2009年12月12日
カナダ籍のベトナム人編
一目で気に入ってしまった秀さんであります。
何故かと言うと、非常に礼儀正しい方でお辞儀をしながらの挨拶に驚いた次第である。
年齢は36歳、カナダで日本レストランを経営しているとのこと。
カナダ籍のベトナム人が日本レストランとはこれ如何に? でありますな。
聞いてみるとカナダで、ある日本人のもとで働いて日本レストランを自分で開業したらしい。
その日本人はカナダに住んで何十年と言う初老の方でその人から色々なことを教わったHさんはそのことを非常に恩に感じていると話していました。
素晴らしい! と言うかHさんの紳士的な振る舞いや優雅な佇まいに秀さんは魅了されたばかりでなく今日本人が忘れてしまったかのような「恩」なんて言葉を聴くと驚いてしまった。
ベトナムに住むベトナム人(変な言い方ですね)を日頃から良く見ている秀さんとしてはこれが同じベトナム人かと思えるほどの違いに何とも複雑な気持ちになりましたぞぃ。
実は日曜日にあるゴルフコンペの為に愚息と共にHさんを誘って一緒に練習に行ったのですわ。
腕前は秀さんが芋虫とすればふ化して今自然界に飛び立とうとする七色に輝く蝶々のように優雅であります。
ハンデは18と言うことでしたが結婚して子供が出来る前はゴルフにはまっており当時はハンデ(ハンデキャップ)9(シングルプレイヤー)位だったが現在は家族と一緒いる時間が多くさっぱりですわ と苦笑しておりやした。
秀さんの場合は練習する割りには一切上達しないゴルフでありまして、ハンデなんてものを言うのもおこがましいレベルであります。
ハンデ?秀さんはそんなにゴルフがヘタなのですかぁ・・・?
さてハンデでしょうねぇ・・・
いつも 判で 押したようにブービーメーカーであります
まぁ、いつもの臭いダジャレは無視していただいて、最近は台湾の方やカナダ籍のベトナム人と国際色豊かな交流をしている秀さんであります。
今世界経済はどうやら東南アジアに熱い視線が向けられているようで中国を始めインド、そしてベトナムにも様々な方がビジネスチャンスを掴みに来ておられることをベトナムに実際に住んでいるとひしひしと感じている秀さんであります。
国の盛衰は歴史をみれば分るように世のならいであります。
まぁ、人間も同じで勢いのある場所に集まるように企業活動も同じで今後発展するであろうと言う国々に羅針盤を向けるのは自然なことであります。
例えば乗用車ひとつ取ってみても、今ベトナムで自家用車に乗っている人は大金持ちのベトナム人だけですわ。
タクシーを頻繁に利用するベトナム人もまぁ中級以上の所得がある人に限られます。
普通の人はバイクが主流ですね。
そのバイクでも高額な5千ドルもするようなバイクを乗っている人は 何故か威張ったような顔をしてバイクを転がしていますねぇ と台湾人の友人が言っていました。
確かに、高額のバイクを運転しているベトナム人は少し自慢気味に運転しているように秀さんも感じますぞぃ。
ベンツではあるまいに・・・
日本人からみればバイクで鼻高々で自慢するような奴は・・・
バイク野郎! いや、バカ野郎!の間違いです。
そんな車は燃費も2バイクぅぜ! ですな。
さて、お耳直しに・・・今日本ではどこの家庭にも自動車があるのが当たり前のようになっていますが、秀さんがガキん子の頃は自家用車なんて高値の花、タクシーの台数も今ほど多くなく、一般の人はバス、電車、自転車が主な通勤手段でした。
何故かバイクは日本ではそれほど普及しなかったですね。
当時新しい車など買おうものなら大騒ぎでしたわ。
小学校1年生の時に他の担任の先生が初めて車を買った時に大勢で見に行った記憶がありますぞぃ。
こう考えてみれば今、車なんて王侯貴族の乗り物のように感じているベトナムの若い人達も十数年もすれば車を持つなんてことはそれ程珍しいことではなくなっていることでしょう。
若い人達が将来に向けての希望(中には野望)が持てる国はやはり良いもんですな。
どこまでこの国が発展するのか 不肖秀さん 当分は観察して行きたいと思っています。
本日はメコングルメクルーズのお客さんに同行してミトーに行きます。沢山の蛍さん出て来て下さいよ! と祈っている秀さんでした。
では、賢者の皆様、ごきげんよう さようなら!
2009年08月11日
世の中大切なものは編
北朝鮮ルートの麻薬・覚せい剤だと言われているが定かなことは分らない。
しかし一体全体どうなっとるんか! と声をあげて怒りを誰かにぶつけたいほど今の芸能界いや日本の一部の地域や人達の行いは酷いものである。
芸能人に関しては人気に胡坐をかいてあたかも自分が特別な人間であるかのように勘違いし何をしても許されると思ったアホ達なのでしょう。
秀さんが思うに小泉・竹中政権あたりから日本の良さ、日本人の持つ共同体意識の崩壊が始まり年々日本人の持つ連帯意識や共生感が失われて行ったような気がする。
一言で表すならば 政治家・役人・企業家に風格というものが無い国になってしまったのではないでしょうか?
風格・・・辞書で調べると 人柄、おもむきとある。
お金があれば何でも出来る、権力があれば悪いことも隠しおおせる、自分だけがうまい汁を吸えばよい、今が楽しければ何でも良しみたいな考えが蔓延り(はびこり)もう日本はこれからどうなるのかと心配する秀さんであります。
一言、まぁ今の世の中はこんなもんですよ と突き放して言うのは簡単だが秀さんの育った時代と余りにもかけ離れてしまった現在の日本、国としての風格が亡くなりそうで心配しております。
良く考えて下さいな
国やそこに住む人間の風格は10年や100年で出来るものではありません。
長い間に先祖代々積み重ねられて熟成され磨かれて築かれるものでありましょう。
ベトナムと言う価値観の異なる異国の地に住んでいると痛切に思う。
秀さんはベトナムと言う国が好きでこうやって住んでいるのですが、何か少し日本と違う とず〜と考えていました。
今までこの感覚をどう表現すれば良いのか良い言葉が浮かばなかったのでありますが、本日、ひょんなことから浮かんだ言葉が風格という文字であります。
大人の風格、なんて言いますが小さなことに左右されない落ち着いた雰囲気と言いますか何かゆったりとしたガツガツしない地に足がついた感じがします。
その大人の風格・・・秀さんには全く備わってはいませんがこれからは精進努力して少しでも身につけたいと思っておりやす。
ほんとに!ハイ。
本日は最後に、今は失われつつある家族の絆の大切さを再認識する為にネットから拾った話ですが勝手に無断転載して終わりにいたします。
父さんの宝物
三年前に親父が死んだんだけど、ほとんど遺産を整理し終えた後に
親父が大事にしていた金庫があったんだよ、うちは三人兄弟なんだけど
おふくろも死んじゃってて誰もその金庫の中身を知らなくてさ
とりあえず兄弟家族みんな呼んで、その金庫をあけることにしたんだけど
これがまた頑丈でなかなか開かないんだよ。仕方ないから鍵屋を呼んで
開けてもらうことにしたんだけど、なかなか開かなくてさ
なんとなく俺たちは子供の頃の話を始めたんだよ、親父は昔からすごい厳格で
子供の前で笑ったことも一度もなくて旅行なんてほんとにいかなかった
子育てもお袋に任せっきりで餓鬼の頃はマジで親父に殺意を覚えたよ
んで、一番下の弟が、そういうわけだからしこたま溜め込んでるんじゃねえか?
みたいなことを言い出して、その後に真中の弟も親父が夜中に金庫の前で
ニヤニヤしながらガサガサやってんのを見た とかいったから
俺もかなり金庫の中身に期待を抱いちゃったんだ
んで、そのときに鍵屋がちょうど「カギ、開きましたよ」といったから
ワクワクしながら金庫の前に行き、長男の俺が金庫のドアを開けたんだ
そしたら、まず中からでてきたのは、古びた100点満点のテストなんだ
それをみた一番下の弟が「これ、俺のだ!」といって俺から取り上げたんだよ
次に出てきたのは、なんかの表彰状、すると次は次男が”俺のだ”といいだして
その後にネクタイが出てきたんだ、見覚えがあるなあと思って
気がついて叫んじゃった「あ、これ俺が初めての給料で親父に買ってやったネクタイだ」
その後に次々と昔の品物が出てきて、最後に黒い小箱が出てきたんだよ
その中には子供の頃に家の前で家族全員で撮った古い写真が一枚出てきたんだ
それを見た俺の嫁さんが泣き出しちゃってさ、その後にみんなもなんだか
泣き出しちゃって、俺も最初は、なんでこんなものが金庫のなかにあるのかが分からなくて
なんだよ、金目のものがねーじゃんとか思ってちょっと鬱になってたんだけど
少したって中に入っていたものの意味が理解できたとき、その写真を持ちながら
肩震わして泣いちゃったんだ。人前で初めて本気で号泣しちまったよ
そこで鍵屋が、きまずそうに「あの、私そろそろ戻ります」とかいったんで
みんなが、はっとして涙をにじませながら「ありがとうございました」
・・・・・
明日はまた臭いダジャレ満載のアホなブログ戻りま〜す。
2009年06月29日
一体私はベトナムで何を?編
遠い異国の国ベトナムのホーチミンという街に住んでそこそこの年月が過ぎ申した。
当初はある企業の駐在所長として住んでいたのですがその後色々とありまして現在はホーチミン市で吹けば飛ぶような小さな会社を営んでいる。
しかしながら よっしゃ〜! もっと会社を大きく成長させて大金をゲットするぞぅ!
