して、満鉄から感謝状と銀杯を受領しましt。

ところが、大正13(1924)年、第一銀行(現みずほ銀行)が、突然、25万円の借入金引き揚げを要請してきたのです。
いわゆる「貸しはがし」ですが、実はもっと手が込んでいて、儲かっている会社にいきなり貸金の引揚げを要求をし、引揚に応じられないなら、銀行員を社長や役員に迎えろ、としたのです。
まるでヤクザみたいなやり方ですが、いまも、いろいろな会社に銀行員が親元の銀行から派遣されて役員などになっています。

さすがにこのときは佐三氏もまいりました。
一時は自殺説までささやかれたくらいです。
ところが二十三銀行(現大分銀行)の林清治支店長(当時)が、肩代わり融資を決めてくれたのです。
佐三は、ぎりぎりで窮地を脱します。

もしこのとき、大分銀行の肩代わりがなければ、当時儲かっていた出光興産は、出光佐三社長が引退し、商売のまったくわからない第一銀行の行員が社長に就任していたことでしょう。
そのようになった出光興産が、果たしていまのような大手企業となり得たかは、疑問です。

そして佐三氏は昭和7(1932)年には、門司商工会議所会頭に就任し、昭和12(1937)年には高額納税者として貴族院議員となりました。
佐三は、満鉄を経由して朝鮮、台湾にまで進出し、さらに支那事変の拡大と共に、支那本土に営業網を拡大しました。
そして出光商会は、この時期に、従業員千名程を抱える大会社に成長したのです。
こうして個人経営の出光商会は、昭和15(1940)年には改組して、出光興産株式会社となります。

ところが、その5年後の昭和20年、日本は戦争に破れてしまいます。
日本は外地を失いました。
国内は焦土と化し、佐三氏もすべてを失なってしまいました。

その昭和20(1945)年8月17日、出光佐三は社員二十人を集めて訓示しました。
そのときの言葉です。

「愚痴はやめよう。
 世界無比の三千年の歴史を見直そう。
 そして今から建設にかかろう!
 泣き言はやめよう。
 日本の偉大なる国民性を信じよう。
 そして再建の道を進もうではないか!

具体的なアテなどありません。
けれど佐三氏は、日本を信じたのです。

さらにこの1ヶ月後、佐三氏は驚くべき宣言をしました。それは、
「海外から引き揚げてくる社員は一人もクビにしない!」
というものでした。

当時の出光の従業員数は、約1,000名です。
そのうち約800名が、外地からの復員です。
外地で力を伸ばした企業が、その外地の販路をすべて失ったのです。
資産もない、事業もない。
膨大な借金があるだけです。

どうやって復員者を受け入れるというのか。
どう考えても、やりくりできるはずなんてありません。
多くの企業は、ガンガン人員整理をしていました。
それを出光佐三は約1千名の従業員の首を、誰ひとり切らないと宣言したのです。

いい加減なことを言ったのではありません。
それは考えに考えての結論でした。
そしてこの宣言は、佐三氏自身の決意の表明でもありました。
どうにもならないどん底に落とされても、なお道は必ずどこかに通じている。
「道、極まって尽きず」は、尾崎行雄の「人生劇場」の台詞です。

佐三氏自身、どうにもならない、廃業するしかない中で、若い頃、事業のチャンスを得た男です。
その成功体験が、佐三自身の信念になっていたのかもしれません。

出光興産は、復員者してくる社員のクビを切らないため、何でもしました。
ラジオも売りました。
醤油も売りました。
酢も売りました。
畜産や養鶏にも手を出しました。
思いつく限りのことに手を出したのです。

けれども付け焼刃の仕事は、どれもうまくいきません。
どうしようもなく追い詰められて、一部の社員には自宅待機命令を出さざるを得なくなりました。
する仕事がないからです。
それでも佐三氏は、戦前に集めた書画骨董を売り払い、銀行から可能な限り借金をして、待機組にすら給料を払い続けました。

復員後、気力を失い、郷里に引きこもっていた青年がいたそうです。
その彼が、出光に辞職の手紙を書こうとした時、父親が彼を烈火のごとく叱ったそうです。
「お前が兵隊に行っている6年間、
 出光さんは給料を送り続けてくれたんだ。
 それを辞めるとは何ごとか!
 すぐ出光さんにお礼の奉公をしろ。
 6年間、ただで働け。
 それから帰ってこい!!」

当時の父親の気迫が伝わってきます。
青年は思い直したといいます。

待望の石油事業に復帰する機会は、意外に早く訪れました。
GHQ(占領軍本部)が、旧海軍のタンクの底に残った油を処理し活用せよ」と指令を発したのです。

それは、タンクの底に入って油を汲み取る作業でした。
タンク内にはガスが充満し、窒息や中毒の危険がありました。
爆発の危険もあります。
普通なら誰もが請けない仕事です。
誰も請けない仕事だから、日本人にオハチが回ってきたのです。

佐三氏は「これで石油界に復帰する手がかりができた」と喜びました。
全社員を動員してタンクの底さらえ作業を開始します。

廃油にまみれ、泥まみれになり、鼻腔をつくがまんならない悪臭だけでなく、中には手足がただれる者も出ました。
たいへんな作業なのです。
しかし誰もねをあげませんでした。
「俺たちは石油屋だ、
 油の扱いは俺たちの仕事だ」
という誇りに満ちていたのです。

「底さらえ」作業は、約1年半に及びました。
そして出光興産は、廃油2万キロリットルの汲み取りに成功しました。

このときの丁寧な仕事ぶりはGHQと、その背後にいる米国石油メジャーに強烈な印象を残しました。
これが、後に正式に石油界に復帰する足がかりとなり、出光蘇生の原点となっていくのです。
いまでも「タンク底にかえれ」は出光興産の合言葉です。

昭和28(1952)年3月のことです。
この時期、イランは英国資本の油田を強制的に摂取して国有化したため、英国と国交断絶状態になっていました。
英国海軍は報復のため、ペルシャ湾を航行するタンカーを監視し、イランから石油を積み出そうとするタンカーを拿捕しようとしていました。

このことは、イランにとっても、肝心の石油を売ることができないという、むつかしい状況を招いてもいました。
「いまイランに行って石油を積み出せば、
 石油を安く仕入れることができ、
 さらにイランと日本の国交を切り開くことができる。」
佐三氏は、当時出光興産が所有していたただ一艘のタンカー「日章丸二世」に密命を与えました。

「日章丸二世」が向かう先は、サウジアラビアということにしました。
しかし船長と機関長の2名だけが、実はイランに向かうと知っています。
成功すれば、一艘の積荷で、二億円の儲けです。
けれどタンカーが拿捕されて失敗すれば、4〜5千万の赤字となります。
そして出光興産は倒産します。

日本は、この前年に占領から独立したばかりです。
その日本が、連合国の一員である英国の横面を張り倒す行動に出るのです。

神戸を出航した「日章丸二世」は、18日後、ひそかにイラクに入港しました。
英国の監視下にあった港に入港したのです。
このニュースは、まさに世界のトップニュースを飾りました。

そして世界中が注目する中、イランの石油を満載した日章丸は、夜陰にまぎれ、他船との交信さえも一切止めて、ひそかにペルシャ湾を抜け出しました。
そしてインド洋を横断し、約一カ月かけて、無事、川崎に入港しました。

このニュースは、占領に打ちひしがれていた当時の日本人の心を奮い立たせました。
そして、世界に日本の海運技術の凄味を見せつけました。
また、イランと日本の信頼関係の絆を深めました。

これに対し、英国アングロイラニアン社が「待った」をかけます。
積荷の石油は、英国のものであるというのです。
そして東京地方裁判所に提訴しました。

裁判のとき、佐三は東京地方裁判所民事九部北村良一裁判長に次のように述べています。
「この問題は国際紛争を起こしております。
 私としては、日本国民の一人として、
 俯仰天地に愧じない行動をもって終始することを、
 裁判長にお誓いいたします」

