2012年09月23日

伊勢白山道から老子の言葉 第十二章転載編

いつも読んでいる伊勢白山道さんからの転載ですが、心に沁みわたります。
日々欲にまみれた生き方をしている自分が悲しくなりますわ。

自分の良心(両親)に恥じない生き方をしたいものですね。

転載ばかりでスマソ。



老子の言葉 第十二章

(独自の超訳)


色とりどりの色彩は人の視覚をくらませます。

色んな音を同時に重ねますと、人は聞き分けることが出来ません。
色んな種類の調味料を入れ過ぎますと、本来の味が壊れます。
競馬の賭け事や、犬を使った追い込み狩猟の趣味は、人間の心を獣のように狂わせます。

多くの財産を保有することは、狙われる身の危険性が増し、その人に間違った行動(収賄・愛人・・・・)も行わせます。

だからこそ真理を知った聖人は、自分の「腹」(心の良心)を満足させることを重視し、目に見える物事にだまされません。
目に見える快楽よりも、良心が満足することを求めます



原文


「五色令人目盲。五音令人耳聾。五味令人口爽。馳騁畋獵、令人心發狂。難得之貨、令人行妨。是以聖人、爲腹不爲目。故去彼取此。」


(感想)


この文章で最も大切なことは、「腹」の概念です。前半は腹のための前フリに過ぎません。

多くの学者がこの「腹」を、老子は快楽を否定するが食事は大切だと言った、満腹まで食べることを良しとしたと解釈しています。しかし、これは間違いです。
私たちは、他人を意識した「見える物事」を絶えず追求しています。


家・自動車・服飾・金銭・豪華な食事・結婚・・・・・。

ここで考えるべきなのは、

「もし世界に自分一人しか存在していないと仮定しますと、その時の自分はどんな選択をするのか?
と言うことなのです。


他人を意識した化粧をしますか?服装の選択は見栄えよりも機能重視にしませんか?食事も最低限の簡素な物にしませんか?住まいの選択に心血を注ぎますか?

私たちは自分を大切にしていると思いながら、実は他人の視線のために生きている場合が多々あるのです。


しかし、人間が死ぬ時は、本当に一人きりなのです。


なんか変ではないでしょうか?

人生の長い期間を他人の視線のために生きて、そして死ぬ時になって初めて自分を見詰めます。
自分が死ぬ時に、本当の裸の自分を見詰めた時、人生においてあれほど欲しかった見える物事が不要な物であったことを人は初めて知るのです。もうゲップが出るほどたくさんなことを思い知ります。

それならば、人生を生きている間に、自分の腹(良心)を満足させるという概念に色んな悩みのお蔭で気付くことが100倍も大切なのです。自分の死後にも持参出来る、本当の財産に成るのです。

とにかく人間は、それを追求した先に何が有るのか?残るのか?を想像することが出来れば幸いです。

戦争の先には何が残るのか?勝者などいません。


国土の荒廃と多くの人間に愛する縁者の死をもたらすだけです。


人間は、領土も、品物も金銭も、本当には持つことが出来ないことを知らなければ生けません。


生かして頂いて ありがとう御座位ます



posted by 秀さん at 14:57| ハノイ ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月11日

俳優、渡辺謙のスピーチ編


スイスで25日に開会した世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、俳優の渡辺謙さんがスピーチに立ったそうです。


知る人ぞ知る・・・あの悪名高き? ダボス会議の会場にてどんなスピーチをしたのか気になって調べてみましたぞぃ。


読んでみて、なるほどあなたの言うとおりだと感心しましたわ。


しかし・・・ダボス会議の参加メンバーにこのような話をしてもどこまで理解してもらえたかは?ですがね。


それとも・・・なに?


あ〜たも根っからのダボス会議支持者か? と思ってしまいますが、

あまり疑り深くなってもいけませんな!


素直にこのスピーチを支持しましょう。へい。


では、転載開始です。



初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。


まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。


皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。


私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。

日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。


その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。


役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。

ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。


その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。


260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。

そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。


人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。


しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。


人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。

しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。


世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。


それから日本にはさまざまなことが起こりました。


長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。


私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。

まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。

冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。


しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。


携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。


物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。


そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。



そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。

それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。


電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。


そこに何が残っていたか。


何も持たない人間でした。


しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。


それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。


それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。



「絆」、漢字では半分の糸と書きます。


半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。


困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。


そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。


多くの外国から支援者がやって来てくれました。


絆は世界ともつながっていたのです。


人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。



いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。



国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。


日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。


人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。


こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。


「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。



私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。


がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。


今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。


しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。


心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。


posted by 秀さん at 23:11| ハノイ | Comment(0) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月07日

そろそろ日本は秋の季節に入りますねぇ編

常夏の国ベトナムでもこれから少しずつ涼しくなって行きますねぇ。
日本のようにはっきりと季節の移り変わりを実感できることは無いですが、それでも
ベトナムにおいてさえ気候変化による肌に感じるわずかな気温や湿度の違いはわかるものです。

季節が移り変わって行くように人の考え方も時々によって変わっていきます。
ある人がそれなりの成功をおさめこのまま状態が良いわぁ〜 と思っていても長い人生においては様々なことがあり常に順風満帆とはいかないのが世の中の常ですね。
秀さんも経験があります。

日本の記事でNECに勤める中年社員の方が原因はリストラによる肩たたきかも知れませんが吹き抜けの本社ビル内で投身自殺をはかったとの記事を読みました。
どんな理由であれせっかくこの世に生を受けるという幸運に恵まれたにも関わらず
自ら自殺を図るなんて・・・何とも悲しいことであります。

一時は隆盛を誇った家電や電子機器・IT業界も現在では急下降線をたどり日本ではリストラの嵐が吹き荒れています。
今の日本に蔓延している閉塞感というか金儲け主義に翻弄された時代の限界感が関係していると思いますねぇ。
今後、企業の倒産をはじめとする、経済や人の生き方の限界が様々な矛盾を抱える現在社会において露呈し始めて来たのかも知れません。

過去の秀さんの経験から言うと・・・間違った方向性は行き詰まる。
秀さんも過去の自分の失敗の数々をよく人のせいや環境のせいにして悶々としていた時期がありましたわ。
しかし、数十年経って客観的に(自分にたいするエコひいき無しに)ものごとの本質を
見てみると、う〜ん、やっぱ自分の方向性が間違いだったと気づきましたぞぃ。

早い話がよくないものはいつかは行き詰まるし、また行き詰ることで新たな転地に自分たちを運んでくれます。それが以前と比べて良いか悪いかを人は良く比較をしてしまいます。
それも主に金銭的(可処分所得の多い少ない)なことばかり比較してしまいますねぇ。
秀さんもそうでした。へい。
変化してしまえば後戻りが出来ないので現状を否が応でも認識・許容せざる得ません。
そうこうしていくう内に昔とは生活様式が全く変わってしまった中で新たな喜びや価値観の変化に気づきましたわ。

問題は自殺されたNECの中年社員さんのように、変化すること(地位や給料が下がる、将来今の職を失う不安=家族に対する間違った責任感から来る喪失感など)を恐れ
過ぎたあまり現状不安から自殺という最悪のやり方でトン面こいてしまう・・・。

え! 失業すれば家族を養えない
え!今までの仕事と違い肉体労働系しか仕事がない
え!人の自分を見る目が気になる
え! etc・・・

何てことに悩むから現状から変化することに不安で不安でしょうがなく結局はそこから逃避してしまおうと深刻に考えてしまうのでしょうが・・・
アホなことでごわす。

失業してお金が無くなったら高校や大学に行っている子供が仮におれば、
親父は無職になったので金がない、当面はお前たちはアルバイトでもして家計を助けろ! と威厳をもって言えば良いだけですがな。

世の中の雇用状況で肉体労働系しか仕事がないということであれば、それも已む無し、生きていくためには甘んじて受け入れる。かえって人間本来の労働の喜びに目覚めるかもしれないですぞぃ。

所詮、世の中(他人様)が定めた基準(有名大学卒だとか大手企業のエリート、高収入が良いなんてアホな基準)に振り回されているか、自分がその中で天狗になっているかですわ。

そんな訳の分らん価値基準なんてものに左右されるこたぁ ありゃしませんぞぃ。
いずれ人間は皆平等に死んでいく生き物ですから、ほんのわずかの期間における違いなんて 屁みたいなものだと達観すればヨロシ。

お金持ちで綺麗な人はダイアモンドのウンチが出て、貧乏で風采の上がらない人は
飛んでいた蚊が急死するような臭いウンチが出る訳でもあるまいし・・・

神様は長い目でみれば公平・平等に人間さまを創ったのだと思いますぞぃ。
親が急に落ちぶれて極貧のどん底にあえいだ姿を見て、グーたらなバカ息子が一念発起して栄光ある成功をおさめるかもしれませんぞぃ。

どんな世の中になろうが・・・決して自殺なんてことは考えないで下さいまし〜。
どんな辛いことでも10年も続くことはありゃしませんって!

昔の言葉ではありませんが、死んで花実が咲くものか!
どんな境遇になろうが短い人生だものとことん生き抜いてやる! くらいの心構えを
もって生きて下さいな、日本のお父さん! へい

季節の話があらぬ方向に飛んでしまいました。スマソ。

では、また次回まで皆さま、ごきげんよう さようなら。
posted by 秀さん at 11:33| ハノイ ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月17日

お盆そして敗戦記念日編

結局、今年は墓参りに日本に帰れなかった、いや帰らなかったと言った方が良いかも知れない。
ご両親はじめご先祖の皆さま、ごめんなさいです。

ベトナムの借家内にある簡易仏壇(神棚)みたいなものの前に愚息夫婦が買ってきた花や果物を
お供えして親子でご先祖さまに感謝のお祈りをいたしました。

若い時は自ら進んで仏壇に手を合わせる何てことはあまりやった覚えはないのですが、
人生が進むにつれて様々な経験を重ねるに従い、自分の能力でなんでも出来るわ 何て意味もなく粋がっていた頃と違い人生の不思議さや目に見えない何かがその人生において良くも悪くも影響しているのだなぁ と感じるようになりました。


お盆は敗戦祈念日(あえて終戦記念日とは言いません)で15日は亡き親父さんの誕生日でもありました。

今思うに、本当にやさしい父親でした。
戦争を経験し戦後の焼け野原から家族の為に一生懸命働き酒もあまり飲まず派手なこともせず平平凡凡とした人生を送った父ですが、その変化のない平凡な一日一日の積み重ねが今の秀さんを存在せしめていると感謝せずにはいられません。


母親は父とは性格が全く違い、わりと裕福な家庭の一人娘として育ち父を養子にもらい自分の好きなこと、したいことだけを目一杯やり自由気ままな人生を送った人でした。
その自由な生き方もこれまた秀さんにとっては魅力的に映ったものです。

こうして異国の地でお盆を迎えて感じることは、あ〜 もう少し親孝行しておけば良かったなぁ という後悔とおかげ様で刑務所にも入らずささやかな生活を息子夫婦と共に異国の地でおくれているという感謝の気持ちですわ。
亡きおかあちゃんには、あと少し待っておれ! おれも数十年後に会いに行くけんね! と・・・

本日、義母に送ったお中元のお礼の電話がありました。
以前より元気な声の様子に安堵&喜びを感じました。いつまでも長生きして欲しいと思います。


また、先の戦争で亡くなられた多くの方々に、おかげ様で日本は戦争の焼け跡から大きく成長して他のアジアの国からみれば裕福な国となりました。
もう二度と意味のない戦争というバカげたことは行わないと誓います(秀さんはそう思う)。

最後に転載ですが、長崎大学医学部教授であった永井隆氏が死を前にして幼い二人のわが子に遺した言葉を載せて終わりにしたいと思います。



永井氏は原爆で妻を失い、自らも原爆に被爆していながら余生を被爆者の治療に捧げた人物で永井氏の言葉はいまも力を失っていない。


「いとし子よ。

あの日、イクリの実を皿に盛って、母の姿を待ちわびていた誠一よ、カヤノよ。お母さんはロザリオの鎖ひとつをこの世に留めて、ついにこの世から姿を消してしまった。そなたたちの寄りすがりたい母を奪い去ったものは何であるか?


――
原子爆弾。

・・・いいえ。それは原子の塊である。

そなたの母を殺すために原子が浦上へやって来たわけではない。

そなたたちの母を、あの優しかった母を殺したのは、戦争である。」

「戦争が長びくうちには、はじめ戦争をやり出したときの名分なんかどこかに消えてしまい、戦争がすんだころには、勝ったほうも負けたほうも、なんの目的でこんな大騒ぎをしたのかわからぬことさえある。そうして、生き残った人びとはむごたらしい戦場の跡を眺め、口をそろえて、――戦争はもうこりごりだ。これっきり戦争を永久にやめることにしよう!

そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、なんとなくもやもやと戦争がしたくなってくるのである。どうして人間は、こうも愚かなものであろうか?」

「私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。

わが子よ!

憲法で決めるだけなら、どんなことでも決められる。憲法はその条文どおり実行しなければならぬから、日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。どんなに難しくても、これは善い憲法だから、実行せねばならぬ。自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。これこそ、戦争の惨禍に目覚めたほんとうの日本人の声なのだよ。」

「しかし理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。

日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて、戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。そしてその叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて、世論を日本再武装に引きつけるかもしれない。」


「もしも日本が再武装するような事態になったら、そのときこそ誠一(まこと)よ、カヤノよ、たとい最後の二人となっても、どんな罵りや暴力を受けても、きっぱりと戦争絶対反対≠叫び続け、叫び通しておくれ!


たとい卑怯者とさげすまされ、裏切り者とたたかれても戦争絶対反対≠フ叫びを守っておくれ!」

「敵が攻め寄せたとき、武器がなかったら、みすみす皆殺しにされてしまうではないか?――という人が多いだろう。しかし、武器を持っている方が果たして生き残るであろうか?武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るであろうか?」・・・

「狼は鋭い牙を持っている。それだから人間に滅ぼされてしまった。ところがハトは、何ひとつ武器を持っていない。そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。・・・

愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。」


「いとし子よ。


敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。愛すれば愛される。愛されたら、滅ぼされない。愛の世界に敵はない。敵がなければ戦争も起らないのだよ。」




素晴らしい言葉ですね。




アホな秀さんも死ぬ時が来たら・・・・



息子を前に・・・・何か一言


うむ〜・・・・

ま! 父のように アホ にはなるな!

・・・・・・・・・・と言っておきましょう。




では、皆さま盆明けもがんばって参りましょう!











posted by 秀さん at 05:49| ハノイ | Comment(5) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月10日

所有と利用の違い編


時々読んでいるマドモアゼル愛さん(でも男の方ですが)のブログの記事です。


星占い師というどちらかというと胡散臭そうに見える職業ですが、語っていることは
大いに賛同できますわ。

ベトナム人は日々金かねの生活だと言われる方も多いですが、よ〜く観察してみるとそうでもない多くの方がおられます。


1部の都会を除いては家族愛・郷土愛に満ちた生活をされていますし、近隣・地域の助け合い意識も日本よりは高いように見受けられます。


資本主義経済=要はいかに多くのお金・不動産・動産を所有し得るかが生き方の基本ベースになったシステム。

そのゲームに参加する1部の者たちのそのあまりにも貪欲な精神性のせいで世の中が殺伐としたものになってしまいました。


より多く持っている者が勝ち組、そうでない者は負け組というアホらしい社会風潮が蔓延している現代社会。


所詮、死ぬときは全て置いてくものに対して執着し過ぎて、人間が生まれて来るという本当の目的(それが何かは分かりませんが、物欲ではなくもっと精神性の高い何か?)から大きく乖離しているような気がしてなりません。


まぁ、年こいて熾烈な経済活動から脱落しかかっているアホの秀さんだから感じることかも知れませんねぇ。


以下愛さんのブログを無断転載して貼り付けますわ。

中々面白い観点で世の中を見ていると思います。




「所有と利用の違い」




所有とはひどいもので、たった一人の人間でも多くのものを所有することができる。

たった一人の人が車を10台持つことはできるし、家を10件持つことも、お金ならそれこそいくらでも持つことが可能。

しかし、それを利用面から考えると、人はその日を暮らすための家や服や車があればよいのであって、何も沢山のものを持って大きな倉庫に眠らせておく必要などなくなる。

私たちの時代の現実は、多く持つ人は沢山のものを所有し、さらに所有を最大限まで高めようとする。お金はいくら持っても、ふえれば増えるだけよい、、、ということになっている。

そうなると、利用されないお金のみが数少ない人にあつまり、その分、多くの人の使う分がなくなっていく。

所有欲が多くの人の貧乏を招いている構図がある。

前にも言ったが、所有欲を捨てて、利用欲に人類が移行したなら、誰もが高級車に乗れるし、誰もが豪邸に住めるようになる。

常時使用される車はせいぜい300万台もないと思う。余裕を持っても日本に500万台程度の車があれば十分ということになる。利用面からのみ考えるとそれで十分になる。

車を所有したいと誰もが思ってしまうため、多くの車が必要になるに過ぎない。みんなでシェアしあえば、それこそロールスロイスやポルシェ、マセラティクラスの車を全員が利用できる。好きなだけ。

家も同様である。これは本当の神の経済につながっていく。神の経済には、所有が無い。好きなだけ利用するだけ。いつでも好きなだけ使えるので、所有しているのと何も変わらない。

現在の経済のシステムの問題は、所有を皆が求めるところにある。そのため、死蔵するものが多くなり、その分、みんなが貧しくなっていく。

本当にバカな経済なのだ。あまりに遅れている。

これは経済の中に人間に対する理解が足りず、単に欲求に火をつけ、人間を獣のように捉えることから出てきた経済だったからだ。

しかし、本当の人間はそうではない。海も陸も雨も風もみんなで共有してきた歴史のほうが長い。

一部の金持ちがさらに権力と金を得ようとして所有の経済を作ったからに他ならない。

羨望と餓えがその基本にある。羨望を満たそうとして人は所有に走る。餓えの不安への対応として、所有に走る。所有したものを守ろうとして、武器に頼る。

変なものはどこまでも変な流れにつながってしまう。
どの政治の集いに行っても、どこも同じような、貧しい取り巻きの顔の表情に出会う、、、政党は関係なく政治の世界はそういうものだ。

経済の世界も同様に感じる。財界人の集まるところに行ってみると、特有の貧しさやおろかしさ、もしくは見えていない感を抱かせる。

普通の主婦感覚とは異なるものがそこにある。普通の社会生活の感覚と異なるものがそこにある。

やっぱり世の中は、まだまだ悪い人たちが運営している面が大きいのだろう。東電のあまりのひどい体質はさすがに一般人とかけ離れていることを気づかせたものの、それでもまだ続いている。

やはりまだ悪の世、、所有にこだわる者達の時代なのだろうが、そろそろ出口は近づいてきたのではないか。

私がシェアしあうやり方で月3万円生活を勧めるのは、所有意識をすてた形での新たな生き方を、今の若い人たちが何かで、どこかで成立させたなら、時代の変化は急転直下にいたるからだ。

もう所有の迷妄の中にいるものが未来をつくることなどできはしない。大体、人間が何かを所有することは論理的におかしなこと。

家も土地も金も、一時あづかることはあっても、それを所有できるとは限らない。実際に破産することで家も土地もなくなるものであり、数千年もの間、同じ土地を持ち続けた者などほとんどいないに等しい。

要するに土地も物も、本来誰の物でもないということ。唯一、食べ物だけは、間違いなくその人の血となり肉となるので、取り入れることができるから、私たちが持てるものである。それ以外はみんな借り物。

所有が最終的に戦争をもたらすことになるのは、所有そのものが本質的でないからなのだ。それは同時に人間の本質は欲にあるのではないことを示す。

人間を欲の塊にさせることで、時代を操り、権力を維持し、すき放題にしてきたものがいるだけの話し。

欲が人間のベースにある限りは私たちは解放されることはない。欲の政治、欲の経済、欲の行動はこれから滅んでいく。所有からいかにして自由になるか。

すぐに持っているものを手放すことは確かに誰にもできないと思うが、持っているものを、一時の借り物、、、と考え、その価値を生かす。生かせないものは持っている資格などないという考えは大切だと思う。

それは身を軽くすることにつながっていく。身が軽くなれば生きることはその分自由になっていく。

人間に必要なものはそう多くない。命につながる食べ物、、、命につながる事柄、、、そこだけをシンプルに追求していく行き方が、所有の代わりに生まれてくるだろう。すべては若者の力や生き方にかかっている。

いつでも泳ぎたいときに泳げと神は海を与えている、、、その海も、どこかの金持ちが海岸の所有権を言い出せば、誰も海で泳げなくなる、、、

神は所有を人になど許していない。金持ちに海など与えていない。自然を所有することが正しいというものは、まず先に、太陽にこれまでの電気量を支払ってからにして欲しいと思う。

私のものなどこの地球にはない。すべてのものは、私たちのものであり、神のものだったのだ。

イエスを捉えたいと思っていた律法学者たちは、イエスに尋ねた。「ところで主よ、税金を払ったほうがいいのでしょうか、払わなくてもいいのでしょうか」と。

イエスが払え、、、といったら、イエスはローマの下に位置づけされる。払うなと言ったら、イエスはローマの敵として捕らえることができる。

悪意を知ったイエスは答えて言う。「デナリのコインを見せなさい。そこには誰の肖像が書かれている
か。」「カエサルです。」
そこでイエスは語る。「ではカエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」

これからこれと同じことが起こる。金は誰のものだったのか。金とは何だったのか。銀行の貸付とは、壮大な詐欺行為だったのではないのかと。

posted by 秀さん at 09:27| ハノイ ☀| Comment(5) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月06日

人間ってふれあうだけで有り難いと思う編


へい、

事情は諸々あれど、結果的にはエエ歳こいて異国の地のベトナムまで流れて来た秀さんですが、ほとんど毎日、日本との関わりまたベトナムと関わって仕事に、また生活に生きております。

時には、えい! この野郎なんて汚い言葉を吐きたくなる難しい国ベトナムの生活ですが・・・

昨日は、本当に久しぶりに日本の旧知の方臭い話のスカンクじゃない

スカイプなんて文明の利器を使わせて頂き、取るに足らない四方山話をさせて頂き、やっぱあたいは日本人のマインドから脱却できない人間だなぁとしみじみ思いましたぞぃ。



代々のご先祖に繋がるご両親のご縁があって、
おぎゃぁ〜 と福岡県は八幡市(今の北九州市八幡東区)に生まれ、何でそうなったのかわからないまま現在は異国の地ベトナムはホーチミン市に住居及び小さな会社を構え、
細々ながらも日々生活を営んでいる齢57歳の負債 はほんの少しはありますが・・・ 風采 は上がらない、しがないおやじですわ。




しかし、こんなおやじでも有り難いことに、

おっ! 秀さん元気ばしちょるとね 

と声をかけてくれる方もおります

また、何の役にも立たない品友会という個人的な食事会に

誤算、じゃない 

ご参加いただく方もおられるという事実に、

本日は意味もなく、


はぁ〜 人間って生きているだけで有り難いものだなぁ 

としみじみ実感した次第でございやす。


いやね、今晩は越の寒梅なんて言う名前の、す〜と五臓六腑にしみわたる美味いお神酒を少しばかりではなく
結構な量を頂き、少々ほろ酔い加減でこのブログを書いておりやす。

すつれいします。




日々出会い、仕事の事で語らうだけの会社のメンバーさんにも
本日は、こんな会社でよくも働いてくれているもんだと心から感謝したい心境なのであります。




やっぱ歳取ったんでしょうかねぇ、

そうは思いたくない秀さんですが、今夜は素直に認めましょう

じじいになって涙もろくなったのだと。






へい、もうそろそろ青魚の干物(何と! これがベトナム産)がなくなりそうなので、最後の一杯をぐびぐびと飲み干して、今夜は勝手にお開きといたしやす。




お前はアホか! 