という気概はなし。
しかし受け持った仕事だけは日本人としてキチンこなす。
どう説明して良いのか分りませんが大金を稼ぎたいとか有名になりたいとか言うものではないのであります。
だったら何じゃぃ と言われそうですが別段エエ格好して言っている訳ではありませんぞぃ。
もしそうであるならばブログに会社のホームページアドレスを貼り付けたりとかするもんでしょう?
それどころかどちらかと言えば今現在本業にしている仕事については極力ブログ上では話さないで来ました。
別段、妖怪人間のように闇に隠れて悪いことをしている訳ではありませんぞぃ。
それなりに社会的に意義ある仕事だと思っています。
何故か今までこのブログを利用して会社の宣伝をして売り上げにアップをはかろうとか思ったことがない秀さんであります。
良く考えてみれば会社の経営者としては職務怠慢と言われても仕方がない。
日本だとチャンスがあれば常に会社の利益向上のためにあらゆる宣伝活動(営業活動)をしなければならない立場なのですが
あきませんわ。
まぁミトーの旅行会社は過去の経緯から時々はブログのネタに書いてきましたがフォンからは アンハイよ もう少し真剣に会社の宣伝してくださいなと言われております。
はぁ やれやれですわ。
もう昔の秀さんではなくなっておりやす。
大学生の時代からアホみたいに働いて 働いて 自分の家族といる時間を犠牲にして、仕事、ビジネス、業務、社業、生業、金儲け・・・言い方はどうでも良いですけれど 1日24時間 四六時中、何か亡霊にとりつかれた様に長い間働いた=移動して、書いて、話して、聞いて、学習して、検討して、相談して、決断して、悩んで、プレゼンして、食って、飲んで、エエ格好して、頭下げて、責任取ってetc・・もう切が無いので止めますわ。
要は仕事以外の一切の社会活動をしていない自分がおりました。
当時の秀さんなら もし社員ブログなんぞを勤務時間中に隠れて書いていたら 一発で 何こんなアホなブログ書いとるや! 直ぐ会社辞めんかい! と言っていたでしょうな。
変われば変わるものです。
宮崎は変わらないかん と言って当選したアホな知事がおりますが アンタそこ変わらんかい! と秀さんはいいたいですねぇ。ったく。
長い間忙しすぎて、反動としていつかは時間や自分以外の人に左右されない自分だけの自分の好きな生き方をしたいと東京にいる時から自分が気づかない内に潜在意識に持っていたのかも知れないですねぇ。
それが大渋滞のバイクの喧騒の中で日本人よりは金儲けに忙しいベトナム人を日々見ている内に 日々金儲けのために血眼になるのが何か急にアホらしくなったのかもしれないですわ。
それじゃ アンタもう会社やめたらと言われそうですが、そりゃ無理ですわ。
ホーチミン貧乏友の会会長を長く務めている秀さんですので十分な蓄えがある訳もなく、家賃やら毎月の生活費、少ないながらスタッフもいますのでその為にも会社をやめる訳にはいかないのであります。
会社のスタッフが今のように明るく生き生きと働ける環境とそれなりの給料を払うためにももう少しは頑張らねばならぬと思い直した秀さんでごわす。
要は、一体 何が言いたいの今日のアンタは?
へぇ スミマセン 本日は自分でも考えがまとまっておりません。
明日は カキ氷でも食べながら クールに行きたいものです。
2009年02月23日
ブータンについての記事転載編
ブータンの人口は60万人ちょっとである。日本の地方都市ほどの人口だ。面積は4万7000平方キロ、そのほとんどは高山である。同国は昨年、王制から民主制に移行した。それも、王室が国民を説得して選挙制度を導入したという。
ところが、中谷氏によれば、驚いたことに、国王の説得にもかかわらず国民の90%は民主化に反対したという。その理由はこうである。
自分たちは国王をお慕いし敬愛している。しかし、選挙によって選ばれた政治家が国王よりも良い政治をするとは思えないし、自分たちはそのような人のために頑張ろうとは思わない。ぜひいままでどおり王制を維持していただきたい、というのである。だが、ブータン王室は多くの国民の反対を押し切って、国王主導で「立憲君主制」に移行した。このような国家は、世界広しといえども、ブータン以外にはあり得ないだろう。 ご存じの方も多いかと思うが、1972年、当時のブータン国王は、「国民の幸福は決して経済発展では測れない」という観点から、国民総生産(GNP)や国内総生産(GDP)の追求よりも国民総幸福量(GNH、Gross National Happiness)の向上をめざすという国家理念を掲げた。この国王の方針を国民も支持しかつ支援した。
中谷氏の考察によれば、ブータンの人々が考える「幸福」とは、精神的にはチベット仏教にもとづく伝統的な生活を守りつつ、それと同時に豊かな自然と同化していくというものである。換言すれば、ブータンの人々は、資本主義の「市場」のなかで生きていくのではなく、社会や自然とともに生きていくことを選んだのだ。 つまり、たとえ経済的に豊かになれるとしても、それによってブータンの伝統社会が破壊されるのは望まないし、また他の多くの国々のように人間の都合のために(つまり、ヒューマニズム<人間中心主義>にもとづいて)自然を破壊するのも避けるべきであるというのが、ブータンのナショナル・ポリシー(国家政策あるいは国家の方針)なのである。これについて、中谷氏は次のように明言する。
《実際、ブータンの憲法では森林面積が国土全体の6割を下回らないこと、また自然環境の維持や野生動物の生存を脅かすような商業活動・工業活動をすることが禁じられているのだが、こうした規定が単なる「スローガン」でないことは、近代国家としての必要不可欠なインフラである舗装道路や送電施設の建設であっても、それが豊かな自然を破壊するのであれば行なわないということにも現われている》と。
これほど毅然たる価値観や政策を堅持する国家は稀である。「小国」なりといえど、ブータンのナショナル・ポリシーはきわめて貴重である。中谷氏はブータンで語り継がれている有名な話をとり上げている。それは鶴をめぐる話だ。
あるとき、電気の通じていないある村に電気を通すODA(政府開発援助)案件が持ち上がった。近代化の象徴ともいえる電気を通すというのであれば、どんな国でも飛びつきたいような話である。だが、ブータンのその村には昔から鶴が飛来してきて、巣作りをしていた。もし電気を通すために高圧電線を張り巡らすことになれば、飛来してきた鶴がその高圧電線に衝突し、鶴は巣作りのためにこの村には来られなくなるのではないかという議論が巻き起こった。結局、村人たちは“それでは鶴がかわいそうだ”と考えて、村に電気を通す計画を撤回してもらうことにしたというのだ。
中谷氏は、「電気のある文化的な生活よりも、鶴との調和的な生活を選択したということになろうか。それのほうが、GNH(国民総幸福量)が高いということなのである。といっても、ブータンは決して近代科学や近代文明を否定した宗教的な反動国家などではない」と述べる。
事実、同氏の言葉を敷衍(ふえん)すれば、ブータンでは国内全土に送電線や電話線を張り巡らすことはできないし、原始林を切り開いて産業道路を造ることについても慎重な態度をとっているわけだが、そのかわりに、同国では積極的に太陽光発電が導入され、また通信網についても衛星通信や携帯電話が活用されているのだ。むしろブータン国民は、インターネットや携帯電話などの文明の利器を積極的に活用しているのである。つねにGNH(国民総幸福量)をめざし、人間間の信頼や友情、それに自然と人間との調和のなかにこそ自らの生活の指針を求めているブータンの人々には、われわれ日本人もいろいろと教えられることが多いと思う。 中谷氏自身、ブータンの人々にインタビューをして「現在の生活に満足している」という答えがほとんどなのに心底驚いた。だが、現代文明そのものを知りつつも、あくまで伝統的なブータン社会の生活を守る方がいいと考える彼らこそ、真に賢明な人々だと思うのだ。
2008年12月07日
膝が諤々(がくがく)編
スコアはいつものように聞いてくれるなおっ母さんであります。
しかしラウンド途中から膝ががくがく、しかじかして、帰宅してもまだ痛いのであります。
体力、気力に金力、男の魅力は完全に消滅してしまい スコアもさることながら自分の不甲斐なさに涙がちょちょ切れるのであります。
ゴルフ場のシャワーを浴びた後に鏡に写るお腹周りのお肉の塊を見て、この際フォトショップを使ってスマートな俳優の肉体と差し替えようかな と思う情けなさであります。
若々しい顔立ちにバテない体力、ものごとに対する旺盛な気力をお持ちの若い人達に告ぐ!
