2015年10月08日
どうなるもんでもないと自覚した時に解決する編
2015年09月30日
9月も終わり今年も残り3ヶ月編
2015年06月22日
柄にもなく哲学書みたいな本を読んでいる編
何か、最近つらつらと人間が生まれた意義というか、自分とはなんぞな? という疑問が湧いてきましてね。
年甲斐もなく哲学書というか宗教書みたいな本を読んでおりやす。
人間って誰がつくってどこから来たの? 誰しも必ず死を迎えるという非情さというか定めは誰が決めたの?
その目的、趣旨は?
そもそも人間って何のためにこの世に生まれ生きてんの?
・・・なんて柄にもなく考えてしまいましてね。
ええ年こいて何ほざいとんねん! と言われても返す言葉がないのですが、
皆さまも一度や二度はこういったことを考えたことはお有りでしょう?
考えたところですぐに答えが出るわけでもなく人類永遠の課題みたいなものですので
どんな本を読んだところでどんな宗教にはまろうと決して答えは出ないことは分かってはいるのですがね・・・
生老病死・・・お釈迦様は人間とは 苦 である! とズバリと言っております。
この場合の意味は、思うようにならないことを 苦 と呼ぶそうです。
誰しも年こいて、病気になって、死んで行くことから逃れられない苦しみ
いわゆる三苦ですね。
そもそも生まれてこなければそれらの苦もないので生を受けることも すなわち 苦
トータル四苦 ですわ。
それに加えて
愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
併せて四苦八苦・・・
こう考えるともう世の中悲観して生きる気力も無くしそうですね。はぁ〜
極論を言えば、思うようにならない人生を生きるために人間は生まれて来たのだと!
お釈迦様は言いたいのでしょうか?
ふむ〜・・・
逆に思うようになることばかりの人生・・・
金はウハウハいうほど入ってくる
世界の美女はてんこ盛り
権力の頂点に立ち、誰もが羨む絢爛豪華な生活の日々
こんな生活だったら永遠に続いて欲しいと思うのかも?
でもね、最後は必ず 死 という避けられない定めが横たわるのですわ。
栄華を極めた秦の始皇帝も徐福のとんでも話にのり莫大な財宝を持たせて2度ほど不老不死の薬を探させに行かせましたが・・・・
徐福は帰って来ないまま(1節には日本に住み着いたとの話がありますが)
人間の業の深さというか、欲、煩悩・・・が苦しみの元凶
でもって欲を捨てなさい なんてアホなことを言おうもんなら・・・
お前が、言うな! と鞭でシバかれそうなので言いませんが・・・
日々自分や家族の生活のことを考え、その糧を得るためにお金必要で誰しも働いております
現在ではお金なしにはどうしようもないのが現実
その金儲けレースに勝つか負けるが大事だと現在のビジネス中心の社会では定理のように言われております
本当にそうなのでしょうか?
その結果、貧富の差の拡大が生じ、バカバカしい話ですが金のあるなしでその人間の評価が決まるような現在のバカげた風潮に
考えれば考える程、なんか違うよなぁ と・・・思う 迷い爺の秀さんでごわす
いくら考えても答えなんか出ないことを考える人間を 世間一般には アホ、暇人、世捨て人
変わり者・・・、または 哲学者、思想家ですかね?
間違いなく秀さんは前者ですわ
ぐだぐだと駄文を綴っても寝不足になるだけですのでこのへんでやめましょう
明日の朝に 笑顔のマー君を拝めさえすれば・・・金銀財宝も絶世の美女軍団もいりません!
といつもの孫バカで終了っと!
賢者の皆さま、今週もボチボチ行きましょう!
では、失礼いたします。
2015年02月18日
孤児院慰問で慰問されちゃった編
途中で正月第2回目の強請りにあった秀さんが正月用の大玉のスイカを5つばかり買い物して目的地である孤児院に到着。
お迎えに出た院長のおばあさんのその慈愛に満ちた顔を見た瞬間にこの施設の雰囲気が分かりました。
キリスト教系の孤児院ですが院内は良く整理整頓されておりました。
その孤児院には約60名ほどの孤児、年齢は2歳〜7歳くらいの健常者と年齢は様々な身障者がいました。
中には外国人との間に出来た孤児も(アフリカ系、欧米系、カンボジア系・・・幸いなことに日系はおりませんでした)いましたよ。しかしながらそのほとんどが親に見捨てられた子供たちというのが何とも悲しい。
しかし孤児たちの顔には陰りのなく皆笑顔で良い顔をしていましたわ。
テーブルに案内された5名はお茶と共にそこの孤児たちの踊りの接待を受けましたぞぃ。
その中で踊っていた一人の女の子はもうすぐ日本のお医者さん夫婦の養女として日本に行くのだと聞かされて少し複雑な気持ちになりましたわ。
5人がお茶を飲んでいる間、2名のおばさんと若いカップルが秀さんたちと同じように幾ばくかのお金や食料を持って慰問に来ておりました。皆誰しも自分のことで精いっぱいですが・・・少しでも人のことを思いやることのできる方々に会えて幸せな気分になりましたよ。
乳幼児の孤児院はそことは別の場所にあり、また就学児になった者はヴィンロン省にある施設に移るとのこと。孤児たちのお世話をしている職員さんたちの顔も院長同様穏やかで皆さん良い顔でしたわ。
薄給で盆も正月もないないような環境で毎日孤児たちのお世話をしている方々を見ていると、わずかなお金儲けのために日々奔走している自分の姿が何とも哀れに思えてきましたわ。
毎年物価も上がっているので
今年から毎月きっちり20万ドン以上ね!
とやくざな事務員さんに言われても仕方がないなぁ〜 と思った秀さんですわ。
秀さんの会社に訪れる関係者の皆さま方、
H事務員さん強請り募金へのご協力を今年も宜しくお願いいたしま〜す。
以上本日は孤児院慰問のレポートでした。
では、また次回
2015年01月11日
この後をどう生きましょうかねぇ?編
定年しました、これからは別の生き方を模索したいなんて書いてある。
そうか、お互いそんな年かぁ・・・と半分納得、半分納得しない自分がいる。
思うにつくづく人間の一生なんて短い。
同じ学生時代を過ごしたニキビ面の面々も、髪は抜け、シワは増え、腹は出て昔の若い時の面影なんてアンドロメダ星雲の彼方へ行ってしまいやした。
どう生きたら良いか・・・なんて誰にも分からない。ただ、おかれた状況にあるときは逆らい、ある時は従い日々おまんまを食べるために働き、家族を養い、時には脂粉ただようおねえちゃんのところで憂さを晴らすことにあったでしょう? そこのおじさん! (秀さんはそんなことは有馬温泉でしたが と息を吐くように嘘をつく)
過ぎてみればどれも良き思い出ですわ。
最近自分で変わったと思うことは、何事も悔やまなくなったことでしょうか・・・
あるがままを受け入れ、その中で足掻きながらも対処するしか道はないのだと半分あきらめ、半分成り行きまかせみたな考え方になってしまいましたわ。カンナガラの世界といいますか、
ケ・セラ・セラ、なるようになるさ〜 と楽天的に考えたほうが気も楽ですしね、ハイ。
この2〜3日風邪で体調を崩しておりました。会社の事務員さんが薬を買って来てくれたのはありがたいのですが、その量の多さと薬の鮮やかすぎる色を見ると飲む気がしなくなるのですわ。
確かにベトナムの薬はよく効きますがそもそも人間は自己治癒力・免疫力が自然にそなわっている生き物ですので放っておいてもいつかは治癒するのですが、対処療法がメインの西洋医学ではなんでも薬で抑えこんでしまう。身体に良くないなぁ と思いながらも仕事があるので飲んでしまうのであります。
じゃぁ、その仕事が自分の身体より大切なのか と問われれば 否 と答えざる得ない。
秀さんを筆頭に現代社会に暮らす人間はアホですわ。
家族と一緒にいる時間も取れず無機質な会社という組織のために気力体力を必要以上に消耗し疲れ果てて休日はゴロゴロ・・・
こんな生き方を何十年も続ければ大概嫌になるでしょうよ きっと!
ですので秀さんの友達は再就職せずにリタイアする者が多い。
秀さんの場合は、年金はありますが退職金というものはありませんので楽隠居という訳にはいきませんで
当面は今の会社で働かなければなりませんが、いずれは長く務めてくれている会社の事務員さんに譲ろうと考えております。
ま、御託はこのへんでやめておきましょう。へい。
明日は近くの公園に散歩がてら出かけ帰りにマッサージでも行ってこようと思っております。
良い季節です。ベトナムにしては・・・
皆さまに幸多かれとお祈りして本日のアホブログは終了です。
では、また次回まで
秀
2014年09月21日
お金のために挑戦し続けたのか?編
過去にも見ているのですが敗戦国の日本にあって欧米何するものぞ! との気概に日本男児、いや九州男児の心意気を見たようで胸が熱くなります。
4部に分かれているのですが、最初のところでポンと大金を差し出すシーンが好きで皆さまにご紹介する訳ですわ。
まぁ、TV番組ですのである程度の脚色はあるでしょうが、敗戦後の厳しい経済状況下、男としての約束を守り家族的紐帯経営に徹した出光佐三の生き様に惚れ惚れしてしまいます。
そんな人物だから天皇陛下から死後を歌を送られたのだと思いますよ。
最期の方に出てきたコメント・・・
お金のために挑戦し続けてきたのか?・・・
という問いかけは、無配転落の危機に至ったソニーに代表される過去偉大な経営者を出して来た現在の大手日本企業経営者に対する痛烈な問いかけに聞こえましたよ。
欧米の金融経済至上主義が求める行き過ぎた経営の合理化・効率化で社員の首を大量に切って来たツケが今の日本企業に回って来ているような気がしております。
簡単に首を切られた技術者連中が韓国、中国企業にハンティングされ技術流出し廉価な競合製品を作り日本の製造業を脅かしている現状、牛丼屋企業の深夜のワンオペ、ましてアルバイト一人で店を切り盛りさせることに人間性のかけらも見出すことが出来ないような企業は将来、必ず強烈なしっぺ返しが来るのではないかと思いますぞぃ。
へい、前置きはこの辺で
お金がすべての中心ではなかった時代の日本人経営者の矜持を是非、ご覧下さいな。
2014年09月12日
なぜか愛さんの言葉はすんなり心の中に入って行く編
この記事の最後には言霊について述べられていますが、最初に言葉ありき と聖書も言っているように
言葉=音=振動 というものは我々が考える以上に力があるのかも知れないですねぇ。
秀さんの父親は詩吟の先生をしておりました。
よく、秀よ! 腹の底から声を出しなさいと言われたものです。
詩吟も最後に伸ばす音は ボインではなく母音です。←ボインなんて言葉は今は死語ですが・・・
母音・・・母なる音 と書きますが、
愛さんが言うように日本語というのは何か底知れないパワーがある言語かも知れないですね。
さて、手抜きブログの転載開始です・・・・
結果に力なし 原因に力あり
人は結果を恐れます。しかし結果をもたらす原因がそこにはあったはずで、結果は原因が招いた最後の姿。
そこに力はもうないのです。原因の積み重ねには、ただ、けっこう時間がかかります。そこにタイムラグがあるため、悪事が一時的に栄えたりするのはよくあることです。
一時的どころか、新たな原因をずっと積み重ねていけば、悪事は不幸な出来事を小出しにしながら永らえることができます。
おそらく、因果律を恐れた悪人は、あえて悪事を働いて天の様子をうかがったと思われます。
しかし、天は人をだましても、殺しても、嘘をついても、決して罰しないという確証をどこかで得たのでしょう。
以来、嘘でも卑怯なことでも残酷なことでも、やった方が勝ち、、、という態度を身につけていき、我れ良しの世界が出来上がっていきました。
だましの世界と言ってもいいかもしれませんが、それは知優先の世界となります。
しかし、知は必ず、悪に行きつくと言われます。狭い範囲での正は必ずしも全体にとっての正になることはありません。そこで知のみに偏ると、知は全体にとっては悪に行きつくことになるのです。
現在の日本も世界も、一番力を持っている人は、表向きは正と判断され、法律によって守られています。しかしその法律が一部の利益に通じるものであって、全体の益を無視する形になっているため、多くの人が苦しんでいるわけです。
知には自分を顧みる力は極端にありませんから、こうした構図をどこまでも推し進めることになるでしょう。そして多少なりとも広い応用性が求められる事柄の前では、知はたちどころに弱点を表し、容易にだましの世界に入っていくことになります。
911の出来事を物理的に解明すれば、あれが内部爆発以外にあり得ないことが誰にでもわかるはずで、すでに知は悪ないし、狂気へと進んでしまったのが現代の特徴なのです。
飛行機がぶつかったために、ビル全体がパウダー化して崩れることを説明できる物理学は存在しません。
いま、私たちは劇画の世界にいるということもできるでしょう。911が劇画的手法なら、ボストンマラソン事件も劇画、、、知の行き着く先が見えてきたようです。
こうした事件や出来事は私たちに恐怖を抱かせるでしょうが、その原因を探れば、知がすでに悪と化し、狂気に行きついた最後の症状であることが理解できます。
個々の生活が苦しくなりつつある中で、その証拠に国内総生産も恐るべきスピードでマイナス化しつつあります。その上、また消費税をアップするというのは、本来ならばありえません。しかし、そのあり得ないことを起こすためには、よほどの無理をしなければならず、そのしわ寄せは必ず、施工者に舞い戻ります。
なぜそのような無茶をするのでしょう。知が悪と化したのが第一の原因ですが、どんなに大勢を犠牲にしてでも自分らの利益を守る、、、という死にもの狂いの欲がその本態なのかもしれません。
それは自分らの無知を刺激しますし、盗まねば自分らは生きていけないという原因の失望を深めます。近代が神経症の時代原理によって統治されているからというのが、私の考えですが、確かに神経症的自尊心と神経症的恐怖が時代原理の中心にあると思われます。
神経症的自尊心とは、自分らだけが豊かになっているだけではいけないのです。他の人が貧しくて、自分らだけが豊かでなければならない、、、という心理になります。
時代が進むことで、現代は誰もが豊かになりつつありました。とくに日本においては、バブルの崩壊を演出されなければ、、、また、為替レートによる損失の演出、さらに地震と原発被害がなければ、相当豊かな国になっていたことは間違いありません。
しかし、それだと、官僚などは面白くなかったのかもしれませんね。差がなくなってしまう。むしろ一般人が豊かになることをとうてい許せない、、、優秀な自分らよりも豊かになどさせるものか、、、との思いが、神経症的自尊心には必ず出てきます。
世界からしてみても、日本人という存在が、神経症的自尊心を著しく刺激するというのもうなずけます。
しかし、知は結果物を横取りすることですから、そこには創造性はありません。そのことを知っている力は、創造の原因つぶしに一生懸命になるでしょうが、原因をつぶせばやがて訪れる結果は貧しいものになってしまいます。
実際に良き原因つぶしを戦後いろいろな形で行っており、機械生産のような人間金太郎飴化にかなり成功しました。そのおかげで、日本は確かに力を失って来ています。みな同じ感性、同じような思考力の並列社会となり、力を失っているのですが、日本人劣化政策は物量的には確かに成功しました。
しかし、そうはいっても、多くの人が、何かおかしいと感じだしている現実があります。要するに、魂はそんなに簡単には金太郎飴化はできないのです。そこには、日本語が存在するためです。
日本語は母音を絡ませて存在してますので、イノチと直結する構造を持っています。本当に日本を乗っ取るためには、ですから日本語を禁止する以外に方法はないと思います。そんなことをしたら、すぐにばれてしまうでしょうが。
日本語でなくてももちろんイノチと直結する音はたくさんあります。音のみが思考を介さずにリアルとつながりますので、音を通さないで人間を根底から変革することは不可能です。
そのうち、母音は赤ちゃんが各ランゲージをしゃべる前に共通して話していた言語であり、脳のもっとも中枢に存在する情報として人間に与えられます。
そこから来る母音情報は風の音や海の音と同じく、地球生命体の言語といえます。これを壊すことは、神経症的欲求では無理なのです。ですので、地球はここまで結果を出した以上、原因に戻るしかなく、それは神経症の克服時代に入ることを告げています。
その基本は母音発生にあるといえます。多くの宗教の奥義は発声にありますが、だいたいは母音トーニングではないでしょうか。
どんな人も赤ちゃん時代に覚えた、最初の母音情報を消去することなどできませんし、神経症からの脱皮自体、それによらねば治せないはずです。
なので、母音を壊すことは不可能であり、行き詰った時代の逆転現象はここから起こらざるを得ません。
原因に生きるとは、音による思考、意識を拡大させることによって、広がりをみせるはずです。
以上転載終了・・・・・・・・・
2014年09月07日
早くも9月になりにけり編
皆さま、お元気でしょうか?