というお方はもういないと思うほど、自分自身で、悟りを啓いたようにアホ! と言っておりますので、ご勘弁を!




干物にほんの少し醤油をたらしたつまみに極上のお神酒、これほど美味いものだとは思いませんでしたわ。



へい、今晩はどうも失礼しました。




明日、1日仕事をすれば、土曜日は品友会ですね、




頑張ります&頑張りましょう!





では、賢者の皆さま、おやすみなさい!


posted by 秀さん at 03:14| ハノイ | Comment(0) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月03日

ある占星術師さんの記事から編



アホの雑学好きと言うか、何でも知りたがり屋の秀さんですので多分野にわたり色々なことを調べたりしております。

昔、日本で事業やサラリーマンをやっていた時には考えられないですわ。

日本は物価も高くそこそこ稼いでも生活のゆとりが実感できないというか人と人との連帯が気うすになって、ただ働いているだけと言った感覚に陥ってしまいます。

確かにベトナム人も日々忙しく金儲けに奔走しているのですが、根っこの部分と言うか、秀さんからみてどこかゆとりかましているように見えてしまうから不思議です。

そういうふうに漠然と考えていたら、ある方の記事が目にとまりましたのでいつものように以下転載(1部割愛)いたします。

なかなか鋭く分析している と思うのは秀さんだけかしら?


へちまのように だら〜ん とのんびり生きたいものですね、へい



本来は人は豊かでぜいたくでけっこうのんびりしており、へちまが風にゆらぐように、日々や時の移り変わりを楽しむ、、それが神が人に与えた仕事だと、私は思っている。

それが、オートメーションや産業革命以降、富の集約に関心が移ることで、競争原理が生じ、持つ者と持たない者との乖離による社会運営の方式に変化した。

戦争や不況などのあらゆる悲惨がこうしたラインから生じてきて、ほんの一握りの勝者のための社会運営が当たり前となった。

その結果、果てしのない労働、、、それでいて誰も豊かになれない状況や、金持ちになってもそれを投資やだましによってすくわれてしまう構図となる。

本当に少数の一握りの成功以外、誰ひとりも幸福にしないシステムがこの世にいきわたってしまった。
私はもうすぐ時代が大きく動き、これまでと異なるやり方や流れが起きだすものと思う。というか、すでに世界はそうした方向に流れ出しており、この流れをもう誰も止めることはできないのではないのか。
ただ、残念なことに、日本はマスコミが決して世界で起きていることを正しく伝えないので、わからないだけなのだ。
それでも注意深く世界の動きを探っていくと、もう世界は大変な変化の真っただ中にあることがわかる。

ついに私たちの目の前にも大きな変化の嵐が見えるようになっていくはずだ。

では、何が世界で起きているのだろう。

ロシアのプーチンの勝利はやはり大きかったと感じる。それまで、ロシアはゴルバチョフやエリツインの指導によって、解放とは名ばかりの、一部独占による金持ちによる国家独占が主流であった。

そこにプーチンが現れ、ずるい形で資源や資本を奪い取ったそうした一部金持ちを追い出して国家財産とした。

それは長い闘いであったが、プーチンはそれに勝利し、国民生活は飛躍して伸びた。金持ちはずるいケースが多く、彼らから富を奪い返せば、その分国民生活は
楽になる。まさにロシアではそのことが行われ、今回の選挙では、ロシアを奪う海外勢対、プーチンという図式で選挙となり、プーチンが勝利したのだ。


もちろん、海外勢様様の日本のマスコミはプーチンを悪く言い続けた。インチキ選挙であると。確かにインチキしたのにもかかわらず反対勢力はプーチンに負けたと私は思っているので、批判は当たらないと思う。

次に中国の変化も急である。色々な保身があるにせよ、海外勢とやはり深い関係にあった江沢民一派が完全に失脚し出した。これも非常に驚くべき変化である。
このままだと、中国は国際金融の流れからも距離を開けだすことは確実だろう。

さらに変化はアフリカ、中東諸国でそれ以前に起こっており、カダフィが殺されたことも本当は非常に大きなインパクトを世界の人々には与えているのだ。

マスコミが言わないだけで、リビア国民は非常に豊かであり、温情ある中で生活していた。それに難癖をつけて海外勢が破壊したのだ。楽園のハワイも楽園のアメリカインディアンも、楽園のかつての日本を滅ぼしたように。

しかしやりすぎたのだ。

よいものを壊す、、、、あいつらが来るとおかしくされる、、、、という意識が突然、世界に説得力を持って広がりだしたのである。

中東やアフリカの小国から始まった動きは、ロシア、、中国までも巻き込む。そしてさらに大きな変化は、ユーロ圏である。これが決定打となるだろう。

まず、ここで質問だが、今、世界でどの国が楽園のようになっているか、、、、と問われたら、あなたはどの国を言うだろうか。

私は確信を持って、アイスランドという。

えっ? アイスランドって、数年前に破産して無茶苦茶になってしまった国のことでしょう、、、、すごいストやデモが起こって、混乱の極みじゃなかったの、、、

と、そう思われる方が多いと思う。確かに一時はそうだった。そのころまでは、日本のマスコミもなんだか喜んでよく情報を伝えたように思うが、それっきり何も情報が入って来ない。

なので、多くの人がその後のアイスランドがどうなっているかか知らないわけだ。

緊縮財政で個人生活が本当にひどくなったとき、政府は突然、国民の側につく、、、と政策転換を行った。なので、絶対にマスコミはこのことを報道しない。それをやったらおしまいなのだ。あまりに本質的な事柄だから。

アイスランドでは、国が国民側について、借金そのものの不当性を認め、多くの住宅ローンなどをチャラにした。そう、返済義務なしの判定。

一方、あらゆる金融商品も、ほとんどが違法であり、それにともなう負債を返済する義務はないという画期的な事態となった。

 いわゆる徳政令のようなものだと思うが、すごいのは、借金事態が違法という点。これは先のブログ記事でも書いたと思うが、銀行は貸付をする際に、どこにもない金を生じさせて、はい、5億です。通帳に入れておきました、、とやる。

ただ、記入するだけ。しかし返済はしてもらう。返せない場合は家でも何でも持って行ってしまう。最初は何もないところから5億を出したのに、それは返済してもらう段になると、実際のお金になって戻ってくる。

凄いシステム。というか、すごすぎるシステム。なので、そんなものはインチキだ。とアイスランドは方針を変更。そして、銀行関係者を今後、訴えるという流れとなっている。

その結果、アイスランドは景気もよくなり、まるでパラダイスのように突然変化をしたのではないか。景気はほんとによくなっているらしい。

すると、人々は突然目覚めだす。なんだ、、、銀行がないだけで、銀行に返済しないだけで、富は私たちのものとなり、しかもこんなに簡単に幸福になれるなんて、、、と。

こうなると、これまでにも、たとえば韓国にもかつてIMFが入り込んで、国民はとたんの苦しみを受けた記憶があるなど、そうした国は多い。

現にギリシャやスペイン、ポルトガル、イタリアがアイスランドと同様の問題に直面いている。IMFが入るとあんなに苦しい、、、、銀行の犯罪性をあきらかにすると国民があっという間に楽になる、、、、

そのことがもうわかってしまった。アイスランドがそれを実践してしまった。なので、絶対にこうした情報は流すわけにはいかず、とくに日本ではそうでしょう。

しかし、もうこうした流れを止めることなどできるのでしょうか。私はできないと思う。

次はギリシャですよね。確かこの連休の最後に選挙があるのだが、金融団の言うように解決を図っていく勢力が勝ったら、もうギリシャ国民にはどん底の暮らしが確定してしまう。

一方、銀行の不正方向に持っていけば、あっという間にパラダイスがやってくる。そうなると、ギリシャは後者の選択をするのではないか。

ギリシャが試金石だが、もしギリシャがデフォルトするものの、責任を負わない、、、、私たちは騙されていただけだ、、、、ということになると、さあ、大変である。

スペイン、ポルトガル、イタリアだってもちろん。さらにフランスにまでこうした流れは行くので、要するにユーロは崩壊。

しかも、アメリカはこうした事態を黙ってみているしかないという理由がある。というのは、ユーロがこわれれば、とりあえずはドルが守れる、、、、という不思議な流れ。ダメ争いの中でも奇跡的なお休み期間が得られる可能性がドルには出てくる。

ものすごいダメ争いの中での出来事だが、一時的にはドル防衛ができるので、アメリカもこれを利用するだろう。

しかし守れても金融事態のインチキが暴かれていく流れなのだから、ドルだって同じ運命。

要するにもうダメ勝負の流れではないか。マスコミがそうした弱みを決して言わないだけで、世界の動きをよく見ていけば、出口はもう見えている。

イスラエルも突然、上層部がイランと戦争はしたくない、、、しないと言い出している。わずかの間にものすごい変化である。ひとつの国の中に、戦争絶対するよ、、、という人と、絶対しないよ、、、、という人がどちらも上層部にいるという構図。

これは中国も同様ですし、日本でも小沢を悪く言う上と、小沢のどこが悪い、お前こそ、何でそんなに小沢を悪く言うのか、その理由は何なんだ、、、、という上がある構図。

国側に立つ人と、国に巣食って国以外のボスに使える人とが、上層部で対立を始めた。、、、という構図が全世界的に見えてきてしまった。どっちを選んだ方が国民は幸福か、、、、答はもう見えている。

アメリカ軍の中でも、絶対に民衆サイドい立つという軍隊と、オバマやクリントンのいうことを聞く、、、という軍隊にすでに分かれてしまっているのではないか。

しかし、わかったら仕舞いで、見えてきたら変化は早い。遅いのは日本をはじめとする、マスコミ王国がまだインチキ情報を流している国けだが、そうなると、極東にはやや危険があるかもしれない。

中東ではばれたので、もう戦争は起こせない。
中国とロシアが反戦で手を握ったので、大戦も起こせない。

起こせるのは、まだボケ状態の日本近辺だけ。極東ならまだ起こせるぞ、、、、というのが、最期のあがきとして選択肢があるので、一応は注意が必要。

日本人も目覚めれば、すぐにへちまみたいに、良い意味でグータラ人生を楽しめるというのに、まだまだ、必死に誰かさんのために奴隷のように働いて稼ぐつもりでしょうか。どんなに働いていも生活は楽にならないというのに。

こうしたインチキをあばいて、人類を貧困から救い出す一連の流れが、おうし座新月、うえさくの満月、そして金環食へとつながる天体の運行とリンクしていると、私は解読する。

だから今、失意にある人、もう死にたいと思って追いつめられている人、絶対に大丈夫。安心を。



以上転載終了・・・・・・・・・・






posted by 秀さん at 10:39| ハノイ | Comment(4) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月11日

長いヴィデオですが是非観て欲しい第二弾!スライブ 編


P&Gの創業者の直系の子孫として本来なら反対側にいても
おかしくない人ですが・・・

天から啓示を受けたのかも知れません。
その表情は知的で愛情に満ちていると秀さんは感じましたぞぃ。

あえてコメントはしませんので、
どうか是非、最後まで観て頂きたいと思います。




posted by 秀さん at 00:50| ハノイ ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月17日

仏陀の言葉編

月に1回開催される福岡県人会に予定が空いている時には必ず参加している秀さんです。

長い間参加しているとその間に知り合った方が帰任されたり、また新しく赴任されたりと人の入れ替わりがあることが良く分かります。

最近はずい分と若い方が増えたなぁ と思いますぞぃ。

企業さんもベトナムの将来成長性に夢を託すにはおっさん、爺さんよりは動きも頭の回転も良い若い世代の人を赴任させた方が良いと判断されたのでしょうよ、きっと!

福岡県人会でも50歳を超えた人は一握りです。
ましてや秀さんのようにベトナムに半分移住しているような方は少ないですわ。

そういう秀さんも以前は駐在員でしたよ。
ある会社のプロジェクト責任者として日本とベトナムを行ったりした後に駐在員としてベトナムに居を構えるようになり、その後様々な変遷を経て現在はアホ丸出しの笑えない親父ギャグ満載の読むに耐えないブログを書きながら、吹かずとも飛びそうな小さな会社の経営者としてささやかな糧を得て慎ましい暮らしをここホーチミンでしている訳ですが、他の企業駐在員の方と違い 生活の保障はないが自由な時間だけはあります。


その貧乏人に残された唯一の財産、その自由時間を使って今まで忙しくて出来なかったことを時には調べたり勉強したりしております。


本日は仏陀が語った言葉というものがありましたので転載しますわ。
インド哲学研究室という九州大学の先生が翻訳したものの無断転載です。


仏陀が語るような考え方が出来るようになれば良いのでしょうが、
我々凡人は、日々の生活に追われ疲れてしまい中々自分が生きているということはどういうことなのか? と言うことなど考えなくなるものですね。



思考する なんて言葉は最近では秀さんの中では死語になっておりやす。




まぁ、お口の中には沢山持っておりますが・・・・








ん? それは 歯垢 ってか!



へい、スミマセン と素直に謝っておきます。



最後の言葉・・・・

(煩悩の)矢を抜き去って、こだわることなく、心の安らぎを得たならば、
あらゆる悲しみを超越して、悲しみなき者となり、安らぎに帰する。

と言う心境になれるのはいつのことやら・・・・はぁ〜



では、仏陀の言葉より・・・・



死について:

この世における人々の命は、定まったすがたなく、
どれだけ生きられるかわからない。
いたましく、短くて、苦痛をともなっている。
生まれたものどもは、死を遁れる道がない。老いに達しては、死ぬ。
実に生あるものどもの定めは、このとおりである。

熟した果実は早く落ちる。それと同じく、生まれた人々は、
死なねばならぬ。かれらにはつねに死のおそれがある。

たとえば、陶工のつくった土の器がついには
すべて破壊されてしまうように、
人々の命もまたそのとおりである。

若い人も壮年の人も、愚者も賢者も、すべて死に屈服してしまう。
すべての者は必ず死に至る。

かれらは死に捉えられてあの世に去って行くが、
父もその子を救わず、親族もその親族を救わない。

見よ。見まもっている親族がとめどもなく悲嘆に暮れているのに、
人は屠所に引かれる牛のように、一人づつ、連れ去られる。

このように世間の人々は死と老いによって害われる。
それ故に賢者は、世のなりゆきを知って、悲しまない。


汝は、来た人の道を知らず、また去った人の道を知らない。
汝は(生と死の)両極を見きわめないで、いたずらに泣き悲しむ。

泣き悲しんでは、心の安らぎは得られない。
ただかれにはますます苦しみが生じ、身体がやつれるだけである。

見よ。他の[生きている]人々は、また自分のつくった業にしたがって
死んでゆく。
かれら生あるものどもは死に捕えられて、この世で慄えおののいている。

たとえば家に火がついているのを水で消し止めるように、
そのように智慧ある聡明な賢者、立派な人は、悲しみが起こったのを
速やかに滅ぼしてしまいなさい。--- 譬えば風が綿を吹き払うように。

己が悲嘆と愛執と憂いとを除け。己が楽しみを求める人は、
己が(煩悩の)矢を抜くべし。

(煩悩の)矢を抜き去って、こだわることなく、心の安らぎを得たならば、
あらゆる悲しみを超越して、悲しみなき者となり、安らぎに帰する。




posted by 秀さん at 08:02| ハノイ | Comment(4) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月29日

リスク覚悟してことは起こすな編

何をやるにしても人間ある程度のリスクを事前に想定してことに当たらねばなりませんなぁ。

今は年取って、金無くなって、パワーも無くなって、オネエチャンにも興味が無くなって、
ないない尽くしの秀さんですが・・・

まだ若い時に・・・

もう離婚よ! とおかあちゃんに言われたこともありやす。(以下、参考資料)
http://vn-hochiminh.seesaa.net/article/52730072.html

秀さん、何故か独り身になって、
軟派な既婚の男性から羨ましがられるところの 自由 が出来た時には、逆に他の女性に興味が無くなってしまったから不思議でごわす。

人間って勝手なものですわ。ったく!

もう少し亡きおかあちゃんのことを考えてあげれば良かったと今になって思うのであります。


さてここで、ある、笑えない話を・・・・

付き合って2ヶ月の彼女に「今日親いないから」って家に呼ばれた。
まだ交わりをかわしてなかった俺は今日がその日だと思った。

彼女の家のあるマンションに着いて、大事なものを用意していないのに気付いた。
運よくマンションの一階に薬局が入ってた。

店主がおっさんだったので気楽にゴムを買えた。

レジでそのおっさんがニヤニヤしながら「兄ちゃん、いまからか?」と聞いてきた。

俺もにやつきながら「今日初H」と答えた。

おっさんは「がんばれよ」とか言って送り出してくれた。

彼女の家に着くなり「ごめんもうすぐ親が帰ってくる」と言われた。

今日はダメか・・と思ったが「とりあえず挨拶だけしていって」ということだったので彼女の親の帰宅を待った。


5分ほどで彼女の父親が帰ってきた。


下の薬局のおやじだった。




まぁ、こんなことは無い人の方が多いでしょうが、人間何が起こるか分かりませんぞぃ!



さて、ここでこの件についてまじめになりましょう。
伊勢白山道から転載です・・・・

人生においては、自分が痛い嫌な経験を「実際に」体験しなくても、想像力や常識から判断して、災難を避けられることが大半です。

例えば、不倫をすれば、その先を想像しますと、惨めな自分だけが残ると判断して、最初から止める。

もし自分が選ばれても、多くの人間や相手の子供の人生を破 壊することを察して止める。

他人を不幸にしては、自分が幸福になれないと想像して止める。

不倫が出来る相手の人間とは、もし自分と結婚しても裏切る人間だ と言えることを考えて、不倫を止めて避ける。



ふむ〜・・・・なかなか我々凡人は分かってはいるのに、その場の勢いで後から後悔をすることになる事柄を起こしてしまうものですね。

今の行き過ぎた自由資本主義のように、誰かが良い思いをすれば、誰かがマイナスになる。

関係無さそうにみえる人たちへの思いやりの気持ちと
人生は自分の都合の良いように全て上手く行くとは限らないのだと思う気持ち
を持つことが出来れば良いのかもしれないですね。


浮気の代償は一時の快楽よりは・・・絶対に高くつくものだと、世の殿方 御覚悟召されい!



今日の話はなんじゃい! と言わないでね。



では、また次回・・・




posted by 秀さん at 00:50| ハノイ ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月08日

あれこれ・・・ひとり言編

昨今の金銭至上主義というか、行き過ぎた資本主義経済(新自由主義、グローバリズム)の風はあまりにも自己の(個人、会社)の利益追求の自由を強調するあまり世界的にも大きな格差社会を生んでいる。

急速に資本主義経済に飲み込まれているベトナムしかり・・・。

ベトナムに関わって10年が過ぎようとしてるが、この10年でベトナムは大きく変わった。

街を走る自家用自動車の急激な増加、外資流入による不動産・株を中心とする投機的気質のベトナム人の増加、都市・地方間の所得格差の増大、そして一番は、物価の急激な高騰があげられると思います。無論、インフレ経済が長く続くベトナムでは毎年モノの値段や家賃が上がるのは当たり前と言った感じです。

物価の高騰に連れて給与所得も比例して上昇している内はそれほど大きな問題にはならないかもしれませんが、その均衡が崩れて来た時には地方農家などの貧困層のベトナム人たちは一体どうするのかとアホの秀さんでも心配になります。

ベトナムは農業国です。輸出額トップの水産物を除き、農産物としては米、コーヒー、ゴム、茶、トウモロコシ、砂糖キビ、胡椒、カシュナッツなどが主要な物ですが、それら農業に従事するベトナム人たち(農家)の年収は決して大きくはありません。

昔の日本の農家のように農業するより都会に出て会社勤めをした方が良いわ! なんて思う若者の増加はベトナムでも同じですわ。

ベトナムでは日本に比べ生産者価格と市場価格の差が大きい。
間に中間業者(役所であったり、仲買商社や各地方のバイヤー)が数階層介在するからです。
農産物を作ってもそれが最終消費者へ渡るまでには、加工、包装、輸送など人的・物的サービスや設備が必要でそれなりの資本力が必要とされますので、お金のない農民がそれらを行うことは不可能でどうしても中間に介在するお金持ちに多くを搾取されるのであります。

ネットで産地直送なんてことはベトナムの農家をみている限り数十年は無理そうですので、日々畑に出ての農作業を行い言われるままの価格でそれらの農産物を売っている限り豊かさとは縁遠い生活でなかろうかと思うのであります。

一方、都市部は物で溢れ(当然、贅沢品は海外から)かえり、平均年齢の若い国、ベトナムの消費者の購買意欲を殊更に刺激します。

それが日本のバブル期のように加速したせいか・・・

ベトナムでは高価なモノを持っている者が エライ! みたいなアホ風潮が出来つつあります。
若いベトナム人の間では、誰それはiPhoneを持っている、べスパのバイクに乗っている、

だから・・・彼(彼女)は 凄い なんて意味のない会話が日常茶飯事で交わされています。


ベトナムのように資本主義経済の歴史が短い(戦前は除く)、世界的にみてもまだ所得水準の低い国で都市部のベトナム人のように一気に拝金主義が進むと無慈悲な社会が出来上がるのではないか

と今の日本を顧みて深く憂慮している秀さんがいます。
今、中国本土で起きている“二度轢き”事件問題なども、この表れ?でしょう。

さて、ベトナムの農産物と言っても、今や国際的な市場取引価格の影響を大きく受けるようになっています。

これもひとつのグローバリズムの表れでしょうねぇ。
秀さんはこのグローバリズムといういっけん響きが良さそうに聞こえる言葉が大嫌いです。

そのグローバルリズムを信奉してる人たちのことをグローバリストと言います。


そのグローバリズムの一環(最終ステージ?)として、今日本ではTPP問題で大きく揺れています。


非常に残念なことに・・・ベトナムもTPP参加を決めてしまいました。

TPPが目的とするのは、「関税の撤廃」などではなく、「非関税障壁」の破壊です。

国民新党の亀井静香議員は、「TPPに加盟すれば、国民は集団自殺させられる」と言っています。

これは正しいの一言に尽きます。
TPP参加を支持している連中は売国奴だとアホの秀さんは極言します。

原発を推進し、TPP加盟を実現したいと考えている経団連も同様。
日本経済の屋台骨を支えていると言われる経団連を代表する企業は、ほとんどが外資に株式を押さえられており本質はすでに日本の企業とは言えないですわ。

現在の経済連の会長は住友化学の社長の米倉弘昌のおっさんですが、
住友化学は、死の農業支配会社(秀さん評)米モンサント社と長期的協力関係を結んだ会社です。
TPPに加盟するということは、農業分野だけでなく様々な分野で日本が独自に決められることが何もなくなるということ。
日本以上にアメリカ隷属の韓国がアメリカと先ほど米韓自由貿易協定(FTA)を締結しましたが、
その内容の酷さに現在韓国では大きな大問題となっておりストやデモが多発しています。

TPPしかり、それは、国家の主権を売り渡してしまう、国民を守る盾は、すべて取り払われてしまうということ。

ベトナムと違い・・・
日本は自国の農業だけで国民を養うことができない国に成り下がってしまいました。

グローバリズムというものは最終的には国そのものの存在を否定するところまで行く危険性を孕んでいます。
食料とエネルギーは国家主権の要。何が何でも100%自給できるようにするべきです。

過去の歴史をみれば分かるように・・・
十分食べることが出来なければ、いずれは戦争に駆りだされる。

生まれ育ててもらった国、日本、縁あって現在仕事(生活)をさせてもらっている国、ベトナム、
その両国がグローバリズムの甘い響きの毒牙に犯されることなくに素晴らしい国(秀さんにとってか?)のままであって欲しいと、深い憂慮を感じながらも切望しております。


今は亡き両親の過去の言葉に、

秀よ! 嘘をつかずにまじめにこつこつと働きなさい! と言う言葉はありましたが、 
お金を儲けなさい! や お金持ちになりなさい! と言う言葉は無かったですわ。

それにひきかえ、より大きな儲け! だけを目標に会社経営に一喜一憂していた過去の秀さんの生き方は100%正しかったのだ! とは現在では言えない自分がいます。


生活する(食べる)ために今の世の中ではある程度のお金は必要ですね。

お金は生活するためのツールとして重要で必要なものなのですが・・・

現代の人間はそのお金そのもののために生きて行くように誰かに洗脳されてしまったのかも知れませんねぇ。





本日は、何かなぁ? やけにかたい話になってしまいました。お許し下され!


posted by 秀さん at 02:48| ハノイ 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月28日

いつもの定番・・・手抜き編

賢者の皆さまには、

毎度おなじみの・・・てなもんや三度笠、そうは前田のクラッカー・・・

と訳ワカメなことをぶっ放して書き出しは始まるのですが、

へい、いつもの手抜き転載記事貼り付けでごわす。


最初の転載記事はさすが小説家だけあって田中康夫氏の文書は風刺がきいておりますわ。

何となくクリスタルから現実的な政治家へと変身した彼の言動は体制側の非難を浴びて県知事の職をはなれましたが、


非常に頭の良い方で国を思う真の愛国者だと、


非常に頭が悪く自分及び家族・知人友人しか愛せないアホの秀さんが勝手に思っておりますぞぃ。



その次の転載記事は阿修羅からですが、ことの真相を自分自身で深く検証した人しか分からない憤りを書き綴っています。


秀さんもそうでしたが・・・


日々の生活に追われ飯の種(金儲け、会社のための仕事など)を追いかけることだけに精一杯の時には限られた狭い範囲のことにしか目がいかないものです。


人間はどう生きるべきか? 社会はどうあるべきか?