日本人、ここにあり!です。

裁判に勝利した佐三氏は、昭和31(1956)年、徳山湾に日本一の製油所を建設しました。
その製油所建設の竣工式に、佐三氏は大恩人である日田重太郎を招待しました。

すでに82歳の高齢になっていた日田氏に佐三氏は、
「すべてあなたの御恩のおかげです」
と述べました。日田氏は、
「あなたの努力と神様のご加護ですよ」
と言って、佐三に手を差し出しました。
佐三はその手をしっかりと握りしめました。

日田が神戸に住んでいた頃、佐三氏は神戸支店員を毎晩、日田家に派遣し、年老いた重太郎の晩酌の相手を命じていました。
夏には軽井沢にある出光の別荘を日田氏のために提供していました。

淡路島で行われた日田の葬儀には、出光興産の「社葬」として、佐三自ら参席し、生涯の大恩人に報いています。
佐三氏は、日田への恩を、生涯をかけて報いたのです。

昭和56(1981)年、95歳で出光佐三氏は人生の幕を下ろしました。
彼を支え続けた側近の一人石田正實は、安らかに眠る佐三の横顔を見ながら、
「この人は、
 生涯ただの一度も
 私に
 『金を儲けろ』とは
 言わなんだ。
 40年を越える長い付き合いだったのに……」
と呟いて落涙したそうです。
あとは言葉になりませんでした。

佐三氏は、終生「社長」でも「会長」でもなく「出光商会」の一介の「店主」を押し通しました。
佐三のモット−は、
 「人間尊重」
 「大家族主義」
 「黄金の奴隷たるなかれ」
 「生産者から消費者へ」
というものでした。
彼は、若き日に師匠から教わった教えをそのまま、生涯にわたって実践し抜いたのです。

その佐三氏は、皇室を崇敬することが極めて篤い人でもありました。
また出光興産の東京本社には佐三の郷里の氏神である宗像神社があります。
佐三が逝去したおり、昭和天皇は、佐三に次の歌を贈られました。

 国のため
 ひとよつらぬき 尽くしたる
 きみまた去りぬ
 さびしと思ふ
   出光佐三逝く 三月七日

ありがたいことです。
会社は、ひとつの家族。地域も家族。国家も家族。それが日本流の考え方です。

私の友人で、鉄工所を営むある社長は、不況のあおりで工場の受注が減り、売上がピーク時の5分の1になってしまいました。
けれど、彼は必死で従業員の雇用を守り続けました。
自分の給料なんてなくても、社員の給料を払い続けました。
彼は晩婚だったので、まだ幼い子供がいました。
当然、生活費がないと困ります。
なので彼は、夜間の運転手のアルバイトをして、自分の家族の生活を守り抜いています。

別な社長は、やはり社員の雇用を守りぬくため、会社の売上はそっくり社員の雇用のために使い、自分の生活費は、ある大手ショッピングセンターの夜間警備のアルバイトをして賄っています。

企業は、資本家(無産階級)と労働者(有産階級)との対立と闘争の場であると説いているのは、共産主義です。
経営者が(CEO)と称して巨利を得、景気が悪くなると生産調整と称して簡単にクビを切るのが、個人主義を根本とする西洋風の企業です。

しかし、日本の流儀は違います。
日本人にとって、会社は「家族」です。
それが、西洋風でもない。共産主義風でもない、日本風の商家の考え方です。

なにごとも西洋かぶれするのではなく、私たちはいまあらためて、日本流経営学というものを学んでみる必要があると私は思います。

以上転載終了

posted by 秀さん at 02:54| ハノイ | Comment(0) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月28日

雨季も終わり朝夕はしのぎやすくなりました編

季節のうつろいは絶えることなく続く、人の欲望も絶えることはないが
その本質はまったく違うものである
前者は無から人々を楽しませる色を生み、どんな色でもいずれ絶えることを教え 人々の内面に訴えかける
後者は人を一時の快楽に走らせ、色に溺れさせ権力に溺れさせ 人々を救いのない無限地獄に追いやる

おいおい! 何を朝からほざいているの ったく と言われるのを覚悟で書き出してしまいやした。
へい、本日はベランダに出て朝の爽やかな空気空の景色にしばし佇んでいたせいか冒頭にある言葉が浮かんで来たのでありやす。

秀さんのように煩悩の塊みたいな人間でも季節の移り変わりの微妙な風に吹かれると
ふと、卑しい心をやすませることが出来るのかも? です。へい

さて、寝言はこの辺でやめて

そろそろ孫のマー君を幼稚園に送って行く時間でごわす

爺と孫・・・今日一日が実りある一日になるようお祈りしてからお出かけです

ボケ爺の朝の寝言より


posted by 秀さん at 10:28| ハノイ ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月08日

晩ご飯は鯖の塩焼き、ほうれん草のごま油あえ、味噌汁、ぬか漬け編

なんじゃい! とお怒りになららいで下さいな。へい

本日の晩ご飯でごわす。えらい質素な晩ご飯とお思いでしょうが、一週間の断食終了後ヘルシーで控えめなおかずを義娘にお願いした結果ですわ。
昨晩は、刺し身に野菜の炒めものに味噌汁、漬物、食後は果物でしたわ。
何と! 奇跡的にここ一週間アルコールは飲んでおりません。

直行直帰、アルコール無し、ヘルシーな食事、孫との会話・・・はまだ無理なのでお遊びで1日が暮れております。

皆さん、どう思われますぅ? なことたぁ〜 どうでも良い って言われますか?
へい、そりゃそうですね。

はい、話を戻しまして・・・
ここ1〜2週間程で外出型人間から家型人間へ秀さんは変身してしまいましたわ。
もう歳も歳ですので衰えた体力に鞭打って頑張ることもなかろうよ と世捨爺みたいなことをほざいております。

思えば働き盛りだった30代40代では考えられなかったような何の変哲もない生活ですわ。ったく!

でもね、家族と過ごす何気ない1日、1日がとても幸せなのですわ。

日本全国、時には海外、24時間ビジネス漬けの生活が当たり前というか仕事の出来る男の証じゃい!
なんて当時密かに思っておりましたわ。その激務を軽減するためには高給ホテルに宿泊し、飛行機はビジネスクラスやグリーン車が当たり前だ と・・・息巻いていた若い時代の考え方を今思うと・・・

へい、アホですわ。

そこには家族との会話なんて物理的に無理、金銭的なゆとりはありましたが。精神的なゆとりは皆無、
家にいても仕事のことをどこかで考えており、日頃の罪滅ぼしで家族を年に1、2回は海外旅行に連れては行きましたが自分自身は義務感の方が大きく心から楽しんでいたのかどうかは不明。
人間調子の良い時ばかり無く、20年ほど前に立て続けに妻と父が病死、残されたのは会話の少ない愚息と痴呆の母、その後ある事件を契機に無職無一文になり実家で半年間の引きこもり生活・・・
ある方のご縁で就職、ベンチャー企業設立に参画、再度の転職、赴任先のホーチミンでいきなりの失職事件、心底砕けそうになった時に縁ある方の助けで再スタート、発展的解消、再度の立ち上がり、ベトナム人に騙され失意の底でのたうち回りながらも意地を片手によろけ立ち・・・ベトナム人スタッフの助けを借りながら未だに下半身はぷるぷると震えながらもギリギリの生活は何とかキープ出来ているから人生って不思議ですわ。

秀さん、金は無くても人間何としてもでも行きて生ける! 