いやはや時と言うものの不思議というか、人間様の思いなど関係なく時は過ぎ流れていきます。
日々あれこれ思い悩むこともありますが大半は刺激のない平凡な生活の日々ですが、時には昔懐かしい方との再会など冬の日の陽だまりのようなちょっとした楽しみごともあったりして喜んでおります。
まぁ、人間様の思いなんてその時その時の状況次第で陰にも陽にも変化するもので、早い話がいい加減なのですわ。
そんな人間様のいい加減な思惑次第でわれわれ凡夫は悩みもしある時は有頂天になったりと心定まらない日々を送っている訳です。
世の中と断絶し一人山奥に住むには狂気と言うか相当の覚悟がないとできないですね。
人間は社会性生き物です。
言葉を換えればさみしがり屋さんですので一人孤高を貫くなんてそんなことは出来もしません。
またしたいとも思いません。
政治や経済、哲学、文学や音楽などのカルチャなんて言ってみても時代時代でその価値観は如何様にも変化するのでこれが絶対正しいというようなこともありません。
それどころか日本の政治はもとより世界の政治を見回してもひどい国ばかりで権力者は一般国民のささやかな幸せ何て誰も考えていないことがよく分かります。
俺が一番、俺の家族が一番、俺の会社が一番、おらの地域が一番、おらの国が一番・・・とすべて己にとっての利益が最優先されるやり方を続けている人間様ですが人類の歴史数千年、数万年も経つのに今だに己の利益追求ばかりで殺戮、略奪を繰り返している我々人間って本当はアホの極みかも知れませんねぇ。
何が霊長類のトップやねんと他の動植物から思われているかもね!
こういった欲をベースにした生き方の視点を変えることができれば良いのですが、世知辛い世の中ですので生活の糧を得るために致し方なしに長いものにまかれ、時には己の思想信条をも曲げなければいけないのが悲しいかな我々凡夫の性ですわ。
つらつらと孫に顔を眺めていると綺麗な目をしています。まだ生まれて6ヶ月程度ですので欲もなければ自我もありません。おっぱい飲んで、ウンチして、笑い、泣き、後は寝ているだけですので思い悩むことなんてありません。
まして人間様のいやらしさ、汚さを実感することもないから赤ちゃんは目が澄んでいるのでしょうねぇ。
秀さんのくたびれた目とは雲泥の差ですわ。
思わずあんた! 気楽で良いのぅ〜 と思ってしまいますがな。
まぁ、それはすべての面倒をみている両親の愛がが存在しているからできることです。
見返りを求めない無償の愛があるから自分では何もできない赤ちゃんが生きていけるわけですね。
まるで与える一方のお天道様みたい・・・
それが本当に有難いことだと分かるのは親が亡くなった後なのが悲しい・・・秀さんでごわす。
無償の愛の正反対をやっているのが今のアメリカの権力を裏で操っている連中ですわ。
と・・・いきなり話は変わりましたが・・・大愚さんのブログから転載をしまして
本日のわけわかめの駄文は終了です。
週末も秀さんは仕事ですが、賢者の皆さまは楽しい週末をお過ごし下さいな!
そして来週も元気に頑張って参りましょうよ。へい
秀
以下転載開始・・・・・・・・・・・
「アメリカの日中戦争路線は危機に瀕している」
、
要するに日本から如何にカネを巻き上げるか、これがアメリカの東アジア政策の中心です
そのためには危機を演出して、安全保障をダシに金を出させる
それと既存利権者からの金の回収です。
戦後日本支配をするために利権を投げ与えて来た犬どもから回収しようとしています
つまり、敵が分裂しているわけです。
ざいにち、部落、在郷地主、農協、小作人、等がアメリカが、日本支配のために、利権を投げ与えた連中です
これらを使って支配して来たのだが、懐が怪しくなってこいつらに渡した利権とかねが惜しくなって回収を始めた
これが全世界的におこって居ると大愚は見ています。オフショアから回収したり、相場でだまし取る事が困難になったので、武力を使う、というわけ
ムバラク、フセイン、とうまくいったが、ロシア、中国からの回収は失敗している。
手先の江沢民が失脚してしまったので、騒動を起こす手先がいない。
ロシアに忍び込ませた手先は全部プーチンがたたき出した。
日本の層か統一、農協、ヤクザが手先の組織であるがこいつらはリーマンで騙されて逃げ出し始めている。
そこで、脅しに311を仕掛けたと見る事ができる。
なんとなく、背を向け始めた日本をどうするかという事でケネディー人気を利用しようと大使にしたが何の効果もない
もともと、ただのお嬢さんだから能力あるはず無い。
ロシアでのマスゾエの言動を見ると、政治家を脅し、マスコミの記者を殺して、世論操作するのもそろそろ、限界でないのか。
オバマはウクライナ騒動の歩き回り方や、イスラム国の扱いで
要するにあっちのセールスマン人間である事が丸バレ。
またぞろアメ公は武田に6000億の難癖をつけたりしている。トヨタいじめも逆効果だった。結局、難癖をつけたオバハンがインチキだった事がバレバレ。かえってトヨタの信用を上げた。
2000年以降、911が丸バレで、世界の暴力構造が丸見えになってしまって、偽ユダヤ人の最大武器である嘘の効力が切れ始めた
アメリカの仕掛けた嘘が全部つぶれたウクライナ騒動は世界歴史の展開点ではなかろうか?
以上転載終了・・・・・・
2014年08月09日
あいば達也さんの投稿から転載です編
品友会で語られるような話題ではないですが・・・21世紀と云うのは、何もかもが違うメカニズムで動き出した「世紀」である可能性を暗示している。・・・との一説に惹かれましたのでいつものように勝手に無断掲載ですわ。
お金がすべて支配するこの世の中・・・
人間の生き方の方法論を変えてみれば何事も簡単にうまくいくのかも知れません。
なかなかできないことではありますが・・・
では、転載開始です。
●大戦中の大本営発表時より悪質に 本人が出てきて嘘をつく
第二次大戦、大本営発表と何ら変わりない出来事が、ジャガスカ目立ってきているが、これは、何が原因なのだろう?安倍の集団的自衛権行使容認も、世界一厳しい安全基準も、コントロール下にあるフクイチも、景気の好循環等々も、この情報をマスメディアが垂れ流している分には、大本営発表を垂れ流したマスコミと云う批難が成り立つが、21世紀のわが国では、責任者が出てきて記者会見し、自らの顔出しでウソ情報や希望的観測を捲し立てるようになった。間接プロパガンダから、直接プロパガンダに移行している。いつのまにか、事態は、益々悪化している。
黒田は、日銀の一番の仕事は「物価の安定」である。2%の緩やかなインフレは達成可能である、と強調した。しかし、そのことで、景気が好循環するかどうかについては、明確な回答は留保している感じである。まあ、日銀総裁の役目は、異次元の金融緩和を謳うことで、景気のマインドを高める効果を狙ったものであり、実体経済が、その通り動くかどうかは、政府の責任の範疇だと、良い逃れている。たしかに、景気を良くするのは、政府の仕事であり、日銀は物価の番人だが、黒田の登場は、どうみても「俺が景気を好くしてやる」と云うイメージを作り上げていた。多くの国民も、まんまと騙されたに違いない(笑)。
雇用も所得環境も需給ギャップのプラス傾向が出てきたと、白々しいデータを取り上げているが、全体の勤労者の所得、及び可処分所得は、確定的に下がり続けている。そんな中で、黒田は「どうだ、物価が上がっただろう?俺の腕前を見直したか!」と大見得を切り、もし、上手く行かないときは、地政学的リスクによるもので、日銀の守備範囲からは、如何ともし難い、と逃げを打つのを忘れなかった。アベノミクスは、何本矢を追加しようが、虚偽の成長に過ぎず、経常利益赤字国家に落ちぶれ、日本は自慢するものすべてを失いつつある。
「失う」と云う言葉には、受動的、時に能動的意味が両立しているが、現在の日本の経済政策は、菅・野田の経済政策に輪をかけた、能動的「失う」行為に走っていると言えるだろう。最近では、製造業の在庫が積み上がり、夏以降は生産調整の局面に入るのは、ほぼ確実だ。そもそも論からして、考えてみると、奇妙だったのである。20世紀の景気循環のメカニズム、経済理論が殆ど通用しない時代が到来した予感を持たせる。仏経済学者トマ・ピケティの『21世紀の資本論』が世界の知識階級に大旋風を巻き起こしているのも、20世紀金融経済理論が、狂いだした証拠のような部分が存在するからに相違ない。
ピケティのマルクス主義に似た再配分論が正しいかどうか別にしても、21世紀と云うのは、何もかもが違うメカニズムで動き出した「世紀」である可能性を暗示している。つまり、金融緩和が、景気を刺激する効果を一切発揮しない経済状況になっている、と云うことだ。当然、海外製造拠点の積極的企業の動きはとどまる気配すらないのだ。法人税を下げろ!規制緩和の速度を速めろ等々、政府に色々と注文をつけている本人たちが、その要求が意味をなさないことを承知で動いているのだから、始末に負えない。
安倍晋三も気の毒と云えば気の毒。すべての要求を満たしているにも関わらず、そんなこと要求したかな?と云う他人事な顔をして、ドンドン海外に生産拠点を動かしている。どうしてだ?と聞けば、まだまだ足りない、信心が足りないと言い出す、新興宗教の教祖の趣だ(笑)。西側諸国に経済成長力は僅かしか残されていないので、アメリカはシェールガス革命などと云う、将来、国土を破壊するかもしれない採掘方法を編み出し、世界をギョッとさせた。しかし、遺伝子組み換え植物同様、将来のリスクに責任を負うことは、金輪際ないのだ。目の前で、稚拙な不正で不潔な製造工程をバラサレタ中国を笑い者にするのも愉快ではあるが、見えないリスクが潜在的にある、放射能のような、人類への悪影響は、クラウドコンピュータの罠のように、雲の中に隠れていると云うことなのだろう。
市場のパイが細っているのは、西側諸国の共通の課題だが、これは一種先進諸国文明の飽和期が訪れたわけだから、次なる周期が訪れるまで、ジッと待ち続けるしかないのだが、マネーと云うものは、モンスター故に、世界観とか、人生観とかに関係なく、ひたすら強欲の姿勢を崩さない。ここに、金融経済体制に移行した西側諸国のジレンマがある。このジレンマ、或はトラウマなようなものに支配されているのが、アメリカ政府であり、日本政府も追随の傾向をみせてしまった。意外に、ドイツはHATENAな姿勢も堅持、かなりウロチョロしている(笑)。謂わば、国家がマネーに支配された格好になり本末転倒なのだが、人類が自らの生活を豊かにする経済活動のインフラとして誕生させたマネーが、支配者として君臨し始めたのだから、不死身のモンスターを生みだした博士が、モンスターの初めての餌になるようなものである(笑)。
まして、わが国は、異様な速度で少子高齢化が進んでいるわけで、市場のパイは限りなく小さくなっている。デフレが続くから、物が売れない。先行き、もっと下がると思うから需要意欲が湧かない。インフレ傾向が明確になれば、物の値が上がると人は想像し、需要意欲を喚起する。ゆえに、景気の循環も好くなる。これが、インフレターゲットの目論見だった。ところが、物価は生活必需品 中心にハイパーインフレもどき状況になっているが、庶民の購買意欲が刺激されている風もない。兆しすら見えない。日経新聞の目には、大きな兆しが見えるようだが、国民に見えていないのだから、日経と云う新聞社だけに見えている蜃気楼なのだろう(笑)。
かなりの識者でも、この日本の根本的処方箋は、少子高齢化への対応であると語るが、文明の行き着く先を先取りした日本なのであって、いずれ何処でも起きることだ。巷では、フランスの少子化対策がチヤホヤされているが、人口が増えている内容の吟味は、人種差別になるので避けているようだが、周辺の廉価労働力として移民された人々の子供による少子化の歯止めである。残念ながら、文明的国民の少子化対策とは異なる次元によって起きていることだ。やはり、悲観主義ではないが、達観することから見えてくる、老成の成長と云う視点を避けて、楽観主義に傾倒し、戻れない穴に落ちることは、あまりにも愚な事である。悲観と、熟成、孤高から生まれる産業もあるし、夢も見られる。そうなのだ、安倍君的に表現すれば「積極的悲観主義」こそ、東洋の神秘の島国、日本が選択できる権利を有しているのだ。また今夜も、極めて極小支持しか得られない論に拘る(笑)。
2014年06月26日
いつものように転載(大愚さんより)編
やはりこの人(医師)の思いは強く、深く、秀さんの心に訴えかける。
気楽に行けたら好いねぇ〜 と今日もアホが独り言。
では転載開始・・・・・
「敵を設定しなければ行動が決定できない、西欧社会」
自律という事が無くて、奪うが経済の基本と思っている
対して日本の政治理念は自律が基本である
おそらく、島国で、谷筋に分散して住んで来た状況がもたらしたものだろう。縄文の生産力過剰状態がもたらしたのか。東アジアの島嶼はだいたいこういう考え方だ。
地形と運搬力の関係で、皆殺しで絶対優位を広範囲に得る事が難しかったので敵は取り込まねばならない。そうすると自然状況から共存を強制される。
商業も定義が違う。等価交換が日本の商業だが
隙があれば騙して奪う、が西欧の商業である。典型的な行動パターンは十字軍である
勝手に正義をでっち上げて、略奪を正当化して、軍事力で襲いかかる
これを国際政治、世界標準といっているのである。
言葉の定義と内容が異なるのだ
個人の自立というのもそういう概念で、自立とは他人から奪う事で成立する、帳尻は神が決めるとなっている。ニホンジンは勝手に自立=自律と解釈しているが、違うのだ。奪わないと自立しないと考えるのである。
この概念をクソまじめに取り込もうとして苦闘して精神分裂か、鬱病になったが、透谷や、漱石などの明治の文学者たちで
この流れは今も変わらない。
根本衝動と文化規範が真っ正面からぶつかっている状況がもう150年続いている
それでそのうち、西欧が自分の分書き判がデタラメである事に気がつき出した
地球が狭くなって、交通規模からすると石油石炭以前の日本列島の様なサイズなってしまったからである
インターネットの成立で、西欧規範のデタラメが誰でも分かる様になった
そうなると、共存共栄、等価交換、事実尊重、そして、我々の根本衝動である、愛情尊重
が世界精神となり始めたのだ