なんてかたい事柄を自らで考えなくなった我々一般庶民がマスコミ等によって知らず知らずの内に洗脳されて来たことに対しての自己への憤りを直接的な表現で書いたものでしょう。



今回のオリンパスの社長解任事件で個の考え方を大切にする欧米人の考え方
と集団の雰囲気(権力者の思惑)に流されやすい日本人の弱い側面が浮き彫りにされましたねぇ。


全体的な大きな流れの中にあって、個人が異を唱えるのは日本人としては難しい。


ベトナムも建前は社会主義、でも実態は利権資本主義みたいな国で公務員はその権力を規則上ではなく運用面で最大限行使して役得にありついているわけですが、それに公然と異をとなることはベトナム人もあまりしませんな。


面倒なことになるよりは黄金のお饅頭を渡してはやく解決?をはかった方が楽なのであります。


自分の人生をどう生きるか 真剣に悩んで正しいと思う己の道を確立した人のみが目の前の利益を棒に振っても生きていく という強い生き方が出来る人なのでしょう。



秀さんもそうありたいと思うだけで、実際は腰砕けの人間です。



あまりにも思考というものを軽視して来た結果、そうなってしまったのでしょう。



悲しいことですが、今からでも少しづつ改善していきまひょ。




では、転載記事の開始です・・・・・・・・・・




11/10/27  新党日本 田中康夫 にっぽん改国 :日刊ゲンダイ

全国農業協同組合中央会(JA全中)は25日、 TPP反対請願を衆参両院議長に提出し、併せて請願紹介議員356人の氏名も公表しました。僕もその1人です。自民は所属議員の8割以上。公明も6割以 上。共産、社民は全議員が紹介議員になる事を承諾。民主も120名に上ります。

が、“護送船団”記者クラブは、枯れ葉剤でヴェトナム戦争に“貢 献”し、今や遺伝子組み換え作物開発でシェア9割を超える米国モンサント社と昨年、長期的協力関係を締結した住友化学の米倉弘昌会長率いる日本経団連を慮 (おもんばか)ってか、TPPを農業問題へと意図的に矮小化しています。

前回詳述の如くTPP は日本の製造業に深刻な影響を与えます。

故に宇沢弘文、金子勝の両氏のみならず、榊原英資、中谷巌、野口悠紀雄、浜矩子の各氏も、参加ありきのTPPバス乗り遅れるな論に懸念を表明しているのです。

行き先も判(わか)らぬバスに乗り込むなんて恰(あたか)も、安くしとくよと言葉巧みな白タク運転手を信じて泥酔した“乙女”が六本木から乗り込む「悲喜 劇」です。

にも拘らず宰相NÖDÁは17日、「日本は貿易立国だ。アジア太平洋地域は成長のエンジンになるので、高いレベルのTPP経済連携は日本にとってプラスだ」と内閣記者会インタヴューで高言しました。

呵々。

日本の最大輸出先国は中国。その中国のみならず韓国、台湾にも参加を求めぬアメリカ主導のTPPは、アジアに於ける日本の“孤立化”を画策する「環太平洋戦略的経済“分断”協定」に他なりません。

にも拘らず、外交に於いても性善説が通用すると信じて疑わぬのか、交渉の途中でも離脱は可能と自称“ドラえもん”官房長官も他称“口先番長”政調会長も明言 する始末。


それって、破談にするかも知れないけど取り敢えずは結納の打ち合わせをしませんか、と持ち掛けて許されると思い込んでるKYな男性と一緒じゃあ りませんか。


斯くも“お子ちゃま”な認識と覚悟だから、百戦錬磨の北朝鮮にも中国にもアメリカにも見くびられてしまうのです。

与党統一会派「国民新党・新党日本」の諫言にも耳を貸さず、アメリカに阿諛追従(あゆついしょう)の日本経団連改め米倉経「米」連と一蓮托生の民主党政権の猪突猛進を阻止せねば、


「にっぽん改国」ならぬ「壊国」へと奈落の底です。





私は騙されていた。ムネオを返せ!
http://www.asyura2.com/10/senkyo96/msg/311.html
投稿者 巨悪は検察にあり 日時 2010 年 9 月 28 日 13:55:38: 8wEVMR18S.Dgw

私は騙されていた。
検察は正義の味方だと思い込んでいた。

夢を見ていたようなものだ。
検事が証拠を改ざんしていた。
それを組織ぐるみで隠蔽していたとは!
そういえば公金を検察が横領していたという噂はどうなったんだ。
内部告発した検事に濡れ衣をきせて投獄したそうじゃないか。
検察は人の罪をけっして許してはならない。
当然、自らの犯罪もけっして許されない。

検事はまず盗んだ金を返せ。
それまで検察庁の業務を停止しろ!

私は騙されていた。
マスコミは公明正大だと思い込んでいた。

とんでもない、嘘の塊だった。
小沢一郎氏、鈴木宗男氏、その他多数!

彼らを中傷誹謗しまくった記事は、すべてでたらめ、嘘の塊だった!

私は、当初ネットを見ると、マスコミのことを、マスゴミと書いてあるのに強い違和感を持っていた。
こういう言葉遣いしか出来ない連中はろくなものではないと思っていた。

違っていた、彼らが正しかった。

痴漢の常習犯だと思っていた植草一秀氏が正しかった。
植草一秀氏に申し訳なかった。

マスゴミと呼ぶのが言葉の正しい使い方だった。
ちなみに、
読売新聞は、ゴミ売新聞、
朝日新聞は、浅卑新聞、
産経新聞は、惨刑新聞、
と表記するのが正しいそうだ。

先日、日経新聞(あいにく日経新聞の正しい表記法を知らない)を呼んでいたら、コラムにこんなことが書いてあった。

彼らの強い味方であり、貴重な情報源であった主任検事が逮捕されてしまったことが、彼らには、よほど残念だったのであろう。
しかし、公明正大な振りをしている彼らは、さすがにこれを正直に残念だとは書けないため、彼らはこう書いた
『この事件でほくそ笑んでいるのは、すねに傷もつあの人この人である』

日経をよく読んで、よく洗脳された読者は、『あの人この人』が、誰を指すのかすぐわかるのだろう。

私も、『あの人この人』とは、小沢一郎氏や、鈴木宗男氏を指すのだと思ったから、まだ洗脳が抜け切れていないのかもしれない。


私は騙されていた。
民主党のマニュフェストが実現されるものと思い込んでいた。

高速は無料になるし、子ども手当は全額支給されると信じて、民主党に投票した。
騙された。

票が欲しいための、明白な嘘だった。
『有言実行内閣』
と呼ぶのだそうな。

はじめについた嘘はすっかり忘れて、これからは嘘をつきませんと仰っている。
財源がない。これも嘘だ。

先日、激論クロスファイアーで、国民一人当たりのGDPが、
2000年の3位から、2008年の23位へと、
急速に落ちたのはなぜかと、各党の議員が集まって、不毛で、かつ難解な、さも賢そうな議論を戦わしていたが、

この間、そして今も、敗戦国日本の政府は、戦勝国アメリカの傀儡でしかないという視点がない。

アメリカにしてみれば、本店が苦しくなったから、調子がいい支店から利益を還流させただけのことである。

各党の議員たちは、こうしたアメリカと日本の関係を、本当に知らないのだろうか?

尖閣諸島での船長釈放に関しても、政府は堂々と見え透いた嘘を付いている。

地検が高検にお伺いをたて、高検が最高検にお伺いをたて、最高検が、そこで政治的判断をした?
主任検事逮捕で、倒産寸前の最高検にそんなことを検討している余裕は全くあるまい。

地検の判断に、政府の意向が反映されているのは、誰が見ても明らかなのに、
『検察当局の判断を尊重する』
と言い張る。嘘もつき続けると癖になるのだろうか。

でも、このことで、これまで『国策捜査はない』と言い張っていた嘘もばれた。

検察は、特に特捜は、アメリカ傀儡政権の意向を伺って行動する忠実な犬であることが明らかとなった。


私は騙されていた。

一番悔やまれるのは、騙されて、鈴木宗男氏を悪党だと思い込んでいたことである。

フォーク歌手の変なやつが、収賄政治家の味方をしていると思っていた。

有罪判決が出たあとにもかかわらず、愚かな北海道道民は、地元利益誘導型の政治家を選びやがったと思っていた。


私は間違っていた。松山千春が正しかった。北海道道民が正しかった。

身近に接し、鈴木氏をよく知っている松山千春は、北海道道民は、そして鈴木氏の家族は、
検察にも、裁判所にも、マスコミにも騙されなかった。

鈴木宗男氏に申し訳なかった。
松山千春氏に申し訳なかった。
北海道道民に申し訳なかった。
鈴木氏の家族に申し訳なかった。


しかし、もう私は、騙されない。

鈴木氏こそ、家族を愛し、北海道を愛し、日本を愛し、世界を愛す、真の政治家だった。

鈴木宗男氏は、収賄の有罪判決が出たあとに、北海道道民によって国会議員に選ばれている。
北海道道民は、判決が間違いであると決しているのだ。


それを、ペーパーテストが得意なだけの、非人間的集団に過ぎない司法官僚が否定していいのか。
厳しい大自然と共に生きる北海道道民の民意を否定していいのか。

鈴木氏の被選挙権を5年間奪うということは、鈴木氏に投票したいと願っている、鈴木氏を愛し、尊敬し、信頼する、北海道道民の選挙権を同時に奪うことになる。

日本は、国民に主権があるのではないのか。北海道道民に主権はないとでも言うのか!

鈴木氏の収監をけっして許さない。


ムネオを返せ!




以上転載終了・・・・・・・・・・・






posted by 秀さん at 06:13| ハノイ 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月27日

ひとり酒場で・・・じゃない編

美空ひばりの歌の歌詞ではないですが、ひとり会社に残って雑用みたいな業務をしている秀さんでごわす。


今週は忙しい割にはブログ更新も滞りなく行い、超真面目人間に変身ですわ。

まぁ、このビール&その他の食材で膨らんだお腹が腹筋バリバリのお腹に変身してくれれば良いのですが、そうもいかないのが自己鍛錬出来ないぐ〜たらな秀さんの持ち味ですわ。

ひと昔前はスポーツジムで早朝からプールで泳ぎ、全身を鍛えるための器具などを購入して毎日トレーニングを行い、それなりの体型をキープしていたのですが・・・


あ〜た、それがですねぇ


ベトナムに住むようになってからはすっかりゆるゆるの生活が身についてしまい、ニッチもサッチも、どうにもブルドッグ 体型でごわす。



何のこっちゃい! 



と言われる方はネットでフォーリーブスなんて今はすっかり中年おっさんになったグループを検索してたもれ!



ひとり事務所のベランダから道路はさんだ向かいの家々を眺めていますと

その家の家族の団らんの場面が見えたりします。


家の中に共にいる一族、だから家族っていうのかしら?


ベトナム人は日本人のように、家族をほったらかして夜遅くまで仕事や遊びをするよりは家族団らんを大切にする男性が多いような気がします。


まぁ、奥様、家内、妻、嫁、連れ、山の神、般若、夜叉、鬼ばばぁ〜、永遠の借金取りなど等・・・人によって様々な表現をされますが、要はおかあちゃんが怖いというのが一番の原因かもしれないですねぇ。

その割には、幼い子供はお手伝いさんに任せてお嫁さんは皆さん働きに出るはどうしてなのでしょうかねぇ?


日本では幼い頃の親子のスキンシップは子育てにおいて大変重要だと言われますね。

ベトナムの奥様方は日本人の奥様方に比べると子供とのスキンシップが少ないような気がするのですが、皆
さんどう思われますかぁ?

1台のバイクに赤ん坊の頃から家族と一緒に乗っているから、体のぬくもりが伝わり
目には見えない親子の絆フィーリングみたいなものが自然と伝達されるのでしょうかねぇ。


今年56歳、独り身になって時はめぐりめぐりて十数年、会社にひとり残り仕事をしているとふと、昔の思い出に浸りそうになる自分がいましたわ。

過ぎた時は逆戻り出来ないから、日々思い残すことのないように生きて行ければ良いのでしょうが・・・中々そうは出来ないのが秀さんのような凡人ですね。


また、明日と言う日がやって来ます。


やって来ないときは・・・そうご臨終ですがな。


だんだん人生も残り少なくなって来ました。


少しは今後の生き方を思考してしてみようか と考えてしまいした。



posted by 秀さん at 01:00| ハノイ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月15日

貧困者が4620万人ってどうよ!編

アメリカのウォールストリートで若者達によるデモが行われておりますねぇ。
今日10月15日も世界規模でデモが開催されるらしい。

デモの発生要因は貧富の格差があまりにも大きいことです。

日本も同じように貧富の格差が増大していますが、日本人の場合は怒りや憤りをデモという形で表現することは少ないですね。
まぁ、おとなしい民族ですもんね。それが良いのかどうかは分かりませんが・・・。

米国では、家族4人で年収2万2314ドル(171万円)以下、または単身で1万1139ドル(約85万円)以下の層を貧困層と定義しています。
アメリカの国勢調査結果によると、貧困者の総数が4620万人とのこと。こりゃ、フードスタンプの受給者が増大するはずですね。


いやはや、おどろ木、桃の木、マンゴの木ですわ。


ひと昔前のアメリカは夢と希望に溢れた国だといわれた時期もありました。秀さんが若い時はアメリカに憧れたもんですわ。

何度もアメリカに行ったことがありますが、表の華やかさの裏には貧困者が多く暮らすメチャ治安の悪い地区も多くありまして、車を止めずに走り去りなさい と忠告されたもんですわ。


貧困=治安の悪化 という図式が即成り立つアメリカという国、言い換えるならば、人々が助け合って生きる相互扶助精神のない国は人々に精神的な荒廃をもたらします。
アメリカの歴史を紐解くと、先住民であるインディアン達への虐殺、強奪の連続であります。

強い者が弱い者を徹底的に排除する資本主義、また、世の中弱肉強食が当たり前だ! という精神性が多くの人々を不安と恐怖に誘っています。
今の日本もそういう国になるつつあります。今現在、秀さんが住んでいる国、ベトナムも都市部に限れば同じようになって来ております。


何故にそうなるのでしょうか?

お金=物欲 に人々の心が支配された結果でしょうねぇ。

人類はお金というものが発生するはるか以前より生存しており日々の生活を営んでいました。

村落共同体が破壊され、大家族主義も破壊され、人間一人ひとりがが孤立させられている現状では、頼りになるのは自分ひとり、誰も助けてはくれない孤独の中ではお金というものが唯一の拠り所になるのかも知れません。

悲しいことですが・・・・これが現実なのでしょう。


何度も言いますが、どうせ人間死ぬときは裸です。生まれた時と同じように何も持たずにあの世へと旅立っていかなければなりません。

世の中のお金持ちの年寄り達よ、 そのお金を若い人たちのために使いなさい! と言いたいですね。

同じ人間として生まれて来た者同士、同じ地球という惑星に住む者同士、何故に助け合って生きていけないのか? とアホが悲しい現実に憤り、一人寝言を言っております。


本日は、品友会の開催日です。

心に空いた隙間を埋められるような楽しい会となれば本望ですが・・・
更に空しくなる親父ダジャレをかますくらいしかアホな秀さんには出来ませんが、
ま、 楽しくやりまひょ!


では、本日はこれにて ご免クサイ です。


posted by 秀さん at 11:08| ハノイ | Comment(0) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月07日

スティーブ・ジョブズの感動スピーチ編

マックと言ってもハンバーガーではござらん。

マッキントッシュというパソコンを20歳の時に開発した創業者の一人、ステーヴ・ジョブズ氏がすい臓癌で死去しました。

秀さんの思い出としては、数十年前にまだウインドウズが今のように主流を占めることがなかった時代にアップル社のマッキントッシュパソコンとそのソフトを販売していました。

特にソフトに関しては日本では手に入らないソフトを世界中から探しましたよ。
当時としてはパソコンソフトの品揃えでは日本最大級の大型店舗を計画・準備していました。
延べ床面積4500uという大規模店舗が完成し、オープンした時には、不眠時間人生最大記録を更新していました。

体力的には許容範囲の限界を超えゾンビのようになっていましたわ。

それも、年老いた今となってはとても良い思い出になりました。


こら! お前のノスタルジー話はもういいわ! と言われますか?


へい、へい、やめましょう。



では、有名なスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学の卒業生に贈るメッセージ(人生で得た3つのストーリー) をお送りしましょう。


素晴らしいスピーチです。


惜しい人を亡くしました。



ではそのスピーチです。(翻訳版)・・・・・・・・・

ありがとう。今日は世界で最も優秀と言われる大学の卒業式に同席できて光栄です。

実は私は大学を出ていないので、これが私にとって最も大学の卒業に近い経験になります。
今日は私の人生から3つのストーリーを紹介します。それだけです。

大したことありません。たった3つ です。

ABOUT CONNECTING THE DOTS.

最初は、点と点をつなぐ話です。

私はリード大学を6ヶ月で退学しましたが、本当に辞めるまで18ヶ月ほど大学に居残って授業を聴講していました。ではなぜ辞めることになったか?

その理由は私が生まれる前に遡ります。私の生みの母親は若い未婚の大学院生でしたので、彼女は私を養子に出すことを決めていたのです。

彼女は育ての親は大学 を出ているべきだと強く感じていたため、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることになっていました。
ところが、私が生まれる直前に、本当に欲しいのは女の子だと。

そういういきさつで、養子縁組を待っていた今の両親は夜中に「予想外に男の子が生まれたので欲しいですか?」という電話を受け たのです。

彼らは「もちろん」と答えました。
しかし、生みの母親も後で知ったことですが、母親は大学を出ていない、父親は高校も出ていませんでした。
そこ で、生みの母親は養子縁組の書類へのサインを拒みましたが、何ヶ月か経って、今の両親が将来私を大学に行かせると約束してくれたので、気持ちが整理できたようです。

これが私の人生の出発点になったのです。

17年後、実際に大学に入りましたが、私はあまり深く考えずにスタンフォード並みに 学費の高いカレッジを選んでしまったので、労働者階級の親の収入のほどんどは大学の学費に使われていました。

半年もすると、私はそこに何の価値も見出せな くなっていたのです。

人生で何がやりたいのか私自身に考えがなかったですし、それを見つける手助けを大学がどうしてくれるか思いつきませんでした。

なのに 自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を使い果たしている。

だから退学を決めたのです。

それが全てうまく行く道だと信じて。もちろん当時はかなり怖 かったです。

ただ、いま振り返ると、これが人生で最良の決断だったのです。というのも、退学した時点で興味ない必修科目は受けなくてもよく、自分にとって 面白そうな授業に集中できたからです。

寮には自分の部屋もなく、夢を見れる状態ではありませんでした。
夜は友達の部屋の床に寝泊りさせ てもらってたし、食費のためにコーラ瓶を店に返して5セント集めしたり、日曜夜はハーレクリシュナ寺院のご飯を食べに7マイル歩きました。

これが私の楽し みでした。
こうした自分の興味と直感に従うだけの多くの体験があとになって値段がつけられない価値に変わったのです。

ひとつ具体的な話をしてみましょ う。

リード大学には、当時おそらく国内でも最高のカリグラフィ教育がありました。
見渡せばキャンパスにはポスターから戸棚に貼るラベ ルまで美しい手書きのカリグラフィばかりだったのです。

私は退学したのですから普通の授業はとる必要もないのでカリグラフィの授業を受けて手法を学ぶこと にしたのです。
私はそこでセリフやサンセリフの書体について習ったり文字と文字のスペースを変えていく概念についてつまり異なる文字のコンビネーション手 法など素晴らしいフォントの作り方を学問として学びました。

フォントは、美しく、歴史的にも、芸術的にも、科学で把握できないほどの緻密さでしたのでそれは私にとって魅力的な発見となったのです。

フォントは、人生の役立つという期待すらありませんでした。
しかし、それから10年経って 最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する時にその知識が役に立ち、マックの設計に組み込むことにしました。

こうして初めて美しいフォントを持つコ ンピュータが誕生したのです。
もし私が大学であのコースを寄り道していなかったら、マックには複数の書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、 ウィンドウズはマックの単なるマネに過ぎないのでこうしたパソコンがいま世界に存在しないかもしれません。

もし私が大学を退学していなかったら、あのカリ グラフィの授業に寄り道することはなかったしパソコンには素晴らしいフォント機能がないかもしれない。
もちろん大学にいた頃の私には、未来を見据えて点と 点をつなげることはできませんでした。

しかし10年後に振り返えると、とてもハッキリ見えることなんです。

もう一度言います。

未 来に先回りして点と点をつなげることはできない。
君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。
だから点と点がいつか何らかのかたちでつな がると信じなければならない。
自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。
歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自 信を持って思うままに生きることができます。
たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。



ABOUT LOVE AND LOSS.