必ずや 皆さま方も皺や白髪が増え、体力も衰えてじじばばになって行くことは間違いあり申さん。
順番送りがこの世の常、生老病死・・・人間様はこの繰り返しではあります。
この言葉に無情を感じるか、限りある人の人生、生きている限り目一杯前向きに生きて行くかはその人次第であります。
秀さんの高校時代の友人に、今ブラジルの市民病院で医者をしているS君がいます。
若い時からブラジルの大地で農業をするのが夢だったので初心貫徹でブラジルに渡り農業を始めた。
しかし、農民たちの余りの貧しさ、病気にかかっても医者に診てもらえない、また医者のいないところも多く、それら貧しい人達を助けるために一念発起してポルトガル語の勉強を開始。
その後ブラジルの医科大学に入学卒業、無医村地に出かけ人々を助けて来た。
無医村地に行くには銃を持ったガードマンを連れて行かないと途中山賊に遭い身ぐるみ剥がされるぞ 秀さん と聞いて驚いた。
何の為に・・・そんなアマゾンの奥地で医者をするのか聞いたところで 彼は彼なりの考え方、人生の目標を粛々と進んでいるのである。
秀さんとは180度違い立派な生き方でありやす。
今現在はブラジル人の奥さんを娶りある小さな町の市民病院でハードな宿直も精力的にこなして人助けをしているそうである。
人の生き方は千差万別、どのような生き方が良いとか悪いとか他人様が判断することは出来ないが、生きている間、人様を損得勘定抜きで助けるようなS君のような人は誰が何と言おうが素晴らしい。
つい最近初めての子供(女)が生まれた。
きっとおやじさんに似て立派な女性になることでしょう。
S君の家族に幸あれとお祈りしております。
このような話を聞くと秀さんのこれまでの生き方が正しかったのか疑問が生じて来るのでありますが、せめて世間様に対してマイナスになるような悪いことだけはしないように努めなければならないなぁ と思うのであります。
人を騙さない、どんな人でも馬鹿にせず対等に付き合い、誰に対しても温かい心を持って接して行きたいものである。
利害関係ばかりの世知辛い世の中ではありますが助け合いの心を持ってこつこつと静かに生きて行きたいものであります。
下手なゴルフをした後に、自分自身のこれからの生き方を少し考えされられた本日のブログでありました。
最後に一言。
ベトナムの免許証が愚息に交付された。
期限は3年弱。どうも日本の免許証の期限と同じのようであります。
秀さんの場合は5年でした。
何故でしょうか?
多分・・・
秀さんのこれまでのベトナムへの貢献を勘案して・・・
な訳ないか! それともゴールド免許なので5年なのか?
謎が深まるベトナムの免許証交付の巻でありやした。
賢者の皆さま、秀さんのこんなアホなブログなぞ読んでないで
世のため、人のため
は二の次にして、秀さんに新巻鮭の1本でも送って下さいな!
冗談です。
ごめんなさい&おやすみなさい。
2008年11月12日
ベトナムジョー(VIET-JO)のコメント編
ベトナムの国内の様々な出来事を日本語に翻訳して提供しているサイトであるが、慈善事業ではなく広告主を募集しているので営利目的サイトであろう。
秀さんもたまに覗くのではあるが、記事に関するコメント欄に多くの書き込みがされるようになった。
日本人同士の情報提供や情報共有がメインであれば良いのだが・・・
最近は1部の人達の読むに堪えない一方的なベトナム人への差別や批判ばかりが多くコメント内容も罵詈雑言ばかりが目立ってしまう。
そりゃあ、在越の日本人のみならず外国人として見た場合、ベトナムという国は社会制度や文化風習の違い金銭感覚の違い等で頭にくることも多々あるお国ですので云わんとすることは理解できるのだが、その余りにも人を人と思わない傍若無人ぶりに加え感情を前面に押し出した過激な発言、ベトナム人を皆一緒くたにして一方的にこき下ろしているコメントには逆にその方の心根の貧しさが表れているようで同じ日本人として悲しくなってくるのであります。
氏素性を公表して書き込んでいる訳ではない匿名書き込み方法ですので仕方がないと言えばそうなのですが・・・
もう少し改善してもらいたいものだと切望する。
主に金銭感覚についての批判が多い。
大半がハノイやホーチミンといった都会に暮らす在越の大手日本人駐在員の方の書き込みだと思うのですが・・・
べトナムの都会と田舎、金持ちと貧乏、権力や教養の有る無しによって同じベトナム人でも大いに違う。
そもそも秀さんと同じような腰掛けの外国人が他国であるベトナムを一まとめにして断定的に論ずることには無理がある。
おぎゃぁ〜 と同じようにこの世に生まれでた赤ちゃんも それぞれの生きる時代や社会環境の違い、また成長過程において様々な要素が複雑に絡み合い誰一人として同じ道を歩く者はいないのである。
今の日本人から見れば多くのベトナム人は貧乏と言える。
しかし、金持ちだから、日本だから偉い訳ではないし高貴な訳でもない。
逆に貧乏だから劣る訳でもベトナム人だから品性が卑しい訳でもない。
金の有る無し、所属する国の違いなんて その人の人間性を論ずる上では全くもって意味をなさないと考える秀さんでありやす。
そりゃあ、お金はあるに越したことはないでしょう。
これは誰しも同じであります。
今のベトナムの現状を考えると決して公平で平等な国だとは言えないかも知れないし、国を指導する高級役人の腐敗ぶりにも目に余るものもある。
身近な公安しかり役所しかり多かれ少なかれ日本人が言うところの賄賂がないとスムースにものごとが捗らないことも事実である。
口を利いて貰う、顔を利かせてもらうにはお礼が必要なことは昔の日本でも当然のようにあったことであるし、今でも裏では行われている。
日本の戦国時代を考えてみると良い、
己の領土=富を確立するために裏切りに虚言に略奪に饗応に あらん限りの策謀を使い他の国や人をねじ伏せて来たのである。
そして強いものが正義であった時代である。
今もそれは本質的には変わらない。
今のベトナムは国が治まる前の経済戦国時代と思えばヨロシ。
お行儀良く振舞っていては将来の出世はおろか日々の生活もままならぬ
利に敏くてよろし!
そうして将来国が本当に豊かになってくれば人々の考え方も少しづつ変わり社会感や人生観も変わる。
それくらいの長い目でこの国をみて行こうではないですか!
秀さんに言わせれば・・・
日本人の1部の政治家や役人も目くそ鼻くそ。大した違いはあり申さん!
いやぁ、本日は思いのままに支離滅裂なブログを書いてしまいました。
例の航空幕僚長のように、謝罪や訂正は一切いたしませ〜ん!
明日は、楽しいお話を・・・・
って言ったって、またお前のアホなダジャレ話だろう?