日本における仕事は、上記の様に等価交換と共存共栄なので、自己実現にしかならないのだが
西欧規範における仕事は奪ってのさばる事になる。要するに仕事が楽しくないのである。
状況が変われば最適解が変わる
21世紀が日本の世紀だといわれていて、何となくみんながそう思い始めているのは、世界経済の前提条件が日本に似て来たからである
こういう島嶼世界で西欧科学、事実性を取り込んだのは日本しか無いからである。科学技術文明はガリレオの様に反キリストから科学が産まれた様に言うが、じつはキリスト教と事実性は何の関係も無い事を実証してしまったのだ
西欧文明押しつけの根本教義である、その仕組みが嘘である事を実証しているのだ
西欧学問社会から見るとキリストでも儒教でもなく日本科学はアニミズムから自律発展しているので世界史の謎なんである
たんに自分たちが勝手な偏見にとらわれているだけなんだが。
よくよく考えてみると、ギリシャはアニミズムで、ローマもアニミズムだ。
要するに科学は多神教の直接産物である。多神教こそ、その時代の科学性、事実性の表現であるからだ
だから一神教は必ず、科学を抑制する。西欧科学が軍事偏重なのは、一神教強制と事実性認識の均衡点が軍事だからである。
ガリレオは当時のハイテクである望遠鏡職人で、これは城の上から敵を眺める、あるいは着弾点を観察する重要武器なんであり、力学も弾道計算のことである。
一方日本科学技術は必ずしも軍事ではない。江戸幕府が軍事技術を抑圧したからでもあるが、麻酔を世界最初に発明した華岡青洲も、世界で初めて空を飛んだとされる、浮田幸吉も、はたまた、なも知れぬ江戸の園芸家や稲の品種改良、サツマイモも導入など
全く軍事とは関係がなく、単に楽しいからか人道的動機でしていただけである。
結局、西欧文明は、世界文明化した時点で終わったのである。後は惰性、慣性で騒いでいるだけだ。FRBなんか世界から偽ユダヤの狂人集団と見られている。
それをみんなが認識し出しているのだ。
負け試合でサッカー競技場を掃除してかえった、日本のサポーターの行動に驚異の眼で見ているのだ
西欧や中国文明の原則では負けたら壊して、汚して、悔しさを他人に押し付けて、かえるのに。
どういう行動原理にすればそういう行動が可能になるのか、に気がつき出したというわけ。
単に、勝つ事が好きなのではなく、サッカーというスポーツが好きだから、サッカーというスポーツの場を汚したくなかっただけなんだが
開始>
ブラジルに広がる(!?)“立つ鳥跡を濁さず”の輪。今度はドイツ人がコパカバーナのファンフェスト会場でごみ拾い
ヘシーフィ (レシフェ) のアレーナ・ペルナンブッコにて、コートジボワールに敗北した後、日本人サポーターがスタジアムのごみ拾いをしたという事実は、SNSや各国メディアに取り上げられ、日本人の礼儀正しさを多くの人が賞賛することになった。
そんな中、今度はドイツ人観光客グループが、リオのコパカバーナに設営中のFIFAファンフェスト内で6月16日 (月)、ビーチに散乱するごみを片付けたと現地メディア(「G1」、6月17日づけ)が報じた。
彼らは、自分たちが使ったコップだけでなく、他の人たちが地面に捨てたごみも拾おうと周囲に呼びかけたという。
このシーンを撮影したニコールさんによれば、現場にいたブラジル人は、彼らの姿に驚き賞賛したという。
「ワールドカップは必要ないと思っていた人たちが最後には考えが変わり、こういった文化交流が、なかなか他国に旅行する機会が少ないブラジル人に貴重な体験を与えてくれることに気づくことを願います。ワールドカップは、私たちに多くのことを教えるためにやってきました! 政治やデモクラシーだけではなく、こういったシンプルな行動が私たちに変化を起こし、影響を与えるのです」と、ニコールさんは自身のフェイスブックにコメントした。
(記事/MEGA BRASIL、文/柳田あや)
終わり>
もともとギリシャの昔から、神代の昔から、モンゴル相撲でも、インカの昔から、スポーツは神に捧げるものなんである。公明正大と清潔は前提だ。
それをゆがめたのは西欧の世界統一下心ムンムンの近代オリンピックである。
いまや、偽ユダヤ人は商売にしてしまった。(彼らのかみさまはおかねだからそうなる)
中国人も四川地震で日本の救援隊が一人も救えなかったことにがっかりして謝ったのをみて驚天動地、びっくりしたのである
ニホンジンにしたらあたりまえなんだが。。。。。。。。
もうすでにかなり前から日本はある点では、、多分1930年ころに人種差別反対を国際連盟で主張して追い出されたあたりからずーと世界精神のトップを走っているのだ。
それが偽ユダヤの作った西欧社会の破壊したい中枢部分なんだが。。。。全然潰せないうちに自分たちがつぶれ出したというわけ
以上転載終了・・・・・
2014年05月23日
懸命に生きるんだ編
保育器の中で必死になって生きようとしていたのだろう
そのおかげか入退院を繰り返しながらも3kg近くまで体重も増加しこれでもう一安心と思った矢先に
未熟児網膜症という未熟児特有の目の病気悪化でまたもや緊急入院、そして手術・・・
網膜内で異常繁殖する新生血管の伸びを止めるため網膜にレーザー照射を行った
結果はこれから次第だという
不思議なもので息子夫婦の初めての子供かぁ〜 まぁ、お前たち2人でちゃんと教育せえよ〜
おれは関係ないからな ってなことを言おうと思っていたのだが・・・
いざ、初めての爺孫対面をしてみるとこれが私の初孫なんだ
面々と続く遺伝子連鎖の結果、縁あって秀さん家の一員として生を受けてきたのか!
そうか、そうか、良くぞ生まれてきたのぅ〜・・・と
愛おしさがこみ上げて来た
なんだぁ〜 その辺のべた甘爺さんと同じじゃん・・・
と自分自身で苦笑してしまった
約60年の年齢の違い、これからどんな人生を歩むのか
無論、最後まで見届けることは出来ない
一緒に共有できる時間が何年あるか分からないが
じい様が今まで生きて来た中で数々の失敗や挫折を繰り返しながら
かすかにおぼろげながら分かったと感じたこと・・・・
がり勉することでもなく、良い大学に進学することでもなく、
人を蹴落として出世することでもなく、大金を稼ぐことでもない
人間はどうしてこの世に生を受けてきたのか
人間はなぜに有限な生き物なのか
本当に正しい生き方とはどんな生き方なのか
そんなことを幼い内から考える人間になってもらいたいと切に願う
何〜にも考えてこなかったアホなじい様の代わりにね!
その結果、普通の子供とは違う、変わっている と言われても構わない
納得出来ないときには学校をサボぼろうが放浪に出ようが落第しようが構わない
時には恋し、失恋をし、挫折することも多々あるだろう
様々な葛藤の中で自分が、これだ! と思う生き方を自分自身で探し出せたら
それが一番幸せなのだよ
決してお金を稼ぐことが人生の最大の目的だなんて言うなよ
金は無くても
生きているということはそれだけで素晴らしいことだと分かれば何も怖いものなんてない
幸運にもこの世に生を受けたことを喜び 楽しく精一杯生きることだね
おっと! 時にはこのじい様のことも思い出してくれよな!
退院後の再対面を楽しみにしている
秀爺より孫へ
2014年03月30日
まだ見ぬ君へ編
君も成長するにつれて様々な経験を積み、ある時は歓喜の涙を流し、またある時は絶望の底に沈み悲しみに暮れることもあるだろう
人は誰しも喜怒哀楽を繰り返し生きていくが最後は、生老病死・・・人間の避けられない定めが待っている
そんな限りある人生、君がどう生きるかは君次第だが、一つだけ言っておく
切らさぬように綿々と命の糸を紡いで来たご先祖様の思いや両親の愛、そしてこの世で出会う縁ある人々の支えがあって君が生かされているということを忘れないように!
しかし君はその小さな保育器の中で、既にそのことを分かっているかも知れないね・・・
そのことを忘れない限り、君は君の人生を目一杯楽しんで生きて行くが良い
もうすぐ君に会えることを楽しみにしている
秀じいより
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賢者の皆さま、
30週の早産ではありましたが3月27日午後11時25分に孫(男児)が誕生しました。
まだ保育器(NICU)中なので対面してはおりませんがいずれその内、秀じいが幼い頃から駄洒落道をみっちり仕込んであげようと思っておりますぞぃ。
2014年03月18日
臭枕編
ベトナムに住みながらこう考えた。
正直に生きても賄賂がいる、情をかければ裏切られ、孤高を貫けばちと寂しい、
とかくベトナムは住みにくい。
住みにくさが高じてくると、日本に帰りたくなる。日本とて今の世は住みにくい。
どこに越しても住みにくいと悟った時、あきらめが生まれ、肩の力が抜ける、おならが出る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向こう3軒両隣にちらちらする金銭至上主義のベトナム人である。
そんなベトナム人が住む国の生活が住みにくいからとて越す金もない。
金があればまだしも日本に戻ったところで昔の日本とはちがい薄情な国に成り下がってしまい帰ったところで尚住みにくかろう。
ベトナムの国が住みにくければ、アホになりに考えるに、ベトナム人のようにまた〜りと路上のカフェに日長たたずみ、な〜んにもしない無駄な時間に罪悪感を覚えず、流れにまかせて気楽にのんびりと構えて生きることである。
そう悟ったとき、親父ギャグが生まれ、臭い駄ジャレが出来る。
住みにくい所をどれほどか、寛げて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに駄じゃれ作りという暇つぶしが出来て、ここにあほブログが生まれる。
あらゆる臭い駄じゃ好き人間は人の世を長閑にせず、人の心を豊かにしないが故に
不必要の烙印を押される。
そんな人間に私はなりたくはないが、もう既になっている現実を受け入れながら生きていくことにしよう。
夏め!暑いわぃ、じゃない 夏目掻咳
2013年12月24日
ベトナムは喧噪のクリスマス編
先週の週末も大勢の家族連れやアベック2人乗りのバイクの集団、中心地のホテルや通りに飾り付けられたクリスマス&年末用のイルミネーションを見に大勢のベトナム人が中心に集まって夜はかなりの渋滞でしたわ。ベトナムは日本よりはクリスチャンのパーセンテージは多いのですがそれでも10%以下、大半は仏教徒です。
まぁ、日本もそうですが、キリスト教徒でもない者がまるでお祭り騒ぎのようにメリークリスマス! って、何かおかしくねぇ? ってな野暮なことは言いっこなしですな。
すっかり商業主義に汚染され異教徒の者まではクリスマスを楽しんでおります。
はぁ、昔秀さんのガキん子の頃からクリスマスにはケーキにプレゼントがありましたよ。へい。
少し前、愚息の嫁から、お父さん、日本人はクリスマスにはケンタッキーチキンを食べるのは日本の昔からの風習ですね。 ・・・と言われ驚きやしたぞぃ。
あ〜た、ケンタなんて何十年か前は日本には有馬温泉ですがな。
クリスマスはケンタッキー! なんて上手いキャッチフレーズをTV宣伝によってよくも普及させたもんですわ。
今は天国にいるカーネルサンダースおじさんですが、だてにひげを生やしてはいなかったってことでしょうか?
まぁ、天国では毎日大勢のニワトリ達から殴る蹴るの暴行を受けているかもね?
お前のせいで毎日世界中でわしらの大勢の仲間が熱い油揚げの刑に処されているのだ!
と・・・拷問詰問を受けているのかもね・・・
と考える秀さんの頭は少々おかしいのでしょうね、多分・・・。
日本ではガキん子は冬休み前の通知表の評価という審判が無事終われば、楽しみのクリスマス、それが過ぎれば直ぐ年末、そして待望のお正月でしたので昔のガキん子はこの時期ウキウキわくわくしておりましたわ。
ベトナムの子供たちも綺麗に飾り付けられたイルミネーションを楽しみに親御さんのバイクに乗せられて街中に繰り出すのを楽しみにしているのでしょうねぇ。
一家ひと時の団らん、微笑ましいですね。
日々疲れて帰ってもわが嫁、わが子がいるから頑張れる というお父さんも多いことでしょう。
独り者の秀さんは、家でわびしく作り置きのカレーを食べやり残した仕事を家のパソコンでやっております。
大渋滞をものともせず嬉々として町中に繰り出しているベトナム人に脱帽&乾杯です!
それでは、本日は、この辺で
皆さま、メリークリスマス!
2013年12月02日
小野田少尉の生きざまと比較して編
11月は忙しさもあってブログの更新もわずか3回。いやはや怠惰なことこの上ない。
さて、仕事で忙殺されていた合間に見たヴィデオにフィリピンのルバング島のジャングルで戦争終結をしらないまま戦後30年にわたって戦闘行為を継続していた小野田少尉のドキュメンタリーがあったのでむさぼるように観てしまいましたよ。
当時その小野田さんが日本への帰還する時に日本中のTVが大騒ぎしていましたよ。当時の総理大臣は田中角栄、日本経済成長真っ只中の出来事で、当時の日本の風潮とは相容れないいかにも旧帝国軍人という立ち振る舞いの小野田さんのことはよく覚えていました。眼光鋭く直立不動で敬礼をするその立ち振る舞いに昔のサムライを見ているような錯覚を覚えたもんです。
とは言っても実際にサムライを見たことは有馬温泉ですわ。
TVの報道位しか小野田さんについての知識はなかったのですが、今回YouTUBEでドキュメンタリーを見て、その人間性や考え方にえらく感動した秀さんでごわす。
語録の中のことばを紹介して転載開始です。
語録その@
戦いは相手次第
生き様は自分次第
語録そのA
いつも美味しいものを食べられ、綺麗な着物を着られるのは、
誰のおかげですか。
いくらお金があっても、それを作ってくれる人がなければ、
手に入らないのですよ。
だから、「世間」ではなく、「世間様」と言うのです。
最初に語録集、そしてドキュメンタリー(長編です)を転載しますが、男ってこうありたいものだと・・・強く感じましたぞぃ。
それにひきかえ今の秀さんの生き様はどうよ・・・と反省すること仕切り。
この際ですのでもうひとつ日本人のもの作りに対する執念というかその想いの凄さを表した作品を・・・
いやはや、日本人って凄いですねぇ!
とアホの秀さんは感心することしきり・・・・
ではまた次回!