2つ目は、愛と敗北についての話です。

自 分が何をしたいのか人生の早い段階で見つけることができたことは幸運でした。

実家の車庫でウォズとアップルを創業したのは、私が20歳の時でした。
私たち は仕事に没頭し、10年間でアップルはたった2人の会社から4千人以上の従業員を抱える20億ドル企業に成長しました。

私たちは最高傑作であるマッキン トッシュを発表しましたが、そのたった1年後、30歳になってすぐに、私は会社をクビになってしまいました。

自分が始めた会社を首になるなんて不思議です が、こういうことなんです。

アップルの成長にともなって、私は一緒に経営できる有能な人間を雇い最初の1年はうまくいっていました。
しかし、やがて将来ビ ジョンについて意見が分かれ、仲たがいに終わったのです。

取締役会は彼に味方し、私は30歳にして会社を去りました。

まさに社会的に追放された感じでし た。私の人生のすべてを注ぎこむものが消え去ったわけで、それは心をズタズタにされた状態になりました。

数ヶ月は本当にどうしたらいい のか分かりませんでした。
自分が前世代の起業家の実績に傷をつけてしまい、手渡されたリレーのバトンを落としたように感じました。

私はデイヴィッド・パッ カードとボブ・ノイスに会いひどい状態にしてしまったことをお詫びしようとしました。
まさに社会的脱落者となりシリコンヴァレーから逃げ出そうと考えたほ どです。

しかし自分がやってきたことをまだ愛していることに少しづつ気づきました。

アップルの退任劇があってもは私の気持ちは全く変わらなかったのです。

私は会社で否定されても、私はまだ好きだったのです。
だからもう一度やり直すことに決めたのです。

その時は分からなかったのですが、や がてアップルをクビになったことは、自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。
成功者の重圧が消え、再び初心者の気軽さが戻って きたのです。

あらゆるものに確信はもてなくなりましたが。おかげで、私の人生で最も創造的な時期を迎えることができたのです。

その後の 5年間に、私はネクストという会社とピクサーという会社を設立しましたし、妻となった素敵な女性と恋に落ちました。

ピクサーは世界初のコンピュータによる アニメーション映画「トイ・ストーリー」を創りました。
いま世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

思いもしなかったのですが、ネクストが アップルに買収され私はアップルに復帰することになり、ネクストで開発した技術は現在アップル再生の中核的な役割を果たしています。
さらには、ロレーヌと 私は素晴らしい家庭を一緒に築いています。

ここで確かなのは私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何も起こらなかったということです。

それは大変苦い薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。

人 生には頭をレンガで殴られる時があります。しかし信念を失わないこと。

私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛しているからということに 他なりません。

君たちも自分が好きなことを見つけなければなりません。
それは仕事でも恋愛でも同じこと。

これから仕事が人生の大きな割合を占めるのだか ら、本当に満足を得たいのであれば進む道はただひとつ、それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやること。

さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを 仕事にすること。

もし見つからないなら探し続けること。落ち着かないこと。

心の問題と同じで、見つかったときに分かるものですし、愛する仕事というのは、 素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに自分を高めてくれるものです。

だから探し続けること。落ち着いてはいけない。



ABOUT DEATH.


3つ目は、死についての話です。

私 は17歳の時、こんな感じの言葉を本で読みました。

「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。そうすればいつかあなたが正しいとわかるはずです。」

これには強烈な印象を受けました。
それから33年間毎朝私は鏡に映る自分に問いかけてきました。

「もし今日が自分の人生最後の日だしたら今日やる予定のこ とは私は本当にやりたいことだろうか?」それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと私は「何かを変える必要がある」と自覚するわけです。

自 分がもうすぐ死ぬ状況を想像することは最も大切な方法です。

私は人生で大きな決断をするときに随分と助けられてきました。
なぜなら、他人からの期待、自分 のプライド、失敗への恐れなど、ほとんど全てのものは…死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のもので、

そこに残るものだけが本当に大切なことなのです。

自 分もいつかは死ぬと思っていれば、何か失うのではかないかと危惧する必要はなくなるので、私の知る限りの最善策です。

失うものは何もない。思うままに生き てはいけない理由はないのです。

今から1年ほど前、私は癌と診断されました。

朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキ リと腫瘍が映っていたんですね。
私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。医師たちは私に、これはほぼ確実に治療ができない種類の癌であり、余命は 3ヶ月から6ヶ月と言いました。
そして家に帰ってやるべきことを済ませるよう助言しました。

これは医師の世界では「死」を意味する言葉です。それは、子供 たちに伝えた10年分のことを数カ月で済ませておけ、という意味です。
それは、家族が心安らかに暮らせるよう全て引継ぎをしておけ、という意味です。
それ は、さよならを告げる、という意味です。

私はその診断書を一日抱えて過ごしました。
そしてその日の夕方に生体検査を受けました。喉から 内視鏡を入れ胃から腸に通してすい臓に針を刺して腫瘍の細胞を採取しました。
私は鎮静状態でしたので、妻の話によると医師が顕微鏡で細胞を覗くと泣き出し たそうです。というのは、すい臓ガンとしては珍しく手術で治せるタイプだと判明したからなんです。

こうして手術を受け、ありがたいことに今も元気にです。

これは私がもっとも死に近づいた瞬間で、この先何10年かは、これ以上近い経験がないことを願います。こうした経験をしたこともあり、死というのが有用だが単に純粋に知的な概念だった頃よりも、私は多少は確信も持って言えます。

誰 も死にたいと思っている人はいません。
天国に行きたくても、そこに行くために死にたい人はいません。

それでいて、死は誰もが向かう終着点なのです。
かつて 死を逃れられた人はいない。

それはそうあるべきだから。なぜなら「死」は「生」による唯一で最高の発明品だから。

「死」は「生」のチェンジエージェントだ から。

つまり古いものが消え去り、新しいものに道を開ける働きです。
いまの時点で、新しいものとは、君たちのことです。

でもいつかは、君たちもだんだんと 古くなり、消え去るのです。
あまりにドラマチックな表現なのですが、それが真実なのです。

君 たちが持つ時間は限られている。
人の人生に自分の時間を費やすことはありません。

誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。
自分の内なる声が雑音 に打ち消されないことです。

そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従い、勇気を持って行動することです。

心や直感というのは、君たちが本当 に望んでいる姿を知っているのです。

だから、それ以外のことは、全て二の次でも構わないのです。




STAY HUNGRY, STAY FOOLISH.


私 が若い頃 "The Whole Earth Catalogue 全地球カタログ" というすごい出版物があって、私と同じ世代ではバイブルのように扱われていました。

それはステュアート・ブランドという人が、ここからそれほど遠くないメンローパークで制作したもので、彼の詩的なタッチで彩られていました。

1960年代の終わり頃はパソコンもDTPもない時代ですから、全てタイプライター とハサミとポラロイドカメラで作られていました。

それはまるでグーグルのペーパーバック版のようなもので、グーグルが35年遡って登場したかのような理想 的な本で、すごいツールと壮大な概念に溢れかえっていました。

スチュアートと彼のチームは ”The Whole Earth Catalogue” を何度か発行しましたが、ひと通りの内容を網羅した時点で最終号を出しました。

それは1970年代半ばで、私がちょうど君たちの年代だった頃です。

最終号 の裏表紙は、朝早い田舎道の写真だったのですが、それはヒッチハイクの経験があればどこか見たことある光景でした。

写真の下には "Stay hungry, Stay foolish." という言葉が書かれていたのです。

Stay hungry, Stay foolish.

それが、発行者の最後の言葉だったのです。

それ以来、私は常に自分自身そうありたいと願ってきました。

そしていま、卒業して新しい人生を踏み出す君たちに、同じことを願います。


Stay hungry, Stay foolish. ハングリーであれ、バカであれ。

ご清聴ありがとうございました。



posted by 秀さん at 01:21| ハノイ ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月04日

硬い記事でスマソ編

東北の放射能漏れの問題がもう既に片付いたかの様にマスコミもあまり大きく報道しなくなりました。

しかし、実態は全く片付いていないどころか、未来永劫人の住めない土地になるほど放射能漏れは続いており日本国内だけでなく他国への影響を及ぼしかねない事態ですわ。
しかし、日本のマスコミは真実の報道を全くと言っていいほどしておりません。

それどころか、いまだに原子力発電は重要だなんて秀さんよりアホなことを抜かしているマスゴミに開いた口が塞がりませんわ。海外のマスコミの方がよほどその真実を伝えていますわ。
嘘で固めた情報操作にうんざりしている秀さんでごわす。

今回の民主党の代表選挙しかり、野田政権が真に国民の生命・生活を尊重する政治になるとは思えません。

「国民生活が第一」とのスローガンを掲げ民主党は政権の座についたのではないのか?

国民に示したマニュフェストも与野党大連合という掛け声の下に葬りさられそうですわ。
過去腐り切った自公政権に国民がノー と言って出来た政権が民主党政権ではなかったのか!

政党政治の根幹である各党の政治信条を放棄するようなことを言い出すとは・・・そんなことなら一党独裁にしなさいよ! ったく。

また、今回で2度にわたるNHKの民主党代表戦での明らかな謀略報道にも二の句がつげません。

秀さん、小沢さんの政治信条&能力に期待して支持した民主党でしたが、その小沢さんを検察とマスゴミがグルになって無実の人間を政治的に貶めた事実は今では国策捜査だったと裁判等の経過で明らかになってきておりますが、その後を継いだアホ菅政権のデタラメぶり、そのあとの今回の民主党代表選挙の結果を見て、秀さん、もうキッパリ決めました!

近い将来、日本の家屋敷を売り払ってベトナムに永住する覚悟が出来ましたわ。


そりゃ日本よりはベトナムが良い国だとは決して思いませんよ。
どちらも大きな問題を抱えた国ですが、まだ、ベトナムの方が若い人が多い分、少し夢がありそうな気がします。


世界に目を向けると・・・

リビアのカダフィー政権が転覆しそう と言うか、転覆されられましたわ。


誰に・・・大衆運動によって? 


あ〜た、そんなの大嘘ですよ。


イラク戦争しかり、アフガン戦争しかり、いや過去の戦争全てと言って良いでしょう、
戦争は全て裏では利益略奪闘争、正義の戦争なんてあったためしがありませんって!

犠牲になるのは一般庶民だけです。


誰がリビアの動乱で利益を得るかって?


そりゃ、石油資本家達。早い話がユダヤ国際資本グループですわ。
日本の幕末戦争だって良く調べてみると欧米ユダヤ連中に操作されていることが良く解ります。
国連だってDFロックフェラーのおっさんが寄贈したことから判るように決して公平で平等な立派な国際組織ではありません。
我々日本人、いや世界の一般人は知らないだけですわ。

だって、低俗なTV番組を見てポテトチップス食べながらアホ話をしている方が、難しい政治のことや、人間がどう生きるか 何て難しいこと考えるよりは楽ですもんね。
へい、秀さんも同じでごわす。


秀さん含め、何故に人間は生きているのか? と言う問いをしなくなった我々庶民・・・
その怠惰な生活にそろそろ天から鉄槌が下ろされるかもしれませんねぇ。

イエスが神の言葉を代言したと言われる



「人はパンのみにて生きるにあらず」 と言う言葉がふと浮かんで来ました。


そう、秀さんの場合、パンよりはご飯に味噌汁の方が好きですもん!


このようなアホにも日々の生活を授けてくれる神様、仏様 その他色々・・・& 御先祖様に感謝して


本日は就寝っと!


posted by 秀さん at 01:15| ハノイ ☀| Comment(5) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月22日

32年前は24歳編

愚息が今週誕生日を迎えるのでささやかな誕生日プレゼントを愚息の嫁と買いに行きましたわ。


早いものでもう32年かぁ? と自分の若い時を思い出しながら感慨にふけってしまいましたぞぃ。

秀さんの場合は、大学時代に親の反対を押し切って同棲していたので卒業後直ぐに結婚ということになりまして、23歳という若さで挙式となりました。へい

翌年、どういう訳か・・・いや、間違い、当然の帰結として愚息が誕生したのでありやす。

当時は親になるという自覚もなにもありゃしませんでした。
今考えると、両親初めまわりの人達にずいぶんと迷惑をかけたような気がします。
今更ゴメンナサイと言っても遅いのですがね!

この間の品友会に参加された方から、秀さんの場合は親子でベトナムに住んで、息子さんのお嫁さんがベトナム人というのは珍しい部類に入るのでは? と言われ申した。

確かに家では、愚息夫婦はベトナム語で会話、秀さんとお嫁さんは日本語 とチャンポン家族ですわ。

お蔭様で慎ましく3人で仲良く暮らしております。つくづく有難いことだなぁ と日々感謝しておりますよ。


何に感謝を? といわれますか?


へい、ご先祖様初め秀さん家族とご縁のある方、あった方々全ての皆様に対してですわ。


過去を振り返って、こんな異国の地で親子での生活が一緒に出来るなんて想像だに出来ませんでしたわ。
仕事中毒の塊みたいな人間でしたので家庭のことはほったらかしで長い間全国飛び回っていましたもん。
その時はそれが当然のことだと100%思っていましたよ。

今考えると、世間一般の限度をはるかに超えていたのではないかと反省しているのですが、過ぎ去った日々は戻っては来ませんねぇ。
そのこと以外でもああしとけば良かった、別の選択枝があったのではないかと思うことも多々ありますが、人生は後戻り出来ない仕組みになっております。


過去のことをあれこれ悩むより今現在を生きて行くことの方が何倍も大切ですね。
過去に比べれば生活の豊かさ(金銭的な)は何十分の一となりましたが、精神的な豊かさは何倍にも大きくなりました。
秀さんがそうであったように、愚息も嫁をもらい、生活に少し落ち着きが出てきた様に思います。


落ち着かないのは秀さんのゴルフですわ。
もう少し落ちついてスイングすれば目標の100切りも出来るのでしょうが・・・
キャディさんにニャンニャン(早い早い)と言われている内は無理かも?


しかしですねぇ、ゴルフのスイングは早くても、生活のリズムだけはゆっくりまったりと行きたいものですね。


本日は身内話で終わってしまいましたが、賢者の皆様、来週もお元気で!



では本日はこれにて失礼します。


posted by 秀さん at 00:09| ハノイ | Comment(6) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月09日

よく考えてみて下さい(転載のみ)編

バズビー博士の原子力の根源的な部分に触れているインタビュー

内部被曝を重視し、「このままでは福島、北日本は使えない土地になる」と警告しているECRR(欧州放射線リスク委員会)の科学議長クリストファー・バズビー氏のインタビューです。

バスビー博士は、低線量被曝による健康被害の第一人者で、ECRR科学議長を務めると同時に、英国政府の内部被曝調査委員会などの委員を務めています。
今回、福島県郡山市の保護者ら、児童・生徒の「集団疎開」を求める市民団体の招きで来日した。
バズビー博士は、福島県郡山市の保護者や、それを支援している市民団体の要望を受けて7月17日に来日、講演会を終えて日本滞在の最後の日に、福島県の会津若松市に行って、放射線量と放射線核種の計測を行いました。

【ECRR議長・バズビー博士が内部被曝について重大な警告】

バスビー博士は、今回の来日で何人かのジャーナリストからインタビューを受けていますが、この動画のインタビューは、テーマがはっきりしていて、かなり成功しています。
インタビューを行っているのは、ジャーナリストの松元千枝氏です。

バズビー博士は学者らしく慎重に言葉を選びながらも、私たちが抱えている本質的な問題について、鋭い指摘をしています。
これは、こうです。

「日本のみなさん、そろそろ気づいてください。このままでは取り返しがつかなくなりますよ」。

このインタビューは、いつもと違って、「原子力を推進しようとしている人たちの言うことを信じないように」という警告になっています。
このインタビューでは話していませんが、バズビー博士が言外に暗示している部分については、近いうちに記事にしたいと思います。

文字起こしして、さらに理解が深まるよう、少し解説を加えてみましたのでご覧ください。


インタビュー始まり:

松元氏:
今回の来日の背景には、子供たちの安全と健康がないがしろにされていて、福島の子供の疎開を求める声があります。
しかし、日本政府は被曝レベルを引き上げ、外で遊んでも安全だと言っています。
避難については、(日本の政府は)まったく検討していませんが、福島の現状をどのようにお考えですか。

バスビー博士:
日本政府は犯罪的(criminalという言葉をはっきり言っています)に誤っていると感じています。
子供ですら汚染の高い地域から避難させていないのですから。

政府は個人が集まった組織です。
そして、組織の個々人が決定します。

誤った決定なのに、それに従って行動するようなことが、過去には戦争犯罪などで同じようなことがありました。
第二次世界大戦では、ヒトラーが政府として多くのユダヤ人を強制収容所のガス室に送りました。

政府として行ったことですが、最終的には個人個人に責任があります。

これらは戦争犯罪です。

今は平時ですが、戦争犯罪と同じと考えられます。
これらの人々は個人として責任があり、名前も指摘できるわけです。

彼らは最終的に何らかの裁判にかけられ、刑務所に入ることになると思います。
(管理人:枝野は確定でしょう)

松元氏:
日本政府はICRPのモデルを採用していますが、ICRPの勧告についてさえも違反している部分があります。
博士はICRPを批判していますが、日本政府に対して、どうお考えですか。

バズビー博士:
日本政府がICRPの基準にこだわるのは、ICRPが緊急時には20ミリシーべルトまで許容しているからだと思われます。
今は(瀬戸際の)緊急時を脱しているのですから、通常の許容上限値は1ミリシーベルトです。

ですが、アメリカやヨーロッパでは、1つの放射線からの被曝は0.1ミリシーベルトに抑えるよう解釈されています。
しかし、日本政府は、国民に1ミリシーベルトより高いレベルk被曝を許容しているのです。

私自身の考えですが、(車の)エアフィルターの調査から、とても多くの人々が20ミリシーベルト以上の内部被曝をしていると思います。

日本政府は意思決定において、完全に機能不全に陥っています。
ECRRモデルの情報や、私たちが行った計測結果があってもなお日本政府が行動を改めならなら、最終的には裁かれることになると思います。

松元:
ICRPとECRRの基準に違いがあるのは何故ですか。

バズビー博士:
まず最初に知って欲しいのは、ICRPの基準は役に立たない、ということです。
(ICRPは)内部被曝による発症数について、誤った予測を出すでしょう。

ICRPのモデルは1952年につくられました。
DNAが発見されたのは翌年の1953年です。

ICRPは原子爆弾による健康への影響を調べるために設立されました。

第二次世界大戦後、大量の核兵器が作られ、プルト二ウムやウランなど、自然界にはないものを世界中に撒き散らしました。

このため、ICRPはすぐに対策を考えなければなりませんでした。
そこで彼らは物理学に基づいたアプローチを取りました。

物理学者は数学的方程式を使って、シンプルな形にまとめるのが得意です。

しかし、人間について方程式で解くのは複雑すぎます。
そこで彼らは人間を水の袋と仮定し、被曝は水の袋に伝わったエネルギーの総量であると主張したのです。
これはとても単純な方法です。
人の形の水の袋に温度計を入れ、放射線を当てて温度が上がったら、それが吸収された放射線量というわけです。

松本氏:
ICRPは原子力エネルギー推進していると言われていますが…。

バズビー博士:
彼らは何かを推進しているなんて言いません。
独立した組織で、科学者たちが放射線のリスクを研究していると言います。

決して原子力を推進しているとは言いません。
ただ、結果的にそうなって(原子力エネルギーを推進している)います。

このようなことは、水面下でいつも起こることです。

私たちの多くは、ICRPは、もともと核開発を推進するために設立されたと思っています。
推進しないまでも、人々が核開発を阻止しないように設立されたと思います。

人々が、「牛乳にストロンチウムが入っていたからジミーが白血病になっちゃったわ」と言うと、
「いえ、核兵器のせいじゃないですよ、放射線量が少なすぎて影響しませんから」。
そう言うためにICRPは設立されたのだと思います。

そして医者たちが騒ぎ出したとき、彼らは何をしたかというと、医者たちを牽制するために1959年にWHOとIAEAと協定を結ばせたのです。

それはIAEAが放射線と健康について責任を持つというものでした。

「IAEA=国際原子力機関」が健康について責任を持ち、「WHO=世界保健機構」が放射線のリスクについて考えてはいけないことになったのです。

彼らは蚊だのエイズだけを扱うことになりました。

そこは、はっきり区別されています。
これが、ICRPが放射線リスクに対する理解をコントロールしている証拠です。

松本氏:
それがICRPが内部被曝を考慮していない理由でしょうか。

バズビー博士:
そうです。
でも絶対に彼らを、それを認めないでしょう。

松本氏:
博士は世界中で、いままで40回以上、裁判で証言されてきたとのことですが、そのことについてお聞かせください。

バズビー博士:
ECRRモデルを使い、いままでたくさんの裁判をしてきました。
人々の内部被曝の被害を専門家として証言してきました。

米国では、放射性物質を扱う仕事をしてきた人々や、原子力発電所のそばに住む人々や、ロサンゼルスの核施設の近くに住む人々などです。

英国では、核実験の退役軍人たちの裁判で、専門家として裁判で証言してきました。
これらの人々に共通しているのは、ガンや白血病を発症して苦しんでいることです。
これらの原因は、今日本で話題になっている放射性物質による内部被曝です。

そして、どの裁判でも勝ってきました。
ECRRとICRPで、ボクシングの試合やコンテストをしたようなものです。

法廷では、陪審員も偏見のない裁判官も、3人の裁判官もECRRの解釈を好み、ICRPを好む人はいませんでした。
これらすべての裁判において、ICRPのモデルが正しいと証言する専門家を連れてくることが一回もできませんでした。

ICRPの挙げる証拠は間違いばかりなので、証言するのが難しいのです。

裁判では証拠が必要です。
「ほら、こちらがみんなが信じているICRPで、彼がICRPの委員長で重要人物なんですよ」などということに意味はないのです。

松元氏:
郡山での裁判に呼ばれたとしたら、何を証言しますか。

バズビー博士:
専門家の証人として、証言をしたり報告書を書くのは喜んでしますが、来日はせずビデオで証言します。

なぜなら、放射線量が高すぎて私自身怖いからです。

100キロ圏内に行きたくありませんし、100キロ圏外でも心配です。
私は会津若松に行きましたが、土壌が非常に汚染されていました。

持参した機器で計測した値は想像以上で衝撃的でした。

いつもと変わらない街の様子。でも、そこにある放射性物質は人を殺すでしょう

バズビー博士:
東京のホテルで街を見ていると、ビジネスマンが傘をさして通ったり、女性も男性も皆、いつもとまったく変わらないのです。
会津若松でも街はいつもと変わらないし、原発から5キロのところでも景色は何も変わらないでしょう。