と 言うような発言には耳を傾ける奥ゆかしさは不肖秀さんにはあり申さん。
ご勘弁を・・・。
2008年11月02日
ベトナムの金持ちに思う編
タクシーの相乗りですが時間は早朝でしたので30分位、料金は27万ドンでした。前は22万ドン程でしたのでやはりタクシー代も値上がしたのでしょう。
スコアは聞いて下さるな お頼み申す といういつもの情けない内容でごわした。
よく利用するゴルフ場であるが愚息がキャディのおねえさんと楽しく会話している姿にベトナム語学習の成果が出ているなぁと驚く。
勉強し始めて約1ヶ月しか経ってしないが既に秀さんよりはレベルは上。
特に発音に関しては天性のものがあるのか格段に上手くベトナム人に通じるから驚く。
若いってことは吸収も早いものだと自分の老化した頭を恨めしく思いながらプレイをいたしやした。
愚息がキャディに聞いたところ今では一番多いのはベトナム人プレイヤーとのこと。
数年前は数えるほどしか見たことはなかったのですが時代の変化は早いものだと実感しやした。
金持ちのべナム人の中ではゴルフがブームになっているのでしょう。
ゴルフをした日の夕食はこれまた久ぶりに近所にあるテニスコートに併設してあるレストラン CAY DAに別の日本人の友人と行きましたが多くのベトナム人(中流以上)がテニスを楽しんでおりましてレストランも賑わっておりました。
このような場面を見ますとベトナムはこれから景気は下り坂等と書いている日本の経済誌や書籍の記事がどうも実態にあっていないような気がしてなりません。
一部の金持ちだけなのかもしれませんが娯楽や飲食にかけるお金は潤沢のようあります。
一大決心をして久しぶりにゴルフに行く貧乏親子とは違いますわ。
ベトナムもガソリン代は値下がりして1Lで1万5千ドンになりました。
最高値は1万9千ドンでしたので20%程下がりましたがベトナム人に言わせると原油の値下がり幅には程遠いのでもっと下げよと言っていますが先物取引価格と過去に仕入れたコストとは当然違いがある訳で売値に反映されるにはタイムラグがあるのでもうしばらくは待たなければなりませんぞぃ と秀さんが説明いたしやした。
国の経済が発展するには昔の日本、今の中国がそうであったように先ずはお金持ちから 次に中流所得者が増え国内消費を引っ張り内需を拡大する。
それにより企業も製品やサービスの提供を増加させ潤い、企業収益向上につれて給料も上がり低所得者も段々に豊になって行き更なる消費の拡大につながりその経済的な好循環を繰返す内に国全体の経済力が増して国が豊になって行く構図である。
今の日本は完全に企業社会になってしまいました。
昔はべトナムと同じように第1次産業(特に農業)に従事する人も多く集団就職や出稼ぎといった言葉が今では死語になってしまった感があります。
地域共同体から企業共同体への大きな変化であります。
ベトナムも多くの若者が田舎から都会に働きに出て来ております。
しかし田舎に帰れば超貧乏だが最低限自作の食糧で食べことは出来る安心感がそのベースにある。
またそういったことを受け入れる家族や村がある。
たとえ貧乏でもこころ安らぐ空間が今のベトナムにはまだ残っております。
正月に誰もかれも民族大移動する光景は圧巻です。
昔の日本もそうでありました。
高度に発展した社会とはそういった村社会のきずなを断ち切って達成されるものかも知れませんねぇ。
果たしてそのことが良いのか悪いのかは秀さんには分からないが・・・今確実にベトナムは変わりつつあります。
社会主義体制を維持したまま上手くコントロールして行くことが出来るのかどうか疑問ですが間違いなく経済的には成長して行くことでしょう。
その成長と引き換えに失うものも大きいのですが・・・若い人が充満するベトナムではじじいの秀さんが郷愁めいたことを言ったところで聞く耳持たずでしょう。
様々な思いが駆け巡ったホーチミンの1日でごわした。
2008年09月10日
一人よりは2人の方が楽しい編
やはり一人よりは2人の生活の方が断然楽しいのでありやす。
2階と3階にそれぞれ部屋は分かれてはいるが晩飯を一緒に食べに行ったりコーヒーを飲んだり今までの時間を取り戻すかのように仲良くやっている。
10年以上前になるが親父が急性の心臓病&肺の病気になり痴呆の母の面倒をみるために兄弟で誰が福岡の実家に帰って親の面倒をみるか話し合ったが兄弟姉妹それぞれ理由があり結論が出ない。
数時間にも及ぶ長い沈黙の時間にしびれを切らした秀さんが それじゃ、俺が帰るわぃ と思わず言ってしまいやした。
兄弟姉妹の ふ〜 と深いため息が聞こえたことを今でも思い出す。
いきなり引っ越しを決定した秀さんにおかあちゃんと進学を直近に控えた息子はあ然とした表情で不同意の様子だったが秀さんが強権発動で強引におし通してしまった。
そうして福岡に帰ったは良いが秀さん自体は仕事の関係で広島及び東京を中心に全国を飛び回る生活で大半はホテル生活であった。
家に帰るのは月に数回程度。
亡きおかあちゃんは病気の父に痴呆の母の面倒をみなければならずその苦労の大変さをもう少し理解してあげれば良かったと後になって後悔したが当時は仕事が命!の考え方の秀さんだったので家庭内のことはほとんど顧みなかったダメオヤジでありました。
今考えると、何故にそこまで仕事のことしか考えられなかったのか不思議でしょうがない。
家に十分なお金さえ入れておけば責任を果たしたような気になっていたが・・・家族って金の関係じゃないんだよね。
ベトナムではそうかも知れないが・・・いやいやベトナム人だってお金が全てではないはず。
お金が潤沢にあると些細なもめごとが起きないことはあるだろうが家族はやはり愛情の接着剤でくっ付いているのでありやす。
秀さんが家に帰るとおかあちゃんは必ずデパートに洋服を買いに行こうと言った。
今考えると一緒に買い物をする時間や服が似合う似合わないと秀さんがアドバイスするだけでも嬉しかったのかも知れない。
当然愚息と会話する時間どころか滅多に会うこともなく時は過ぎて行った。
1年に1〜2回程度は家族で海外旅行をするのがせめてもの罪滅ぼしでありやした。
年とったら必ず一緒にいる時間を嫌と言うほど取るから待っていてくれや
と言い訳がましいことを言っていたが今ではそれも叶わず。
自分の半生を振りかると後悔ばかり反省することばかりで自慢できることは何一つないことに気が付く。
こうして愚息と一緒にベトナムで生活しているなんて
天国のおかあちゃんが知ったらびっくりこいて生き返るかもしれないですわ。
それ程疎遠な関係の親子でありやした。
何故に人は仕事をするのか?・・・
そりゃ生活のお金を得ることが1番の理由でしょうが
昔貧乏国だった日本人の強迫観念もその根底にあるのかも知れない。
昔は仕事をしない人間はダメ人間のレッテルを貼られた。
仕事に追いまくられじっくりと自分の人生や生き方を考える時間もなく馬車馬のように過ごして来た。
勤勉は良いことだと言う考え方に支配され続けて来た。
今、幸いにして時間がゆっくりと流れるベトナムでの生活は考える時間はたっぷりある。
親子で会話する時間もある。
その楽しさに無情の喜びを感じている秀さんでありやす。
今月は亡きおかあちゃんの誕生月であります。
どうかこの貧乏親子の生活を温かく見守って下さいな と過去の反省を込めて手を合わした。
2008年08月07日
ホームレス中学生編
愚息が読んでみたらと渡された本のタイトルが「ホームレス中学生」と言うお笑いタレントが書いた本である。
所詮、ちょっと有名になった芸能人がゴーストライターにでも書かせた本くらいに思って手にした。
文章は素人なので拙いのだが現実にあった自分の体験談をあまり感情を交えずに淡々と書いている。
まぁ、それ程面白いとは最初は思わないで読み進んでいたのだが、途中から兄弟、近所の人達、先生、同級生、父親と登場人物が増えてくるに従い吸い込まれていき一気に最後まで読んでしまった。
現実の厳しさと人間の優しさ、母に捧げる気持ちなどがそれ程意思が強くも弱くもない男の素直な気持ちで書かれており受けを狙って書いたのではない爽やかな読書感をもって読み終わったのである。
親父さんの不運から家計が逼迫し差し押さえまで追い込まれ大学生を頭に下は中学生の兄弟がバラバラに自活しなければならなくなった状況を近所の人の優しさで窮地を脱する言わば人情話がベースになっている話である。
まぁ、実際に読んでいない賢者の皆さまに話した所であまり面白くもないでしょうが、もしご興味があれば一度読んでみて下さいな。
振り返ると秀さんも同じような状況に追い込まれたことがあるが幸いにも子供1人で、またある程度自立していた年頃なので自分一人が苦労するだけで済んだのであるが、仮におかあちゃんに幼い子供を抱えた状態で無一文になっていたらと思うと想像が出来ない位悩んだことだろうと思う。
自分一人のことは男である以上諦めも出来るし底辺の生活も享受できるのであるが守るべき家族がいたらそりゃどうしようもないほど情けない気持になるでしょうね。
人間何が辛いかと言えば自分以外の人間にいきなり迷惑や心配をかけることである。
まして家族がバラバラになる状況まで追い込まれたらどういう行動を取れるのだろうか?
この小説の親父さんのように蒸発してしまいたいと思うかも知れないですね。
日本では幼い子供を救うための様々な法的制度があるがベトナムでは国がそう言った子供達を救済する制度や施設があるのだろうか?
学校にも行かず宝くじ売りや花売り靴磨きなどをしている子供達の多さから考えても弱者救済の制度が十分に機能しているとは思えないのである。
あくまで想像だが貧乏人同士の相互助けい合いで何とかしているのではないだろうか?