2013年10月27日
おだ義理情、じゃない、義理、人情、ご恩編
小田切 譲(オダギリジョー)は一切関係ありゃしません。
いつもの不細工な語呂合わせでごわす。スマソ。
はぁ? やくざ映画ではあるまいにこんなタイトルをつけてしまいやした。
というのも、久しぶりに北島さぶちゃんやら村田英雄のど演歌を聞いておりました。
その中の歌詞に義理、人情、恩などの単語がよく出て来るのでこんなタイトルになってしまいやした。へい
そんなヤクザが好みそうな歌なんぞ聞くな! と言われそうですが、現代のヤクザはこんな言葉とは無縁の人たちがやっているので何を言わんかなですがな。
しかし、もう立派なピカピカの年寄りですもん、今どきの歌はさっぱり理解できないというか耳に入って来ないのであります。
さぶちゃんやら、今は亡き村田英雄さんらの歌の内容が自分の生きて来た情景とオーバーラップするのでしょうねぇ、若い時は古臭いと思っていたど演歌がす〜と心に沁みます。
人生長い間には様々なことがあります。
今こうして自分が最低限おまんまを食べていけるのも、苦しい時に多くの人から温情をかけて頂いたからであります。
両親はもとよりこの世で御縁のあった多くの方々から返せないほどの恩を受けてきました。
いつまで経ってもそのご恩に報いることが出来ない自分自身が・・・・(ここで幕は昔の情景へ・・・)
昔昔、とあることでお世話になった恩ある人がホーチミン市に秀さんを訪ねて来た時に、一緒に飲みに出かけた秀さん、
そこは洋酒酒場、
カウンター席に腰かけた二人
その方は奥のボトル棚に並んだ洋酒ばかりのボトルを見て、
秀さんに向かって一言・・・
なぁ、酒ない? と・・・・
・・・・・
・・・・・
お、お前はアホか! と言われるのを覚悟で脱線してしまいました。
はぁ〜、こんなダジャレしか書けない自分自身が、本当に 情けない でごわす!
かけた温情は少なく、受けた恩は多く、いつまで経っても帳尻が合わない人間ですが棺桶に入るまでには何とかしたいなぁ〜 と思っております。
ということで、本日のあほブログは終了でごわす。
良い日曜日を!
2013年09月29日
9月もあと余すところ1日に編
いつも時のたつのは早い早いが口癖の秀さんですが、もう9月も終わり10月に入ろうといています。
日本ではもう秋ですね。季節感をあまり感じられないホーチミン市ですが、それでも以前に比べだんだんと過ごしやすくなってまいりました。
日々変わり映えのしない生活の中にも、時には忙しかったり暇だったりと様々です。
あるyoutube番組を見ていたら死後の世界はどうなるのかという番組がありまして、
それとなく見ておりましたよ。
死んでも魂というか個人が持っている意識は不滅で肉体という衣を脱いでこの世の行いに応じて自分自身で次の行く先を決める、その行き先は現在の次元と重なり合って過去も未来も存在しない、この世は並行する多次元パラレルワールドで時という概念に縛られた人間は現世のことしか考えられない生き物。
人間は本来誰もが楽しくわくわくした生き方ができるように生まれて来たのだが、それを自分自身が発する恐れ、妬み、怨み、辛みなどのマイナスのエナジーで身動きできなくなってしまっているとのこと。それはこの世限りという考え方に起因しているからだと番組では申しておりましたよ。
アホの秀さんが妄想するに・・・
あの世という時間という概念がない世界は逆に退屈で退屈で仕方がなく、ほんじゃ、ひとつ生まれ変わって時間限定の人生というアドベンチャー映画体験でもしようか・・・と
秀さんのように精神修養の出来ていない暇人たちが映画の世界のように喜怒哀楽、生老病死のある世界を楽しむために自分自身の意思で生まれ変わって来ているのかもね。
それだったらこの世で起きる全てのことはいつかは終わる映画のようなものと考えればよく映画の役を演じ終わったら、さぁ 帰りまひょ と皆あの世に戻る。
そこには苦しみや辛さはなく、おい、お前のあの演技は今ひとつだったぜ、何て軽口を叩きながら談笑する世界があるのかもね?
映画の中では、中には戦争で死亡したり、突然重い病気にかかり苦しんだり、権謀渦巻く権力世界で闘争を繰り返したり、熱いロマンスなどを演じる役者も必要で、善人ばかりが登場する平穏で争もなくハラハラドキドキのない映画は面白くないのと同様に詰まらないのかもね。
だからこの世という劇場で放映される映画のそれぞれの役を真剣に演じなければ、お〜ぃ! そこの大根役者退場せい! と言われる。また映画は大勢の人が協力して出来上がるもので自分の役を勝手に、もうや〜めた と降りる行為(自殺)はしてはいけないのかもね。
いつもの悪い癖で、アホが妄想に妄想を重ねておりますが、一度しかない人生と考えるも良し、人間は永遠に続く命を与えられた生き物だと思うも良し、問題はこの時間限定の世をどの様にして生きていくかですわ。
出来ることなら、悪役よりは正義感にあふれ人に優しく、これまた格好の良いヒーローを演じたいものですな。
何ですって?
お前は臭いダジャレ役者の演技して観客を呆れさすために生まれ変わった
と申しますか・・・ふむ〜 ま、それでも構いませんわ。悪人の役よりはね!
下手な役者でもカメラ(神様・仏様・創造主?)の前で一所懸命に演技すること(生きる)ことが大事ですね!
皆さ〜ん、明日も撮影は続きますので頑張りましょう! へい
そんなこんなで本日のあほブログは終了でごわす。
2013年09月14日
秀さんの独り言ではなくねずさんのひとり言から編
亡くして分かる親の恩とでもいいましょうか・・・
生意気だった自分の若い頃の両親やじい様ばあ様に対する言動、今は恥ずかしくて情けなくて申し訳なくて・・・この年になってお詫びする代わりに毎日線香をあげています。
決してお涙頂戴のねつ造記事ではないですぞぃ。
世知辛い世の中になりましたが、こころ愛情豊かに行きたいものです。それでは転載です。
ネットで拾った小話をひとつご紹介します。
〜〜〜〜〜〜〜〜
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにグレた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
「〇〇ちゃん、二十歳のお誕生日おめでと。
なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?
もしかして結婚してたりしてね・・・」
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカににされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら「情けないわねぇ」なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、就職決まった時、親父が「これでお母さんに怒られなくて済むよ」なんていってた。
俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
親から子、子から孫へと、人の世界は続いて行きます。
1000年前の源氏物語などを読むと、当時も今も、人の心は何もかわらないな、と思ったりします。
下の写真は、北海道の函館市の垣ノ島A遺跡から出土した「足形付き土器」です。
亡くなった子供の足形を粘度版に型どったものです。
多数のものが見つかっている。
いまから3200年ほど前のものです。
人が生まれるためには、父母が必要です。
その父母には、それぞれに、また父母がいます。祖父母たちです。
祖父母は父方、母方、それぞれに二人ずつ、合計4人います。
その4人の祖父母には、またそれぞれに父母がいます。
祖父母の父母は、8人です。
その8人の曾祖父母には、同様に16人の曾々祖父がいます。
そして、16人が、32人。
32人が64人となっていき、たった10世代(約250年)さかのぼるだけで2048人、20世代(約500年)さかのぼると210万人の命から、いまを生きるたった一人の命が生まれていることになります。
私達の住む日本は島国であったため、こうしてみると、日本人は、もしかするとみんなどこかで血のつながりのある親戚なのかもしれません。
その日本人のひとりひとりが、親から子、子から孫へと、代々愛情を伝え育んできた。
それが日本です。
2013年08月30日
8月も終わりですね編
年取ったせいでしょうねぇ、最近は時のたつのが早く感じます。
この前テトだなぁ、なんて思っていたらもう8月ですもん。もう少したてば雨季から待望の乾季へベトナムの季節も移り変わって行きます。
自然も人間も一時としてとどまることをしらず、良きことも悪しきこともひっくるめて悠然と時は流れて行きます。光陰矢のごとしですわ。
愚息の誕生日の時に親子3人そろって日本に住む義母に電話したのですが、お義母さん曰く、もう私も90歳を超えましたよ と聞いて何とも言えない気持ちになりましたわ。
むかし昔、秀さんが中学の頃、意中のおかあちゃんに無性に会いたくなり勇気を出しておかあちゃんの家を急に訪ねたら、本人は家におらず・・・・
代わりに今の義母が怪訝な顔をして、
「どちらさんですか?」
と言う感じで玄関に出て来られた時に動揺してビビッてしまったことを想い出しましたわ。
義母がまだ40歳代の頃ですのではるか昔の話なのですが今での鮮明に覚えています。
まぁ、義母にしてみればニキビ面の頭の悪そうなガキん子がいきなり大事な娘に会いに訪ねて来たら、あ〜た、そりゃ警戒しますがな。はい。
まだデートもしてもらえない時期の肩重い、じゃない片思いの頃ですので、肩を落としてとぼとぼと帰路につく自分の姿を今想像すると微笑ましく感じますわ。
ガキん子の頃は、全てが自分のことだけ考えておればよかった。
親が陰で苦労しているからのんきに暮らしていけたのですが、そんな親の陰の苦労なんて考えてもいなかったアホの秀さんですわ。
ほんと! 自分のこと以外は、何〜んにも考えていませんでしたわ。へい
1日中意中の娘のことを思い熱をあげられた思春期とは今考えると、何と幸せな時期だったか・・・・と、今60を前にして苦笑しております。
時は思う以上に早く過ぎて行きます。
ニキビ面の青年が、腹が出て肥満になり、あちこち身体が痛くなり、老眼鏡をしなければいけなくなり、ゴルフをすれば愚息の嫁にキャリーで負けてしまう年寄りにいつの間にかなってしまい申した。
これから老年というくくりに入って行きます。
自分の過去の人生を振り返ると・・・
あま酸っぱい思い出やら、苦しい思い、大恥をかいたこと、有頂天になっていた時期、失意のどん底の時期まど様々な思いが去来します。
そんな小さな人間様の思いとは関係なく季節はめぐり時は過ぎて行きます。
過ぎた過去の思い出は心の中に大切に保存しながら、これからの残り少ない人生、
新しい出会いや出来事に目を輝かせて目いっぱい生きなくてはもったいないという思いですわ。
嫌なこともあるでしょうがそれも心の糧だよ・・・と言えるような心のゆとりを持って生きていければ最高なのですがね。
くそ! ったくなんて国だベトナムは!
もうこんな金、金、金の国民性、
責任感と言う言葉が辞書に載ってない国とは、
もうおさらばじゃ!
あほんだら〜!
と・・・言いたいのをぐっと我慢して、もうしばらく住まわせて頂くことにしますわ。へい。
では、本日はこの辺で
2013年07月05日
やっぱ人間好きなことをやるのが一番編
その記事を読んで・・・うん〜 と唸ってしまいましたわ。
アホと言われながらもそこそこ長く生きて来ましたが、はて? 自分は好きなことを仕事にしてやってきたのだろうか? と考えてしまいましたぞぃ。
正直言いますと、過去自分があまり好きでもない仕事の方が人から評価されて自分から望んだ仕事はあまり良い結果が出なかったというのが実際でしたわ。
望む程度の情熱では駄目で、やはり死ぬほど、恋い焦がれるほど、何は無くとも江戸むらさき、じゃない(古すぎて分からない人の方が多いか?)、何は無くともそのことだけをしていればどんな生活状態だろうとハッピーと言った生涯無二の仕事にはめぐり合わなかったですわ。
幼いころはデパートの店員さんに何故かなりたかった秀さんですが、当然、成長するにつれて考え方も変わってしまいまして、大人になってからは下記の文章にあるように漠然と自分でビジネスを始めたいという思いだけで過ごして来たような気がします。
まぁ、早い話がそんな情熱と言うか死ぬほどやりたいことにめぐり合わなかった、いやそんな気持ちで取り組む仕事を自分で探せなかったのですわ。
しかし、こと女性に関しては別でして、健在の義母が後から見て呆れる位ラブレターをおかあちゃんに書きましたわ。
当時、勉強出来ないナンバーワンの称号を引っ提げて同じクラスで頭の良かったおかあちゃんにしつこいほどアタックしたのですが・・・
おかあちゃんは女友達から・・・、あんな秀のようなアホと付き合う人ってクラス(中学)の女子には絶対いないよねぇ〜
と聞かされたことがあると・・・・
何年か経って付き合い始めた後からおかあちゃんから聞かされたことがありやす。
まぁ、それくらいアホでしたわ。
まぁ、今もあまり変わりはしませんがね!へい
さて、もうすぐ60歳になろうかと言う歳ですのでこれから自分の好きなことをやって行きましょうかね?
でも、その好きなことって何よ?
と言われると答えに詰まってしまう・・・
ま、生きているだけでも幸せと思えれば全てハッピーですね。
嫌なことはさらりと忘れ、楽しいことだけ思いを秘めてこれから生きていければ本望です。
でも、ここはべトな〜ム、そうは問屋が卸さないのが辛い所ですね。
皆さん、海外での生活はいろいろ苦労はあるでしょうが、明るく元気で行きましょうよ!
長いようで短い時間限定の人生ですもん。
それでは転載開始です。
「私の夢はホテルのオーナーになることです。どうすれば夢が実現するでしょうか?」
コーチングをしていると、かなりの頻度で、このような相談を受けることがあります。こういった相談をされる方の多くが、なんらかの自己啓発書やセミナーに影響されているようです。私はこのような相談を受けると、究極の質問を1つします。それは、「では、今日、何をしましたか?」です。
この究極の質問をして具体的な答えが出てくる人は、間違いなくその夢に向かって進める人です。しかし、9割の人が、「え?」という反応をします。「何をすればいいかわからないから、相談しているのです」と。あなたは、この反応のおかしさがわかりますか?
例えば「ホテルのオーナーになりたい」という夢を持っているなら、少なくとも“ホテル”に関することや“お金”に関することを何かしているはずです。
一流のホテルを訪れてサービスの質を確認したりするのも良いでしょう。時間がなくて行けないなら、ネット検索をして世界中のホテルの情報を取得することもできます。それをするためには特殊な能力も資格も必要としません。
オーナーになるためにはお金が必要ですから、お金の運用や投資に関することを学ばなければなりません。投資家が参加するセミナーを探したり、本を読むこともできるはずです。やろうと思えば、どんな小さなことでも、すぐにできるのです。
しかし、「ホテルのオーナーになりたい」と語る人の大半が、何もせず、ただ毎日その夢を漠然と妄想しているだけなのです。これはホテルのオーナーになりた
い人だけではありません。お金持ちになりたい、起業して成功したい、稼ぐコンサルタントになりたい、世界一の○○になりたい、そのような大きな夢を語る人
の多くが、「今日、何もしていない」のです。
大きな夢を語って何もしない人は、「夢を実現する技術をもっと知る必要がある」と考えてい
る傾向が強いです。自分の夢が実現しないのは、成功者が使っている「夢を実現する技術」を知らないからだ、と考えているのです。ですから、彼らの行動は、 「夢を実現する技術」を探すことにフォーカスしていて、夢を実現することにフォーカスしていません。完全に自己啓発ビジネスの餌食になった人の特徴といえ
ます。
●「恋愛タイプ」しか成功しない
私はコーチングの経験から、夢を語る人を3つのタイプに分類しています。その中で、現実に夢を実現するのは1つのタイプしかありません。では、その3タイプを順番に説明していきましょう。
(1)逃避タイプ
このタイプは現状から逃げるために「夢」を口実にしようとするタイプです。「サラリーマンが嫌だから独立したい」と言う人に多いです。現状から逃れるため
に消極的な選択をしているだけで、積極的に「夢」に向かう姿勢はありません。「なんのビジネスで独立するのですか?」と質問しても、「まだ探しています」 としか答えられません。
起業塾のような勉強会やビジネススクールに参加している人にこのタイプが多く、ずっと起業の勉強をし続けても会
社を辞めることはありません。口から出てくる言葉は常に現状の不満であり、そこから逃避したいという願望のみです。しかし「夢」に向かって一歩踏み出す勇 気もなく、結局、不満を持つ現状に戻っていきます。
現状の不満だけに頭が満たされた人が夢を実現した例を、私は一度も見たことはありません。
(2)錯覚タイプ
先ほどの「ホテルのオーナーになりたい」というタイプです。漠然とした夢を抱き続けているのですが、毎日ほとんど何も行動していません。
最近はこのタイプが非常に急増しているのですが、これは自己啓発セミナーの急増とリンクしているように思います。夢を大きく持ちましょう、絶対に実現しますよ、とモチベーションをあおられ、その場の雰囲気で夢を設定してしまった人が、このタイプに陥りやすいです。
この夢を実現できればカッコイイ、この夢が実現できたら素敵、という雰囲気だけで設定しているにもかかわらず、「夢をイメージすれば魔法のように実現できる」と錯覚しているのです。このタイプは自己啓発ビジネスの良いお客さんです。
(3)恋愛タイプ
夢を実現するのはこのタイプです。1つのことで頭がいっぱいで、24時間頭から離れることなく、それに向かって毎日行動せずにはいられない状態の人です。まるで熱烈な恋愛をしているように「夢」に夢中になって、どんな苦労や逆境も乗り越えていきます。
このタイプに、「今日、何をしましたか?」と聞けば、とめどもなく“やったこと”が出てきます。些細なことでも。
それはなぜか。好きだからです。好きならば周囲がとめたとしても、その夢に向かって行動するものです。これは恋愛と同じですよね? あなたには経験がありませんか?