と・・・アホな経験を人さまより少しばかり積んだおかげか変な自信があるのですわ。
食えないのではなく食えなくなるという不安が人を惑わすのでごわす。
心配&不安に押し潰されること無く食&職を得るために必死こいて動きまわってさえおれば結果、何とかなるもんですわ。
まして、ここベトナムは日本とは違い生活にかかる費用は格段に安いのですから

はて? 話がいつものように脱線してしまいましたね。

人の生き方は人それぞれ、どんな生き方をするかはその人次第
先の見えない時代だと言われておりますが、何時の時代でも人間の営みは同じ
人生苦もありゃ楽もある ん?  水戸黄門の歌ですがな

そんじゃこの歌を最後に本日の支離滅裂のブログは終了どす! へへぃ

人生楽ありゃ苦もあるさ
涙の後には虹も出る
歩いてゆくんだしっかりと
自分の道をふみしめて

人生勇気が必要だ
くじけりゃ誰かが先に行く
あとから来たのに追い越され
泣くのがいやならさあ歩け

人生涙と笑顔あり
そんなに悪くはないもんだ
なんにもしないで生きるより
何かを求めて生きようよ

人生一つの物なのさ
後には戻れぬものなのさ
明日の日の出をいつの日も
目指して行こう顔上げて


posted by 秀さん at 01:18| ハノイ ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月15日

確かにそのとおりなのですが編

またもや転載記事で恐縮なのですが・・・
マドモアゼル愛さんのブログからの無断転載ですわ。

愛さんがいうようにたしかに我々一般庶民は昔と違いここ20年にわたる新自由主義経済の波とその結果において出現した現在の状況には疲れを通り越して絶望感さえ感じるようになっているのかも知れません。
国民格差が欧米と同じように広がり、昔むかし一億総中流何てことを言っていた日本はいったいどこへ行ったのでしょうかねぇ。。富の再分配を司るのが国の大きな役目のひとつなのですが・・・
悲しいかな、非正規雇用者数が就業者人口の40%なんてことになってしまいました。
この比率は誰がどう考えたって異常でしょう?
それとも何も思わないのでしょうか?

まぁ、アホの秀さんが悩んでも何の解決にもならないのですがね。
富の偏在化は世界的な兆候ですが我が日本もこのような悲惨な状況になるとは夢にも思いませんでしたわ。
ベトナムは所得格差の大きな国ではありますが毎年経済成長が続いているので低所得層の若者にも将来に対する夢があるように思います。
ベトナムの若い人たちは日々観察していると現在の日本の若者たちより夢と希望にあふれているように見えて仕方がないのですわ。

かっての高度成長を再びなんて幻想をいだいても企業はグローバル化の掛け声と共に海外に進出してしまっており雇用の減少に加え少子高齢化ですもん。国の経済が活性化するわけはないですね。

成熟しきった日本という国は、今後は経済成長のないことを前提とした国つくりを模索しなければいけない岐路にさしかかっているのかも知れません。
それは、多分お金という今までの最重要価値基準からの脱皮を意味するのでしょうねぇ。
新しい価値基準が生まれるには古い価値基準との葛藤や争いを経過ししなければならない。
そのことに対して抵抗が大きければ大きいほど出口のない暗い時代が続くということです。
ったく、やれやれですね。

でもね! バンドらの箱を開けてありとあらゆるものが出て行った後には・・・
一欠片の希望という種が残されていると言われていますので

日本の若者の皆さん、元気を出しましょう!
何とかなりますって! ほい

ということで転載記事の始まりです。--------


あまりに大きな嘘には、人はまさかと思って信じようとしません。

大きな嘘がまかり通っているのにも、そうした原理が働いているからでしょう。

この世のこと、社会のことを考えると、本当に絶望的な気持ちになる人も多いと思います。

しかし、希望は最後まで残るという聖書の話しではありませんが、本当のことだと思います。

このように最後まで存続するものは、信仰と希望と愛とこの三つである、、、という聖書の話し、また、パンドラの箱に最後まで残されたのも、希望。

この希望を安っぽく、自分だけが優位に立つという目的に置き換える働きをしたのが、マスコミ。夢を追いかける、、、というと美しい話しに聞こえるけど、それはあまりに悲惨な現実から目を背けさせる口実として利用しているだけ。

受験、スポーツ、出世、、、叶わぬ夢を追いかけることが良いように言われて、幾多の努力を飲み込んで行ったことか。

例えばスポーツ。

一人のチャンピョンはそれは確かに偉大かもしれないけど、その裏でスポーツを純粋に愛する多くの人達の存在は無視されて来た面があります。

昔、調子の悪い関脇が、自信をつけるために問題にならないほど下の力士を無残に転がして練習する光景を見たとき、なんだかとてもいやな気持ちになりました。

負けん気の強い下の力士ならいざ知らず、関脇の自信をつけることが目的の練習ですから、下の力士がもう体力的にも精神的にもダメだ、、というダメージを植え付けるまで練習は続くわけです。

要するに、下の力士一人の可能性を壊してまで、関脇の自信をつけさせる、、、非常に違和感を覚えました。

同様のことが、甲子園に出場する選手の間で、あらゆるスポーツの練習の裏で行われているのかもしれないと思うと、スポーツが本当に純粋なのかどうかさえわからない気持ちになってくる。

スポーツの祭典といえばオリンピックですが、そこに出てくる一流選手の陰で、泣いた無名の選手がきっと大勢いたのではないでしょうか。

もちろん、努力の末にオリンピック出場を勝ち取った選手を悪く言うわけにはいきませんし、そのこと自体は誉れであるのは当然です。

勝者がはっきりするスポーツには、こうした厳しさがあることは事実です。それ自体は決して悪いことではありませんが、スポーツにはいろいろな取組方が人によってあるわけで、それぞれに喜びや充実を還元できる内容であって欲しいものです。

自信を失った関脇は、下っ端をダメにして自信を取り戻すよりも、下の者を気遣うことでむしろ自信をつけさせた方が、本当は効果もあるし、方法としても上だと思います。

しかし、親方の未熟さから、安易に下っ端をダメにする練習方法で可能性の高い関脇を育てる、、、それによって、壊された下っ端力士はもちろん、関脇も、そして親方も本当は深い傷を負っていくのです。

本当に強い人は、やっぱり絶対に優しいのです。しかし、今の世の中は、下っ端をダメにしてでも、目先の利益と誉れを優先するやり方を取ります。

進学校は成績上位者しか相手にせず、成績が下の方の生徒の存在をうとんじる。きっと、いやな気持ちにさせられ、自分の存在の無価値観を不当に押し付けられた多くの生徒や学生がいたと思うのです。

本当はあってはならないことなのです。そのやり方ではみんなが損するのです。トップの学生はいたずれに優越感のみ育て、自分が特別な存在であるかのような錯覚に陥ります。

その錯覚は、いずれ本当の実力を試される場面で通用しない時を迎えます。反省できる人間性が育っていればそれでも乗り越えることができますが、単に学力のみで、家柄のみで、権力のみでトップに立った人なら、ごまかすか、嘘をつき通すか、挫折するかして終わります。

学校から、先生から顧みられなかった人は、自分なんかどうにもならないダメなんだと、自信とやる気をなくすか、ヤケになるか、、極端な方向に行かないとも限りません。

そして出世主義で目先優秀な学校と言われたい、、優秀な先生として実績を上げたい、、そうした思いで冷たい判断で上の生徒ばかり重視した来た先生や学校も、いずれ厳しい競争に負けていくときを迎えると思います。