秀さんのガキの頃は給食費も払え無い家庭や生活保護を受給している家庭も少なくありませんでした。
貧乏になるにはそれなりの事情がそれぞれあったのでしょうが、奮闘努力して大きく飛躍した友人も数多くおります。
昔の日本には仮にどん底であっても本人が自己努力で飛躍するための最低限の何らかのチャンスは残されていたような気がします。
そう思うと今のベトナムでは中々どん底から飛躍するための方法論が非常に少ないような気がします。
一番は十分な教育を受けさせることです。
教育は国の基本です。
ベトナムで貧困故に小学校に行くのもままならない現状だけは少なくとも何とか打開して欲しいものです。
アホは秀さんだけで十分でごわす。
ベトナムで貧困者の子供達のためにボランティア活動に人生を捧げている日本人がいます。
頭が下がる思いで一杯です。
2008年08月03日
国とは何か編
ベトナム人を見ていると国、
国家と言う概念、その国の国民と言う考え方が生きていく上でしっかりと根付いているのだろうかと思う時がある。
今の日本も全く同じ言葉を言われても返す言葉がないのですが・・。
確かにベトナム戦争で大国アメリカをゲリラ戦法で打ち負かした事実はある。
そのことを多くのベトナム人が自慢している。
秀さんの友人にもいますよ沢山。
長く苦しい戦いから勝ち取った勝利。
その輝かしい栄光から出発した戦後のベトナムと言う国の現状をどう思うかとの質問には何故か皆さん沈黙してしまうのであります。
共産主義が掲げる一般民衆(労働者)のために国家は尽くすと言う素晴らしい国家理想と実際に起こっている現実との間に横たわる大きな矛盾。
ますます格差が広がりインフレが加速し貧困者が蔓延する現在の厳しい現実。
これが共産主義の理想の実践?成功?・・・。
秀さんが思うに、
一般の人々は誰も共産主義なんて賛美もしていなければその理想とする哲学も信じてはいないように思われる。
まぁ、秀さんも同じですが・・・。
国家公務員の上級職に就くには共産党への入党が必須の条件であり講習会に勤務先より通わされる。
その期間を終了して試験と口頭質問に合格すれば晴れて?共産党員となるのだが若い人は誰も有り難がってはいない。
しかし入党しないと出世は望めないので形だけは整えるのである。
正に日本の国家公務員上級試験組と同じでご都合主義である。
ベトナムでは政府の役人の上級職はすべからく共産党員である。が・・・実態は完全な資本主義、商業資本主義と言っても異論は出ないでしょう。
言葉悪く言えば、利権賄賂主義、官権横暴主義、各個人バラバラ主義。
若い人でもカラオケや結婚式で軍歌をよく歌うことを賢者の皆様はあまりご存じないでしょう。
また徴兵制もある国です。
皆兵制ではなく長男が徴兵に出たから次男は出なくても良い、大学生は免除と色々と秀さんもよく分からない運用形態ではありますが徴兵制は徴兵制であります。
権力者やお金持ちの息子で行くものはほとんどない と言うより何とでもなるので結局は貧乏な家の息子連中が行かされるのである。
日本も格差社会と言われる。ベトナムは裏から見ても 前から見ても おしりの穴から覗いても格差社会そのものである。
権力や財力を持つ1部の者が利権を握り国を動かす構造は日本もベトナムも全く同じでありやす。
そんな指導者達を交代させることは日本では国民が選挙権を行使して出来ないことはないが、権力に迎合したマスメディアの情報操作により判断力を麻痺させられている。
長い自民党政権と上級国家公務員の手前みそ的な国民不在の政策により本当に日本もダメになってしまった感がある。
しっかりせいよ!福田さん と言ったところで彼には無理 ムリ むり。
癒着だらけの日本の現状はベトナムのことをどうのこうのと言えた義理ではない。
そんな国ならばさっさとおさらばして新天地を探そうではないかと仮にベトナムにやって来てはみてもいずこも同じ・・・。
国民にとって国とは何でありましょう?
一人の国民を救出するためにやみくもに戦闘機を発進させる国、
いやそりゃまずいお金を出して解放させましょうとやる国、
一人くらいは死んでもしょうがないと何事もなかったように無視する国・・・いろいろであります。
お金が全てを支配する資本主義、権力がお金になる共産主義、
要はお金、お金であります。昔からず〜と!同じ。
お金で全てが解決できる国、ベトナムに住んでみて・・・
あ〜 ベトナムだけじゃないわぃ。
いずこの国もみな同じ・・・と気づいた秀さんでありやす。
何だか、本日は禁断の誓いを破って日頃の秀さんらしくない話をしてしまいました。
本日は己の信念で国や上級国家公務員達の悪事を追求している貧乏弁護士の本を読んで少し感情移入し過ぎたかも知れません。
済まんこってごわす。
明日は仏門に入っているかも知れませんぞぃ。
そこで破戒僧にでもなりますかいな!
でも、ベトナムだったら入門するにも
多分 お金だろうなぁ?
絶世の美女もいない仏門は、やっぱ秀さんには無理、ムリ むり
明日はいつものベトナムホーチミンだよりを ダジャレを駆使?して
頑張りま〜す!
2008年08月02日
恋人も濡れる街角編
夕方3時頃から降り出した大雨で中心地の道路が冠水した。
今回は数時間にわたって降り続いた大雨で皆さんずぶ濡れ状態になったばかりでなくバイクのマフラーに雨水が大量に入り多くの人達が
雨の中をバイクを押して歩いている姿をタクシーの中で目撃した。
そこ数、数百人は下らないでしょう。
大雨は夕刻の帰宅ラッシュ時間帯と重なり道路は大渋滞の有様で恋人と甘い時間を過ごすどころかびしょ濡れの街角でありやした。
しかしこんな目に遭いながらもベトナムの皆さんは辛抱強くバイクを押しながら家路についている姿を眺めていると 何と!強い人たちであろうかと妙に尊敬してしまう秀さんでありやす。
幸い秀さんはその時間帯はお客さんと夕食を共にする予定であり、当然お酒を飲むのでバイクは自宅でお休み、タクシーで出かけたので被害に遭うことは免れましたがそれにしてももの凄い量の大雨でありやした。
昔、渥美清主演のTVドラマで「泣いてたまるか!」と言う番組がありましたが
人間どんな状態になろうと泣いて問題が解決する訳ではないのであります。
辛い時にも何食わぬ顔で黙々とバイクを押しながら家路につくベトナム人に昔の日本人の我慢強さを重ね合わせてしまいました。
こんな状態がもし仮に現在の日本であったならば泣き出す人も多いのではないかと考えてしまいました。
ホーチミン市は平たんな平野部が多く日本のように雨水をためる森が少ないのといたる所コンクリートで舗装されているので雨水は高い所から引き所に洪水のように流れるのであります。
幸い秀さんの住むフーニョン区の民家は少しなだらかな坂の高台にある地域ですので大雨が降っても冠水の被害は少ないのでありますが1区や3区の中心地の方が冠水被害が大きいのであります。
その日のお客さんは秀さんと食事をする前にシェラトンホテル近くのマッサージ店でマッサージを受けていたそうですが床下30p位まで雨水が浸水して あっ!と驚く為五郎 状態だったと苦笑しておりました。
耳を劈く様なドーンドーンという落雷に想像を絶する大地を叩きつける大太鼓の響きのような大雨を眺めていると人間の傲慢さを自然の神様が鉄槌でたしなめているような気がする。
これまた古い歌で恐縮なのですが、朝岡雪路の 雨が止んだら お別れなのね
と言う歌の歌詞どころはなく 雨が止むまで家に帰れないのね 早く降り止まないと 浮気がばれてしまうわ と言うような大雨でありやした。
翌日は何事も無かったようなからりとしたベトナム晴れであります。
まるで人生のように どんなに雨が降り 雷が鳴り 大風が吹いても やがて晴れの日は必ず来るのであります。
近くのスーパー内にあるケンタッキーフライドチキンの店に買い物ついでに寄った。
そこにはいつものようにチキンの唐揚げを頬張る幼い子供たちとそれを見守る親御さんの姿、
昨日の大雨なんかまるで過去の遠い思い出のような日常のベトナム人の生活風景がそこにありました。
今日もホーチミンの街は活気に溢れ 老若男女それぞれ それぞれなりの1日が始まっています。
前を向いてひたすらバイクを転がしているベトナム人達に聞いてみたいですね
その道の先には 何か良いことが待っているのでしょうか? と。
まぁ、そんなことを聞いたところで なにを間抜けなことを言っているの そこのおっさんと 言われるだけなのでやめておきますが、
でも秀さんは大勢の人が一斉に前だけを向いて走り出すホーチミンのバイクの大群を見ていると
その先には 何か秀さんの知らない素晴らしい未知の世界が待っているような気がしてならないのありやす。