夢を語りながら何もしない人は、結局、それが好きでないことを証明しているにすぎません。
好きでもないのに、「カッコイイから」「成功者っぽいから」という理由だけで、好きでもない夢を設定している人が実に多いのです。それは単なる見栄以外の何ものでもありません。
●「好き」であることの絶大なパワー
私のクライアントで猫が好きな人がいました。数年前に会った時からいつも猫のことばかり話していて、「猫からもらう癒やしを多くの人に知ってもらいたい」といつも言っていました。私はこの人は必ず成功するだろうなという直感がしました。
そして現在、彼女は都内に「猫カフェ」をオープンさせて成功しています。そして今でも猫について熱く語っています。猫にずっと恋をしているのです。
彼女と会った同時期に、「カフェのチェーン店をつくり成功したい」と言っていたクライアントがいました。彼に例の質問、「今日何をしましたか?」と聞いた
時、彼は何も答えられませんでした。そればかりか、カフェにあまり行ったこともなく、コーヒーの種類もドリップマシンについても何も知りませんでした。興 味がなかったのです。
彼は間違いなく「錯覚タイプ」でした。
そこで私はコーチングを行い、彼が時計について非常に詳しいことに気づきました。腕時計が趣味で、特に中古の情報に精通していました。彼はそれを単なる趣味としてとらえていたようですが、私は「これはビジネスになりますよ」とアドバイスしたのです。
その後、彼はできるところから少しずつチャレンジしていき、今では中古の腕時計販売で成功するまでになりました。その間、彼は多くの苦難を乗り越えました
が、好きなことだったので辛抱強く乗り越えていきました。彼は「錯覚タイプ」から「恋愛タイプ」にシフトして成功したのです。
「好き」にはとんでもないパワーがあります。人は好きなことには時間を忘れ、苦労も苦労と思わないのです。傍から見たら「非常に努力している」と見えることでも、本人は何も努力と感じていないものです。
「好きなことをしても食べていけないよ」という言葉は真実ではありません。成功している人はみな、自分がやっていることが「好き」であり、だからこそどんな障害も突破してこられたのです。
松下幸之助さんの言葉で「成功したければ成功するまで続けること」という言葉がありますが、成功するまで続けるパワーの源泉は「好き」にあります。逆に好きなことでなかったら、少しの挫折で心が折れて諦めてしまうものです。
「食べていけるようになるには好きなことをしなさい」が本当の真実なのです。
(※引用:live doornews http://news.livedoor.com/article/detail/7813120/)
以上転載終了・・・・・・・・
2013年06月23日
中々笑えない生活が続いておりますが・・・編
若者が年寄りになるようにいずれは何かしらの変化が訪れて状況は変わって行きます。
だから何も心配するこたぁありゃしませんって!
景気と言う言葉の中に 気 と言う字が使われていますが、人々のもつ気持ち、イメージと言うものが経済活動に及ぼす影響があるからでしょう。
バブル時代を経験した方ならお分かりだとは思いますが、土地や株の値段が短期間の間に急激に上昇すると言ったことが続きますと、それで儲けた人の話を聞いた一般の方々までが株や土地といった投機的なものに走りそれがまた新たな投機を呼びスパイラル的拡大を生じた時期でありました。お堅いのが信条の銀行さんまでもが土地のセールスマンをやっていたような時期ですからの異常でしたわ。
早い話が日本全国民がイケイケどんどん気分の最高潮の時期でしたわ。3年位前までのベトナムも同じような感じでしたわ。
しかし急激に膨らんだものは急激にしぼむのが自然の法則でありまして、バブル崩壊後長く続く現在の日本がある訳ですが、それにしても20年以上も低迷している日本経済はバブルの後遺症と言うには長すぎますわ。政治の劣化がそれに拍車をかけて来たのでしょう。
今、安倍内閣は景気を無理やり上げようと日銀の総裁を変えてまで人為的な操作をやっているようですが、実需のない嘘の経済政策はいずれその嘘がばれた時に崩壊するでしょう。
今、ベトナムでもバブルに浮かれて実需をはるかに超えて建設されたマンションやオフィスビルが氾濫して賃料が急激に下がっております。あちこちに建設予定だった土地が建築の目途が立たないまま放置されているのをよく目にします。
しかし、国民の平均年齢が若い国ベトナムですのでマクロ的には住宅や耐久消費財に対する需要はいずれまた増えて行くでしょう。
ベトナムでは今が土地の買い時かも知れません。
秀さんの会社の事務員さんのお姉さんは裁判所勤務ですが、現在でもこまめに土地の売買を繰り返してその資産を増やしていますもん。
問題は日本ですわ。とにかく元気がないというかうつむき加減を通り越して常に地面を向いているような感覚の中、自分の国の将来に夢が持てない若者が増えているのが何とも悲しいですね。
一番夢を大きく膨らませなければいけない若者たちがうつむき加減では国の将来に希望が持てなくなりますわ。
人間の人生なんて気分次第で何とでもなるわぃ! と明るく楽天的に生きて行って欲しいと思いますねぇ。
根拠のないそんな気休めを言うな! と現実の苦悩の中におられる方からお叱りを受けるかも知れませんが事実は事実です。
仮に無一文になったらそんないい加減なことは言えないぞ! と言われるかも知れませんが、無一文になったところで昔の時代とは違い何らかの食べ物は食べ最底辺の生活ではありますが現代社会では生きて行けます。
まして日本人でしたら文化的な生活をおくる権利があると国の憲法でうたっておりまして、病気になったとしても医療費は無料です。ベトナムではお金がないただそれだけの理由で命を落とさざる得ない厳しい現実があります。
ですからベトナム人は金銭主義者だと非難される日本人の方も多くおられますがお金が無いと医者にも見放される現状を考えると一概にはベトナム人の金銭主義を非難することは出来ません。そう考えると日本と言う国の素晴らしさを実感できます。
問題はお金がないことではなく、お金が無いと不安で心配でどうしようもないと考える
その考え方を変えれば気が楽になりますぞぃ。
そういう秀さんもお金が無いことで大変な思いをしてはおりますが悲観はしておりませんぞぃ。
お金は天下の回りもの、いつかはひょんなことから運が巡って来ますって!
これまた根拠ない言葉吐くな! と叱られそうですが、苦しい時は空元気でも笑って凌ぎましょうよ。
元気のない方にネットから拾ったダジャレ&ジョークなどを披露して本日の アホの楽天的に行きましょう ブログは終了でごわす。
明日もお天道様はお金持ちにも貧乏人にも平等に降り注ぎますよ。
ご安心召されい!
その@
薬剤師の子供が「パパの仕事は?」って聞かれて
「ヤクザ(薬剤師が言えない)で、お薬売ってるのー」
そのA
臨床検査技師を淋病兼詐欺師と聞き間違えた事がある
そのB
宇宙戦艦ヤマトのなかで飼われている犬、散歩ができないのでいらいらしている。
この間も操縦席の机の足を噛んで怒られた。
怒られながらも思った。
「今度は椅子噛んだる(イスカンダル)」
そのC
ある日曜日の午後、電話に出ていた夫が「もう手遅れです」と言いながら電話を切った。
「どうしたの?」と尋ねてみると
「キミあてのエステの勧誘だったんだ」と言われてしまった。
そのD
レストランに禁煙セクションを作るのは
プールに小便セクションを作るのと同じ
結局混ざる。
そのE
85歳の寡婦が90歳の男性とデートをした。夜遅く娘の家に戻ったとき、
その女性はイライラしていた。
「どうしたのよ、お母さん」
「わたしゃ。3回も彼の頬をぶったのよ」
「彼が失礼なことでもしたの?」
「そうじゃないの。死んでるのかと思ってね」
そのF
「それで何があったの?ご主人と釣り旅行に行ったんじゃなかったの?」
「何もかもがうまくいかなくてね。最初の日には、私の声が大きくて魚を
怖がらせると言われたわ。それから、間違ったエサをつけたり、
早くリールを巻き上げすぎるって言われたの。たしかに、それはそうなんだけど。
もっと悪いことに、私のほうがたくさん釣ってしまって」
そのG
夫の留守中、愛人を引っ張り込んでメイクラブの真っ最中に、
夫から携帯で連絡、
「今、ジョギングしながら家に向かっている。雨が降ってきたよ」
妻は大慌てで愛人に言った。
「夫がそこまで走ってきてる。見つかったら二人とも殺されるわ」
男は服をつかんだまま裸で外に飛び出した。
そのまま走っていると、ジョギング中の夫らしき男が話しかけてきた。
「おお、雨の中、あなたもジョギングですか?」
「ええ、まあ」
「なぜ、裸なんです?」
「だって、服が濡れるでしょうが」
「ふ〜ん。いつもコンドームつけて走ってるの?」
「いや、雨の日だけね」
そのH
訪問セールスマンが3人地方を回っていて車が故障し、農家に立ち寄った。
農場主は「泊めるがベッドは1つだ」
翌朝、右側に寝たセールスマンが言った。
「全く妙な夢を見た。夜誰かが、俺のナニを握っているんだ」
すると左側の同僚が「俺も見たぞ。同じ夢だ」
だが真中の男は「俺はスキーの夢だった」
そのI これは秀さんのことかも?
みなさん、辞書をひいたことがありますか?
私は、「辞書」という単語を辞書でひいてみました。
辞書にはこう書いてありました。
辞書:いまお前が見ているものである、愚か者が!
私は驚いて「愚か者」という単語をひいてみたら、こう書いてありました。
愚か者:お前のことだ。
2013年03月16日
愛さんの言葉は何故か沁みる編
おい! それじゃブログにならんだろう、え!
と言われても、才能のない秀さんゆえ、どうかおしるこを・・・、じゃない、おゆるしを!