東大でさえ、世界の優秀大学番付ではかなり低いものであり、上には上がありますし、上下の価値観や競争感での争いには、みんなが損する構造があるのです。

学業から始まるこうした出世競争の構造は、最終的に権力もしくはお金の蓄積による優位性を争う方向に向かっていきます。

スポーツではオリンピックですが、構造が上記と同じですので、金まみれのオリンピックとなったり、権力の舞台としてそれが使われたりするようになるわけです。

オリンピックを夢の達成としてとらえられた昔ならいざ知らず、このところのゴタゴタはあまりにひどすぎ、問題があり、場合によっては犯罪的ですらあります。

トップ思考がもたらす極地がオリンピックはじめいたるところでほころびが出ており、このままの社会運営はもう続けられない、、、という時代になったと思います。

良い例がお金です。お金を求め、それを持つ人が成功者であるとの時代でしたが、もうジエンドだと思います。

ひがみで言っているのではなく、構造的にジエンドなのです。

みなさんは、ゲームをやったことがあると思いますが、どんなゲームでもチップが一人のところに全部行ってしまったとしたら、もうゲームを続けることはできません。

ゲームを止めるか、もう一度、チップがある人から無くなった人に、再配しなければゲームはできないでしょう。

社会に出回っているお金も、金持ち最高の意識に乗って、ついに、本当の金持ちの所にばかり行ってしまい、一般の人の生活をも苦しくさせる状況に至りました。

ほぼ独り勝ちのゲームで、もう一般にはほとんどまわらない。一般民衆は生活するだけで精一杯だから、不要なものは購入しない、、、当然、不景気になりやすくなります。

努力してお金持ちになった人も多いので悪くは言えませんが、そうした人の多くは、さらなる金持ちを目指して頑張ってしまうので、際限がありません。

ゲームが続けられない状況はこれから段々と深刻になっていくと思います。

そして選挙が来月に行われますが、ここでの争点は、原発のことや軍事化のこと、景気や生計のことなど、色々あると思います。

原発も戦争も、昔と違って、本当のところは、一部の金儲け、利権のためのものと、すでにわかっている人も多くなっており、結局は、お金の問題なのです。

もっともっとお金が欲しいという、貪欲過ぎる人たちのために、すでに国民はひどい状態に置かれています。

このままでは、お金を得るゲームすら続けられなくなりますので、ここいらで、本格的な変化がどうしてもやってくるのを私は感じます。

金持ちはいつまでもこの構造にしがみつくかもしれませんが、物理的に続けられなくなるのですから、やっぱり続けられなくなるのです。

では、どうした変化が必要でしょうか。物事のすべては、有る者から無い者に与えることでしか存在できません。

お金も同じで、あるところからないところに与える以外に現在の危機を救うことはできないと思います。

以前からいっているベーシックインカムです。藤原直哉先生はベーシックインカムは誤解しやすいので、ミディアムインカムとおっしゃっていますが、確かにそうかもしれません。(ミディアムではなくて、ミニマムインカムのようです)

ともかく、上から下に配ることです。働かないで日本は貧しくなったのではなく、働いて働いて働き続けている人が苦しくなっているのが、今の日本なのです。

上にお金が行き過ぎたのです。独り占めし過ぎたのです。それによって、みんなが傷ついていたのです。

上も本当はそうなのです。どうせ死ぬ人間に、金がすべてという信仰を植え付けられた犠牲者が金持ちでもあります。

金持ちにも悲しみはあり、孤独はあり、愛情もあります。それをありあまる自身の金が災いして、金持ちを不幸にしているのです。

今のシステムはみんなを不幸にするシステムとなってしまいました。

金の集中化から、逆にあるところからないところに配る変化によって、喜びの再構築ができるはずです。

今度の選挙でどう言う人が出てくるかはしりませんが、ぜひ、なんらかの分配を提唱する人が出てくれることを願っています。

党利党略などは口先で何とも言えますが、具体的な政策は党利党略を超えた姿勢を見せてくれます。

ベーシックインカム、ミディアムインカムなどの公平な分配さえしてくれるなら、政党などどこでも本当はいいのです。生きる人への応援がベースにあれば、戦争など考えることにはならないでしょう。(ミディアムではなくて、ミニマムです)

およそ、どの程度のインカムが考えられるでしょうか。試算はいずれ書きたいと思いますが、私は国民一人あたり、公平に10万円のインカムなら可能性はあると思っています。

これをやると、税制もシンプルになり、無駄な事務費が国から要らなくなります。どうせ年金がダメになることは誰もがわかっています。公平なインカムを導入することにならざるを得ないのです。スイスでは昨日、これを行うかどうかの投票で否決されましたが、そんなうまい話しがあるものか、、、という誤解と逆宣伝で恐怖をあおられた結果でしょう。

マインドコントロールの中でもっとも凄いものが、生きるのが大変という思い込みを作らせることであり、それによって、富の集中を可能にしているのです。スイスの結果は、檻に長年いれらていた人が、鍵がかかっていないことになっても、すぐに出てこれない、、、そんな状況でしょう。

インカムがひとり10万円だと、二人で20万円です。学校を卒業したカップルが、20万円のインカムをもらえてスタートできるなら、二人で働けば、40万円程度の生計となり、子供を生む本当の夢がかないます。

それも生活の楽しみ、充実を犠牲にすることなく達成できるのです。

5人の家族なら、無条件に50万円のインカムとなり、本当に気持ちが楽になります。そうすれば、家族にやさしくなり、子供の将来にも、本当にその子にあった方向を考えるやさしさが生まれるでしょう。

子供は安心して成長できます。大人も豊かになれます。景気は非常に良くなります。

ブラック企業はなくなります。そんなところに命の危険をおかしてまで行く必要などないからです。

企業は人を集めるために、工夫し、給与もむしろよくするようになります。

豊かになった人々は、喜びを主軸にした色々な消費を無理なく始め、面白いものをつくる、、面白いサービスをほどこす企業は儲かることでしょう。

どんな企業も善意で行えば、工夫すれば、本当に儲かるようになります。

景気は恐ろしいほどよくなり、みんなが豊かになる、、、そうしたことがインカムによってかなり達成できるはずです。

これまでは、人から奪うことで成り立つ経済で、私たちは、本当に苦しんだのですが、今度は与えてくれるところから出発する経済です。

裸で生まれた私たちなのですから、すべては与えてもらうところから始まっていいのです。与えてもらう、、、すなわち、それはお金ではなく、お金の中に愛があるということです。だから良くなるのです。

この政策をぜひ、取り入れる覚悟をもった人が大勢出てきてくれるよう、御縁がある人がいましたら、お伝えください。いずれこの政策が要になると思います。

以上転載終了-----

posted by 秀さん at 22:53| ハノイ ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月12日

貧乏暇なしで3月は忙しい編

どういう訳か3月は忙しいのであります。
これが・・・会社の売り上げ利益に直結すれば良いのですが、そうもいかないのが超毛細血管企業の恨めしいところですわ。

思い起こせば・・・
東京での学生時代の4年間のアルバイト期間も含めると43年間も働いて来たことになります。
その間、結婚をし子供を授かり育て現在は孫も出来ましたと言えばハッピー人生のように聞こえますが
実際は天国地獄を繰り返す謎のジェットコースターに乗ったような人生ですわ。ったく!

学生時代にはそうとは知らずに頼まれてカウンターの調理補助として働くことになった新宿歌舞伎町裏のぼったくりバーの時間給が当時220円、卒業後サラリーマン生活を数年間やった後独立、最盛期報酬年額数千万円、IPO一歩手前の持ち株で創業者利益予想額が数十億円、億単位のクルーザーを会社で所有したり高級車を乗り回したり仕事の大事な接待で銀座で一晩で100万円使ったりと一般のサラリーマンの方から見れば何それ? っていうような嘘のような本当の生活をした時期も長い期間ありました
言い訳する訳ではないですが、仕事も死ぬほどやっておりましたよ。はい

しかしですねぇ、やはり天の神様はそんなにお人よしではありませんで・・・

妻の病死、1年後続けて父の病死、その1年後いきなりの大地震&巨大大津波のようなアクシデントにより会社倒産、連帯保証により40歳過ぎてすべての財産を失い無一文、倒産後6ヶ月間実家で母親の遺族年金をかすめ取りながらの茫然自失の無収入生活、この時が一番堪えましたわ へい
その後何とか再就職を果たし年収1200万円まで漕ぎ着けるが予期せぬ再度のアクシデントにより赴任先のホーチミンにて再び無収入生活になりましてね
しばらくはホテルの屋根裏部屋に住み当時は1食5千ドンの路上屋台での昼食、バイクもタクシーもなしの自転車と徒歩の生活・・・
ホーチミン貧乏友の会どころかホーチミン極貧生活でしたわ へい

お前一体全体何やってんの? と言われても・・・

自分でも訳ワカメですわ  へい

その後、縁ある方の助けもあり再度ホーチミンで会社を立ち上げ何とか人並みの生活が出来るようになったのですが・・・
当時の秀さん、ベトナム人を何故か根拠もなく100%信用していましてね、騙されること数回、
ったくおめで鯛というか、アホに馬ずらハゲというか懲りもせずにおバカな人生を続け今年61歳にもなってしまいやした。相変わらず大きな財産もお金もない貧乏生活は続いてはおります。
社員さん達の給料を払うために貧乏会社を続けているような気もしないことはないですが悲壮感はないですわ。

なぜって? 聞かれますか?