それは、秀さんがすでに遠い日本に忘れてしまった 将来への明るい望み と言うか 若い人が持つエネルギーの放射先なのかも知れない。
2008年07月30日
テニス場とレストランCAY DA(榕樹 ガジュマル)編
借家から歩いて5分位の所に貸しテニスコート場がある。
夜9時くらいまで営業している。
そのテニスコート場に隣接してレストラン(中級)の庭に直径3メートル程の大きなガジュマルの樹がありレストランの名前にもなっている。
普段はあまり利用することのないレストランであるがたまに懐具合が良い時に利用している。
テニス場に来ている人達のバイクを見るとどれも2千ドル以上するものばかりである。
車に乗っている1部の金持ちを除けば平均的なベトナム人の乗りものはバイクである。
ベトナムでは乗っているバイクのタイプでその人の経済状態を計ることが出来ると言ってもいいかも知れない。
付け加えるなら携帯電話の値段の高い安いもバロメーターの一つである。
バイクは超高級品を除いて、上は6千ドルから下は700ドル位が平均値であろう。
中には400ドル前後のものもあるにはあるが中国製の粗悪品が多い。
ホンダ、ヤマハと言った日本メーカー製(現地生産)にSYM(同じく現地生産の台湾メーカー製)が大きなシェアを占めている。
白いテニスウェアを身に包んだベトナム人の中年カップルのテニス風景を横目に見ながら料理を注文した。
チャーカー(さつま揚げ)コムチンハイサン(海鮮焼き飯)ウックフーンヌーン(巻き貝の焼いたもの)に瓶ビール(小)3本の内容である。
中部のフエ出身のホン(Hong)さんと名札を付けたウェイトレスのおねえちゃんが笑顔でサービスをしてくれやした。
ベトナムで笑顔のサービスはあまり期待できないのが普通ですので何か得したような気分になりました。
隣のコートでは高級バイクで乗り付けテニスをしている人達、かたや地方から働きに出てきて未だバイクを持たないウエートレスさん達。
今やベトナムでは普通の光景ではあるが、一方は早々に仕事を終えテニス、一方は朝から夜遅くまで休みなく働いて給料1万円そこそこの若者達。
大きなガジュマルの樹はどう思っているのか分らないが大きく枝を張り出し大地に踏ん張っている。
勘定をお願いすると笑顔のホンさんが食べ残した料理を持って帰るかと聞くので快く包んでもらった。
金額は35万ドン(2,300円)と以前に比べて30%以上も値上がりした感じである。
笑顔のホンさんにチップを2万ドン渡して店を後にした。
出口付近に備え付けられてある水槽を覘くと50cmはあろうかと思うスッポンが2匹、ウナギ、カエル、雷魚、海老に蟹に貝、生きたまま人間様の食欲にお応えすべく調理される日を死刑囚のように押し黙ってその日を待っておりやした。
ふと振り返ると大きなガジュマルの樹がまたおいでよ 秀さん と呼びかけているような気がした。
秀さんが生まれる遥か前から立っている大樹は様々な人間の営みを見てきたことでしょう。
明日は何か良いことがありそうな予感を後に家路についた。
2008年07月26日
元気を貰った言葉編
賢者の皆様には必要ないと思いますが・・・秀さんが何故にアホでも貧乏でも明るく陽気に生きているかの参考のになればと思い下記に転載します。
かってマーク・トーエンは、「若い悲観論者を見るほど悲しいことはない」と語った。
そのとおりである、失敗を信じるものは、凡人になることを運命づけられているようなものだ。偉業を成し遂げる人間は、失敗を決して認めない。失敗してもくよくよしない。ものごとがうまく運ばなくても、決して弱気になったりしない。ここである人の経歴をご覧に入れよう。この人物は、
31歳で事業に失敗する。
32歳で州議会議員選挙に落選する。
34歳で再度事業に失敗する。
35歳で恋人の死に直面する。
36歳で神経の病気を患う。
43歳から5年間に三度、下院議員選挙に落選する。
55歳で上院議員選挙に落選。
56歳で副大統領になろうとしたが失敗する。
58歳で上院議員選挙に落選。
60歳でアメリカ合州国大統領となる。
この人の名は、アブラハム・リンカーンである。そして彼は、選挙での度重なる落選を、
「失敗」だと見なしていただろうか。そうは思われない。もしそうだったなら、大統領の地位を得ることなどとうてい不可能だったに違いない。 (以上抜粋文)決して秀さんがリンカーンのような偉大な人になることは、ベトナムが仮に資本主義の国になったとしても、生まれ来るであろう愚息の子孫が東大にまぐれで合格することが万が一億が一あったとしても、あり得ないが何もかも失って夢遊病者のようだった秀さんを力づけてくれたことは間違いない。
リンカーンは自分の苦労した経験が黒人達の人間としての尊厳回復に力を注ぐ原動力になったのかも知れないですね。
実際若い時は相当な苦労をしている人である。
人間の人生とは面白いものでそれまで一切連絡がなかった人から秀さんが自分の気持ちを切り変え前向きに生きようと決意した時に1つ2つ就職の話が来た。
その中からある会社に世話になった。
今考えても待遇も申し分なく仕事も合ってはいたのだが・・・しかしである。
その会社の実質的オーナー(会長)の社員に対する公私にわたる余りのワンマン振りに最初は驚きやした。
そこそこ勤務する内にしだいに我慢がならなくなり、前から誘われていたあるIT系のベンチャー会社に転職したのであります。
そのオーナーは秀さんに対しては非常に良くしてくれたのではあるが・・何故か他の社員に対しては人が変わったように人格が豹変するのである。
当然よく社員が辞める会社でありました。
秀さんも倒産を経験して辛酸をなめた後なので我慢に我慢を重ねて勤務するのが慎重な考え方なのでしょうが、どうしてもそのオーナーの会社の社員をまるで自分の召使いのように酷使するやり方について行けなかったのであります。
格好つけるつもりはないが、別の会社に誘われていなくても生活が困窮するのを恐れて自分の意に沿わない生き方を選ぶ程、強い?性格ではないのであります。
その後も色々なことがありましたが現在こうしてホーチミンでアホなブログを書きながら仕事が出来るのも今まで日本のみならずベトナムにおいても多くの人に支えていただいたお陰であります。
一人では何もできないのが人間であります。
決して裕福な生活だとは申せませんが心豊な生活を過せることに満足しております。
改めてみな様に感謝の気持ちを述べたいと思います。ありがとうございます。
本日のように秀さんの昔話をするのは賢者の皆様にとっては何の意味もないことでありやす。
このホーチミン便りはベトナムの生活のあれこれを書くのが本来の目的ではなかったのかと 少し反省しておりやす。お許しくださいな。
でもアホなおっさんの頭はあっちこっち飛んでしまい方向性が定まらないのが常で、やれやれ困ったもんですわ。
次回は何かお役に立つベトナム情報を・・と思う
・・・だけです。
2008年07月17日
貧乏な人の話
ある知り合いから身につまされる話を聞いた。
あるご婦人がいる。若い時は貧乏な両親を助けるために必死になって働き兄弟姉妹の面倒を物心両面で支えた。
その結果、婚期が遅れたが子供が一人いる男性と結婚した。
やっとささやかな幸せが来ると信じたがその男性との子供を身ごもった時に旦那さんは病気で死亡。先妻の子供と赤ん坊を抱えまたまた苦労を重ねる。
先妻の子は学費が払えないので授業料無料の師範大学に進み卒業した。
授業料無料の代わりに卒業後は教員になって安い給料生活を余儀なくされる。
赤ん坊だった妹はまだ11歳の中学生。不幸は重なるもので次は母親が癌になってしまった。
貧乏で高額な医療費を払おうにも払えない。
教員になれば1万円そこそこの安月給からのスタートなので病気の母を抱えて生活もままならぬ。
そこで日本で働いてお金を貯めて母親孝行したいと考えたが、現在の日本では理工系の大学卒業者か日本語学科を出た者しか日本で就業する道はほとんどないのが現状である。
後は研修生になって日本に行く方法はあるが、研修生の千選考にあたり公正な担当者は少ない。
応募者が何千人の中から面接(採用ではない)に残るには担当の者に面接選考に千ドルから2千ドルの袖の下が必要となるケースが多い。
仮に運よく選ばれたとしても今度は研修期間の保証金として100万円近いお金が必要と聞いてその若者は茫然自失。
その若者は母親の手術費用等で秀さんの知り合いを始め知人達に借金を申し込んだとのことである。
秀さんの知り合いはその申し出に半ば返却を期待しないで幾ばくかの金額を用立てたとのことである。