ってなことで転載開始どす!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
同じことを人はずっとやり続けていると、どうしても疲れてきます。
発想や改善する気持ちも弱まってくる。どこかで新しいチャレンジをしていかないと、結局は人間は弱ってくるような気がします。
戦後、一番儲けたのはどういう人だったかと考えてみると、テナントがひっきりなしに入るビルや不動産を持っていた人だったと思う。
銀座でそうしたビルのオーナーのおじさんばかりが集まって食事してるのを見たことがある。皆、豊かそうだが、何となく人生に満足しているようには見えなかった。
もし、はい寿命です、、、となった際に、「私の人生は面白かった」とはならないのではないかと、他人事ながらそんな感じを受けた。
人は死ぬ際にお金もビルも持っていくことはできない。けっきょく「ああ面白かった」とか、「生きてきてよかったよ、、」との思いがあるかどうかが大切なことになる。
社会的に成功し、豊かになり、何不自由なく死んでいける人でも、最後の最後にどうしてもひっかかるものがあるらしい。
まず最初は、財産を残してあげる子供がいないケース。これはまあよくわかる。確かにそういうものだと思う。
しかし大体は成功者というものは隠し子までいたりするわけで、むしろゴタゴタの方が心配だろうと、ついやっかんで思ってしまう。(何をやっかむのか自分でも意味不明)
そして何より多い後悔は、思い切っていろいろなことに挑戦してこなかった、ということらしいのだ。それがどうしても悔やまれるというのだ。
要するに自分の出し惜しみ。人は生きていく中で、どうしても守りに徹する選択をしてしまい、いろいろな挑戦の機会を棒に振ることが多い。
時には守りも仕方ない場合があるが、いつもそれだと、結局どんなに成功しても悔いを残すというのだ。
確かにそうかな、、と思う。神様から私たちは命をいただく、、、大事な命だから、温存したくなるし、守りたくなる。それはそれでわかるが、神様はなぜ命をくれたのか、、、に答えていないわけだ。
命と体をやるから、何かやってきなさい、、、と神は期待したに決まっている。そうでなければ作る意味があまりない。
そのことを私たちはどこかできっとわかっているので、無事第一、安全第一でやってくると、さて人生が終える段になって、なんだか納得しない、、満足できない、、、というどうにもならない気持ちに襲われるのではないだろうか。
人や社会から変に思われないためには、流れに沿ってあまり自分を出さないで生きていった方が確かに問題は少ない。
しかし人間の命は、人がくれたものでも、社会がくれたものでもない。神様がくれたのだから、神様の期待にこたえないと、いけないのだろう。
となると、うまく自分を使うしかない。自分にしかない独自性で生きていくしかなくなる。その結果、貧乏になろうが、多少バカにされようが、ある意味仕方ない。
損もせず、苦労もせずに自分を守り通してきても、死ぬ前に、いやだ、こんなのいやだ、、、と叫ぶような状態になるよりはずっといいかもしれない。
銀座にいたお金持ち不動産オーナーのおじさんたちに欠けていたのも、こうしたものだったと思う。
もちろん、ビルを増やす、、バブルに踊らなかった、、というような先見の明はあったのだから、素晴らしい一面もあるにはあると思う。
でもそれは運がよかっただけで、本当におじさんたちの人生を支えるものにまではならなかったのだろう。かわいそうなおじさん、、、でもちょっぴりうらやましい。
そういうわけで、やはり私たちは何か新しいことに挑戦していく姿勢がとても大事なのだ。
神様はそのために、社会崩壊や経済崩壊すら利用するのかもしれない。そういうものがなければ、私たちはつい直線的に見える未来の安全に、すがりついた生き方をしてしまうだろうから。
未来を見据えて成功してきた安全派が、そろそろ限界を迎えてきたのが、現在の日本や世界の混乱の姿でもある。
彼らはもう今さら生き方を変えることなどできないから、最後は恐ろしいほどの守りを見せるだろう。その守りによって一般人は苦しくなっていく。
守りの強い彼らに力を与えていたのが、本当は私たちの弱気であり、自分大事の小さな安全志向だったのだ。
本当は誰が東電なんかに勤めたいと思うか。安全志向が強い人が、仕方なく従って組織形態を維持しているだけ。それがいいと勘違いしただけなのではないか。
もちろん東電の中にも自己実現して自分の人生に満足している人はいるとは思うが、そんなことは口に出したら頭がおかしいと思われるような会社であるのも事実だろう。
どこに就職するものも何をするのももちろん選択の自由としてあるが、その選択の基準になっている価値観が安全だけでは、人は不幸になるということが言いたいのだ。
何か、528Hzやソルフェジオを聞くにつれ、解放されすぎ状態になりつつある自分。ちょっぴりまだ時代的に早すぎた気持ちもあるが、これからの社会の変化は早いのでそうでもないかも。
人はやっぱり新しいことをやっていった方がいいと思います。新しいこととは、これまでの価値観から脱却し、
新しい無理のないライフスタイルをつくる、、、新しいものをつくる、、、新しいサービスをつくる、、、新しい街をつくる、、、新しい国をつくる、、、、
これらをあなたの独自性でつくる。小さくてもいいのです。横通しでつながれば町程度にはなると思う。一個の町がそうしてうまれたら、もう後は早い。命あるものはすぐに進展発展するから。
そうすれば、コンビニに行って体に悪いおにぎりをたべ、ユニクロに行って苦しそうな社員の偽笑顔で買い物し、夕飯は生鮮食料品を管理されまくっているスーパーで購入するような生活からさよならできる。
本当はみんなさよならしたいと思っている。
ベンツなんかもう欲しくもない、(乗ったことないけど、、) シャネルなんかもう着たくもない、(着たことないけど、、) もう豪邸なんかに住みたくもない、(住んだことないけど、、)
それらが自分を幸福にするものでないことを、もうみんな知ってしまったから。
2013年02月22日
zeitgeist(時代精神) 日本語字幕を再掲編
最初は少し退屈に感じるかもしれませんが、ぜひ最終の15/15まで見て欲しいと思います。
特に中盤から後半にかけては必見です。
ベトナム戦争についての欺瞞も良く理解できると思います。
今まで信じて来たものが・・・本当か? と考えるようになること必至です。
自分の生き方を考える契機になればと・・・思います。
以下zeitgeist(時代精神)日本語字幕1〜15
http://www.youtube.com/watch?v=U4288OS5V3U
http://www.youtube.com/watch?v=UMZYZM4tL6o
http://www.youtube.com/watch?v=demGXvUgT14
http://www.youtube.com/watch?v=BpiPmt_KO2I
http://www.youtube.com/watch?v=1LvSumf1fAE
http://www.youtube.com/watch?v=ri9nntWsWBI
http://www.youtube.com/watch?v=dN447zB69io
http://www.youtube.com/watch?v=Aookgi6R32s
http://www.youtube.com/watch?v=ZNRrUDZRiIg
http://www.youtube.com/watch?v=W_xWI6mJb0s
http://www.youtube.com/watch?v=4IZru5t0_CE
http://www.youtube.com/watch?v=SiCFsjvPzs0
http://www.youtube.com/watch?v=G3ONrxB1P2Q
http://www.youtube.com/watch?v=3kLOJl6mzk8
http://www.youtube.com/watch?v=nW_2PUII2eU
2013年01月31日
縁あって結婚したのに編
これを読むと昔のことを少し思い出してしまいましたわ。日々仕事に忙殺されて、いや自分からそのように追い込んでいたのかもね。
離婚率が半端でないアメリカでの話ですが、今は日本も決して離婚は少なくありませんねぇ。ベトナムは日本より更に多い。
夫婦生活においては様々な行き違いや、時には過ちもあります。お互いが初心に帰って大らかな気持ちになれば時間と共に何となく納まり大きな問題に発展することもないのでしょうが、誰しも自分可愛さのために後戻り出来ない場合が多いのですね。
本当の幸せとは、大金があることでもなく、仕事が出来ることでもなく、えらい人になることでもなく、日々の生活を淡々と楽しんで暮らしている人に与えられるものなのかも知れません。
今はひとり者の身の秀さんですが、ちょっとばかり昔の気持ちを思い出してしまいました。
以下転載です・・・・
http://ceron.jp/url/hanayu0413.chesuto.jp/e817476.html
When I got home that night as my wife served dinner, I held her hand and said,
I’ve got something to tell you. She sat down and ate quietly. Again I observed
the hurt in her eyes.
仕事から帰宅すると、妻は食事の支度をととのえていた。
僕は彼女の手をにぎり「話があるんだ」と切り出した。
妻は何も言わず席についた。その目は苦痛に満ちていた。
Suddenly I didn’t know how to open my mouth. But I had to let her know what I
was thinking. I want a divorce. I raised the topic calmly. She didn’t seem to
be annoyed by my words, instead she asked me softly, why?
ふと、僕はどう切り出したらいいのか分からなくなった。
でも言わなければならない。「離婚したいんだ」と。
僕は冷静に、その言葉を口にした。
妻は大したリアクションも見せず、ただ静かに聞き返した。「どうして?」
I avoided her question. This made her angry. She threw away the chopsticks and
shouted at me, you are not a man! That night, we didn’t talk to each other. She
was weeping. I knew she wanted to find out what had happened to our marriage.
But I could hardly give her a satisfactory answer; she had lost my heart to
Jane. I didn’t love her anymore. I just pitied her!
その問いに敢えて答えないでいたら、妻はとうとう怒りをあらわにした。
彼女は箸を投げ散らかし叫んだ。「あんたなんか、男じゃない!!」
その夜、その口論のあと
僕らはとうとう一言も言葉を交わさなかった。
妻のすすり泣く声がかすかに聞こえた。
わかっている。どうして僕らがこうなってしまったのか、妻はその理由を知りたがっているのだ。
でも僕は、彼女を納得させられるような説明をとうてい与えられるはずはなかった。
それもそのはず。僕は「ジェーン」という他の女性を愛してしまったのだ。
妻のことは、、、もう愛していなかった。
ただ哀れんでいただけだったのだ!
With a deep sense of guilt, I drafted a divorce agreement which stated that she
could own our house, our car, and 30% stake of my company. She glanced at it
and then tore it into pieces. The woman who had spent ten years of her life
with me had become a stranger. I felt sorry for her wasted time, resources and energy
but I could not take back what I had said for I loved Jane so dearly. Finally
she cried loudly in front of me, which was what I had expected to see. To me
her cry was actually a kind of release. The idea of divorce which had obsessed
me for several weeks seemed to be firmer and clearer now.
深い罪悪難に苛まれながら、僕は離婚の「承諾書」を書き上げた。
その中には、家は妻に譲ること、車も妻に譲ること、僕の会社の30%の株も譲渡することを記した。
彼女はそれをチラと見ただけで、ビリビリと破り捨てた。
僕がこの10年という月日を共に過ごした、この女は
僕にとってもはや「見知らぬだれか」に成り下がっていた。
彼女が今まで僕のために浪費した、時間、労力、エネルギーに対しては、、、本当に申し訳ないと思っている。
でも
自分が「ジェーン」を愛しているという気持ちに、これ以上目を背けることは出来なかった。
承諾書を破り捨てたあと、妻はとうとう大声をあげて泣き始めた。
ヘンな言い方だが、僕はその彼女の泣く姿を見て少しホッとしたのだ。
これで離婚は確定だ。
この数週間、呪いのように頭の中につきまとっていた「離婚」という二文字は、
これでとうとう現実化したのだ。
The next day, I came back home very late and found her writing something at the
table. I didn’t have supper but went straight to sleep and fell asleep very
fast because I was tired after an eventful day with Jane. When I woke up, she
was still there at the table writing. I just did not care so I turned over and
was asleep again.
その翌日、僕は仕事からかなり遅くに帰宅した。
家に戻ると、妻はテーブルに向かって何かを一生懸命に書いていた。
夕食はまだだったが食欲など到底なく、僕はただベッドに崩れるように倒れ込み寝入ってしまった。
深夜に一度目が覚めたが、その時も妻はまだテーブルで何かを書いているようだった。
僕はもはや大した興味もなく、ふたたび眠りについた。
In the morning she presented her divorce conditions: she didn’t want anything
from me, but needed a month’s notice before the divorce. She requested that in
that one month we both struggle to live as normal a life as possible. Her
reasons were simple: our son had his exams in a month’s time and she didn’t
want to disrupt him with our broken marriage.
朝になって、妻は僕に「離婚の条件」とつきつけてきた。
彼女は家も車も株も、何も欲しくないと言った。
でもその代わりに「1ヶ月間の準備期間」が欲しいと言ってきた。
そして彼女の条件は、その1ヶ月のあいだ出来るだけ「今までどおり」の生活をすること。
その理由は明確だった。
僕らの息子が、1ヶ月後にとても大切な試験を控えているため
できるだけ彼を動揺させたくないというのが、彼女の言い分だった。
This was agreeable to me. But she had something more, she asked me to recall
how I had carried her into out bridal room on our wedding day. She requested
that every day for the month’s duration I carry her out of our bedroom to the
front door ever morning. I thought she was going crazy. Just to make our last days
together bearable I accepted her odd request.
それに関しては、僕は即座に納得した。
だが、それ以外にもうひとつ妻は条件をつけてきた。
「私たちが結婚した日、あなたが私を抱き上げて寝室に入った日のことを思い出してほしい」と。
そして、これからの一ヶ月のあいだ、あの時と同じようにして
毎朝、彼女が仕事へ行くときに
彼女を腕に抱き上げて 寝室から玄関口まで運んでほしいと言うのだ。
僕は「とうとうおかしくなったな・・・」と思った。
でもこれ以上妻といざこざを起こしたくなかった僕は、黙って彼女の条件を受け入れた。
I told Jane about my wife’s divorce conditions. . She laughed loudly and
thought it was absurd. No matter what tricks she applies, she has to face the
divorce, she said scornfully.
僕は「ジェーン」にこのことを話した。
ジェーンはお腹を抱えて笑い、「ばかじゃないの」と言った。
今さら何をどうジタバタしたって離婚はまぬがれないのにと
ジェーンは嘲るように笑った。
My wife and I hadn’t had any body contact since my divorce intention was
explicitly expressed. So when I carried her out on the first day, we both
appeared clumsy. Our son clapped behind us, daddy is holding mommy in his arms.
His words brought me a sense of pain. From the bedroom to the sitting room,
then to the door, I walked over ten meters with her in my arms. She closed her
eyes and said softly; don’t tell our son about the divorce. I nodded, feeling
somewhat upset. I put her down outside the door. She went to wait for the bus
to work. I drove alone to the office.
僕が「離婚」を切り出して以来
僕ら夫婦はまったくスキンシップをとっていなかった。
なので
彼女を抱き上げて玄関口まで連れていった1日目
僕らは二人ともなんともヘンな感じで、ぎこちなかった。
それでもそんな僕らの後ろを、息子はそれは嬉しそうに手をパチパチ叩いてついてきた。
「ダディーがマミーを抱っこして『いってらっしゃい』するよ!」
その言葉を聞くなり、僕の胸はきりきりと痛んだ。
寝室からリビングへ、そして玄関口へと
僕は妻を腕に抱いたまま10メートルは歩いただろうか。
妻は目を閉じたまま、そっと「どうかあの子には離婚のことは言わないで」と耳元でささやいた。
僕は黙ってうなずいた。でもなぜか、そうしながら
心はひどく動揺していた。
妻をドアの外に静かにおろすと、彼女はそのままいつものバス停へ向かって歩いていった。
僕もいつもどおり車に乗り込み仕事へ向かった。
On the second day, both of us acted much more easily. She leaned on my chest. I
could smell the fragrance of her blouse. I realized that I hadn’t looked at
this woman carefully for a long time. I realized she was not young any more.
There were fine wrinkles on her face, her hair was graying! Our marriage had
taken its toll on her. For a minute I wondered what I had done to her.
2日目の朝
初日よりは少しは慣れた感があった。
抱き上げられながら、妻は僕の胸に自然ともたれかかっていた。
僕はふと、彼女のブラウスから薫るほのかな香りに気づいた。
そして思った。
こうして彼女をこんな近くできちんと見たのは、最後いつだっただろうかと。。。
妻がもはや若かりし頃の妻ではないことに、僕は今さらながら驚愕していた。
その顔には細かなシワが刻まれ
髪の毛には、なんと白いものが入り交じっている!
結婚してからの年数が、これだけの変化を彼女に。。。
その一瞬、僕は自問した。「僕は彼女に何てことをしてしまったのだろう」と。
On the fourth day, when I lifted her up, I felt a sense of intimacy returning.
This was the woman who had given ten years of her life to me. On the fifth and
sixth day, I realized that our sense of intimacy was growing again. I didn’t
tell Jane about this. It became easier to carry her as the month slipped by.
Perhaps the everyday workout made me stronger.
4日目の朝
彼女を抱き上げたとき、ふと
かつて僕らの間にあった、あの愛情に満ちた「つながり感」が戻ってくるのを感じた。
この人は
この女性は
僕に10年という年月を捧げてくれた人だった。
5日目、そして6日目の朝
その感覚はさらに強くなった。
このことを、僕は「ジェーン」には言わなかった。
日にちが経つにつれ
妻を抱き上げることが日に日にラクになってゆくのを感じた。
なにせ毎朝していることなので、腕の筋力もそりゃ強くなるだろうと
僕は単純にそう考えていた。
She was choosing what to wear one morning. She tried on quite a few dresses but
could not find a suitable one. Then she sighed, all my dresses have grown
bigger. I suddenly realized that she had grown so thin, that was the reason why
I could carry her more easily.
ある朝、妻はその日着てゆく服を選んでいた。
鏡のまえで何着も何着も試着して
それでも体にピッタリくる一着が、なかなか見つからないようだった。
そして彼女は「はあ〜っ」とため息をついた。
「どれもこれも、何だか大きくなっちゃって。。。」
その言葉を耳にして、僕はてハッ!とした。妻はいつの間にやせ細っていたのだ!
妻を抱き上げやすくなったのは、僕の腕力がついたからではなく
彼女が今まで以上に軽くなっていたからだったのだ!
Suddenly it hit me… she had buried so much pain and bitterness in her heart.
Subconsciously I reached out and touched her head.
愕然とした。
それほどまで、やせ細ってしまうまで
彼女は痛みと苦痛を胸のなかに。。。
僕は思わず手を伸ばして、妻の髪に触れていた。
Our son came in at the moment and said, Dad, it’s time to carry mom out. To
him, seeing his father carrying his mother out had become an essential part of
his life. My wife gestured to our son to come closer and hugged him tightly. I
turned my face away because I was afraid I might change my mind at this last
minute. I then held her in my arms, walking from the bedroom, through the
sitting room, to the hallway. Her hand surrounded my neck softly and naturally.
I held her body tightly; it was just like our wedding day.
そこに息子がやってきた。
「ダディー、マミーを抱っこして『いってらっしゃい』する時間だよ!」
息子には、父親が母親を毎朝抱き上げるこの光景を目にすることが
すでに大切な日常の一場面となっているようだった。
妻は、そんな息子にむかって「おいで」と優しく手招きしたかと思うと
彼を力いっぱいぎゅっと抱きしめた。
僕は思わず目をそらした。
そうしないと、最後の最後で、気が変わってしまいそうだったからだ!