もう先が長くないと諦めたのか? そこのあほ爺

いいえ違います。

どんな苦しいことも楽しいことも100年も続かない、続けられない という人間が持つ冷酷な、いや、素晴らしい時間限定の人生舞台が人間の一生なのだと歳とったせいかも知れませんがしみじみ思うようになったからですわ。
どんな財産もお金も高級車も自分が演ずる人生舞台の大道具小道具にすぎない、人生の幕が下りると大道具小道具は撤去され次の公演者の出番まで倉庫に仕舞われるという合理的な神の采配?、天の意思? がほんの少しだけ少しだけ少しだけ理解できるようになったのかも知れません。

何を生意気なことを言うか! と非難されても返す言葉ないのですが・・・

モノ(財産資産)への執着より気持ち・思い といった形無いものへの執着
唯物論より唯心論・・・と言い換えるのは間違いでしょうが・・・

純真無垢な澄んだ孫の瞳を見ていると愛おしさに胸がいっぱいになってしまう
この思いは金銀財宝をいくらもらっても替えられない
親を思う気持ち、子を思う気持ちは1部の異常者を除いて誰にでもありますね
真に聖人と言われる人は赤の他人に対しても家族と同じような思いが出来る人なのかもしれないですねぇ

あれ? 話がいつの間にやら変な方向に行ってしまいやした。

お前さん、いくらきれいごとを言ってみても 
今日の品友会で暴飲暴食、悪酔いして暴言を吐くのだろう こらぁ!

と真実を知っている人に対しては嘘はつけませんわ

しかし、一期一会ではありませんが、同じこの世の同時代に生を受け、縁あって異国の地で出会うご縁というものは人類何万年?かの中で ある一瞬だけの奇跡的な出来事だと思えば珠玉の宝物といるのかも知れませんよ はい

戯言はこの辺で終わりにしましょう へい

では、皆さん また次回まで



posted by 秀さん at 07:12| ハノイ ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月19日

ノスタルジーかなぁ〜?編

もう直ぐ61歳になる秀さんですが、孫が生まれたからか年取ったせいか分かりませんが以前に比べると全てにおいて活動的でなくなったような気がします。
20代〜40代の途中までは仕事一筋、金儲け一筋と言い換えて良いのかもしれませんがとにかく何か動いていないと落ち着かない性格でしたわ。
強迫観念とまでは行きませんが日々成長(会社の隆盛が第一)しないと アカン! といつも思っていました。家族と触れ合う時間を削り仕事やそれに関連した付き合い酒に明け暮れる毎日でしたわ。
家に帰るのは月の半分もない状態で日本全国、時には海外まで出張の連続の日々、それが働く男のステータスよ! みたいにアホが勘違いしておりました。

振り返ってみると、収入の多さとは反比例して心に全くゆとりがなかった 
と・・・今なら分かるのであります。

ゆとり とは金銭的な裕福さの裏付けがあって醸しだされるものでしょうかねぇ?

生きるということの大命題が金銭的に豊かになることではないですね。

しかし、貧すれば鈍する、 衣食足りて礼節を知る という言葉もあるように最低限食べて生けるだけのお金は必要なことはこの世知辛い世の中ですので自明のことではありますが、ベトナムのようにお金持ちと言うだけで素晴らしい! 羨ましい とは大半の日本人は思わないですが、今の自由主義経済の行き過ぎにより悲しいことに日本でも格差(金のあるなしで評価が決まるような変な共通意識)が存在するようになっております。

まだ世の中の複雑さを理解できない天真爛漫な孫のマー君を日々みていると、爺がこの子に残して上げるものは何が良いのだろうかと考えてしまいます。
大きな財産なんて縁のない秀さんですので形あるものは無理としても何かを伝えておきたいという思いは孫が成長するに連れて日に日に強くなって行きます。
英才教育受けさせ、良い大学へ行かせ、有名大企業に就職させることが良い子育てだなんて波乱万丈で生きてきた秀さんですので露ほどにも思いませんがマー君が今後世の中を生きて行くための指針になるようなものを教えてあげられれば良いのでしょうがその方法論が分かりません。

深く考えるとキリがなく 人間はなぜに生まれて来て生きて死んでいくのか? という凡夫には永遠に答えの出ない迷路にはまり込んでしまいますのでやめておきますが 会社のヤクザな事務員さんの葬儀に参席して家族中が泣き崩れる姿を目にして思うことは、過去より面々と続くDNAの連鎖により縁あって家族となった有難いご縁に感謝しなければいけないということだけは秀さんの中で ストん と腑に落ちるのであります。


あらら アホがぐだぐだと駄文を書いても仕方がないですね。

昔昔、漫才ブームの時に もみじまんじゅ〜う! のギャグで一世を風靡した島田洋七さんの本にがばいばあちゃんがありますがその序文があるブログに載っていたので転載して本日のアホ馬鹿爺の駄文ブログは終了です。

ある夕ご飯の席のことだった。
「ばぁちゃん、この二、三日ご飯ばっかりでおかずがないね」
俺がそう言うと、ばぁちゃんは「アハハハハハハハ・・・・」と笑いながら
「明日は、ご飯もないよ」
と答えた。
俺とばぁちゃんは、顔を見合わせると、また大笑いした。
今から四十年ほど前の話である。

思えば、あれから世の中は急変した。
所得倍増計画、行動経済成長、大学紛争、オイルショック、地価上昇、校内暴力、円高、ドル安、バブル、そしてバブルの崩壊、価格破壊、就職氷河期・・・・・。
「今、世の中はひどい不景気だ」とみんなは言うけれど、何のことはない。

昔に戻っただけだと、俺は思う。
変わってしまったのは、人間の方だ。
お金がないから。
ホテルで食事ができないから。
海外旅行に行けないから。
ブランド物が買えないから。・・・・・そんなことで不幸だと思ってしまうなんて、どうかしている。

リストラされた人は気の毒だと思うけれど、それだってものは考えようだ。
朝八時に起きて満員電車に揺られて会社に行って、働いて、残業して、飲みたくもない酒の席に付き合って、
終電車に乗って帰ってくる・・・・そんな人生から解放される新たなチャンスだと思うことだって、できるはずだ。
それに、今後どう頑張っていこうかと夫婦や家族で話し合うことになるから、コミュニケーション不足なんてこともなくなるんじゃないだろうか。
お金がないから不幸。
今は、みんなが、そんな気持に縛られ過ぎていると思う。

大人がそんな考えだから、子供も健やかに過ごせるはずがない。
ディズニーランドに連れて行ってもらえないから、流行の服が買ってもらえないから、親を尊敬しようとしない。
成績が悪いから、いい学校に入れないから、自分の未来は真っ暗だと思う。
そんな子供ばかり育ってしまい、毎日がおもしろくなくて、将来に希望が持てなくて、少年犯罪も増えてゆくのだ。
本当はお金なんかなくても、気持ち次第で明るく生きられる。
なぜ断言できるかと言うと、俺のばぁちゃんがそういう人だったからだ。

俺は子供の頃、母方のばぁちゃんに預けられていた。
ばあちゃんは、明治三十三年(千九00年)生まれ。
二十世紀とともに人生を生きた、まさにひと昔前の世代だ。
昭和十七年(千九四十二年)、戦中に夫を亡くし、以来、厳しい戦後を佐賀大学とその付属小、中学校の掃除婦をして、五女二男、合計七人の子供を育てて生き抜いてきた。
俺がばあちゃんに預けられたのは、昭和三十三年(千九五十八年)で、ばあちゃんは既に五十八歳だったが、相変わらず掃除婦を続けていた。
裕福なはずはないが、いつもとんでもなく元気で、明るい人だった。
そして俺は、冒頭のような、ばあちゃんとの暮らしの中から、人間の本当の幸せというものを学んできたように思う。