でも、そこにある放射性物質は人を殺すでしょう。

放射性物質は見えないのです。
ガイガー・カウンターがあれば計測することができますが、ガイガー・カウンターに勘違いされる可能性もあります。

実際には、マイクロシーベルトという放射線率には関係なく、放射線を出す物質が空中に舞っていて、体に入ることが問題なのです。

それを知っていると、近くには行きたくなくなります。

チェルノブイリに行ったために、多くの同僚が死にました。

松元氏:
車のエアフィルターに付着した放射性物質を分析した結果について教えてください。

バズビー博士:
私たちは5台の車のエアフィルターを調べました。
1つは千葉県内、4つは福島原発100キロほどの場所のもので、そのうちの1つは原発から30キロ圏内を走行したものでした。
福島のもの(エアフィルター)はすべて千葉より高いレベルの放射線量が計測されました。

とはいえ、千葉のものもかなり汚染されていました。
すべて福島原発から出たガンマ線核種で汚染されていましたし、ウランが含まれている兆候もありました。
ただ、それは見せるには、ちょっと難しいのですが。
また、そのうちの1つからはアルファ線の核種も検出されました。

少なくともアルファ線を出す核種が1つは含まれていることになります。
直径0.5ミリほどのものです。

今、より精密な機械を使って、プルト二ウムがあるかを分析しています。
あと2週間ほどかかります。

この結果が何を意味しているかというと、空気中のセシウム137の濃度は、核実験のピークだった1963年の1000倍でした。
これは、かなり深刻です。
なぜなら、1963年の核実験で乳児死亡率が上がり、20年後には世界中でガンが増えたことを私たちは知っているからです。
でも、その時より1000倍も高いのです。

千葉のものは300倍でした。
そのことから、かなり遠い東京南部も、かなり汚染されていると推測しています。

放射性物質の汚染は均一に広がっているわけではありません。
すでにご存知だとは思いますが、ある場所では高いけれど、ある場所では、それほどでもない。
それはチェルノブイリと、まったく同じです。

チェルノブイリの汚染地図は葉の形のようです。
川の流域に沿うことが多いです。
そういうことを私たちは発見しました。

やるべきことは多々ありますが、一つ目としては、放射線量の高い地域に住む人々は避難する必要があると思います。
特に子供は避難しなければなりません。

なぜなら、子供は最大で10倍、放射能への感受性が強いからです。
今、突然そうなるわけではありませんが、将来は、そういうことが起こるのです。

すでに、そこにいる人々の体は法的な意味で傷付けられています。
しかし、今避難すれば、今以上には酷くはならないのです。
それが第一にやることです。

第二に、政府はすぐに航空機を使い、汚染地図を作らなければなりません。

これは昔からある技術なので問題はないはずです。


バズビー博士:
なぜなら、人々は情報を得る必要があるからです。
情報は、ただあるだけでなく、誰もが知りたい情報をインターネットで見たり、印刷できる必要があります。

どこに行けばいいか、どこに行ったらいけないのか、どこに放射性物質があるのか、ないのか、判断できるからです。

そして、私の意見ですが、チェルノブイリの避難区域と同じレベルの汚染がある地域は立ち入り禁止にすべきです。

30キロという範囲ではありません。物質によっては120キロも飛んでいます。
もし、これが毒ガスで、明日にも死ぬとなったら皆逃げるでしょう。
ただ、明日にでも死ぬというものではなく、何年か経ってから死ぬ、というだけです。

三つ目にすべきことは、比較的、汚染の低い地域にとどまらなければならない人々に補償することです。
丸太で頭を叩かれるのと同じで、致死にいたる物質で汚染されるのですから、法治国家においては、それは違法です。
汚染した原子力業界に補償を求めることです。

また、日本だけでなく世界中の原子力業界に補償を求めてもいいでしょう。
これは国際的な問題ですから。

次に、とにかくお金をかけて原子炉を取り囲む必要があります。

原子炉の下を掘って、コンクリートを流し込み、上部を囲むには1兆ドルもかかりますが、やらなければなりません。
でなければ、放射性物質は、ずっと放出され続け、だんだんと北日本は放射性物質で使い物にならなくなっていくでしょう。

それだけでなく、世界中に広がります。
英国、ハワイ、グァム、米国の西部でプルトニウムが検出されましたし、ですから、これは世界的な問題であり、世界的な解決策が必要です。

「日本は不運だったわね」ではなく、すぐに何とかしなければなりません。
なぜなら、非常に大量の放射性物質が刻々と垂れ流されているからです。

他にやるべきことは、空気中の放射性物質のモニタリングです。
現在、日本政府は、すべての核種の放射線濃度を公開していません。
これは深刻なことです。

政府は、ただセシウムだけを計測しています。
ストロンチウム90、トリチウム、プルト二ウム、ウラン−特にウランは遺伝子に深刻な影響を与える核種です。
ファルージャでの調査では、髪の毛からウランが検出された両親の子供に、非常に高い割合で先天性の奇形が見つかり、ガンも非常に多いことが分っています。

ウランで被曝した影響です。
まさに悪夢です。

金で飼われた科学者は平気で嘘をつく。科学者に対する見方を問い直して欲しい

松元氏:
今回の来日で行ったいつくかの講演の中で、福島原発の事故は世界の原子力産業を大きく変えるきっかけとなると仰っていました。
なぜ、そのようにお考えですか。

バズビー博士:
世界は原子力の脅威を知りながら、すっかり無関心になっていました。
福島原発の事故は青天の霹靂です。

想像を絶する状況が今も続いています。

この事故がきっかけとなり、人々は科学者に対して疑問を持ち始めるでしょう。

専門家であるはずの科学者の言う“真実”を疑うようになるのです。
私からすれば、とても科学者とは思えない。

とんでもない専門家たちです。
現代の科学者たちは企業の手先のようなものです。

彼らが私たちに伝えるのは、市場主義を追求する企業や政府が、お金を儲けるための情報です。

原子力は非常に象徴的です。
人間にとって重要なことを問題提起しています。

私たちは混沌とした状況の中にいますが、福島原発事故が、みなさんの視点を変えるきっかけとなることを望んでいます。
科学者に対する見方を問い直して欲しいのです。

それは新しいことではありません。
科学者からの情報を素直に受け入れていたのも、ここにきて限界に達して爆発寸前です。
この大惨事によって、人々の立ち向かう姿勢が強まるよう願っています。

原子力だけに限ったことではありません。
原子力は私たちの抱えている問題を浮き彫りにしましたが、人類が抱えている問題は、それだけではありません。
携帯電話、遺伝組み換え食品の安全性や地球温暖化など、あらゆる面で政府は科学者に頼っています。

私が伝えたいのは、科学者は嘘をつく、ということです。

理由はどうであれ、真実を伝えない科学者は存在します。
科学的な知識を持つことが重要です。
不可能なことではないのですから。

松元氏:
ひとりひとりが科学者からの情報を注意深く選別することが必要なのですね。

バズビー博士:
私たちは沈み行くタイタニック号に乗っていて、舵をとる船長の手元には、お金のために操作された誤った情報しかない、そんな状況なのです。

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ここから管理人:

「科学者は嘘をつく」。

科学者であるバズビー博士の言葉です。

福 島第一原発事故直後から、いわゆる御用学者と言われる種類の人間たちが、自分の専門でもないのに、「ホウレンソウをどんどん食べてください」とか、「プル トニウムは飲んでも安全だ」とか、「放射能は適度に浴びた方が体にいい」とか、まさに精神異常者としか思えない発言を繰り返してきました。

マスメディアは、少しでも原発事故を小さく見せるために、こうした学者を連日、テレビに出演させて、「安心だー」を繰り返してきました。

私は、政府、官僚、学者だけでなく、こうしたメディアの連中も犯罪者だと思います。
時が来たときは、国民の手で、こうした人間たちを法の下に裁く必要があります。
「仕方がない」で済ませていいのは、こうした連中が、まったく赤子のように無邪気で無知である場合だけです。

彼らは学者でありながら、最初から何らかの意図があって、国民に誤った情報を流し、被曝させたのですから明らかに犯罪的な行為です。

彼らに嘘を平気で言わせたのは「お金の力」です。
彼らは、「お金」のために、将来の日本人を命を奪ったのです。

しかし、中には世渡り上手の学者がいて、内部被曝の知識どころか、原発の知識さえないのに、いつの間にか「専門家」を自認し、メディアに出まくって、今でもICRPのプロモーターとして“精力的に”活動している「ヤツ」がいます。

なんと、驚いたことに無知な国民は、そうした要領のいい腹黒い学者を崇め奉っているのです。

私は、当初、ICRPの「素性」についてまったく知りませんでした。
しかし、すぐに「これはペテンだ」と気づいたのです。

ある学者がICRPのリスクモデルを使って、内部被曝を説明しているからです。
このペテン師は「私は原発推進派から原発反対派に転向した」と言っていますが、まったく風見鶏のような人間で、世間の風向き次第で、いつか再び「原発すいし〜ん」と言い出すはずです。

今、話題の学者といえば、東大の児玉龍彦教授です。
7月27の衆院で 国の原発対応に声を震わせながら抗議しました。
今まで、あまりにも酷い学者ばかりだったので、彼がごく当たり前のことを言っても人々を感動させることができるのです。

しかし、同じことを福島児童の母親が言ったとしても、これほど人々にインパクトは与えなかったでしょう。
その違いは何でしょう?
肩書きです。

児玉教授は、こう言いました。

「たとえば乳がんには様々な治療法がある。
放射線や外科手術あるいは抗がん剤投与。
これらは医者が決めるのではなく患者が決めること。
福島に住む住まないは住民が決める。
その判断をするための十分な情報は提供し、サポート体制をつらなければならない」。

「福島に住む、住まないは住民が決める」。
彼は、これを医師が執刀する前に患者や、その家族に行うインフォームド・コンセントにたとえています。

日本はICRPのインチキなリスクモデルを適用しています。法律もこれにのっとって決められています。
すでに福島の人たちは年間1ミリシーべルト以内と決められている被曝量を、とっくに超えています。

法律を正しく解釈するのであれば、福島の住民は国によって、法律を犯すように強制されていることになります。
法律を正しく解釈するのであれば、福島の住民たちには「住む権利はない」ということになります。

そして、福島の人たちが、みすみすガンになることが分かっていて、それを看過している政府も違法行為を犯しています。
「国民の生命・財産は守られる」ことが法で決められているからです。それを決めたのは国です。

しかし、「福島に住む、住まないは住民が決める」というのは、いかにも年間20ミリシーベルトの被曝を押し付けている政府が随喜の涙を流して歓びそうなことですね。

汚染野菜の流通を認めたら、人体の消化器官を通して汚染が全国に広がる

反原発の急先鋒、京大原子炉実験所の熊取六人衆のひとりが、こう言ました。
「汚染された野菜は流通させるべきだ。
福島の一次産業を壊滅させてはならないからだ。
その代わり、汚染された野菜は原発を許してきた大人が進んで食べるべきだ」。

彼が「反原発」を掲げて40年の長きにわたって孤高の戦いを続けてきたことは、ほとんどの人が知っています。
そのとき、彼を応援したり、支えてくれる人たちは少なかったでしょう。孤独で心細い辛い戦いでした。
この人の功績はとても大きいものです。
また、尊敬に値する人物です。

しかし、こんなことを認めたら、いずれ私たちの排泄物によって全国の下水処理場は放射能で汚染されてしまうでしょう。
それこそ、汚染の全国的拡大です。
人間汚染マップを作ろう、などという話が冗談ではなくなります。

福島の一次産業を救う、という高邁な志とは裏腹に、いずれ人口減少によって福島の農業は破壊されてしまうでしょう。

それとも、「赤信号、みんなで渡れば恐くない」のごとく、いっせいに汚染された食べ物を食べますか?
私は、最後に取り残されて独りになっても赤信号は渡らないでしょう。


原発学者に見られる共通点…。
ロマンティストで、時に子供のように幼稚。

「ほら、こちらがみんなが信じているICRPで、彼がICRPの委員長で重要人物なんですよ」などということに意味はないのです。
バズビー博士の言うことを忘れないでください。

原発を語る学者たちは、自ら権威を捨て去り、それを聴く私たちも学者たちの権威や人気などというマヤカシに捕らわれないようにしなければなりません。
原発は、まったく別次元のテーマです。
これは科学だけでは、その奥の深い闇は解き明かせません。

バスビー博士は今回のインタビューで、そのことを少しだけですが、仄めかしています。

これまで海外に対して、
「風評被害」を理由に日本の農産物の輸入規制解除を求めてきた政府ですが、とうとう松本剛明外相が、東京電力福島第1原発事故をめぐる日本食品の海外向け風評被害対策に関し、これまで「日本で流通している食品は安全」と強調してきた主張を自粛するよう外務省内に指示しました。

事実上、日本の農畜産物は安全ではない、と認めたことになります。

それより何より、「安全デマ」を流して、「風評被害」を出してきたのは政府であったことに気がついたようです。
少しは、お利口さんになったようで良かったです。

タイタニックは絶対に沈まない、と言ってきた船長が、実は人々を阿鼻叫喚の地獄に突き落としたという事実

6月17日、アメリカのFox29ニュースで「福島原発事故の影響で、米国の乳児死亡者数が急激に増加」 と報道されました。

Forbes誌は、4月27日に「ハワイのヒロで市販されているミルクからストロンチウムが検出された」という記事をアップしました。

また、セシウム牛肉が発覚したことについて、米原子力規制委員会(NRC)幹部のチャールズ・カスト氏が、
「日本政府は出荷停止していない食料は安全だと説明したが、今回のような事態が起きた」
と不快感を示し「日本にも米国民がいる。しっかり連絡をしてほしい」と日本政府に抗議しました。

アメリカ人は牛肉をたくさん食べるので、冷や汗が出る思いでしょう。

バズビー博士が、
「1963年の核実験で乳児死亡率が上がり、20年後には世界中でガンが増えた」
と言っているように、今また同じことが繰り返されているのです。
そこにあるのは「隠蔽、隠蔽」。「なあなあ、なれあい」。

私は、アメリカ側が科学的根拠をまとめて、東電と日本政府を相手取って訴訟を起こして欲しいと思っています。
特に、放射能に汚染された水が原因で乳児を亡くしたというお母さん方には、そうしてほしいと思っています。

福島県のお母さん方の集団訴訟にはずみがつくからです。
そして、東北の人たちはもとより、場所によっては東北より高濃度の汚染に晒されている関東の人たちが、将来、補償を取り付けやすいようにぜひともアメリカ側に裁判に持ち込んで欲しい。

そうなれば、日本側は、欠陥原子炉と知っていながら日本にマークT型原子炉を売り込んだ米GE社を相手取ってPL法訴訟を起こす素地ができるからです。

また、中国の大連港で原潜から放射能漏れがあることを日本の政府は堂々と抗議できるようになるかもしれません。

世界は冷戦時代の核実験で被曝させられました。
日本人のガン死亡率が急激に高くなったのも、この冷戦時代の核実験が一因です。
日本医師会は黙ってきたし、自民党も沈黙を守ってきました。

中国は、日本を始め周辺諸国に事前予告なしに核実験を行ってきました。

世界は、核に関しては、まるで「お互い様」といわんばかりに馴れ合いの外交を続けています。
原発問題、核の問題は一国だけが努力しても世界的に見れば虚しい努力に見えるかもしれません。

日本が原発を廃止したとしても、お隣の国には、とんでもない数の原子炉や核兵器があるのです。

今回の福島第一原発事故も同様に「お互い様」でお茶を濁そうと考えているとしたら、世界で唯一の原爆被爆国は、狭い国土だけでなく、そのアイデンティティさえも失うのです。

日本は「ヒロシマ」、「ナガサキ」の原点に戻るべきです。
あのとき、すべての日本人は「核」の恐ろしさ、悲惨さが骨身にしみたはずです。
それは日本人でなければ分らないことです。

それでも再び原発推進を許すのであれば、日本列島は間違いなくタイタニック号にたとえられるでしょう。
乗客である私たちは、それが沈むことなど想像だにしないのです。

それが死出の旅路とも知らないで。


posted by 秀さん at 08:28| ハノイ ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月31日

なるようになるさ編

宗教臭い話はどうも・・・

と言われる方も中にはおりましょうが、秀さん長い間伊勢白山道というブログを閲覧しています。

世の中様々な宗教がありますねぇ。我々日本人の多くは仏教徒が多く、中にはキリスト教徒の方もおられるでしょう。まぁ、イスラム教徒の方、ましてやブーズゥー教の方はほとんどいないと思われますが・・・。

しかし、その宗教が日本人の日々の生活に大きな影響を与えているか? と言われれば、へい、多くの日本人は葬式や結婚式、法事などでご厄介になる程度ですね。

秀さんの場合、結婚式は神前結婚で神主さんの前で三々九度を交わしたのですが、
おかあちゃん及び両親の葬式の時は仏教(禅宗)でしたわ。
今は、挙式はキリスト協会でなんて言う若いカップルも多いですね。

早い話が日本人はいい加減と言うか、宗教でさえ適当に使い分けていますがな。へい、
その程度の感覚で良いのではないでしょうかねぇ。

さて、この伊勢白山道のブログの主催者は普通のサラリーマンの人でいわゆる宗教家ではありません。
系統でいうならは日本神道ということでしょうか?

秀さん、数年前に誹謗中傷が半端でない「2チャンネル」の書き込み時代からフォローしていましたが、その2チャンネルの壮絶極まりないフィルターの中で生き残って来た方ですので、少なくともその辺の似非宗教家や霊能者とは違い、少なくともまがい者だとは思えないですわ。

最近はこの方(リーマンさんと言うハンドルネーム)の言っていることがすぅ〜と 心の中に入って来ることも多いですわ。

考え方は非常にシンプルで へい。一言で言えば、

先祖に感謝しなさい! 自分の良心に従って正しく毎日を生きて行きなさい ということでしょうか?


機嫌の良い時限定ですが・・・最近の秀さんもそう思うようになって来ました、


いえ、なりつつあります、


いや、出来ればなりたい


と・・・・・思っております。



さて本日はその伊勢白山道のブログからの転載ですが・・・・

最近秀のアホはブログもあまり更新しておらず、代わりにこんな宗教臭い話を転載かい! 

と言うお方もおられるかも知れませんが、非常に多くの方の支持を受けてるブログですので
半信半疑でのぞいてみるのも良いのでは?・・・・




以下転載開始・・・・・・・・・・・・・・・・・

最近、多くの人々を視ていて思うのは、

「生きているのは、いったいどこの誰なんだ?生きているのは、本当にあなた自身ですか?」 
「あなたは、“いつの時間”を生きるつもりなんだろうか?」
と言うことです。

多くの人が、今も生活を「している」のに、なぜか将来の生活のことで悩んでいます。
悩めば、今、働くしかないのです。そうすれば、その将来も働いて生活をしていることでしょう。

要は、明日の計画を考えるのは必要ですが、考え過ぎて今の時間を浪費して捨てている人が多いのです。
もっと言えば、今、家族と生活をしているのに、家族の将来のことで悩んで、今の家族との時間を不機嫌にして捨てていることも同じなのです。

これでは、何かオカシイのです。
今の時間を捨てているのに、なぜか将来に生きようとする習性が人間にあります。
今の時間を捨てていれば、その連続で来る将来などは、やはり不満な捨てるような将来が来ます。

これらは、自分で運気を弱める人の特徴です。
今に懸命に生きていなければ、その連続の未来も懸命に生きてはいないでしょう。
逆に言えば、だから今を大切に生きれば良い「だけ」なのです。
今の生活にも感謝をする気持ちを持てば、必ず改善と成長が始まります。

多くの人が、将来のことで悩み迷っています。

これはまだ在りもしない、未来の幻想への悩みですから、「それでもね・・・」と切りがなく悩み続けることになります。

これは、答えが出ないのがアタリマエなのです。

そして、生きている今の時間を捨てているのです。
今、耐えられることは、将来の自分も耐えられます。だから大丈夫です。

太陽は、昼と夜で丸1日です。

これと同じで人間も、生と死の2つで1つの人生なのです。

要は私たちは、生という半日を生きている最中なのです。

この短い半日(人生)の中で、すべての帳尻を合わせることは不可能だと、太陽(神)が教えてくれています。


だから慌てる必要は無いのです。

この世で(半日の世界で)何が有ろうと、その後の見えない世界で、必ずすべての帳尻が合わされます。

そして魂の1つの人生が完結をします。

だから、この世のどんなこともムダではありません。

どんな中でも、自分の良心(先祖と内在神)を信じて行動をすれば大丈夫です。

そうすれば自分の心が、楽しく遊び心で生きて行きます。

皆さん、この半日の世界に遊びに来たことを忘れているだけです。

自分の心が永遠不滅で継続することを知りましょう、思い出しましょう。




以上転載終了・・・・・・・・・・・・・・・・・・




この世(半日)、あの世(半日)、トータルで一日(帳尻が合う)、

こんな考え方になれる方は少ないかも知れませんが


秀さん過去様々な辛い?経験をして来た思いからすればそうあって欲しいですねぇ。


この世で人に騙され裏切られ、女性にもモテず、貧乏で辛い思いをして来た方も・・・・


あの世では大勢の絶世の美女に囲まれたウハウハな酒池肉林生活が待っていると考えるだけでも楽しいではあ〜りませんか!



ん? お前はアホか・・・・と言われますか?




へい、アホですよ 正真正銘の!




いつか秀さんもご臨終を迎える日もあるでしょうが、あの世に行ってもこの楽天的な考え方だけは変わらずにキープしていきたいものです。へい



アホに徹して生きるのが一番! 

そうすればこの世の悩みなんて飛散霧消してしまいますぞぃ!



とは言ってみたものの・・・今の秀さん、ベトナムでのゴルフで未だ100を切れないのが悩みですが・・・・



愚息の答えは・・・・練習せんかい! 




と言うことなので本日もゴルフの練習に行って来ま〜す!



posted by 秀さん at 10:03| ハノイ ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月14日

うまいこと言うなぁ〜編

ある文章の中で ふむぅ〜 うまいこと言うなぁ と言う箇所がありましたので抜粋します。


生活とは、生を活かすと書きます。
それは生命を輝かせること、大きな目標に向かって意欲的に活躍することです。

一方その様な具体的な目標、目的が無いまま、生きているのは生活ではなく単なる 生存 です。

生活者と言うのは、仕事(金もうけだけとは限りません、研究、創作活動などいろいろあるでしょう)に対し て好奇心旺盛で次々に新しいことにチャレンジしている人々のことを言います。
彼等は等しく心身ともに活気がみなぎり、眼が輝いていています。

反対に夢や希 望も無く、唯、食うために好きでもない仕事をいやいやこなし、金銭を得る毎日と言うのは苦役でしかありません。
これでは生活とは呼べず、生存 でしかありま せん。

と・・・・

ふむぅ〜・・・
間違いなく秀さんの場合は後者ではないかと・・・
いや少なくない方々が後者に入るのではないでしょうか?


え! そんなことは無い! とおっしゃいますか?


へぇ〜 そりゃ失礼いたしやした〜っと!