僕はだまって、いつものように妻を腕に抱き上げ
寝室から、リビング、そして玄関口へと
彼女を運んだ。
妻はただそっと、僕の首に腕を回していた。
そんな彼女を、気づいたら強くグッと抱きしめていた。
そうまるで、結婚したあの日の僕のように。。。
彼女の、それはそれは軽くなった体を腕のなかに感じながら
僕は例えようのない悲しみを覚えていた。
But her much lighter weight made me sad. On the last day, when I held her in my
arms I could hardly move a step. Our son had gone to school. I held her tightly
and said, I hadn’t noticed that our life lacked intimacy. I drove to office….
jumped out of the car swiftly without locking the door. I was afraid any delay
would make me change my mind…I walked upstairs. Jane opened the door and I said
to her, Sorry, Jane, I do not want the divorce anymore.
そして最後の朝、
妻を抱き上げたとき
僕は、一歩たりとも歩みを進めることができなかった。
その日息子はすでに学校へ行ってしまっていた。
僕は妻をしっかりと腕に抱き、そして言った。
「今まで気づかなかったよ。僕たちの結婚生活に、こうしてお互いのぬくもりを感じる時間がどれほど欠けていたか・・・」
そして僕はいつもどおり仕事へ向かった。
何かにせき立てられるように、とにかくここで、最後の最後で
自分の決心が揺らいでしまうのが怖くて
それを振り切るかのように、車を停めると鍵もかけずに飛び出し
オフィスのある上の階まで駆け上がっていった。
気が変わってしまう前に、オフィスへ行かなければ。早く「ジェーン」のもとへ!
ドアを開けるとそこに「ジェーン」がいた。
彼女を見た瞬間、
僕は思わず口にしていた。
「ジェーン、すまない。 僕は離婚はできない。」
She looked at me, astonished, and then touched my forehead. Do you have a
fever? She said. I moved her hand off my head. Sorry, Jane, I said, I won’t
divorce. My marriage life was boring probably because she and I didn’t value
the details of our lives, not because we didn’t love each other anymore. Now I
realize that since I carried her into my home on our wedding day I am supposed
to hold her until death do us apart. Jane seemed to suddenly wake up. She gave
me a loud slap and then slammed the door and burst into tears. I walked
downstairs and drove away. At the floral shop on the way, I ordered a bouquet
of flowers for my wife. The salesgirl asked me what to write on the card. I
smiled and wrote, I’ll carry you out every morning until death do us apart.
「ジェーン」は「はあ?」という目で僕を見つめ
そして額に手をあてた。「あなた、熱でもあるの?」
僕はジェーンの手を額からはずし、再度言った。
「すまない、ジェーン。僕は離婚はできないんだ。」
「妻との結婚生活が『退屈』に感じられたのは、彼女を愛していなかったからではなく
僕が毎日の小さな幸せを、他愛のない、だけどかけがえのない小さな日常を
大切にしてこなかったからなんだ。
今頃になって気づいたよ。あの日、あの結婚した日
僕が彼女を腕に抱いて家の中へ初めての一歩を踏み入れたあの日のように
僕は死が二人を分つまで、彼女をしっかり腕に抱いているべきだったんだ!」
「ジェーン」はようやく事の次第を理解したようだった。
そして僕のほっぺたを思いっきりひっぱたくと、扉をバタン!と閉め
ワーッ!と泣き叫びながら飛び出して行った。
僕はそのまま黙って階下に降りた。
見ると、花屋が目にとまった。
僕はそこで、妻のためのブーケをアレンジしてもらった。
店員が「カードには何とお書きになりますか?」と聞いてきた。
僕はふと微笑んで、言った。
「そうだね、こう書いてくれ。」
『毎朝君を腕に抱いて見送るよ。死が二人を分つ、その日まで...』
That evening I arrived home, flowers in my hands, a smile on my face, I run up
stairs, only to find my wife in the bed -dead. My wife had been fighting CANCER
for months and I was so busy with Jane to even notice. She knew that she would
die soon and she wanted to save me from the whatever negative reaction from our
son, in case we push through with the divorce.− At least, in the eyes of our
son−- I’m a loving husband….
その日の夕方、僕は
妻への花束を抱え、顔に笑顔をたたえて
家についた。
はやる気持ちで階段を駆け上がる!
早く早く!妻のもとへ!
・・・・
略
元記事:シアトル日記:妻の祈り URL:hanayu0413.chesuto.jp/e817476.html
2013年01月12日
なれ合いと言えばそうなんですが編
秀さんのガキん子のころはまだスーパーマッケットはちらほら出現してはいましたがコンビニなんてものはありゃしませんで主に一般の商店で買い物をするのがデフォでしたわ。
今はシャッター通りと言われるようになった地方のアーケード街(これも死語か?)には様々な小売店舗がひしめき合って活況を呈しておりました。
それが・・・地方都市では今では開けている店舗の方が少なくなりすっかりとさびれてしまいましたわ。
当時は現在のようにインターネットであらゆるものがクリックひとつで自宅に届く時代になるとは夢にも思いませんでしたよ。と言うか・・100%夢物語でしたわ。
子供の頃は、おい○○君、将来は電話がポケットに入る時代が来たりしてな!
・・・何てまさか実現することはないだろうといった感じで将来の夢を子供心に話しておりましたよ。
時代は変化して従来のやり方が通用しなくなり産業界も、繊維・石炭産業、製鉄業、重電・電気・自動車産業、電子IT産業〜とその時代時代に合わせて主役も変わって行きました。あまり変わらないのが不況に強いと言われる食品産業や金貸し業の銀行くらいなものでしょうかねぇ。
昔から考えたら夢のようなライフスタイルを現代の我々日本人ははおくっております。
発展途上国であるベトナムは昭和30年代の日本のようだとひと昔前は言われましたが、それも今ではかなり古い情報ですね。
ホーチミン市の大きく変貌する街並みを見ていればここ10年でさえ驚くほどです。
洗練された店も増えて来ましたわ。
さて、本日は商店街の衰退の話ではなく、零細印刷業界の転載記事であります。
これをなれ合いと言うか調整と言うかは人それぞれですが、業界の秩序を破壊するニューカマーが出現してくるのはどの業界でも言えることですね。
それはいつも若い世代の経営者達から変革の流れが来ます。
自由主義経済では強いものが当然勝ち!
弱者は首を括ろうが死のうが競争の土俵からさっさと出て行って下さいな!
・・・と言う冷酷な非常な現実の前では旧態依然とした経営のやり方、協調しながら何てゆるい考え方では当然生き残っていけないのは今では当たり前のことですね。
やるか や られるか! 中間はない・・・何とも殺伐とした時代になり申した。
こう風に嘆くのは、いつも秀さんのような爺の年代の人ですわ。
自分たちが生きた時代のノスタルジーなのか・・・
はたまた、日本と言う国が今までとは違う別の民族の考え方の国になったのか
いろいろ考えるがアホの秀さんには分かりませんわ。
皆さんは、下記の転載記事を読んでどう考えるのでしょうか?
以下転載開始です・・・・・
夢想ろうかん−Reloadedより
いまから15年ぐらい前だっただろうか、首都圏印刷業界の中小零細企業社長の関心の一つは、この会社の動向とその良否の判断にあった。
東京・神奈川などの街の印刷屋には、昔から山櫻やハートといったいわゆる末端の紙問屋がルートセールスを掛けており、毎日のように印刷台紙の注文を取りに来る。
関 東では山櫻が強く、関西ではハートが優勢であると一般には云われていたのだが実情はよく判らない。双方入り交じっての攻防で、結局は値段が勝負という様相
だったに違いないと思うのだが、これまた日本の多くのビジネスシーンで見られるように、人間と人間との関係性が色濃く関与していたことも否定できない。
か つてのトヨタと日産のように、取り扱い商品の競合がみられ、どちらがどちらというわけでもなく、同じようなものは双方互いに取り揃えていた。ただ、株式会
社山櫻の 「プリンス」 という名刺台紙だけは、ハート株式会社を常用している印刷屋でも 「これだけはカンベンしてくれよ」 とハートの営業に泣きを入れることもあったようで、もちろん、資本の論理が働いているエセ民主主義国家での経済活動でさえも、そのような “顧客” からの要望を無視することはできない。
双方の “お付き合い” が望ましいと判断している経営者も多くいて、仕入れのバランスを取りながら両社とうまく付き合っているところも多く、またその紙問屋両社の営業も嫌な顔ひとつせず、それを了承していた。そして、現在もそうである。
街の印刷屋に出入りしている紙問屋の営業は、その印刷屋の顧客に直接アプローチすることはタブーである。
もし、そんなことをやれば印刷屋の経営が傾き、日々の企業努力が水泡に帰すばかりでなく、印刷業界そのものが崩壊してしまう。
結局は自分達の問屋としての会社の首を絞めてしまうことにつながるからだ。
だから、山櫻もハートも、街の印刷屋の顧客には絶対に手を出さない。
ところが、
少し前に、不思議な噂が飛び交った。
新興のある紙問屋が関東を中心に一大攻勢を掛けているというのだ。
当初、その会社は封筒台紙を中心に営業を展開していた。
もちろん山櫻もハートも封筒台紙は数多く備え、大量の封筒印刷に手を焼いている、あるいは技術的に難しい印刷の場合、さらには特殊なロゴ等が入る印刷の場合は、山櫻・ハート両社は本社工場での印刷を受けていたし、現在もそうだ。
また、それほどでもない場合には両社の下請け印刷所に依頼することもある。
この判断は担当営業に任せられている。
そして、たとえそうでなくとも、街の印刷屋はある程度の安心感をもって同業他社に外注作業を委託しているのが現状である。
その 「新興勢力」は、おそらく、関東一円の中小零細印刷業者を対象に営業を掛けた。
封筒印刷で困っていませんか? 当社は封筒が得意です。種類も他社には無い物を取り揃えております。印刷枚数が多いときは格安の値段で当社工場で印刷し、御納品いたします。版下も必要ありません。手間いらずですよ。(*^。^*)
むろん、自社で刷れば利益は増えるのだが、その印刷値段があまりにも安いので多くの印刷屋のオヤジは、気軽に頼んだらしい。
そのことの検証はしていない。たんに、うわさの段階だ。
しかし、その件について、関連する印刷会社4社から同じことを聞いた。
さらに、当時、横浜で友人と印刷屋を営んでいた私は、山櫻の敏腕営業からも同様な話を聞いたので、この噂は全くのデマというわけでもないだろう。
顧客情報が漏れた・・・・?
その印刷屋へは、封筒依頼をした末端のお客様からの注文が来なくなった。
印刷屋に注文した客へ直接アプローチしているのではないのかとの噂が流れた。
街の印刷屋が抱えている顧客(大量の封筒印刷を依頼する末端の顧客は街の印刷屋にとっては上客)の情報を取得するために、格安値段で封筒印刷を受けたのではないかとの疑念を印刷屋の社長に限らず、製版屋、製本屋のオヤジ達が言っていた。
「あこはヤバイ、やめておいたほうがいい・・・・」
中小零細の印刷会社が客の取り合いを始めたら、それで業界は滅びる。
製品のダンピング競争が始まり、自分で自分を追い詰めていく。
廉価の製品は、「商品」 にならなくなるのだ。
だが、それをやらなければ売上が上がらず、月々のカネが回らないとなれば背に腹は代えられないので、やらざるを得ない。
当然ながら彼らとて少ない客の取り合いをするのではなく、市場を拡大しなければ駄目なのは解っているにも関わらず。
日本の法律ではそんなことをやってはいけないとは何処にも書いていない。
だが、それをやらずに今まで互いの共存をはかってきた。
中小零細印刷業者間では、それはタブーだという暗黙の了解があって、緩やかなある種の強制のなかで、自分たちの立ち位置を確保して来た。
困ったときは協力し合うこともあって、それでも相手に顧客を取られてしまうということは眼中に無かった。
幸せな時代だったのだ。
無際限なグローバル化、無慈悲な資本の論理は、人間が苦労して築いてきた地域共同体の根幹をも無惨に打ち崩そうとしている。
島国にあってお互いの立場を理解し、そしてそれを温存しなければ生業が成り立たないという状況は既に崩壊している。
少なくとも、その兆候は・・・・、
いまから20年ぐらい前から印刷業界には顕現していた。
ここ数年、街の印刷屋の数が激しく減った。
それは人々の心の荒廃と無縁ではないだろう。
“日本” が壊れていく・・・・・
以上 転載終了・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2012年12月11日
年末について思う編
普段はしみたれた大人たちも正月のお神酒のせいもあり気が大きくなり財布のひもも緩くなり、意外な人から思わぬ大金のお年玉をもらった時なんかは、秀さん子供心に不思議に思ったりしたもんです。
今は常夏の国遠く海外に住むようになり、正月を迎える日本人と言う基準からは少しずれた立ち位置にいるので実感としては日本の正月と言う感覚は100%実感出来ないのですが、でもそこはやはり日本人ですので12月も半ばになろうかというこの時期、あ〜もうそろそろお正月かぁ〜 と暑さでぼけた頭で何となくカレンダーを見てしまいます。
部屋のカレンダーには残り1枚になった12月の冬山の景色の写真が載っており日本の寒い正月をイメージさせます。秀さんの東京での大学生時代は毎年年末になるとなぜか田舎が恋しくなり両親はじめ親戚や幼なじみに会いたくなり夜行寝台列車に揺られて故郷の福岡に帰省したものです。当時はその時間も半端ではなく十数時間もかかりましたわ。貧乏学生には飛行機なんてものは、ベトナムでフェラーリを乗るような感覚ですので縁もゆかりもなかったですね。
また、飛行機の便数も少なく多くの人は運が良ければ夜行寝台特急、下手すると急行自由席で眠らないまま帰省なんてことも普通でしたわ。
今の都会の若い人はどうなんでしょうかねぇ?
田舎に帰るよりは年末年始は海外で! みたいな感じであまり自分の故郷には帰らないのでしょうか? よく分かりませんが・・・。
秀さんの時代と今の時代で大きく違うことは、地域コミュニティの希薄さでしょうか・・・。
日本は人口が、特に戦後 地方から都市部に労働力として移動する過程で、多くの国民は本来の社会(地域)コミュニティから切り離され、地域の共同体の一員だという感覚が段々なくなってきました。祭りに参加する若い人が減って困っているという話も聞きますもんね。
これは、生活する上での基盤が地域や家族の中に存在していたものが会社と言う機能集団の中に置かれるように変化して来たからでしょう。地方から出てきた多くの人は、会社という疑似コミュニティに囲われていき、本来の社会コミュニティから外されてしまったからではないでしょうかねぇ?