九年前、九十一歳でばあちゃんが大往生してからは、特にばあちゃんの遺してくれたものの存在を、大きく感じるようになった。
今、みんなはとてつもない勘違いをしているんじゃないだろうか。
四十年前までは確かにあった幸せを放棄して、不幸な方、不幸な方へと進んでいる気がする。
みんな道を間違うな!
佐賀の、がばい(すごい)ばあちゃんの話を聞いてくれ!!
幸せは、お金が決めるものじゃない。
自分自身の、心のあり方で決まるんだ。


以上転載終了

posted by 秀さん at 07:18| ハノイ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月22日

また元の暴飲生活に逆戻り編

今週は来客が続き会食が増えお酒を飲む機会が増えた・・・

その結果、また以前の暴飲暴食に逆戻り・・・・
あ〜・・・アホはいつまで経ってもアホのまんまですわ。

昨日は仲の良いベトナム人のお役人さんと1年ぶりの会食、ベトナム流ですので途中から知り合いの参加者が増え河岸を変えて飲み直しということになりローカルカラオケ店へ繰り出すことになりまして下手くそなベトナムソングを歌わされ浴びるほどビールを飲まされ当然のように午前様でご帰宅・・・・

義娘から お父さんもいい年ですので自重して下さいと説教をくらってしまいやした。トホホですわ。

10年以上の付き合いがあるベトナム人ですので昔の様々なエピソード話で盛り上がりましてね。
赤ちゃんだった子供がもう小学高学年に秀さんも孫が出来てお爺ちゃんになったなど月日の早さを皆で実感した次第ですわ。
当時は下っ端お役人が10年以上も経つと皆それなりの地位に就いており貫禄も出ておりましたわ。

普段はベトナムについて物申す! という感じでマイナス面ばかり見てしまうクセがついて居る秀さんですが
やはりどの国の人間も同じで良い人もいればそうでない者もいる。
国は違えど皆、家族の生活を支えている家庭人だと思えば何かと問題の多いベトナムでの生活も違った考え方になりそうです。

昔、秀さんが来越した頃に聞いたジョークに

ベトナムで一番頼りになるパートナーは誰でしょう? と言うのがありましてね

1.共産党員のお役人さん
2.公安のお偉いさん
3.ホーチミンおじさん

という問いに対して真剣に考えていた秀さんに浴びせられた言葉は・・・

何てったて3番と言われましてね。
答えは・・・

秀さん、ホーチミンさんはもう既に亡くなってはいるが

四角い紙に印刷されたホーチミンさんは元気でしょう?
この人が最強のパートナーですよと・・・ と言われましたわ。

お金で大半の問題はケリがつく、ベトナムではお金が一番頼りになるという意味ですわ。
まぁ、これは日本でも同じことかも知れませんがね・・・

秀さんも過去には数回金銭的な詐欺まがい、いや詐欺そのまんまに遭遇しましたわ。
一番大きいのが当時所有していたメコンクルーズ専門の旅行会社の乗っ取りですわ。
もう今では忘却の彼方へ行ってしまいましたが、当時は憤懣やるかたなしで毎日暴言を吐き散らかしておりましたよ。

時間と言うものは過去の様々な嫌な思いや情けない思いも流してくれます。
どうにもならないことでいつまで引きずっていても前には進めませんのできれいサッパリと忘れることが大事です。
嫌な思いというものは長く思っていると自分自身の心根まで汚れてしまうので捨て去ることですわ。

人間さんは失うことも生きている内には必要なのかも知れません。
中国の客家人(源流は古代ユダヤ人 ステファラジーユダヤ人と言われています)の教えの中に次のようなものがあります。
過去の失ったものは忘れ下記のような考えになれるよう日々努力して行きましょうかねぇ

話が脱線してしまいましたが、いつものお約束ですのでお許しを!

では、また次回まで


1.運は親切をした相手の背中から来る
-----------------------------------
施し散らして、尚富の増す人がある。
与える物を惜しんで返って貧しくなる。
-------------------------------------

2.許す事を知れば運命は変えられる
3.退却は重要な才能なり
4.何を始めるかに最も時間を費やすべし
5.ビジネスには大義名分が必要なり
6.準備していなかったチャンスはリスク
7.小さい約束こそが重要なり
8.家族を蔑ろにする者は成功せず
9.お金に使われず、お金を働かせるべし
10.50人の仲間が成功の核心となる
11.金鉱ではスコップを売るべし
12.安売りには必ず終わりがやって来る
13.嫉妬は成功の敵、愛嬌は成功の素
14.物事は因数分解して考えよ
15.汗ではなく考える事こそが富を生む
16.笑顔はコストゼロの最良戦略
17.「ありがとう」は必ず声に出すべし
18.欲望に忠実になる為にこそ禁欲的に




posted by 秀さん at 07:24| ハノイ 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月08日

どうなるもんでもないと自覚した時に解決する編

人間様は生きている間には日々様々なことが生じます。
良いことは少なく問題のほうが多いのが我々凡夫の生活ですわ。

仕事であれ家庭的な問題であれ困難な問題に直面してあれこれ悩み方法論を探るがどれも上手くいかないなんてことは長い人生において結構ありますわ。

秀さんの過去には40過ぎて無一文になるなんてこともありましたが、今振り返ってみると大したことではなかったと少し震えながら言っておりやす。

長い人生では人間どうしようもないドツボにはまるようなことが突然に起こる時があります。

眠れないほど悩み食事も喉を通らないほど追い込まれ何とかしようと足掻きまくる。

でもね、そう簡単には解決しやしません。

で・・・アホな秀さんはどうしたか?



へい、いくらあがいてもどうなるもんでもない! 悩むのやめた! なるようになるさと諦める。

諦めることでその問題に振り回されていた自分の心の逃げ場所が確保できる。
身は落ち着かないが心は変な意味で落ち着く。

逃げ場を作らない人間は・・・・最後には自殺という一番人間がやってはいけない手段を取る人も出てくる。
過去、秀さんの知り合いでも自殺をした方が複数人おられます。

誠に悲しいことでもあり愚かなことです。

もう自殺まで考えなければならない問題なんて解決方法がないというかニッチもさっちもいかない問題ですわ。
白馬に乗った救世主なんて来やしませんって!

深く悩んでいるようで実際は天から救世主が現れないか・・・・何て夢みたいなことを想像しながら立ち止まっているだけですわ
実際はね。

秀さん人生相談ではないですが、答え一発!カシオミニではないですが

最適解は 諦めること! 

これが一番と言うかこれ以外に解決方法がないとまでは言い切りませんが一瞬で白髪になるほど悩み出来る限りのことををやってそれでもどうにもならない場合はもう流れのままに身を任せるのが一番でごわす。へい

そりゃ、他人様から詰られるわ、罵声を浴びせられるわ、人間として情けない思いは10トントラック満杯状態で意気消沈することは必至ですがね。

それが嫌だからあおれこれ悩みその情けない思いをしたくないがために必死に足掻くのでありますが・・・


諦めなさい!


去っていった彼女はもう戻って来やしませんって!

すでに新しい彼氏も出来てルンルンで、あ~たのことなんぞミトコンドリア以下の存在認識になっておりますぞぃ

話が脱線してしまいやした


どんな問題でも いずれ時が解決してくれますって! はい

人間どうなろうと最低限生きてはいけます。

また苦しいながらも生きてさえいればまた道は開けるもんです。




本日はなぜにこんなことを書いたの っていわれますか?