秀さんの場合、いつの間にか50歳はとうに超え、メタボの体に連動する情けない体力、
老眼が進んで美人もブスも見分けがつかなくなってしまった視力、
ダジャレしか思い浮かばない貧弱な頭、大きく金儲けしちゃるけんね! 
と言う若い時のような野心もなくなり、
日々の食べて行くための仕事、家に帰って暇な時間がある時に書いているあほブログ・・・・

こんな男に誰がした! と嘆いてみても 

へい、要は自分自身がそうしたのでありまして、誰にも責任を転嫁することは出来ませんわな。



しかし、そうは言っても今の暮らしが不満かと言えばその様なことは有馬温泉ですわ。

日々損得勘定ばかり考える企業人としての前線から一歩後退した位置にいると、時間的なゆとりも少しは出来まして、今まで分からなかった事や勉強してこなかった事に対して調べてみようか?
何てことを思ったりします。

まぁ、暇だから出来る訳でありまして、物事を少しは客観的に見ることが出来るようになれたような気がします。
また若い時は直ぐ爆発していた気性も最近はベトナム人に似たのか・・・少しは気が長くなりまして、

ま、いいかぁ〜 

と変なゆとりをかますこともできるようになりましたぞぃ。
これは40歳の時に無一文になった辛い経験を耐えることが出来たことも少しはあるかも知れないですな。

無いものはない! どうあがいても出来ないものは出来ない! 

と良い意味で開き直ることを学習したお陰ですわ。へい


人の世は利害を基準にして対喜怒哀楽が発生することが多いですね。

愛情にしたって、自分に注がれると思っていたものが、別の女性(男性)に少しでも注がれるようになると・・・嫉妬が起こり、
喜怒哀楽の中の 怒 また少しの方しかいませんが 哀 の気持ちがもたげて来るのでありまして、
喜びと言うのも、自分にとっての喜びが中心の方が多く、他人の不幸は蜜の味 何て方も中にはおられますわな。

喜怒哀楽をなるべく出さない生き方が良いのか、そうではなく感情を目一杯前面に出すのが正直で良いのかアホな秀さんには分かりませんが、

確実に言えることは年取って来ると感情の起伏が少なくなることだけは間違いないようです。

それと同じように、会社の勘定の起伏もほとんどありませんで、毎月ささやかな生活を維持する程度にしか神様は儲けさせてはくれませんわ。


それでも日々お飯を食べさせて頂いているだけで満足しております。


本当か!?



へい、ウソです。




いや、本当です。




ん〜 両方です 


と言っていつものあほブログは終了でごわす。


posted by 秀さん at 08:43| ハノイ ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月03日

悲しいなぁ20〜30代の自殺の増加編

警察庁の発表によれば、昨年1年間に全国で自殺した人は3万2845人。
20代、30代の自殺率(人口10万人あたりの自殺者数)が過去最悪となり、動機別では、失業や就職失敗、生活苦など経済的要因での自殺者数が前年より増加したとある。
1988年に3万人を超えて以来12年連続で3万人以上の自殺者である。

昔の言葉ではないが、死んで花実の咲くものか! と言いたいですわ。

秀さんよくベトナム人に日本人の自殺者は毎年3万人以上だ と話をするのですが、誰も信じてはくれないですわ。

だって、日本のような豊かな国の人間がそんなに多く自殺するはず無いでしょう という答えとともに。
面白いものですね、先進国ほど自殺者が増えているという現実。

逆にアフリカ等の(ベトナムも)貧乏な国ほど人々は陽気であり、子供の目が輝いていいますもんね。

秀さんの親父さんから・・・お前の時代は戦争に行く事も無く食べ物も十分にあり豊かな時代になったもんだ とよく言われたもんですわ。
何言ってんの・・・? 親父さん って調子で当時は聞いていましたが・・・・。

それでも、秀さんのガキん子の頃には物貰い(乞食)もいましたし、給食費が払えない同級生や高校や大学に行きたくても貧困を理由に行けない者が少なからずいましたよ。

今じゃ考えられないですね。

豊かになるほど自殺者が増えるなんて・・・おかしいとおもいません?
一体、豊かさとはなんでしょうかねぇ・・・?

ベトナム人を良く観察していると豊かさ=お金持ち という人が多いですわ。
確かにお金がある=豪華な家や車、身を飾るシャレた服に貴金属・・・

よくよく考えてみれば 全てもの(物)が基準になっている社会ですわ。


あの人はすごいお金持ちよ 凄いでしょう? と言われることも多いベトナムです。

秀さん、お金持ち・・・だから何が凄いの?  といつも聞き返しますわ。


そうすると、だってお金があれば何でも出来るでしょ と答える人が多い。
まぁ、日本人も同じかもしれませんが・・・ね。

ベトナムに住む日本人の中でさえ、大手企業の駐在員と現地採用の日本人や秀さんのような貧乏零細自営業者とではその生活の質において雲泥の差があるのも事実です。

しかし、大手企業の駐在員と言えどもサラリーマン、本社の支持に逆らって自由気ままにやれると言うわけでもなく、時には気の合わない上司が出張にでもくれば意に沿わない接待もしなければいけません。
駐在員の方の中には家族と離れ仕事でいやいや赴任して来て、ベトナム人の考え方や文化風土に馴染めずうつ病になる人もいます。

快適なサービスアパートも会社差し回しの車もない、また煩わしい会社の上下関係、人間関係に悩まされることも少ない、仕事用の責任もあまり取ることも無い貧乏日本人はカフェダーでも飲みながら気ままに過ごせる自分の自由時間の多い生活をすることは出来ます。

どちらの生活が良いとか悪いとか言うものではないですね、人それぞれの考え方ですもん。

前述の報告でもありますように失業や就職失敗、生活苦など経済的要因が自殺の一番の原因とのこと・・・

あ〜た、経済的要因って言うたって・・・今の日本では餓死する訳でもありませんがな!

今までの人生でどん底だわ! なんて悲観して自殺するなんてもってのほかですわ。
その内良いこともありますって!


何故に自分が生まれてのか何で自分は生きているのか・・・死んだらどこへ行くのか・・・何千年経っても未だに分からない愚か者が人間ですもん。
悩むこたぁ〜ないですぞぃ。

ただ言えることは先祖が面々と途切れることなく命の連鎖を続けて来てくれたから現在の自分が存在していることだけは事実ですね。
その永遠の連鎖の努力の継続を自分勝手に切っては行けないのではないかなぁ〜? とだけはアホな秀さんは思いますよ。へい。


悩むから自殺に至る・・・・

アホは悩まないから当然・・・・悩みはない

悩みを忘れる=自殺はしない



結論です!
アホになりなさい! 秀さんのような・・・

そうすると・・・・悩みは無くなりますぞぃ!

まぁ、その代わりあいつはアホやでと言われたり・・・
必然的に貧乏というオマケも付いては来ますが・・・
それを楽しむくらいの気持ちを持ちまひょ! ほい


貧乏国ベトナムより裕福な日本の方が格段に自殺者が多いと言う現実は・・・

豊かさ=幸せ ではないと教えてくれているのかも知れませんね!
posted by 秀さん at 07:00| ハノイ | Comment(6) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月13日

アンパンマンと被災編

ある記事にアンパンマンの作者である やなせたか氏の記事が載っていた。

あるコラムニストが震災直後にラジオから聞こえてくる「アンパンマンのマーチ」と言う曲を聴いて思わず涙したそうである。
今、アニメソングとしてだけでなく大人もこの歌に感動している。ユーチューブの再生回数が何と1300万回にもなるそうです。

そこでその作者(作詞を担当)であるやなせたかし氏(92歳)にあるノンフクション・ライターの神田憲行氏がインタビューを申込みその時に書いた記事を一部抜粋したものが下記のものです。 

以下転載開始・・・・・・・・・

「震災で被災地の悲惨な状況を見て心を痛めたり、原発事故で不安を感じたり、モヤモヤとした複雑な感情が入り交じっていたと思うんです。
その中でこの歌が、たとえいろいろなことがあっても人は生きて行かなくてはならないんだということを教えてくれました。
漠然とした生きる事への不安に対して、それで も生きていけと励ましてくれたのです」

人々を勇気づけるこの歌はどのように誕生したのか、どのような想いが込められているのか。

やなせ:「アンパンマン」を創作する際の僕の強い動機が、「正義とはなにか」ということです。
正義とは実は簡単なことなのです。

困っている人を助けること。
ひもじい思いをしている人に、パンの一切れを差し出す行為を「正義」と呼ぶのです。

なにも相手の国にミサイルを撃ち込んだり、国家を転覆させようと大 きなことを企てる必要はありません。

アメリカにはアメリカの“正義”があり、フセインにはフセインの“正義”がある。アラブにも、イスラエルにもお互いの “正義”がある。
つまりこれらの“正義”は立場によって変わる。

でも困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても「正しいこと」には変わりません。

絶対的な正義なのです。

やなせ氏は第二次世界大戦では砲兵として中国に駐留していた。

大東亜共栄圏の美名のもと「正義の闘い」だと信じていたものが、戦後、侵略戦争だと知った。「天皇陛下万歳」と叫んでいた者たちが「民主主義」に走り去っていく姿も見た。
全ての正義が相対化されていくなかで、絶対的な正義とは何か考えて いって、突き当たったのが飢えに苦しんだ兵隊時代の記憶だった。

そこから「自分を食べさせて人を救う」ヒーローが生まれた。

やなせ:うん。だから正義って相手を倒すことじゃないんですよ。アンパンマンもバイキンマンを殺したりしないでしょ。だってバイキンマンにはバイキンマンなりの正義を持っているかも知れないから。

それに正義って、普通の人が行うものなんです。
政治家みたいな偉い人や強い人だけが行うものではない。
普通の人が目の前で溺れる子どもを見て思わず助けるために河に飛び込んでしまうような行為をいうのです。

ただし普通の人なので、助けに行って自分が代わりに 溺れ死んでしまうかも知れない。
それでも助けざるを得ない。
つまり、正義を行う人は自分が傷つくことも覚悟しなくてはいけない。

今で喩えると、原発事故に防護服を着て立ち向かっている人々がいます。自分たちが被爆する恐れがあるのに、事故をなんとかしなくてはという想いで放射能が満ちた施設に向かっていく。
あれをもって、「正義」というのです。

怪獣を倒す スーパーヒーローではなく、怪獣との闘いで壊された街を復元しようと立ちあがる普通の人々がヒーローであり、正義なのです。


以上転載終了・・・・・・・・・・

現在92歳の漫画家ですが創作当初はさっぱり目が出なかったそうです。
哲学的なバックボーンをもった子供アニメの漫画家と言うのに秀さんは惹かれますわ。 

正義なんて普段はおろか真剣に考えたことなど一度もない秀さんです。
大上段にこういった言葉の意味を考えること自体がテレくさいというか

昔の言葉でいえば・・・ダさぁ〜 でしょうか?
 

複雑怪奇なこの世の中ですもん、何が正義で何が不正義かなんて分かりません。

その定義の基準をスパッと端的な言葉で表現できるこの漫画家は立派な人物だと思いますねぇ。 

昔秀さんがお世話になった方にIさんと言う方がおられます。その方は酔っ払いがベロベロになって溝に落ちそうになった時に自分の服が汚れるのも厭わずとっさに助けるような方でした。 


普段、ベトナムでてれ〜んと怠惰な生活を送っている秀さん・・・
少しは世のため人のためになることも考えなければいけないのかなぁ なんて柄にもなく思ってしまいましたよ。 

出来もしないことを言うなってか?

へい、スミマセン。 


明日、ベトナムの路上に落ちているゴミの一つくらいは拾う程度のことしか出来ませんが、人生も残り1/3くらいしか残っていない秀さんですのでこれからの生き方ぐらい少し真剣に考えても良いかも? と思っている今日この頃でごわす。 


では、本日はこの辺で失礼!

posted by 秀さん at 01:50| ハノイ | Comment(0) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月20日

なにもコメントすることがない編

秀さんも、そう思う。

同じ秀さんでも、植草一秀氏の頭と秀さんの頭は月とすっぽん、太陽とウナギほど違うようだ。 

月とすっぽんは分かるが・・・太陽とウナギとはこれ如何に? 

へい、何のことはありゃしませんって。
昨日、欧米系スーパーのビックCの宣伝チラシを見ていたら、ウナギ1kg147000ドンと載っていたのでウナギと書いたまででごわす。

ベトナムウナギは大味で日本のそれとは違います。ベトナムでもウナギは結構高いですわ。 

まぁ、ウナギの話はこれくらいにして、植草氏の文章を転載します。

欲にまみれた生き方を考え直さなければいけない との一文に秀さん妙に納得してしまいます。

そんな行き方を模索してみたいと・・・出来もしないのに思ってしまいましたぞぃ、

 では転載開始・・・・・・・・・・・  

2008年のサブプライム危機と2011年の福島原発事故は、いずれも制御不能な領域に人類が手を伸ばしたことの帰結である。
 
 いずれも、人間の強欲が、人間の限界を忘却させたことによって、取り返しのつかない未曾有の危機を招いたものである。幸い、破滅の一歩手前にとどまっているが、警鐘を踏みにじるなら、ついには破滅に至るだろう。
 
 地球環境問題や生物多様性を論じる本来の視点は、地球が人類だけのものではないとの原点に還ることである。人類の奢りと強欲が地球の生命までをも奪いかねないのだ。
 
 カネを飽くことなく追求する資本主義のなれの果てがサブプライム金融危機だった。人類としての調和と共生を忘れ、ただひたすら、自己の利益だけを追求する。その延長線上にサブプライム危機があった。
 
 大地震、大津波とともに我々の前に立ちはだかった原発地獄を目の当たりにして、私たちは基本理念から見つめ直す必要に迫られている。
 
 しかし、日本をけん引する役割を担う政治のリーダーに、その気配はなく、私たちを正しい方向に誘導する言葉さえ、何ひとつ示されない。
 
 政局と自己の利益だけが、いまの政治を動かしている。
 
 総理大臣のポストを離さないために何をすればよいのか。
 
 政官業の念願である消費税大増税を実現する千載一遇のチャンスが到来しているのではないかと考える、悪魔の手先でしかない小役人ども。
 
 2009年8月の総選挙で動き始めた、この国の政治体制の刷新の気配を、根絶する最大のチャンスなのではないかと考える悪徳ペンタゴン。
 
 欲にまみれた人々の、こんな貧困な発想しか聞こえてこない。
 
 城南信金が提示したメッセージをすべての市民がよく考えてみる機会ではないか。
 
「原子力エネルギーは、私達に明るい未来を与えてくれるものではなく、一歩間違えば取り返しのつかない危険性を持っていること、
 
 さらに、残念ながらそれを管理する政府機関も企業体も、万全の体制をとっていなかったことが明確になりつつあります。
 
 こうした中で、私達は、原子力エネルギーに依存することはあまりにも危険性が大き過ぎるということを学びました。」
 
 この「学び」を活かすことに、人類の叡智がある。
 原子力発電を推進してきたのは自民党だった。電力会社は個人献金の装いをまといながら、組織的に自民党に政治献金を続けてきた。
 
 民主党は利権複合体から離れて、自民党とは異なる視点で問題を捉えなければならないはずだ。
 
 ところが、民主党も多くの議員が原発推進の金権に染まってきた。
 
 労働組合こそ、企業の利益ではなく、国民の生命の安全、生活の防衛を前面に掲げるべきだが、民主党支持団体の「連合」は原発見直しに動かない。
 
 考えてみれば、東京電力、東芝、日立、三菱をはじめ、原発推進経団連企業の労働組合が連合であるから、脱原子力の旗は掲げられないのかも知れない。
 
 しかし、ここで何も考えずに、立ち止まったままでいるなら、何も変わらない。市場原理主義、効率第一主義など、地球の歴史数十億年に照らしてみれば取るに足らない存在であり、そこには根本的な大きな落とし穴がある。
 
 すべてのことを、原点に立ち帰り、新しい時代を考えるべき時が来ているのだ。サブプライム危機も原発震災も、私たちに根本的な転換を迫るために、引き起こされた事象なのかも知れない。
 
 政府の政策運営も同じだ。政治屋は自分の利益のために政治に関わっている。民のためにすべてを捧げる顔をした人物はほとんど存在しない。
 
 権力、肩書き、カネ、だけのために政治に関わっている者がほとんどすべてでないのか。
 
 これからの政治を司るのは、純粋な奉仕者だけになる。政治献金を全面禁止して、議員の処遇を大幅に引き下げる。政治活動は政治に関わる本人の利益のための活動ではなく、必然的に民に捧げる活動になるように制度を変更してゆくのだ。
 
 そうなると、真の政治家は霞が関と癒着する必要がなくなる。霞が関の猛反発を恐れずに、官僚利権の根絶に突き進める。霞が関解体の時代が来る。
 
 変化の片鱗はすでにかすかに見え始めている。だが、多くの人はまだその変化がこれから本流になることに気付いていない。
 
 大災害で苦しんでいる無数の民が目の前に横たわっているのに、その人々を支えることに全力をあげずに、民からカネを召し上げることだけを考えるような人間は、全員、国会議員を首にするべきだ。次の総選挙では、大半の議員を落選させる必要がある。
 
 民のために奉仕する、まったく新しい人材が政治を司る時代を創らねばならない。
 
 時代は大転換する。これまでの常識をすべて捨て去る時代が来る。私たちはいま、その大転換の扉に差しかかっている。
  


以上連載終了・・・・・・・・・・・
posted by 秀さん at 22:16| ハノイ ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月26日

バタバタしておりました編

今月は愚息の結婚式や日本からの仕事のお客さんも重なりバタバタしておりました。
まぁ、秀さんがバタバタしたところで鳥さんのように空を飛べる訳ではありゃしませんがね。

鳥さんにしてみれば空を飛べない人間様は地上でごそごそと動きまわる落ち着きのない可哀そうな動物だなぁ と思っているのかもしれないですね。
動物世界では向かうところ敵なしの人間様ですが、所詮人間なんて自分では生きていると思っていても実際のところは天国かどこか分かりませんが神様みたいな存在が多数いてお遊びで上から糸を操り人形のように演じさせられて遊ばれているだけなのかも知れないなぁ と思うことがあります。

喜怒哀楽がないと演劇にはなりませんので楽しいことや悲しいことを織り交ぜながら人間様は自分の一生を神様から演じさせられていると思えば可笑しくもあり悲しくもあり っと言ったところでしょうか。
金持ち役もおれば貧乏人役もいる、美男美女だけでは演劇になりませんので、ま、器量の悪い男女、極悪非道の悪役もいれば善良な市民役もいます、
大勢の老若男女が入り乱れて人間ドラマが成立する訳ですな。

そして演じ終わったら幕が下りて演劇はお終い(ご臨終)です。

人生と言う演劇は誰もが自分が主人公です。
どんな劇を演じるかはその人の思いや考え方次第ですが、秀さん的には悲劇や恐怖劇よりは喜劇や人情劇の方が良いですなぁ。
若い時はとにかくお金持ちになる! そのお金を稼ぐ方法としては、自分の力で事業を興し、まぁ世間一般に言う実業家となりお金に加え少しばかりの社会的な地位を得て人様に評価されたいなぁと思っていました。

まぁ、その夢は半分実現したかなぁ〜 と思っていたところにどんでん返しの舞台大仕掛けがありまして急転直下・・・思ったようには行きませんでしたが、今考えると神様と言う演出家兼脚本家が最初から描いていたストーリーだったのかもしれませんな。くそぅ! と思わないこともなかったですが今は息子夫婦とささやかな生活ですがとても満足しているのでこの脚本は悪くなかったわ としみじみ思っております。

どんな悲惨な目に遭おうとも・・・人生の主人公を演じている人が、この脚本は納得出来ん! と言って舞台を勝手に降りて舞台に大きな穴をあける行為(=自殺)は主人公としては最低な俳優だと非難されても仕方がないかも?
生きている間は自分の役柄を演じ切りたいものですね。

今回の劇は極悪非道の悪役のお役人様役だったが、次回は善良な市民役でお願い! と神様にお願いしても人生は一回こっきりなので再演は出来ませんわな。
そうだとしたら・・・悪役よりはアホでも人の良い役柄の方が良いですね。

人様に大きな感動や喜びを与える役者にはなれそうもないですが、善良な一市民の通行人役くらいにはなりたいと・・・・思っております。

本日はつらつらと・・・アホな妄想を書いてしまいました。スミマセン。

話はかわりますが、明日は愚息が主催するゴルフコンペの開催日です。
秀さん、レッスンは一切受けていないですが・・アホ親父の特別枠として出場します。

目指すは・・・昔のシックの2枚刃カミソリのCMです! 


で・・・そのこころは・・・




 切れてな〜ぃ!  



若い人は知らないってか! まぁ、臭いダジャレみたいなものですの無視して下さいな、ホイ。


まぁ、自分のゴルフの下手さに 切れる ことなく楽しいゴルフをやって来ま〜す。


では、本日はこの辺で・・・・失礼します。へい


posted by 秀さん at 22:51| ハノイ | Comment(0) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月18日

思わず泣けてしまった編

昔の神風特攻隊のことを調べていた。
ひょんなことで下記に転載する書き込みに出会ってしまった。
年甲斐もなく思わずもらい泣きしてしまった秀さんでごわす。 

最近は仕事上でなかなか進まない案件を抱えて会社の事務員さんたちにも大きな声を出して八つ当たりしていた心狭い秀さんでごわした。
反省しなければ・・・と今日は素直な気持ちの秀さんです。 

秀さんのように仕事人間が長かった生活をして来た者は、中々その仕事中心の考え方から脱皮できないというか、いつまで経っても、やはり仕事のことが気になってしまう。
これは長い間に身に染みついてしまった性か?
 

何のためにベトナムにまで来ているか?
今までの仕事中毒一辺倒の生活、考え方に疑問を感じたから・・・来たのではなかったのか!

ベトナムの人たちを見ていると、仕事より家族が大切、友達との付き合いが大切・・・と言う感覚がひしひし伝わってきます。 
それを日本人の仕事中毒の考え方から判断するから・・・様々なトラブルが生じる。 

明日は事務員さんたちに素直に謝ろうかな・・・いつものように明るく楽しく行こうって! 