そもそも会社なんてものはある目的(要は金儲け)のために機能的に存在している無機質な組織ですわ。家族のように無償の愛や思いやりなんてものは存在しませんねぇ。だって金儲けがその集団の第一目的ですもん。
会社の利益獲得に貢献したものが評価されそうでない者は評価されないという冷酷な基準のもとに運営されている商法上の組織ですもん。
海外に住む多くの駐在員さんも同様で、会社という疑似コミュティために苦労の多い海外で日々の生活に頑張っている訳です。その対価は給料や昇進という名のもとに受け取りますが、あくまでキブ&テイクの関係であってそれ以上のものではありません。今の日本では非正規雇用の拡大によってこの疑似コミュニティからも外される人が多くなってきています。 また社会コミュニティ自体も、崩壊して消滅しつつあります。
全てがお金儲け・・・その経済優先の原発が何をもたらしたのか、地域の生活基盤、長年育んできた美しい自然環境も一瞬にして汚染してしまいました。
普段、日本人と同じようにお金儲けに忙しいベトナム人ですが、正月(テト)を迎えるその気持ち、故郷にまつ両親や親戚との再会にかける思いは日本人のそれよりはまだ何倍も何十倍も厚い。
今後、このベトナムもますます経済発展をしていくことでしょう。でもね・・・社会コミュニティがなくなるような発展はしてほしくないですね。
今の都会の若者のように、どこにもつながっていない孤立した状態は、本来楽しいはずであるべき人間の生活を孤独にし、家族や親せき・近隣地域のもつふところの広を分からなくさせてしまうからです。
柄にもなくなんか真面目な話になってしまいました。
正月が近いからか・・・遠き古き時代の思いにふけてしまった秀さんですわ。正月までもう少しです。
皆さん、日々の仕事&生活に精を出しましょう!
2012年12月07日
家の近くのマッサージ屋さん編
本日も体調回復を兼ねて行って来たのですが、1区3区にある簡易マッサージ台のそれとは違いちゃんとした施術台のある本格的なマッサージです。
サウナ込で1時間30分みっちりマッサージ(全身マッサージ、ホットストーン、ボディオイル)をやってくれます。
料金は1時間30分で15万ドン、チップは秀さんの場合は同額の15万ドン、トータル30万ドン(1200円ほど)です。オーナーはベトナム人ですが、多分?店名も富士ですし、日本に行ったことのある人か外国人相手のサービス業の経験がある方でしょうねぇ、多分。
手抜き無しのフルボディマッサージはベトナムでは貴重ですわ。
以前は1区にある韓国人経営のゴールデンロータスに良く行っていましたが、最近はもっぱらこの富士がご贔屓です。まぁ、自宅から直ぐですしね。
マッサージ嬢に揉んでもらっている時は、秀さん柄にもなく こんな爺の体を揉んでくれてどうも有難うといつも心の中で感謝しておりますよ。
誰しも長時間にわたって人様の体をもみほぐすなんて仕事は楽でもありませんし、まして秀さんのような爺さまのボテボテの体を揉むなんて嫌なことでしょう。はい。
給料自体はチップもあるので聞いたところそこそこの金額にはなるようですが、
それでも若い女性が好んでやりたいと思う仕事ではないでしょうな。
秀さんについたある28歳のマッサージ嬢は5歳の子持ちでバツイチ。旦那が女癖が悪く離婚したとのことでしたわ。別の30歳のマッサージ嬢もやはりバツイチと聞きました。母子家庭となり子供の教育費やら人さまざまの事情からこの仕事についていることでしょう。
このマッサージ屋さん、まだ20代前半の娘も多いですわ
そんな人間模様を自分勝手に想像しながら施術を受けていると、自然に、ああ〜、有難いことだなぁ〜 と心の中で感謝の気持ちが出てくるのであります。
本当か と言われますか? はい、本当です。
世の中、様々な人が様々な役割を担ってくれるから回っているわけで誰しも自分一人では何もできゃしませんって。
その代わりお金と言う対価を払ってサービスを受ける訳ですが、お金を払うから当然、あんたの仕事だろう と高飛車な気持ちにはなれない秀さんがおります。
この世の中お金持ちが良いと言う風潮にどの国も染まってしまいました。
お金を持つ者の中には尊大になる人もいます。
人間生きて行くうえで何らかの妬みや羨みの気持ちは誰しもあるものですねぇ。
お釈迦様が言うには、その気持ち(煩悩)が世の中を乱す元と言われています。
マッサージ嬢と同じように秀さんも決してお金持ちではなくかなり貧乏な部類に入る人間ですので、同類憐れむではないですが、自然と感謝したくなるのかも知れません。
最後にバートランド・ラッセルの幸福の克服と言う短文をご紹介して本日は終わりにいたしましょう。
皆さん、明日もお元気で!
種々の不平等は理性的に考え始めるや否や、なにか優れた長所に基づかない場合は不当なものだということが解る。
そして、不当なものだということが解るや否や、その結果生じる「妬み」 に抗する為には、不当なものを取り除く以外には手段が無くなる。
我々の時代は、それゆえ、「妬み」がとりわけ大きな役割を演じている時代である。
貧者は富者を妬み、貧しい国は富める国を妬み、女性は男性を妬み、道徳的な女性は道徳的でないのに罰せられないでいる女性を妬む。
「妬み」が異なる階級、異なる国家、また異なる性の間に、“公正・公平” をもたらす主な要因になっていることは事実であるが、同時に、妬みの結果として期待される “公正・公平” は、最悪の種類のものになる恐れがあることも、また事実であり、それは、“公正・公平” といっても、不幸な人たちの楽しみを増すよりも、むしろ幸運な人たちの楽しみを減らすことに(妬みの本質が)あるのである。
私生活に荒廃をもたらす<情熱>は、公的生活にも同様の荒廃をもたらす。
「妬み」のような悪しきものから良い結果良い結果が生まれるとは考えられない。
それゆえ、理想主義的な理由から、社会組織を根本的に変革し、社会正義を大幅に増やしたいと思う人は、妬み以外の<力>が改革の手段になることを望まなければならない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
仰るとおり、そうですね。
そんな考え方が出来る人が・・・
妬ましい・・・
何じゃ、そりゃ! ですね。 スマソ
2012年11月23日
夢はあるかい?編
タバコに火をつけて一服しておもむろに服を着替えて朝出勤する、仕事の後に事務所で昼飯を食べ午後同じように仕事の後に時間が来れば、ほぃそろそろ帰るべぇ〜 と帰宅の途につく。
来客や他に予定のある時以外はほとんどこの繰り返しですわ。
家に帰ったところで可愛い奥さんが手料理を作って待ってくれていて、
ご飯にする?
お風呂にする?
それとも、あ・た・し・・・?
何て聞かれるようなことは死んでもありしませんわ。
まぁ、相方はとうの昔に天国へと旅立っていますので望んでも無理なこってすが。
時には食事会や飲み会もありますが、最近は外に出て食事したりお酒飲んだりするのにも気が向かないというか減衰する体力のせいもあるのでしょうが、あまりその気が起きないというのが正しいですね。ここまで書いて・・・
おいおい、何ともメリハリのない、夢のない生活だなぁ〜 と読者の方が思われても反論できない秀さんがおります。
何で?・・・と自問してみるが分かりません、はい。同じ事柄でも20歳代、30歳代と60歳前の年代では感じる認識が違って当然ですね。
箸が転げても可笑しい十代と昔はよく言われておりましたが、年取って来ると全ての面において動よりも静を好むようになるというか、ワイワイガヤガヤの賑やかしさよりは田舎の田んぼの風景とか草木に囲まれた自然の中に身を浸す方が心地よく感じるのでしょう。
最近は無性にベトナムの田舎町にふらっと言ってみたい衝動に駆られます。体内にある活動時計のゼンマイの動きが加齢と共にゆるくなって速いテンポではついていけないようになっているのかしら・・・?
どこの国に住んでも住めば都でそれなりに楽しく過ごすことが出来る性格の秀さんですのでベトナム生活に不満もなにもありません。へい
日本で暮らしていたような感覚で普通にベトナム生活に溶け込んでおり、お! これがフランス統治時代の建物か! なんて観光客の皆さんが感動するようなことはもうありませんが、同じルーティンをこなす毎日、時には愚息とゴルフに行ったりはしますが、日々平々凡々の暮らしっぷりです。
そのなにが不満? と言われれば返す言葉がないのですが・・・
突き放して言えば・・・これが生きるということなのでしょうねぇ。
毎日、TVドラマのようなことばかり起こるような生活はどこを探してもありませんもんねぇ。
ほい、そこのおっさん、あんた、今、夢はあるかい?
と若い人にもし聞かれたら・・・
どう答えれば良いのか分からないじじいの秀さんですが、
ほう、そうさねぇ〜、若い時からあんたの言う、夢というもんを探してあっちこっちふらついて来たが、この年になっても今だ見つけ切らないのだよ〜 まったくどうしようもない男さ この俺は・・・
何て答えておきましょう。
ついでに、若い人よ、ところであんたの夢は何かい? と聞いてみましょうかねぇ〜
さて、皆さま、夢ってありますか?
2012年11月07日
夢に出てきたことは無い編
へぃ、昨日は亡きおかあちゃんの命日でしたわ。
もうずいぶん前のことなので悲しみに暮れて朝からヤケ酒を飲むなんてことはここ十数年なくなりましたが、時には想い出して上げないと夢枕に出て来られて、昔ほったらかしにしていた時のことなどたっぷり愚痴を聞かされてもいけませんのでベトナムの簡易仏壇にお線香をあげて感謝しておきましたわ。しかし今まで一度も夢に出てきたことは無いですわ。両親も含め・・・。
とある大きな病院の癌病棟の一室で午後4時11分に息をひきとったのですが、心電図の数値が徐々に下降し最後はピーという音になるかならない時に看護ステーションから看護婦さんが飛び出してきた光景を思い出しました。
それまではかすかに息をしていた人間があっという間に動かない物体に変わるのですから、そりゃ動転しますがな。その前には祖父母の死を経験していましたが何せまだガキん子の時でしたので人間の死について深く考えることはなかったですね。長い間一緒に生活をして来たおかあちゃんとの別れはなかなか死を認識できずに気も動転しており、亡くなった直後には何も考えることが出来ずに、すべてお任せします みたいな感じで婦長さんの言うがままに葬儀社を決めあとは葬儀社の指導、いや誘導のまま通夜葬儀へと・・・
その後親父さんの葬儀と比較すると メチャぼられていたことに気付くのですが、初めての経験ですので仕方がないですね、はぁ〜
中学時代の同級生でした。それも秀さんの一目惚れから始まったことですわ。
ニキビ面の中高校生・東京での学生時代〜社会人、独立起業・会社成長期・・・と。長い付き合いでしたので奥さんと言うよりは伴侶(一緒に連れ立つ仲間)という呼び方の方がしっくりくるかな?今年は悲しいことに長兄の急な死もありました。おかあちゃんに両親も同じですが、もう会いたくても会えない関係になりました。歳を重ねるにつれて親しい人々との別れの回数も増します。
そして、最後は自分が見送られる順番に・・・なることでしょう。
今元気に生きている(生かされている?)ということは、
自分の順番が来るそれまではしっかり生きなはれ! と亡くなった者たちから応援されているのかも知れませんねぇ。
しかし、さぞや亡くなった者たちは驚いていることでしょうな、親子が異国の地ベトナムに住んでいるんですもん。
住む場所はどこであれ、時々には亡くなった者たちのことを想い出して上げて供養してあげなければと思った本日のお話でした。湿っぽい話でスマソ。
最後に、品友会が今週の土曜日にありますが、これも何かのご縁があり集まる訳ですね。
こうしてご縁によりこの世でまた異国の地で同じ日本人が同じ時間を共有できるという喜びに感謝しなければ・・・と感じます。
一期一会、有難いことです。
2012年10月31日
お金とは何ですかねぇ?編
早い話が、お金の循環というシステムは初代ロスチャイルドさんが考えた素晴らしい(邪悪な?)システムですね。
FRBに代表されるように国の機関でもない一民間会社がドル紙幣を印刷している現状に誰も不思議に感じないのでしょうかねぇ?
我が国の日本銀行だって、株主は100%公開されていませんが、立派な 株式会社 ですぞぃ。
日本円札をよ〜くご覧になって下さいな。日本銀行株式会社 とかいてありますもん。
日本銀行設立は明治時代ですが、その当時のユダヤ系のロスチャイルド金融グループは世界の国にお金を貸しておりまして、明治政府も例外ではありません。
日本銀行の株主の40%くらいはユダヤ系の金融機関が株主と言われている所以ですね。
秀さんの場合は、金が金を生むような投機的な事柄は一切やらない! という家訓を守って生きて来ましたので・・・へい、貧乏がデフォルトの生活になってしまいましたが、今ではそれもオーケー、ノープロブレム という生き方をしておりますので、財布も軽けりゃ気も軽いイージーな生活を楽しんでおりやす。
以下、金玉さんのブログから1部転載しますが、人間を含め自然界に存在するあらゆるものは時間と共に価値が落ちていく と書いております。
それは物質的な意味においてはそうですね。
どんな人も生まれ老い病気になりそして死ぬことから逃れられません。生老病死 ですね。
生老病死とは仏語で、避けることのできないこの世での人間の4種の苦悩。生まれること、老いること、病気をすること、死ぬこと。四苦。とあります。
いつも思うのですが、一生懸命汗水たらして寝る間を惜しんで蓄えた莫大な財産もいずれ本人が死という現実を迎えた時にはあまり意味の無いもののように感じますねぇ。
財産はモノとしての価値はあるでしょうが、その財産を貯めるために、俺はメチャ頑張ったで! 一生懸命生きたぞ! という思いの方が大事なような気がする今日この頃の秀さんでごわす。
また、財産は全く残せなくとも少なくともこの世に生を受け、生きる限り真っ当な生き方で人生を歩んだ というだけの人生でも良いような気がします。
能書きはこのくらいにしてマンガでもご覧になって下さいな。へい
以下転載開始どす。(画面をクリックすると別画面で大きく見ることができます)
さて、このマンガで言いたいことは。
貨幣のない時代。
物々交換の時代は、物を蓄えるのもなかなか大変ですた。
だって、物は腐ってしまうからです。
お米や小麦を蓄えた人は、時間と共にそのお米小麦は虫が湧いて腐って食べられなくなりますよね。
自動車だって、時間と共にポンコツになります。家だってそうです。
ほっとけば雨漏りして住めなくなるでしょう。
価値を維持するためには一生懸命メンテナンスするはずですよね。
うそ言うな。私の家は時間が立っても立派に立っているなどという方。
それは、あなたが働いた分だけ価値が減ってるということですよね。
あなたの奥さんだってそうです。
若いころはグラマラスなピチピチギャルだったのに、今ではたらちねの母になっています。
だから、あなたはせっせと稼いで化粧品を買え与えなければならない。
あなたはそうやってひいこら毎日通勤電車に寿司詰めにされ、若いころはギンギンだったのに、
最近はバイアグラでも飲まないと元気になれない。
時間と共に価値が減ってるのです。
とにかく自然界に存在するあらゆるものは時間と共に価値が落ちていくのです。
でも、貨幣だけは腐りません。
だから本来、貨幣などと単に物々交換をスムーズするための媒介手段に過ぎないものだったのに、永遠の命を持つ現代の「神」ならぬ「紙」になってしまった。
だから貨幣を誰かに貸す場合は、利子を払ってもらわないと貸したくならない。
貨幣を信奉したくなる。
そうやって本来は物を持ってる方が立場が上だったはずなのに、
あらぁ?
なんだか知らないけど貨幣を持つ人間の方が立場が上になっていったのです。
商人がものを仕入れて売る、それをまた、誰かが仕入れて売る。
そうやって経済活動が回れば回るほど利子が増えていく。
現代の神ならぬ紙を信奉する心。
そこに灰色の男が入り込む隙があるんだと分析しているのです。
以上転載終了
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