いえね、昔のあることを思い出してしまいましてね、ふとこのような書き出しになってしまったのであります。

日本の家計も一部の金持ちを除き厳しい状況で日々の生活も大変だろうと思います。
ベトナムの経済はここ最近は持ち直しており以前よりは随分と改善されたような記事を目にしますが実際は学卒者の就職状況もそれ程良くはなく日本とおなじように一般庶民の生活は厳しいままです。

人間万事、塞翁が馬 

災い転じて福をなす

という気持ちでぼちぼち生きましょうぞ!



では、本日はこの辺で


品友会参加者募集中で〜す!









posted by 秀さん at 09:00| ハノイ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月30日

9月も終わり今年も残り3ヶ月編

貧乏人にもお金持ちにも時は同じように過ぎて行きます。
時間とお天道さまに差別はありません。
誰にでも均一にその恩恵を受けさせてくれます。
有難いことですわ。

孫のマー君も1歳半になりまして赤ちゃんから幼児へと変貌を遂げつつ順調に育っております。
おかゆやおっぱいはもう卒業しまして大人と同じものを食べたいと要求したり人から食べさせてもらうのではなく自分で何でもやりたがります。
幼い子の成長は時の楽しみですが秀さんのようなじじいにとっての時というものは非情なもんですわ。
腰は曲がり皺は増え足腰は弱くなり加齢臭は増し歩く姿なんて見ているだけで他人様を不快にさせてしまいます。

まぁ、そういう秀さんにも幼い日々があったのですが両親がどれほど可愛がってくれたかなんて覚えちゃいません。
親不孝な息子ですわ。その親不孝を今頃になってベトナムの簡易仏壇で毎日お線香を上げて反省しているのですが・・・
孝行したい時に親はなしとはよく言ったものでもっと尽くしておけばよかったと反省することばかりです。

成人にまでには両親の大きな愛情があってこそなのですが・・・成長するに連れていつのまにか自分が勝手に大きくなったような気になってしまうから始末がわるいですね。

誰しも両親の愛情があればこそ生まれ、また育つのですが、いつのまにか忘れてしまうというかあたかも当然のように思ってしまう。
人間様はほんに勝手な生き物ですね。

秀さんの両親が現在生きていたとすれば今年で95歳と94歳ですわ。
戦争体験者で戦後の焼け野原時代から頑張って国の復興と共に働いて来た世代です。
ご苦労様でした。へい

義理の母94歳が佐賀県鳥栖市で健在なのが嬉しいですねぇ。
来年は成長した孫を連れて顔を見せに帰省しようと考えております。
それまでは元気でいて下さいと願うばかりです。
義母は食べ物に関しては非常にうるさく、健康のためにどんな食事が良いのか昔からよく考察していた方ですので
毎日の食事にはそうとう気を使っていたようです。食は医なり を実践した方なので長生き出来るのも当然かも知れません。
いつまでも健康で長寿を維持して欲しいと日々願っております。

仕事に目を転ずれば・・・相も変わらず貧乏会社で毎月ひぃひぃ言いながらも何とかお給料を払い最低限の生活ではありますがおまんまを食べております。

若い時は、会社が儲けに儲け・・・調子に乗って億単位のクルーザーに高級車、銀座の高給クラブで豪遊したことなどもありましたが今となっては若気の至りというか自分の価値が低いのを高価なモノによって粉飾していたのかも知れないですね。
ばかばかしいことですが当時はバブル時代でしたので周りを見回してもアホな同類が沢山おりまして自分がアホだと気づいていなかったのが何とも寂しいですね。

当時は金を稼ぐ奴が一番、結果が出ない奴の言い訳は聞きたくないわぃ! とひとり勘違いしていたような気がします。

お金で幸福は買えないが・・・

不幸の大半はお金で解決できる・・・

ってなことを言っておりましたわ。

アホですね。

今は、お金で解決できる不幸なんて仮に解消したところでまた新たな不幸が生じ
人間はいつまで経っても自分の内面を見つめ直さない限り不幸感は永遠に続いて行くと考えるようになりましたわ。

本当か?

・・・う~    半分だけかも?


金やモノの不足が不幸と考える前に自分の心の貧しさが不幸の原因だと考えられれば良いのでしょうが
物欲満載のベトナムでは通用しない考え方ですね。

人間って欲がなければ頑張れない
動物界で一番アホな生き物かも知れません。

犬猫や他の動物見れば分かるように・・・満腹時の間抜けた顔をみればよく分かりますわ。

わしらを見なよ、自分の腹を満たす以外は他の物を欲しがることもなく無欲で行きておるぞぃ!

どうせいつかはこの世に置いて行くモノのためにあくせく働く人間って生き物は根っからのアホだわぃ!

と言われているかもです。へい


そうは言っても人間様は子供には教育費やその他諸々の費用がかかるので
最低限の収入は必要ですね。

難しいところです。


まぁ、足りるもの以上に欲しがらない という考え方で行きましょうかね へい




それでは、賢者の皆さま、また次回!




posted by 秀さん at 08:17| ハノイ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月22日

柄にもなく哲学書みたいな本を読んでいる編

まぁ、アホが難しい本を読んだところでほとんど理解できないのであまり意味はないのですがね。

何か、最近つらつらと人間が生まれた意義というか、自分とはなんぞな? という疑問が湧いてきましてね。
年甲斐もなく哲学書というか宗教書みたいな本を読んでおりやす。

人間って誰がつくってどこから来たの? 誰しも必ず死を迎えるという非情さというか定めは誰が決めたの?
その目的、趣旨は? 

そもそも人間って何のためにこの世に生まれ生きてんの?

・・・なんて柄にもなく考えてしまいましてね。

ええ年こいて何ほざいとんねん! と言われても返す言葉がないのですが、

皆さまも一度や二度はこういったことを考えたことはお有りでしょう?
考えたところですぐに答えが出るわけでもなく人類永遠の課題みたいなものですので
どんな本を読んだところでどんな宗教にはまろうと決して答えは出ないことは分かってはいるのですがね・・・

生老病死・・・お釈迦様は人間とは 苦 である! とズバリと言っております。
この場合の意味は、思うようにならないことを 苦 と呼ぶそうです。
誰しも年こいて、病気になって、死んで行くことから逃れられない苦しみ
いわゆる三苦ですね。
そもそも生まれてこなければそれらの苦もないので生を受けることも すなわち 苦
トータル四苦 ですわ。

それに加えて
愛別離苦(あいべつりく)  - 愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく)  - 怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく)   - 求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと

併せて四苦八苦・・・

こう考えるともう世の中悲観して生きる気力も無くしそうですね。はぁ〜

極論を言えば、思うようにならない人生を生きるために人間は生まれて来たのだと!
お釈迦様は言いたいのでしょうか?

ふむ〜・・・

逆に思うようになることばかりの人生・・・

金はウハウハいうほど入ってくる
世界の美女はてんこ盛り
権力の頂点に立ち、誰もが羨む絢爛豪華な生活の日々

こんな生活だったら永遠に続いて欲しいと思うのかも?

でもね、最後は必ず 死 という避けられない定めが横たわるのですわ。

栄華を極めた秦の始皇帝も徐福のとんでも話にのり莫大な財宝を持たせて2度ほど不老不死の薬を探させに行かせましたが・・・・

徐福は帰って来ないまま(1節には日本に住み着いたとの話がありますが)

人間の業の深さというか、欲、煩悩・・・が苦しみの元凶

でもって欲を捨てなさい なんてアホなことを言おうもんなら・・・

お前が、言うな! と鞭でシバかれそうなので言いませんが・・・

日々自分や家族の生活のことを考え、その糧を得るためにお金必要で誰しも働いております

現在ではお金なしにはどうしようもないのが現実

その金儲けレースに勝つか負けるが大事だと現在のビジネス中心の社会では定理のように言われております

本当にそうなのでしょうか?

その結果、貧富の差の拡大が生じ、バカバカしい話ですが金のあるなしでその人間の評価が決まるような現在のバカげた風潮に

考えれば考える程、なんか違うよなぁ と・・・思う 迷い爺の秀さんでごわす


いくら考えても答えなんか出ないことを考える人間を 世間一般には アホ、暇人、世捨て人
変わり者・・・、または 哲学者、思想家ですかね?