下記の転載書き込みの中で・・・ 

日常ってとても素晴らしいものだね。些細なことでもキラキラしている。
芋ようかんですら愛しくて、
ありがたくて、
涙が出てしまうくらいのものだよ。 」・・・・ の部分に思わず涙がこぼれそうになった。

 人間は本来、日々生きて語らい同じ時を共有するだけでも有り難いと感謝しなければいけないのだと しみじみ思わせてくれた文章でした。 


秀さんからも、ありがとう と言わせて下さい。   


以下転載開始・・・・・・・・・・・・ 



1 Mr.名無しさん04/07/27 04:28
       ♪もーしもー、もう一度アナタに会えるなら
     
        たった一言伝えたい
     
        「ありがとう」
     
         「ありがとう」
     
         時には〜、傷つけーあっても、アナタを感じてーたーいー♪

俺はこの曲で、後悔の念で泣ける。
誰が歌ってんだろ。 某フラッシュのBGMなんだが。  
まあそんなわけでオマエラ。 ありがとうって言いそびれた毒男いるか。
生きてはもう二度と会えないんだから、ここで言っとけ。  


61 Mr.名無しさん04/07/27 04:28 

俺に言わせてください。ありがとうって言いたいです。
いつも毒男板に来ては煽ってばかりいた性格の悪さを省みています。
きっと俺に罰が当たったんだ。悪性リンパ腫って…手遅れって…

母さん、マジでありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
                            ありがとう。ありがとう。
ありがとう。ありがとう。
                            ありがとう。ありがとう。ありがとう。
ありがとう。
                            ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
                           
ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。


ありがとう。
 生んでくれてありがとう。

こんな俺でも生んでくれてありがとう。
愛情を注いでくれてありがとう。
沢山笑ってくれてありがとう。
一緒にへこんでくれてありがとう。
一緒に泣いてくれてありがとう。 
 

あなたは最高の母親です。オヤジも鼻が高いさ。

いっぱい泣きたい。あと一ヵ月後にはあなたのいない暮らし。
俺が芋ようかん買ってきたくらいで、病院のベッドではしゃがないでよ。
顔をくしゃくしゃにして喜ばないで。そして食べながら泣かないで…
母さんが喜ぶなら、芋ようかんずっとずっと買ってくるよ。

母さんがいなくなっても、ずっとずっと母さんの為に喜ぶ事をするよ。
母さん、ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。 


 79 61 04/07/27 05:37 

すいません。今まで泣いてました…
厚かましいけど、書かせてくれ。お願いします、書かせて下さい…
最近はずっと起きてる。なるべく寝ないようにしてる。
寝ても二、三時間くらい。後、俺の家族に残された一ヶ月って時間を、出来るだけ記憶に留めておきたかったんだ。寝てしまうその時間すらも惜しいんだよ。

俺に何か出来ないか、俺に何か出来ないか、そればっか考えてる。
残念な事に、俺には何も出来ないんだよ。病気の進行は容赦ない。 母さんをすぐに蝕んでいくんだ。
薬の副作用で母さんの顔がむくんで、髪がボロボロ抜け落ちていった時に、
「アハハ、お母さんブサイクになっちゃったわねぇ〜!!って、母さんは元気いっぱいに俺に言ったんだ。  

俺が病室を出ると、母さんの泣き声が漏れてきた。 俺は病院の廊下で恥ずかしながら泣いたよ。 俺の前では元気いっぱいに振舞っていたのは 親心なんだって気付いたよ。
母さん、俺バカでごめん。
 だから、俺が出来る事って稚拙だけど、母さんの好きな芋ようかんを買っていってやったんだよ。

俺はたまに買って行ってやるんだ。
母さんが病気になる前から、給料入ったらお土産で買ってくのね。
はしゃいで、顔をくしゃくしゃにして喜んで…食べながら泣いて… 

日常ってとても素晴らしいものだね。些細なことでもキラキラしている。
芋ようかんですら愛しくて、ありがたくて、 涙が出てしまうくらいのものだよ。  

俺はきっとこれから、いつもの芋ようかんを買う和菓子屋を通る度に その日常を思い出して、泣いて、「ありがとう」って感謝するんだろうね。本当は眩しいくらいのものなんだよ、日常って。絶対に家族ってとてもとても眩しいものなんだよ。 

だから、恥ずかしくても自分の家族にありがとうって言ってやってくれ。
暖かくてキラキラしててかけがえのないもの。
俺の中では永遠に生き続けるもの。
母さんありがとう。…もうだめぽ。スクリーン半分涙で見えねぇよ。。。  


97 61 04/07/27 08:08 

今は家に取りに来なきゃいけないものがあって帰ってきた。急いでるのにウケるよね。
chに書き込んでる暇があるならさっさと病院行けって感じだろうね。
 
病院行きたくないんです。  母さん、死んじゃった。  

朝死ぬことねぇだろ…本当に母さんらしいね。
ほんっと、人騒がせな親だよなァ。ねぇ、母さん。死んだら芋ようかん食えないよ?
死んだら、買って行ってあげないよ?
死んだら食べれないんだよ?  
本当に急すぎて、ネタだと思われるだろ?

人騒がせだなァ… 母さん、ムカついてるでしょ?

医者にはあと一ヶ月って言われてたのにね。一ヶ月、芋ようかん食べれたのにね。
俺も買って行ってあげたのにね。
何でだよ、棺おけに芋ようかん入れたくないよ。  
買って行くから、また食べてよ。 また笑ってよ。 また俺の名前呼んでよ。  


 142 61 1Z4mF1mWnQ 04/07/27 20:34 

最初って涙なんか出なかった。 親戚や友達に連絡して、それはもう事務的にお通夜とかの準備をしなければいけなくて。
涙を流す暇がないっていうのかな。オヤジも姉ちゃんも、同じように忙しくて悲しみにひたる余裕はないって感じでした。
忙しさに追われたから、俺は今日の一日を冷静でいれたのかも。

 一度、家に帰ってくる時に三人で夕飯食べたんだ。
ハンバーグ食べた。
 

オヤジが、「うまくないなぁ…か…」
って、言葉詰まらせてイキナリ泣き出したんだ。子供みたいに。 
 
俺はすぐ分かった。 その、「か…」の後に続けようとした言葉がすぐに分かった。

オヤジと母さんはよく食べ歩きが好きで、うまい店があると家族サービスとかいってはよく連れて行ってくれてたんだよ、俺と姉ちゃんを。  

オヤジは「うまくないなぁ、母さん」っていつもの癖でついつい言ってしまうところだったんだろうね。
俺は黙ってた。姉ちゃんも黙ってた。俺は泣かなかった。泣けなかった。黙って食べてた。 何かしゃべったら俺も崩れてた。 

今日の夕方もむしむしと暑くて、地元のスーパーはいつも通りにぎわっててさ…
思わず寄ったよ。特売のトウモロコシと枝豆売り場には主婦が沢山いてね
その中に母さんいるんじゃないかって、バカげた子供みたいな考えに変な期待持っちゃって。

「アツシ、トウモロコシ買ってきたから茹でてあげるからね〜ッ!」 って、 一昨年の夏みたいに、笑う母さんの顔が見たかった。
こんなクソ暑い夏に、リビングで寝っ転がりながらトウモロコシを食う俺の行儀悪さをうるさく言う母さんの声が聞きたかった。  

ああいうのを本当は小さな幸せって言うんだろうね。
けど、小さすぎて当たり前すぎて見えないんだよ。
いなくなってしまってから初めて分かるんだ。
それがビー球みたいにいろんな色があって綺麗で素朴でキラキラしてるって分かるんだよ、きっと。  


152 61 1Z4mF1mWnQ 04/07/27 23:57 

もう今日でここに書き込むのは最後にします。みんな色々と辛いことを乗り越えての今があるのだと思いました。  だから俺だけ弱くてうじうじしていてはいけない。
みんなが通る道なんだよね。
けど、今だけ俺の弱さをどうか許してください。昨日の今日では強くなれない…悲しすぎる。

オヤジが俺に封筒を渡してきました。 葬式までに必ず読んでおけって。
オヤジはその中身を知らなかったらしい。姉ちゃんの分もあるって言っていたから、母さんからのものだってすぐに分かった。 
 

俺は本当に弱い。もっと強いものかと思っていたら全然違った。弱すぎだ。

その封筒の中身を読んで、泣きじゃくった。今も涙が止まらない。
どうして2chに書き込んでいるのかもよくわからない。
誰かに聞いて欲しいからかな。誰かに何か言って欲しいからかな。


 「アツシへ
お母さんがこんな手紙を書くことなんてなかったからさぞかしビックリしているでしょう。
アツシも知っている通り、お母さんは後三ヶ月くらいなんだってね。
今のお医者さんはすごいね、余命をすぐに言ってくるなんてね。時代は変わりましたね。

お母さんがお婆ちゃんを亡くした時は、ひた隠しにされたのにね。
こっちの方がスッキリしていいかもね。
お母さんね、もっとアツシとナミを見ていたかったんだけどね。ごめんね。
あと三ヶ月しか見れないのか、うーん、残念だよ。

アツシ、旅行に連れて行ってくれるって言ってたしね。
お母さん、北海道がいいな。美味しいものを家族で食べに行きたいじゃない。
それで小樽にも行ってみたいんだ。アツシ、お母さん頑張って元気になるから、その時は北海道旅行をよろしくね。 
 
あなたは家族思いの良い子です。言葉遣いは汚いけど、それが照れ隠しなんてお母さんはちゃんと知っているんだからね。
だてにあなたを23年間も育ててきた訳じゃないんだから。

あなたとナミは私達の自慢の子供です。
あなたもいずれ親になって分かると思います。
自分の子供がどんなにかわいくて仕方ないか、絶対に分かる日が来ます。

お父さんが頑張って働くのも、お母さんがご飯を一生懸命に作るのも、
あなたたちがかわいいから。あなたたちを愛しているから。
あなたたちと幸せを創り上げたいから。それが親心だよ。
アツシも絶対に分かるはずだよ。
 

けど、お母さん、子供孝行出来てないよね。あと三ヶ月の間に出来る事って何かを考えたんだけど、お母さんバカだから分からないや。ごめんね。
だから、この手紙はあなたたちに謝りたくて、今こうして書いているの。
無責任な親だね、無責任なお母さんだね。ごめんね、お母さん無責任で。  

アツシ、お母さんの子供で幸せでしたか?お母さん、自信がないな。
お母さんなりに頑張ってきたつもりだけど、自信ないよ。
だから、この手紙を読んだら、素直にお母さんに言って。お母さんの息子で幸せだったか、素直に言って。もし、幸せだったなら、お母さんもっと頑張っちゃう。
もし、幸せじゃなかったんなら、お母さんもっともっと頑張っちゃう。

大好きなあなたたちの為に、お母さんは頑張るよ。エイエイオーって頑張るよ。
あなたたちを授かって良かった。本当に良かった。
お母さんは幸せ者だね。幸せすぎるね。 
あ、しつこいけど、お母さんは夏くらいに北海道行きたいな。 家族で行こうよ、北海道。
きっといいところだよ。美味しいものたくさん食べようね。
アツシの運転する車で、北海道をぐるぐる家族四人でまわるの。ステキでしょう。
期待してるよ、アツシ。ナミには別のものを頼んであるから一人だけの手柄なんかにしないこと!
夏に家族四人で北海道行こうね、お母さん頑張るよ!! 

字が汚くてゴメンね。
お父さんも、ナミもアツシも、お母さんはみんな愛してるよ。幸せだよ。
 

アツシのお母さんより 」     


って。書いてあった。  


160 61 1Z4mF1mWnQ 04/07/28 00:52

これで最後です。俺は忘れてはいけないことがあります。
俺が自己満足で書き込んで、それに対しての温かい言葉、煽り、全てにありがとうと言いたいです。 

みんな、ありがとう。 母さんを北海道に連れて行けなかったことが残念でなりません。
そして、弱い俺はいまだに涙を流しっぱなしです。   

家族を大切にして下さい。愛情を素直に受け取って下さい。

小さな幸せを大切にして下さい。

 
恥ずかしがらずに「ありがとう」と言って下さい。

 俺はみんなに感謝しています。みんなの優しさにひたすら感謝です。

夏が過ぎて秋になって、冬になって、どんどん季節が廻ります。
その中での「ありがとう」って、誰にでもあるはずです。

素直にありがとうと言える事は素晴らしいことです。

涙が流せるくらい、美しいものです。

みんなありがとう。 


母さんありがとう。   






以上転載終了・・・・・・・・・・・・・
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2011年01月10日

ふ〜んなるほどだなぁと思った文章編

何気なくネット記事を見ていたら阿修羅の投稿記事に早坂茂三さんの言葉を転載したものが目に入って来た。

読んでみると・・・ん〜なるほどなぁ と思うことしきりだった。

今の若い人は早坂茂三と言ってもピンと来ないかもしれませんが、昔、田中角栄首相の秘書を長くやっていた人で顔のイメージはまぁ、どちらかというと悪役顔でしたわ。でも、今こうやって書いたものを読むとなるほど! あんたの言わんとすることはよ〜く分かるぜぃ と言いたくなりますわ。いつの時代でも同じですね。

特に最後の言葉  

「この世の中は一皮剥けば義理と因縁と情実と不公正の寄席細工だ。もちろん、四つの要素がすべてではない。しかし、世間の実態はそういうものだということを、腹にしっかりたたみこんでおいたほうがいい。」

にはきれい事だけでは済まない世の中の本音の部分を表しているようで複雑な心境になりますな。言っていることは乱暴な言葉だが、敢えて若い人向けにこのように書いている早坂茂三氏の優しさがにじみ出ていると思うのは秀さんだけかしら?

ある面それが世の中の現実だよなぁ と秀さんの経験からも頷いてしまうのであります。

さて、前置きが長くなりましたわ。

では、以下勝手に転載いたします。へい。


 転載開始・・・・・・・・・・・・・・・・

早坂茂三の言葉 〜田中角栄と共に闘ったオヤジの遺言〜

http://www.asyura2.com/10/senkyo103/msg/871.html
投稿者 みちばたの蝶 日時 2011 1 07 22:58:03: JxOH7lIi5LSzQ


管直人さんに、早坂さんの言葉が届くかどうか、知る由もないが、
見ている限り、おそらく通ずることはないだろうな〜と思う。

意固地にはなっていても、意気地は感じられない。

肉声を語ろうとはしない。

失敗は認めればいいのに、嘘で塗り固めようとする。

そして、泣きが入ってしまっている。

うらはらのように、時間は経ていても、心に響く言葉がここにはある。

転載責任 井ノ子俊一@長崎県島原半島http://sanmarie.me/shigezo_hayasaka

早坂茂三の言葉 〜田中角栄と共に闘ったオヤジの遺言〜

「今太閤」と呼ばれた立身出世の人から、汚職事件の罪人へ。
政界の頂点から犯罪の奈落に一気に叩き落とされた故・田中角栄の元秘書として、その人柄を知り尽くす早坂茂三氏が若い人を対象に書いた「おやじ説教集」。

この世の酸いも甘いも噛み分けたおやじ様の言葉に耳をかたむけて。

捨てる神に拾う神 もっと無器用に生きてみないか (集英社文庫)


§ 早坂茂三の言葉


『若い者はしくじる。右も左も分からないのだから、失敗は当たり前だ。
老人の跋扈は国を滅ぼす。しかし、青年の失敗は国を滅ぼさない。
私はそう思う。

だから、若い者はやりたいことをやったらいい。
ウジウジして、周りに気兼ねする必要はない。
そして、どつかれ、こづかれ、けつまずき、ひっくり返り、糞小便を浴び、人に裏切られ、だまされ、カスをつかみ、「われ誤れり」と歯ぎしりをする。

それを繰り返しやって、たくましい、しなやかな知恵を身に付けることができる。
この修羅の巷で生きていけるようになる。

出来上がりのワンセット、ワンパッケージの知恵など、この世には存在しない』

悪評を恐れることはない。人の口に戸は立てられない。
世の中はやきもちの大海だ。目立つやつは目障りになる。
態度のでかいやつには風当たりが強い。

ところがまた、この世間の悪評ほど移ろいやすいものはない。
一匹のいぬが吠えれば、ほかの万匹の犬が、わけも分からずにいっせいに吠えたてる。

日本はそういう国だ。
そして風向きが変われば、犬の鳴き声は一気にとまる。
世間は手のひらを返す。

世評、何ぞ気にすることあらん。顔を上げて吾が道を行く。
頑固でもいい。妥協せず、自ら恃むところさえあれば、自分の本心だけは譲らないという気構えでやれば、何とかやれる。

そうして私は生きてきた。
国乱れて忠臣現れ、家貧しくして孝子現る。

失敗はイヤというほど、したほうがいい。死にさえ至らなければ、何回も繰り返しひどい目に遇ったほうがいい。やけどもしたほうがいい。五針も十針も縫うような大怪我をしたほうがいい。そうするとバカでないかぎり、骨身にしみる。次回から不必要なリスクを避けるためにどうしたらいいか、反射神経が身についてく る。判断力、分別ができてくる。これが成長の正体だ。

人間にとって一番大切なのは情だ。世の中には志を果たせない人、運が悪くてチャンスに乗れない、つかめないという人が溢れ返っている。

こういう人たちに対して、本当にいたわり、優しさ、侍でいえば『惻隠の情』が持てるかどうか、これで人間の上等と下等とが分かれる。

人はどういう話に感動するのだろうか。
嘘はダメだ。作り事の話をしても、人はすぐ嘘を見破る。
世の中はそれほどバカばかりではない。

やはり、自分の実体験を下敷きにして、そこから話を進めたらいい。
理屈をあまりくどくど言わないことだ。
抽象的な話は整合性があり、起承転結もきちんとしている場合が多い。

後で速記録を取り寄せてみても、非のうちどころが少ない。
そういう話は確かに存在する。

だが、それを言葉として聞く時、聞くほうはなかなか大変だ。
たとえ話の筋道が整っていても、理屈というものは左の耳から右の耳に流れていく。
感性に響いてこない。心に訴えるものがない。

なるほど、はい、わかりました。話が終わって、ヨイショと立ちあがり、たまっていた小便を便所でシャーっとやって、ドアを開けて建物の外に出ると、九割は忘れている。

人をとらえる話は、そうした性質のものではない。
自分はこういうことでトチったという失敗談とか、こういうことを誰かに教えてもらった、

そして、それは真実であったというエピソード、事実を中心にして話す。そうすると相手はとても覚えやすい。記憶のひだのどこかに止まりやすい。
自分が胸打たれた話を家や職場に土産として持ちかえる。
家族や仲間に伝えて、一緒に感動を反芻する。いい話、本当の雄弁とは、もともと、そうしたものだ。

「宮沢喜一に衆議院の予算委員会で質問する。すると、彼はあの小さな身体をチョコマカ動かして出てくる。答弁席に両手をつき、噛んで含めるように答えてくれる。役所の資料を一切、見ないで、面倒な法律でも数字でも自在にこなし、こともなげに答弁する。ニコニコしながらね。

聞きながらオレは、この人は何とできる人かと思う。この人は何でもかんでも実によく知っている。オレはこの人に比べたらいかに不勉強で、いかにボンクラで、いかに至らないか、いやというほど思い知らされる。」

ただ、自分も代表質問を終わって、自席に戻り、そして彼の顔を見てつくづく思うことがあるという。

「お い、宮さん。今夜十時ごろ、オレの知っている小さな赤提灯の店に来ないか。おかみは懇意にしているし、口も固い。おかみの部屋が二階にある。布団が置いてあるようなところだ。あそこじゃ、どんなことをしゃべったって、絶対に大丈夫だ。あそこで今晩、二人で上着を脱いで、ネクタイをはずして、時間を気にせ ず、とことん話そうや。自民党をどうするか。社会党をどうするか。本当の話を徹底的にしゃべろう。宮さん、都合をつけてくれ――。

だが、こういう電話をかける気には絶対にならない相手だ」私は、それが宮沢氏の責任だとは思わない。
相手にそういう印象を与えるということが、宮沢喜一の罪咎とは思わない。しかし、相手も感情を持った人間だ。質疑応答していれば、当然、何かを感じるし、この感じることがいけないとは言えない。
とすれば、相手にそういう思いを抱かせるということは、やはり、その人にどこか至らない面があるという証明ではないか。

この世には、他人に対して無遠慮に聞いてはいけないことがある。
「出身校はどこか」、「今、どこで何をして働いているのか」
――この二つがいい例だ。

学校に行きたくても事情があって進学できなかった。胸を張って「勤め先はここだ」と言えず、肩身の狭い思いで毎日、必死に働いている。そういう人たちが日本にたくさんいる。どんな小さな会社でも、いい仕事をしていれば生きていける。

良質で、値段が安く、長持ちして、後の面倒見のいい商品を作りさえすれば、あるいは、同じようなサービスを提供することができれば、お客は必ずつく。
これが資本の論理というものだ。

意地を張っていると言われるかもしれないが、意地というのは、人間が生きていくうえでの背骨だ。背骨があるから頭が支えられている。背骨があるから、血液のもとになる骨髄液が、日夜不断に再生産されていく。

意地というものを人間から取れば、それは背骨なし、つまり、クラゲになってしまう。
クラゲは潮の流れに身を任せて漂うだけだ。
世の中は、いつでもどこでも利口千人バカ千人である。本当はバカ十万人がひしめいている。だから、万事、多数決の社会では、一時は受け入れられない。
しかし、今、身のこなしが軽やかで、何もかも分かっているような顔をして、人の顔色を見ては達者にスイスイ動き回っている若い人たちがたくさんいる。そういう背骨のないクラゲが群れている。
その種の若者を私は好まない。

佐藤栄作は竹下登にこう語った。「政治家の世界は100メートル競争ではない。マラソンだ。最初から優勝しようと思うな。自分のペースで走れ。自分の身柄に合った早さで、自分の心臓の強さに合わせて走れ。
トップランナーは、子供の投げたバナナの皮にすべって転ぶ。
二番手と三番手は、あまりに競い合って、コーナーを曲がる時に身体がぶつかり、二人でひっくり返って、アキレス腱を切る。
四番目の走者は下痢になって、テープの100メートル前で、もれそうになってしゃがんでしまう。
そうすると、竹下君、十番目、二十番目では困るが、五番目くらいのところにぴったりつけていけば、最後に君が勝つことになる」


田中角栄が私にこう言ったことがある。

「頂上を極めるために、いちばん大事なことは何だと思うか」

「むろん、味方を作ることです」

「そ れはちがう。無理をして味方を作ろうと思えば、どうしても借りを作ることになる。相手に愛想笑いをする。腰を引いてしまう。揉み手をする。すり足になる。そうしてできた味方は頼りにできるのか。できない。無理して作った味方は、いったん、世の中の風向きが変われば、アッという間に逃げ出していく。そうしたシロモノがほとんどだ。

だから無理をして味方を作るな。
敵を減らすことだ。自分に好意を寄せてくれる人たちを気長に増やしていくしかない。そ の中からしだいに味方ができる。
そのためには、他人、とくに目下の人をかわいがることだ。誰にも長所がある。それを引き出すことだ。

いばるな、どなるな、言えば分かる。
手のひらを返すような仕打ちをするな。
いつでも平らに人と接することだ」
『人には馬鹿にされていろ』人の口に戸は立てられない。人間は三人寄れば、そこにいない人の悪口を言う。バカにする。欠席裁判をする。あるいは、仲間内みんなで集まって酒の肴にする。
とかく、そういう具合になりがちだ。

弱い人間の最大の楽しみは、他人の悪口を言い合うことだ。上司の悪口、あの社長、部長、課長、ぶっ叩いてやる。あいつは偉そうなことを言ってるけれども、薄皮一枚ひんむけば、こんなことだ。そんなこともふくめて、欠席裁判をすることが世間にはとても多い。それは人間の本性の一つだ。私がここで 思うのは、人にバカにされてもいちいちカッカするな――

ということだ。
相手だって、こっちをぶち殺してやる、社会的に葬ってやるというやつを除けば、心底、ひきずりおろすために悪口を言ってるわけではない。楽しみ半分だ。それにいちいち目くじらを立てていたのでは胃を壊す。
欠席裁判にされているのではないかと思ったら、一日中、悪口を言いそうなやつの側にへばりついていなければならない。そんなことは無駄なことである。

田中角栄師匠が、私に言ったことがある。

「商売も政治も結局、同じことだ。大勢の人に集まってもらわなければ、話にならない。大勢の人の気持ち、お心を頂戴できなければ、吾が思いを遂げることはできない。自分だけがオレは東京帝国大学出身だ、東大だ、オレは一番賢いんだ、ほかのやつはバカだ、オレのところに寄ってこないのは、そいつらがバカだからだ。これを銀座4丁目で空に向かって叫んだところで、どうなるか。カラスが飛んできて、その開けた口の中に糞をたれて、アホウ、アホウと言って飛んでいくだけのことだ」

人は誰でも世にスタートしたときは、右も左もろくに分からない。だが、風雪の歳月を経て経験を積み、百石もの汗を流した甲斐あって才能も花開き、時流にも恵まれて、世間が丁重に迎えるということになると、人間は普通、鼻が下を向かないで上を向くようになる。

目線が高くなる。そうなれば本人の行く手に黄色の信号がチカチカ点滅する。
いばりくさって世の中は渡れない。そのうち誰も相手にしなくなる。

若い者は粗相する。だが、それは当たり前だ。経験が浅いのだから、何かにつけて失敗する。
しかし、経験が浅い者の失敗に、いちいち目くじらを立てることはない。自分だってそれ以上に失敗の連続だったじゃないか。
叱る時には、誰もいないところでガッチリやったらいい。
どんなささやかなことでも、褒めるときには、大勢のいる前でドンと褒めてやることだ。そうすれば若者は奮起する。いつか必ず知遇に応えてくれる。

田中角栄という人は、人の顔を見れば、

「おい、メシは食ったか」と言っていた。口癖である。

表現は乱暴だが、相手は春風のように聞いた。

「メシは食ったか」初心忘れず、この言葉は角栄の体験から発した。
すきっ腹のつらさ、切なさを知っていたからである。

「おい、角さん、おれが昼飯も食えないほど貧乏してると思ってバカにするのか」こう言って怒った人は一人もいない。
よほどのひねくれものでもなければ、「メシまで心配してくれるのか、うれしい。ありがたいことだ」――そう思う。

この世の中は一皮剥けば義理と因縁と情実と不公正の寄席細工だ。
もちろん、四つの要素がすべてではない。
しかし、世間の実態はそういうものだということを、
腹にしっかりたたみこんでおいたほうがいい。


 以上転載終了・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
posted by 秀さん at 00:15| ハノイ | Comment(2) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月26日

汚い言葉を吐かないようにしたい編

人間皆が皆、聖人君子ではありませんので、
時には理不尽なことをされたり、
自分の意に沿わないケースに遭遇した場合には、
この野郎! お前なんて豆腐の角で頭打って死んじまえ〜、とか あんたは人間のクズ 最低! なんて言葉を口には出さずとも思うことはありますよねぇ?