ベトナムでは、言葉は適切かどうか分からないが、貧乏な者は中々上に這い上がることが難しい。
日本の比どころではない階級差別が存在する。
ベトナムでは何かやろうとすれば先ず先立つものはお金である。
金のある者たちは金の無い者を決して相手にしないし信用しない。
アメリカも人種のるつぼで目に見えない階級差別が存在するが、ベトナムはそれどころのレベルではない。
共産主義の理想は遥か彼方に消え去り富める者は更に富み貧しい者は永遠に貧しいと言うのが実態である。
秀さんが思うに貧しさから脱却するための方法論が閉ざされている社会のような気がする。
日本では仮に貧乏な生まれであっても本人の努力や能力次第ではなんとでもなる社会であり、企業経営者も能力の有る者は会社の戦力としてそれなりの報酬を支払い引き立てる。
資本主義活動の根幹をなすのは何百万とある企業の経済活動である。
企業は大きくなるためには身分や出身階級をどうのこうの言うことは今の日本ではあまり無い。
あくまで能力主義・実力主義が基本である。
今のホーチミンで月給1万円では一人の生活もおぼつかないのが実情である。
また下級公務員の給料は安く抑えられているから生活防衛上好むと好まざるに関わらず小さな汚職に走らざる得ない厳しい現実が存在するのである。
誠に悲しいことである。
理想論をいくらぶったところで食えないのではしょうがないのである。食わなければ餓死するしかないのである。
秀さんは政治的なことはあまり話すのは好きではないが
共産主義体制で理想的な国作りを達成できた国はないと断言出来る。
旧ソ連や東ドイツ、東欧諸国にキューバしかりである。北朝鮮などは問題外の国である。
権力を持つものは必ず腐敗するものである。
腐敗はどこの国でもあるが、問題はその腐敗の大きさと範囲なのである。
日本のODA資金も一部ベトナム政府高官に高額な賄賂が渡り実際の投下金額の何パーセントが有効利用されたか分からない。
裏の利益は日本のゼネコンが回収して本国に持ち帰っているのがベトナムODAの実態であると在住の者はささやいている。
その予算は我々の税金である。ベトナムの腐敗と密接に関係する日本のODAの実態である。
上は利権を行使して高額な賄賂を取り放題、下は下で生活苦から庶民から賄賂を受け取らざる得ないベトナムの現状を見たり聞いたりすると何ともやるせない気持ちで一杯になる。
秀さんは下級公務員のやむにやまれずの腐敗に関しては決して肯定はしないが、心情的にはまぁ許せる許容範囲である。
高級車とバイクも買えない低所得者層、数日で庶民の1年分の給料を浪費する高級幹部のバカ息子バカ娘達。
上杉鷹山ではないが国の政治をあずかる者は一般庶民の父母の思いを忘れてはならぬ、
上の者が率先して規範を示すことが肝要だとの言葉を
今のベトナムの政府高官達に送りたい。
と同時に
日本の活性化の為にやる気のある東南アジアの若者達を広く受け入れる大らかさと島国根性の放棄を日本の政府高官達に望みたい。
本日はいつもの秀さんらしからぬ話になってしまいました。
次回はお腹抱えて笑えるような楽しいお話をご披露したいものですね。
2008年07月16日
お寺詣り編
会社の近くに大きなお寺があることは前から分かっていた。
いつか、先祖供養を兼ねて詣りたいと思っていたが中々行く機会がなかった。
事務員さん達と昼食後、歩いてお寺詣りでも行くかぁ?と言ったところ皆さんOKと言うことでトボトボと暑い中をお寺へ。
寺の前では花売りや線香売りの店が出ており小さな門前町のようです。
花を買う段になって日本人は少し離れて買い物は事務員さんにお任せ。
と言うのは外国人だとぼられるからである。
花と線香を買って値段は240円。
皆さんの幸せと先祖様に感謝の気持ちを込めてお祈りいたしやした。
ベトナムの宗教が大乗仏教なのか小乗仏教なのか分かりませんが、結構多くの方がお詣りに来ておりました。
お寺の中には大きな大仏さん(お釈迦様)だけではなく観音様や薬師如来さんも鎮座しておりまして合計で10体以上の仏様が勢揃いして圧巻であります。
それぞれの仏様にお線香をあげるので結構な時間がかかりました。
別段、熱心に宗教を信仰している訳ではありませんが時にはこういった神聖な場所で心静かにお祈りするのも良いものです。
大仏さんの横の柱に漢字が書いてありまして、アホな頭で判読を試みました。
般若心経の一部だと思うのですが、世の中のもの全てものはもともと空であり、空から生まれ出たものが色、この世に見える全てのもの、生きるもの全てが色。
しかしもともと空から出てきたもの故、いつかは無くなる滅びるものである。
しかし悲観することはない ただもとの空に帰るだけである。
だから、何も心配することはありませんぞぃ と言っているような気がした。
ベトナムではお寺に詣ったり先祖の法事はよく行われている。
普段のお金中心の考え方からは想像出来ないが信仰心は結構あついのであります。
秀さんの同級生で、キャバクラに行ったり色んなビジネスをやって金儲けに忙しいお寺の住職の者がいる。
遊びに行く時はわざわざ隣町まで行く用心深さも持ち合わせている。
このような坊主が良いか悪いかは別にして面白いやつである。
欲に任せて生きるも良し、無欲で生きるも良し。所詮、人間いつかは死ぬのであるから、最後はみな同じでありやす。
今ベトナムでは毎年100万人ずつ人口が増えているようです。
生まれては死んで、死んでは生まれる。
古代からこの繰り返しであります。
秀さんもそう遠くないですわ。
時期が来れば死ぬのでありますが、死に及んでどのような言葉を残そうか、
よろい戸を開けてくれ。光を……、もっと光を……。とゲーテのように格好良い言葉を今の内から考えておくのも一考であります。
さて、何が良いでしょうか?
ばあ様でなく。もっと美女を・・・。もっと美女を・・・。はゲーテのパクリのようだし。
まぁ、その場になったら考えましょう。
突き放した言い方をすれば、人間、死ぬために生きているようなものであります。
本日は秀さんのようなアホでも死について考える時があると言う一大発見のお話でありやした。
こんなアホは早く死んでしまえ!と言わないでくださいね。
ちなみに秀さんのじい様は、朝起こされて 「わしゃ まだ眠い もう少し寝る」が最後の言葉でありやした。
小学校から帰ってじい様の死を知らされた秀さん。
その後に葬式に大勢の親戚やその子供達が集まって、そのにぎやかさに何故か嬉しくなった不届き者でありました。
おじい様、ごめんなさいです。
2008年07月04日
ベトナムの子供はたくましい編
スーパーの入り口のそばで3歳位の女の子と5歳位の男の子が
大きな鳥のモモ肉の唐揚げを小さい口で噛みちぎりながら食べている姿に出くわした。
何とも豪快で見ていて気持ちが良く思わず感激して唸ってしまいやした。日本の同年齢の子供に比べ人間本来の生命力のたくましさを感じるのである。
ベトナムでは2歳3歳でもバイクにへばりつくように乗っている姿をよく見かける。
過保護過ぎる日本の子供とベトナムの子供がサバイバルゲームをしたら日本の子供は全く歯が立たないのではないだろうか。
日本の皆様は驚くでしょうが、メコンデルタ地方の貧乏農家ではいまだに雨水を大きな瓶に溜めて料理や洗濯に使っている。
中にはミネラルウォーターを買えない超貧乏家庭では飲み水としても利用しているそうである。
そんな環境の子供たちは当然のようにたくましさを身につける。金持ちの子供は秀さんが見るに肥満児が多い。
また所構わず騒いで迷惑なことこの上ない。別段金持ちの子供に秀さんは敵意がある訳ではないが
何故か秀さんは好きになれない。
真っ黒い肌にぼろぼろの服を着たきりすずめの貧乏人の子供達を見ていると飽きない。その逆境にめげないたくましさに応援したくなるのである。
ベトナムという国は学歴や金の有る無しの違いで
日本では考えられない程の差別がある国である。
社会主義の抱える様々な問題で富が1部の人達に偏在しているベトナムの現状を国の指導者達が真剣に考え改善する行動をいち早く起こして欲しいといつも思う。
平日なのにかかわらずスーパーは買い物客でごった返しておりインフレの進行なんかどこ吹く風である。
沢山の買い物袋をバイクに積み子供2人に奥さんを乗せ運転する旦那さんの姿はなかなか格好良く見えて国や風景は違へど家族って良いなぁ と思ってしまう。また若いカップルがぴったりと寄り添ってバイクを運転している姿も何となく微笑ましく感じる秀さんでありやす。
嫌なことも多いベトナムでの生活であるが
国民全体ががむしゃらに動いている躍動感は今の日本では見ることが出来ない光景ではないだろうか?
