いつも読んでいる伊勢白山道さんからの転載ですが、心に沁みわたります。
日々欲にまみれた生き方をしている自分が悲しくなりますわ。
自分の良心(両親)に恥じない生き方をしたいものですね。
転載ばかりでスマソ。
老子の言葉 第十二章
(独自の超訳)
色とりどりの色彩は人の視覚をくらませます。
色んな種類の調味料を入れ過ぎますと、本来の味が壊れます。
競馬の賭け事や、犬を使った追い込み狩猟の趣味は、人間の心を獣のように狂わせます。
多くの財産を保有することは、狙われる身の危険性が増し、その人に間違った行動(収賄・愛人・・・・)も行わせます。
だからこそ真理を知った聖人は、自分の「腹」(心の良心)を満足させることを重視し、目に見える物事にだまされません。
目に見える快楽よりも、良心が満足することを求めます
原文
「五色令人目盲。五音令人耳聾。五味令人口爽。馳騁畋獵、令人心發狂。難得之貨、令人行妨。是以聖人、爲腹不爲目。故去彼取此。」
(感想)
この文章で最も大切なことは、「腹」の概念です。前半は腹のための前フリに過ぎません。
多くの学者がこの「腹」を、老子は快楽を否定するが食事は大切だと言った、満腹まで食べることを良しとしたと解釈しています。しかし、これは間違いです。
私たちは、他人を意識した「見える物事」を絶えず追求しています。
家・自動車・服飾・金銭・豪華な食事・結婚・・・・・。
ここで考えるべきなのは、
「もし世界に自分一人しか存在していないと仮定しますと、その時の自分はどんな選択をするのか?
と言うことなのです。
他人を意識した化粧をしますか?服装の選択は見栄えよりも機能重視にしませんか?食事も最低限の簡素な物にしませんか?住まいの選択に心血を注ぎますか?
私たちは自分を大切にしていると思いながら、実は他人の視線のために生きている場合が多々あるのです。
しかし、人間が死ぬ時は、本当に一人きりなのです。
なんか変ではないでしょうか?
人生の長い期間を他人の視線のために生きて、そして死ぬ時になって初めて自分を見詰めます。
自分が死ぬ時に、本当の裸の自分を見詰めた時、人生においてあれほど欲しかった見える物事が不要な物であったことを人は初めて知るのです。もうゲップが出るほどたくさんなことを思い知ります。
それならば、人生を生きている間に、自分の腹(良心)を満足させるという概念に“色んな悩みのお蔭で”気付くことが100倍も大切なのです。自分の死後にも持参出来る、本当の財産に成るのです。
とにかく人間は、それを追求した先に何が有るのか?残るのか?を想像することが出来れば幸いです。
戦争の先には何が残るのか?勝者などいません。
国土の荒廃と多くの人間に愛する縁者の死をもたらすだけです。
人間は、領土も、品物も金銭も、本当には持つことが出来ないことを知らなければ生けません。
生かして頂いて ありがとう御座位ます