え! そんなことを思ったことはない とおっしゃいますか?

へぇ〜 それはそれは立派なお方でございますねぇ 

とミンチのひとつも、いや間違いひき肉・・・ん? また間違い、皮肉のひとつも言いたくなるもんですが、

最近秀さん思うに、そう言う言葉や思いを今までに一度も吐いたり思ったりしたことがないような人は一体どんな方だろうか? と・・・。

さぞや後光が光り輝くマリア様、観音様のような方でしょうねぇ。
お話をしなくてもそんな雰囲気を漂わせた方がたま〜におられますが・・・

そんな方は、オナラなんて決してしないのではないか、秀さんのように自分の爪で鼻毛など決して抜かないのではないかとアホが勝手な想像をしてしまいますわ。

我々在越の日本人は、日本に比べてストレス度の高いこのベトナムでは汚い言葉を吐く回数が格段に増える環境にありますねぇ。

いつもアホなブログを書いて、また〜り としている秀さんでさえ、長いベトナム生活においては時には騙されたり、裏をかかれたりもしましたもん。
その時は当然のように感情を露に汚い罵りの言葉を吐きましたよ。へい。

またおしゃべり好きなベトナム人ですので、人から聞いた話が伝言ゲームのようにだんだん変質して行き、終いには全く真逆の違った話になることもしばしばです。

人間誰しも自分が可愛い、人から裏切られたり、悪口を言われたり、罵倒されたりすると、自分可愛さの余りマイナスの感情を出して防御しようとしますね。
防御するとは弱さがあるから守るのでありまして、本当に強い人は自然体のまま何も防御せずともうまく自分をコントロール出来る人だと思います。
お犬さんでもそうですが・・・吠える犬ほど弱い と言われます。

ですので、出来るだけそんなマイナスの感情は出さない生き方が出来る人の方が強い人なのかも知れませんねぇ。

人間生を受け、まぁ一般的には両親の愛情を受けながら成長して行き大人になるのですが、その過程で様々な経験をして行きます。
赤ちゃんの頃は誰しもキラキラとした綺麗な目をしていますねぇ。
これが、世の中でそこそこ生きて来ると・・・汚い行いや妬みや、僻み、劣等感にその反対の優越感などを感じるに従い、人間には上下があるかのようなかん違いをしてしまう方も中にはおられます。
昔々、秀さん少しばかり景気の良い時がありました。その時の自分を今、ふりかえってみますと・・・何ともいけ好かない野郎だったと思いますわ。

どこから変な自信やプライドが来るのでしょうかねぇ?
人より少し良い服を着て、少し良い車に乗り、少し金回りが良かっただけで自分が人様より偉く思えてくるのでしょうかねぇ?

アホなことですわ。ったく。

日々生きて行くことは大変で、きれいなことばかり見て生活できれば良いのでしょうがそうはいかないのが現実でごわす。
誰しも赤ん坊の頃はキラキラとしていた目が嫌なものを見たり聞いたりするうちにその輝きが鈍って来ます。

昨日、会社の事務員さんがある人に対して、陰で罵詈雑言を吐くのを聞き、そんな汚い言葉を吐いてはいけません と諭したことから、

じゃあ,自分は
どうよ? と考えた次第ですわ。

人のことを言えた義理ではありませんわ。秀さんも同じですもん。はい。

出来るだけ・・・汚い言葉は聞かない生活、吐かない生活 をして行けたら良いですねぇ。

でも、臭いダジャレが無い生活だけは・・・秀さんには無理ポ ですわ。


賢者の皆さま、どうかご寛容に・・・!

posted by 秀さん at 00:02| ハノイ ☁| Comment(6) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月13日

ベトナム人も少し似ているかも?編

ある記事を読んでいたら、ふと目に止まった中国人についての考察。
今は亡き、小室直樹氏の著書「小室直樹の中国原論」を読んだ感想が書いてありました。

日頃、ベトナムの方とお付き合いが多い秀さんですが、
この記事にある
=「ホウ」の絆よりも、もっとゆるい人間関係「チンイー(情誼)」という中国社会の仕組みです。=  のチンイー(情誼)の感覚はベトナムの方にもあるような気がします。
最後の方で述べているように・・・
秀さんもベトナム人と良くぐでんぐでんになるまで飲みました(と言うか飲まされました)もん。


体力や時間を消耗するアホらしいことだと思われる日本人の方も多いでしょうねぇ。
秀さんも体調の悪い時にはそう思ったこともしばしばですぞぃ。
こう言った席の場合、仕事の関係や地位の上下などはあまり関係がなくその場を共有する人間同士の横の付き合いといった感じでしょうかねぇ。
ビジネスベースで考えると割が合わないと思いますよ。
当然お互い冠婚葬祭参加を余儀なくされますわ。

しかし、その関係で過去助けられたり、逆に便宜をはかったりしましたよ。
今でも時々は呼び出されたりしてビールを共にすることもあります。
家族・友人、ビジネスとは違ったこの関係は日本では経験したことが無かったことなので最初は戸惑いましたが、今では慣れました。

まぁ、中国のそれと秀さんの言うこの関係とは違うかも知れませんが、そう思ったまでですわ。

以下その記事を参考までに転載しますね。 


転載開始・・・・・・・・・・・ 


私はこれを読んで、目からうろこが落ちました。
本当の中国人の姿を知ったからです。
これから書くことは、ほとんどの日本人が気づいていない事ではないでしょうか。 

中国でビジネスを行った方の意見として、

@成功した人は「中国人は絶対に信用できる」

A失敗した人は「中国人はひどい。騙される。」

と極端な反対意見に真っ二つに分かれるそうです。
 

一般的な中国人のイメージとしては、「中国人は信用できない」というイメージが強いのですが、確かに日本人で中国ビジネスに成功している人たちもたくさんいます。
成功者のほとんどは、@の中国人ほど信用できる人はいない、と話すそうです。 

この意見の違いについて、小室氏は「どちらも正しい意見」としたうえで、明瞭簡潔に解説しています。 

まず、中国人を知るには、中国の社会の仕組み「ホウ」を知らないとAのような失敗に陥るそうです。 

「ホウ(幇)」とは、日本や欧米にはない中国固有の人間関係で、絶対的な盟友「死なばもろとも」の関係の事だそうです。 

小室氏は分かりやすい例として、三国志の劉備(りゅうび)、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)の三人の関係で説明しています。 
彼ら3人は桃園の義盟(誓い)で杯を交わし義兄弟になったのですが、本当の兄弟よりも固い契りを築きます。 

三国志を読んだことがある方なら分かると思いますが、その後の3人の関係は最後まで崩れる事はありません。

この関係が「ホウ」だそうです。 中国社会では、人間関係が「ホウ」と「ホウ以外」の二つに分断され、「ホウ以外」では略奪、強姦、虐殺がやり放題と言っても過言ではないそうです。

逆に「ホウ」の関係であれば、身を捨てでも助けてくれる絶対的な信頼関係になるそうです。 
刺客(しかく)という言葉は、この「ホウ」から出来た言葉だそうです。
「ホウ」内の依頼者からある人の殺害を依頼された場合、自分の死を覚悟してでもそのターゲットを殺害する。
これが刺客だそうです。
刺客は、昔の中国では大変名誉な役割だったそうです。 

この事を理解しないで、日本式の表向きの人間関係や信用を使って、中国でビジネスを行おうとするととんでもないしっぺ返しに会うそうです。
 
中国人と「ホウ」を形成する、これが中国人とよりよい人間関係を作る最大のポイントだそうです。 ただし、家族よりも優先する義兄弟の絆を、簡単に形成する事はできません。 
「ホウ」を形成するには時間がかかります。
中国人とは簡単には深いつきあいはできないではないか、とあきらめてしまいそうですが、「ホウ」の前段階があるそうです。 

それは、「ホウ」の絆よりも、もっとゆるい人間関係「チンイー(情誼)」という中国社会の仕組みです。 

中国へ旅行に行かれた方は経験したことがあると思いますが、お土産物を買う際、日本人旅行者だと現地の値段よりもべらぼうに高い値段を提示されますよね。 
そこかから値引き交渉をして価格を下げていきますが、それでも現地の人が買うよりも高くなります。 
この価格差を提示される源泉が「チンイー」という人間関係の深さだそうです。 

人間関係が出来ていない日本人観光客には高く売り、人間関係がある程度出来ている現地人には安く売る。 
資本主義の原則、一物一価制とはかけ離れた行動です。

 同じ中国人どうしでも「チンイー」が深い人にはさらに安く売ると言うことです。 
チンイーに関しては、日本でも似たような光景が東京の下町や田舎では見られますよね。 

前出の私の知人は、「中国でビジネスをする際は、現地の相手方と一晩ぐでんぐでんになるまで飲み明かせばいい」と話していましたが、これが「チンイー」や「ホウ」なのかも知れません。 

今後、機会が増えると予想される中国人との付き合い方には、ホウとチンイーがキーワードのようです。  


以上転載終了・・・・・・・・・

posted by 秀さん at 02:07| ハノイ ☁| Comment(6) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月04日

愛情について編

何を! ウザいおっさんがこんなタイトルを付けとるんやねん! 
とお怒りのお方もおられましょう。
へい、自分でもそう思いますぞぃ。 

実は、あるお方の文章に下記のような一文がありまして・・・以下 

愛情などは、自分が受身で他人から愛情を待つ間は、飢餓感が続くものです。
自分が愛情を「出す」気持ちに成れるまで、飢餓感と不満は継続します。
 

と書いてありましたわ。まぁ、この場合の愛情とは男女の間の愛情と言う、狭い範囲のことを言っている訳ではないのですが・・。 

何かなぁ、これってベトナムの女性(日本も同じ?)のことをさしているのでは?ないかと思ったからですわ。 

これをベトナムカラオケ嬢風に秀さんがアレンジしますと・・・ 

カラオケに入り浸る男の愛情などは、自分が受身で他人からお金を待つ間は、ウザいおっさんでもブ男でも我慢出来て期待感が続くものです。
自分がお金を「出す」気持ちに成れるほど、お金持ちだったらこんな所で働きはしませんって! 

・・・こんなことを書いてはいけませんな。へい、スミマセン。

ベトナムと言う国は、いえホーチミンやハノイといった大都会ではと言った方が適切かもしれませんが、お金が有る、無しがその人間を評価する基準の一つになっているのではないかと思うことが良くあります。
高い車やバイク、携帯電話しかり・・・所有物(モノ)が高いかどうかで人間を判断するなんて よ〜くよく考えて見ればアホらしいことだと誰でも分かるものです。
アメリカのように超富裕層、富裕層、中間層(減少してはおりますが)、貧困層、超極貧層という5つの階層の中で同じ階層連中しか横の繋がりがあまり無いような国もありますな。正に日本もそのような様相になって来ておりますが悲しいことであります。

ベトナムはここ20年くらいで持つ者と持たざる者の差が急激に開いてしまった感があります。
まぁ、それはその人それぞれの運や努力の差もあるでしょう。
権力者やお金持ちの家に生まれた子供と極貧の農民の家に生まれた子供とではそりゃぁ違いがあって当然ですな。

しかしですぞぃ、お金を持っていること、それだけで素晴らしいと感じるベトナム人の人達の多さには秀さんどうもついていけないのであります。 
まぁ、秀さんが育った日本(一億総中流社会と言われた時代)が世界でも稀な国&時代だったせいかも知れませんがね。 

逆に言えば非常に分かりやすい国だと言えるかもしれませんねぇ。
全て金銭的な考え方がベースになっている国だと思えば・・・騙されたり、裏をかかれたりすることも少ないのではないでしょうかねぇ? 

ベトナムで良くあることは、日本人の 「人間気持ちだよ!」 なんて言う独特の文化・風潮?みたいなものと
ベトナムのことわざにあるように「お金は神様」と言った考え方のギャップが様々な男女間のトラブルを生んでいる根本原因ではないかと・・・

ベトナム貧乏文化比較論研究会の末端会員である秀さんが勝手なことをほざいておりやす。
 実際、ベトナムでは年齢差が相当開いている男女(男性は当然じじい、女性が若いのはデフォですな)が結婚することに日本ほど抵抗感はないように思えます。
日本人からみれば、お金で若い女性を嫁した またお金の為にあんなじじいと一緒になった なんて陰口を叩く人もいるでしょう。

ベトナムではその感覚は少ない というか、そのお金で自分及び家族の貧乏で悲惨な状況が改善できるのであればそのお金を持つ相手が例えじじいであっても良いのでは と思う人も少なくない。言葉を変えれば、家族に対する愛情が強いベトナム人からすれば、自分及び家族を助けてくれる人が仮に秀さんのようなウザいじじいであっても、その人が持つお金で皆が幸せ?になるのだったら良いではないか! と言う考え方がそれ程非難されないという独特の文化が根づいているのかも知れないですな。 

君のことをこんなに愛しているよ と言った所で、 

で・・・私に何をしてくれるの? と聞かれ・・・ 

そうだな、たまの外食もままならない、着たきりスズメの貧乏生活だよ! 

なんて言えば・・・ 

日本女性でさえ、「じゃぁ、また今度」・・となることは間違いないですな。へい。 

一体あんたはどっちやねん と言われそうですな。へい、スマソ。 

秀さんが思うに・・・・男女の出会いと言うか、結婚は秀さんのように年齢の若い時に まわりの状況が見えない、また打算的な考え方をしない内に一気に突き進む方が・・・良い?かも。 

年取って来ると、世の中の色んなことが分かって来ますな。恋愛と結婚は違う なんてことを言い始めるといけませんわ。 確かに、恋愛=お金のことはあまり考えなくても宜しいですな、結婚=お金がないと夫婦生活も上手くいかないことがあることが分かる、だったら最初からお金のある人と一緒になろう・・・なんて考える人も出てきますわ。  

仮に秀さんがある娘の父親だったとしましょうか? 

お父さん! 私無職の極貧の貧乏人のこの男性を好きになってしまったの

結婚したい なんて言われたら やっぱ考えますわ。  

お金で愛情は買えないけれど・・・・お金で不幸の大半は解決できる 

と言う
言葉は 真実ですな。 


難しい問題ですねぇ。 

ま、本日は金の無い者たちの集まりであるホーチミン貧乏友の会でこの問題に答えを出せるとは思いませんが、金があろうがなかろうが 仲良くが一番と言うことで 本日のアホブログは終了っと! 

皆さま、良い週末を!

posted by 秀さん at 07:21| ハノイ | Comment(2) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月31日

アホの秀さんでもめげた時期が・・・編

まぁ、いつもブログで自分のことをアホだ!ときっぱり宣言している秀さんですので、

あいつはアホだと他人に言われても一切の反論はありませんよ、
だって自分で自分をアホと言っていることですので間違いないですわ。
ましてや決して賢い人間だと今まで一度なりとも思ったことはありませんよ。これ、ほんと! 

小さい頃から勉強嫌いの性格だけは飽きもせず、継続は力なり! 
とどこかの
予備校の標語にあるようにその性格だけは続けることが出来まして
高校卒業ま
でそのアホさを維持することが出来ましたわ。
無事、いや当然の帰結として東京の私立の三流大学しか入学出来ませんでしたが・・・ね。 

今は亡きおふくろさんが言うには・・・
「秀よ、あんたが浪人したい と思うならしても構わないよ、そしてもっと良い大学に行ったら? 」 と何とも有り難いお言葉をかけて頂いたのですが・・・

まだ、俺に嫌いな勉強をしろ! と言うの? と反論しましてその意見には従いませんでしたわ。

へい
そういう経過がありますので、今でも、

ま、世間一般で言う頭が悪い人間=ア
ホなのはデフォですけれど・・・

しかし、自分のことを「ダメな人間」と思ったことは会社が倒産した一時期を除いてはないですわ。 

そりゃぁ、倒産して何もかも失った時は、めちゃメゲて、自分はもう駄目だ!と思い悩んだ日々がありましたよ。
だって40過ぎて無一文ですもん、誰かに相談するにもお母ちゃん&父親は会社が倒産する2年前と1年前に亡くなってしまい残されたのは痴呆が進んだおふくろさん一人でしたもん。絶望の底に沈んでおりましたよ。 

でも、面白いもので、そんな自分自身がダメな人間だなぁ と思っている時は偶然のチャンスや良い話がやって来ることはなかったですわ。 

その時は、何度も何度も自分のやって来たことを考え、なぜ破産して今自分がこんなみじめな状態になるのか幾ら考えても答えが出ませんでしたわ。
また、自分のおかれた状況にいくら考えても納得がいかなかったのですよ、実際。へい

今でも時々は自己破産して無一文になり痴呆の母を抱えなすすべもなく日々呆然としていたことがよみがえってくることがありますわ。

そのぐだぐだとした思いのまま、ある日海辺に座っていた時に、眩しく輝くお天道様(太陽)を見た時に 何だか悩んでばかりいて自分はダメな人間だなぁ と思っていた気持が ふっと! どこかへ飛んで行ったのであります。 

俺が悩もうが、泣こうが、死のうがお天道様は毎日変わらず元気な姿を地平線の向こう側から顔を出します。
時にはお天道様も休みたいなぁ と思うこともあったでしょうが休まずこの世の生き物すべてのために顔を出すのであります。 

どう思い悩んでも今の現実は変わらない、変わらないのに あんたのことはもう大嫌い! と言って別の男のもとに去って言った彼女(又は彼氏)が帰って来るなんてありえないことと同じでもう済んでしまったことは後戻りできないのが人間の人生だと思い切ることが出来たその日の出来事でしたよ。 

そう考えたら気が楽になりまして、しかし無一文じゃ生活もままなりませんのでそう、仕事を探し始めたのですが中々40過ぎのアホなおっさんに合う仕事は職安の求人票を目を皿のようにして探してもありませんでしたわ。 
しかし、このままおふくろさんの年金をねこばばして生活するわけにもいきませんので、めげずにいろんな会社に履歴書や業務経歴書を送りましたぞぃ。

しかし、返ってくる答えは・・・残念ながら今回のあなた様の採用に関して慎重に審議した結果、残念ながら今回は見合わせて頂きます。 と言う回答書を何度ももらいました。

でもですね、もうめげることはありませんでしたよ。これ以上めげたくても出来ないほどめげたのでこれ以上めげることは疲れるので出来ない と訳のわからん心境だったのでしょうな。 

そんなある日、昔の知り合いの紹介である会社への就職のお誘いが来て、一度もやったことがない業種でしたが 何とかなるわさ〜 と思って就職しました。
最初は戸惑いましたが、もうやるきゃないと思い定めてやっていると運が良かったのか、ご先祖様のご加護があったのかどうかは分かりませんが業績もアップしまして社内でそれなりの評価を頂くことが出来たのですわ。

まぁ、そのご転職やらまたその転職先の会社の倒産やらいろいろなことがありましたが・・・

人間生きておれば何とでもなる! と言う格言じみた考え方は変わりませんで・・・
まぁ、今があるのであります。

今も決して裕福ではありませんが、日々いまんまを食べ、小さいながらも幸せを感じておりますよ。へい 


おい! 何でお前の昔話を聞かなあかんねん とご批判はあるでしょうが・・・

今の世知辛い日本で、昔の秀さんのように思い悩んで自分自身で自分をダメ人間と判断している方に、そうじゃないですぞぃ と言いたいだけでごわす。 

ある人の文章にこうありました・・・ 

人間には色々な状態の人がいます。病院のベッドから出られない人、失業中の不安な中で職探しをする人、忙しく働いている人、大成功して隠居暮らしをする人、などなど様々です。

よく自分はダメな人間だと、思い込んでいる人がいます。 

何がダメなんでしょうか? 

そのダメだと思い込んでいる原因の大半は、他人との比較なのです。 

また、自分がダメだと思う人は、「今の自分が嫌いな人」でもあります。 


これが本当にダメなことなのです。 


と・・・・ そうですね、自分で自分のことを嫌いになってはいけませんわ。
また、他人と比較するのも頂けないですね。だって自分の人生は自分のものですもん。 

こんなアホな秀さんでも なぜか毎日元気で生きていけるのですから大丈夫ですよ! 秀さんより賢い皆さんが落ち込むことはありゃしませんって
どうか自信を持って生きて行って下さいまし〜 

所詮、人間生きているのも死ぬまで・・・逆の言葉で言えば死ぬまで生きる  人間の一生なんて短いものですぞぃ、苦しみも 逆に楽しみも 生きているから体験できるのであります。 

そう考えると・・・ どうせ、生きるなら元気を出して楽しみながら生きましょうや!  

元気のない人が元気になるように・・・元気のある人は更に元気になるように・・・ 

と本日はアホが柄にもなくほざいてしまいました。
 

でも、秀さんのアホは変わらないのは不滅の原理でごわす。 

では、また次回ね!

posted by 秀さん at 09:21| ハノイ | Comment(11) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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