間違いなく秀さんは前者ですわ


ぐだぐだと駄文を綴っても寝不足になるだけですのでこのへんでやめましょう

明日の朝に 笑顔のマー君を拝めさえすれば・・・金銀財宝も絶世の美女軍団もいりません!

といつもの孫バカで終了っと!



賢者の皆さま、今週もボチボチ行きましょう!

では、失礼いたします。

posted by 秀さん at 04:01| ハノイ ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月18日

孤児院慰問で慰問されちゃった編

H事務員さんが1年間強請ってためたお金で買った米100kg、お肉20kg、卵200個、その他果物やお菓子、正月ということで門松の代わりに・・・当日再度秀さんと公安のお偉いさんが強請られたお金などを持ってクチにある孤児院施設へ事務員さん、運転手、事務員さんの彼氏?(公安の偉いさん)、事務員さんの家のお手伝いさん、そして秀さんと結局5名での訪問となりました。
途中で正月第2回目の強請りにあった秀さんが正月用の大玉のスイカを5つばかり買い物して目的地である孤児院に到着。

お迎えに出た院長のおばあさんのその慈愛に満ちた顔を見た瞬間にこの施設の雰囲気が分かりました。
キリスト教系の孤児院ですが院内は良く整理整頓されておりました。
その孤児院には約60名ほどの孤児、年齢は2歳〜7歳くらいの健常者と年齢は様々な身障者がいました。
中には外国人との間に出来た孤児も(アフリカ系、欧米系、カンボジア系・・・幸いなことに日系はおりませんでした)いましたよ。しかしながらそのほとんどが親に見捨てられた子供たちというのが何とも悲しい。
しかし孤児たちの顔には陰りのなく皆笑顔で良い顔をしていましたわ。

テーブルに案内された5名はお茶と共にそこの孤児たちの踊りの接待を受けましたぞぃ。
その中で踊っていた一人の女の子はもうすぐ日本のお医者さん夫婦の養女として日本に行くのだと聞かされて少し複雑な気持ちになりましたわ。

5人がお茶を飲んでいる間、2名のおばさんと若いカップルが秀さんたちと同じように幾ばくかのお金や食料を持って慰問に来ておりました。皆誰しも自分のことで精いっぱいですが・・・少しでも人のことを思いやることのできる方々に会えて幸せな気分になりましたよ。

乳幼児の孤児院はそことは別の場所にあり、また就学児になった者はヴィンロン省にある施設に移るとのこと。孤児たちのお世話をしている職員さんたちの顔も院長同様穏やかで皆さん良い顔でしたわ。
薄給で盆も正月もないないような環境で毎日孤児たちのお世話をしている方々を見ていると、わずかなお金儲けのために日々奔走している自分の姿が何とも哀れに思えてきましたわ。

毎年物価も上がっているので
今年から毎月きっちり20万ドン以上ね! 
とやくざな事務員さんに言われても仕方がないなぁ〜 と思った秀さんですわ。

秀さんの会社に訪れる関係者の皆さま方、
H事務員さん強請り募金へのご協力を今年も宜しくお願いいたしま〜す。


以上本日は孤児院慰問のレポートでした。

では、また次回











posted by 秀さん at 10:18| ハノイ 🌁| Comment(3) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月11日

この後をどう生きましょうかねぇ?編

高校時代の同級生から年賀やメールに・・・
定年しました、これからは別の生き方を模索したいなんて書いてある。
そうか、お互いそんな年かぁ・・・と半分納得、半分納得しない自分がいる。
思うにつくづく人間の一生なんて短い。
同じ学生時代を過ごしたニキビ面の面々も、髪は抜け、シワは増え、腹は出て昔の若い時の面影なんてアンドロメダ星雲の彼方へ行ってしまいやした。

どう生きたら良いか・・・なんて誰にも分からない。ただ、おかれた状況にあるときは逆らい、ある時は従い日々おまんまを食べるために働き、家族を養い、時には脂粉ただようおねえちゃんのところで憂さを晴らすことにあったでしょう? そこのおじさん! (秀さんはそんなことは有馬温泉でしたが  と息を吐くように嘘をつく)
過ぎてみればどれも良き思い出ですわ。

最近自分で変わったと思うことは、何事も悔やまなくなったことでしょうか・・・
あるがままを受け入れ、その中で足掻きながらも対処するしか道はないのだと半分あきらめ、半分成り行きまかせみたな考え方になってしまいましたわ。カンナガラの世界といいますか、
ケ・セラ・セラ、なるようになるさ〜 と楽天的に考えたほうが気も楽ですしね、ハイ。

この2〜3日風邪で体調を崩しておりました。会社の事務員さんが薬を買って来てくれたのはありがたいのですが、その量の多さと薬の鮮やかすぎる色を見ると飲む気がしなくなるのですわ。
確かにベトナムの薬はよく効きますがそもそも人間は自己治癒力・免疫力が自然にそなわっている生き物ですので放っておいてもいつかは治癒するのですが、対処療法がメインの西洋医学ではなんでも薬で抑えこんでしまう。身体に良くないなぁ と思いながらも仕事があるので飲んでしまうのであります。

じゃぁ、その仕事が自分の身体より大切なのか と問われれば 否 と答えざる得ない。
秀さんを筆頭に現代社会に暮らす人間はアホですわ。
家族と一緒にいる時間も取れず無機質な会社という組織のために気力体力を必要以上に消耗し疲れ果てて休日はゴロゴロ・・・
こんな生き方を何十年も続ければ大概嫌になるでしょうよ きっと!

ですので秀さんの友達は再就職せずにリタイアする者が多い。
秀さんの場合は、年金はありますが退職金というものはありませんので楽隠居という訳にはいきませんで
当面は今の会社で働かなければなりませんが、いずれは長く務めてくれている会社の事務員さんに譲ろうと考えております。

ま、御託はこのへんでやめておきましょう。へい。

明日は近くの公園に散歩がてら出かけ帰りにマッサージでも行ってこようと思っております。

良い季節です。ベトナムにしては・・・

皆さまに幸多かれとお祈りして本日のアホブログは終了です。

では、また次回まで
















posted by 秀さん at 04:33| ハノイ ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月21日

お金のために挑戦し続けたのか?編

本日は日曜日、同じ九州は福岡で生まれた出光佐三(いでみつさぞう)さんのYOUTUBEを見ておりました。
過去にも見ているのですが敗戦国の日本にあって欧米何するものぞ! との気概に日本男児、いや九州男児の心意気を見たようで胸が熱くなります。

4部に分かれているのですが、最初のところでポンと大金を差し出すシーンが好きで皆さまにご紹介する訳ですわ。

まぁ、TV番組ですのである程度の脚色はあるでしょうが、敗戦後の厳しい経済状況下、男としての約束を守り家族的紐帯経営に徹した出光佐三の生き様に惚れ惚れしてしまいます。
そんな人物だから天皇陛下から死後を歌を送られたのだと思いますよ。

最期の方に出てきたコメント・・・
お金のために挑戦し続けてきたのか?・・・

という問いかけは、無配転落の危機に至ったソニーに代表される過去偉大な経営者を出して来た現在の大手日本企業経営者に対する痛烈な問いかけに聞こえましたよ。

欧米の金融経済至上主義が求める行き過ぎた経営の合理化・効率化で社員の首を大量に切って来たツケが今の日本企業に回って来ているような気がしております。
簡単に首を切られた技術者連中が韓国、中国企業にハンティングされ技術流出し廉価な競合製品を作り日本の製造業を脅かしている現状、牛丼屋企業の深夜のワンオペ、ましてアルバイト一人で店を切り盛りさせることに人間性のかけらも見出すことが出来ないような企業は将来、必ず強烈なしっぺ返しが来るのではないかと思いますぞぃ。

へい、前置きはこの辺で

お金がすべての中心ではなかった時代の日本人経営者の矜持を是非、ご覧下さいな。










posted by 秀さん at 23:31| ハノイ | Comment(2) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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