ベトナムを好きになる人はこの熱気に満ちた躍動感に魅了されるのかも知れない。
とにかく若い人が多く唸るようなバイクの大群に恐れおののく人もいるでしょうが秀さんはそのエネルギーの1部を無料で貰っている。
東京も人人人でごった返している大都市ではあるが都内の地下鉄に無表情に座っている疲れた人達の負のエネルギーは秀さんを海外へと脱出せしめるきっかけとなった。
朝の満員電車で地下鉄の定期券をランドセルに引っかけて小学校に通う子供の姿が異常と思わない日本の生活。
豊かさって一体何だろうと・・・
何とも言えない明るい表情で大きな鶏肉を頬張るベトナムの子供を見てふと思った。
2008年05月31日
ベトナムの時間軸編
今、約4年近いホーチミンでの生活を振り返ってみると・・・
何じゃぃ あまり東京と変わらないではないかと感じるようになった。
地方からホーチミンに働きに出てくる若者の数も多く年を追って市の人口が増え街中いたる所で大渋滞に加え排気ガスによる空気の汚染、株式や不動産に群がる人達や金儲け最優先の考え方を知るにつれて当初抱いていた感覚から現在はかなり違ったものになってしまった。
しかし、いたる所でビール片手にワイワイガヤガヤと楽しそうに食事をしたりコーヒー1杯で長時間のおしゃべりに花を咲かせている姿をみると東京で暮らす日本人よりは時間に関するゆとりというか大らかさを感じる。
ベトナムに住んで強く感じることは、この時間軸の定義が日本とは全く異なることである。
効率性という言葉が存在しないのではないかと思われるほど非効率な役所仕事や取引先とのやりとりに赴任当初はイライラしたものでる。
しかしである、果たして効率が良いということは果たして良いことなのかどうか最近では分からなくなってしまった。
長くベトナムに住んで感覚が麻痺したのかも知れないが・・・自分の体内にある時間に対する基準が変化したことだけはたしかである。
一応朝早くから起きて活動はするが遅刻も普通、仕事の区切りも付けずに5時にはさっさと帰宅して自分や家族友人とのコミュニケーションの時間を重視する感覚は
働きすぎの日本人から見れば どうよ と首を傾げたくなるが家族にとっては良いことに違いない。
仕事の区切りとか約束の期限とかといったものは決して最優先事項ではない。
緊急の仕事より家族の法事が優先される国だもの・・・。
仕事上のチームワークと言う日本のお家芸もここベトナムでは理解させるのは難しい。
あえて極論を言うならば あくまで個人主義 家族主義 コネ大切主義の国である。
経済は益々グローバル化してきており外資の参入もこれからもより盛んになると思われるのでベトナムの企業も効率化を図らないと淘汰されてしまうと思うのだが・・・その意気込みが感じられない。
皆さんは驚かれるとお思いでしょうが、昼にお役所に行ってみてください。
昼休み2時間は当たり前のような感覚でまったく機能していませんので。
日本で1日にこなす仕事案件を仮に4件としましょうか
そればベトナムではせいぜい2件、多分1件こなせればOKと言う感覚です。
しかし、中には先進国の仕事に対する考え方をよく理解してうまくバランスを取って仕事をする者もいます。が・・・そういう者はその能力を高く評価して相当な高給で遇しないと直ぐに転職してしまうから厄介である。
秀さんも53歳と世間一般で言えばじじいの仲間入りの年齢になりやした。
ベトナム人を見習って生活の時間軸の目盛をスローダウン側に倒してもいいのではと思ったりするのであるが長い間の習性で中々自分ではうまくコントロール出来ないでいる。
今は生活のリズムの時間軸が日本と違うベトナムではるが、経済発展と共に大きく変わって行くことでしょう。それが良いのか悪いのか分らない。
ガキの頃、近所の悪ガキと外で遊びまわったこと
悪さをすると近所の知らないおやじからどやされたこと
ゲーム機もパソコンも無い生活だったが皆貧しくても明るかった。
近所との付き合いも盛んで
盆踊りに餅つきに神社のお祭りに・・・今から考えると何でもないようなことに何故にあれほどまでに興奮したのかと思う。
そんな時代の懐かしさからベトナムを見ようとしていた自分と
今変わりつつあるベトナムの現状との違いに気づき
ほんの少し寂しさを思えているのかも知れない。
時間よ 止まれ!(これ、知っている人は結構じじぃ ですぞぃ)
と言ってもベトナムはもう前のベトナムとは違うのだと
自分に言い聞かせる必要があるのかも知れない。
2008年05月11日
日本の若者ベトナムへ編
今、ホーチミンに来ているのでもしよければお会いして話を聞きたいのですが・・・と若い日本人の男性からメールが来ました。
聞けば28歳とのこと。いやぁ そんな若い人がこのおっさんのブログを読んでいるとは驚きやした。幸いにも時間があったのでホテルまで行って一緒に食事をして諸々お話をさせて頂きました。不躾で失礼とは思ったのですが。・・・・と恐縮していましたが、何せ秀さんのこの大らかな・・・いや、いい加減な性格ですので、いえいえ一向に構いませんぞぃ と言って親子ほど年の離れた関係でしたが楽しくお話をさせてもらいました。
若い人って良いですねぇ、将来に向かって無限の可能性を秘めているような気がします。それだけ、自分がじじいになったと言うことでしょうが・・・秀さんの場合は若い人と話をしても直ぐに打ち解ける特技?を持っているので無問題。
前は金融機関にお勤めと言うことでしたが退職して個人事業主になったが未だ利益が出るには程遠くこれからボチボチやっていくしかないとのお話。せっかくそこそこの会社に入ったのにもったいないと言うような野暮なことは言いませんきっと近い将来成功しますと言って励ましてやりました。
実業だったらどんどんやりなさい、ただし虚業はダメですと言って別れました。
自分の可能性を信じて独立を目指す若者が今後益々増えることが日本を活性化する一つの方法だと思っておりやす。
安定した平穏な生活を望むのもOK、また自分の可能性を信じて事業を始めるのも良し、事業でなくても自分が信じる道を突き進むのが若者でしょう。
若いってことは何かをやって仮に失敗をしてもいつでも挽回できるものです。
世の中の景気がどうのこうの・・・簡単には事業は成功できない、世の中そんなに甘くない などと否定的な考えは一見説得力があるような気がしますが、そういう考えの人ばかりだと日本はマインドまでじじばばの国になってしまいます。
青年よ大志をいだけ とかのクラーク博士の言葉にあるように若者はどんどん大きく世界に羽ばたいて欲しいものです。
こんなじじいなっても大混雑のホーチミンをバイクに乗りながら仕事に精を出しているのですから若者はそれ以上にパワーを出して欲しいものです。同じようにホーチミンで仕事をしている同年齢の方たちの話を聞くと、やれベトナムは難しい国だとか賄賂賄賂でどうしようもない国だとか、金 金の拝金主義で参ってしまうとか言って日本人の集まりの中だけで愚痴を言って過去の日本のやり方やマインドを幾ら懐かしんでも日本も時代の変化に流されているのである。こういったおっさん臭い考え方に囚われず若い人は果敢にもこの何とも言い難い国を抑え込むくらいの気概でやっていただきたいものだと思います。 と大人ズラして話しているがお前が一番疲れているのではないか?
と言われれば・・・ん〜 そうかも知れんと 少しは頷いてしまいそうな秀さんでありやす。 でも、頑張るべぇ
と自分に気合を入れる中年 53歳 ホーチミンの雨季。
2008年04月20日
最近はなぜか寂寥感編
一人暮らしは長いので今さら一人の生活がさみしいと感じることはないのであるが不思議である。
歳を取ったのだろうか?一人で自宅にいるとぽっかりと穴が開いたように落着きがなくなる。
やはり強がってはいても人恋しいのかもしれん。
こんな時は町の中心地に繰り出して大騒ぎでもすればよいのだろうが若造でもあるまいし、また一人で騒いでも病院行きだと言われるだけなので自重するのである。
そこでどうするかと言うと日本人向けの飲み屋にひとり出かけるのである。
そして、吉幾三の歌ではないがお酒であいた心のすき間を満たすのである。
遠く、ひとりサイゴンの地に居を構え早や3年半の月日が過ぎた
思えば遠くへ来たもんだ
妻が死に両親を看取り ばたばたしている内に50過ぎ
後悔はないかと問われば・・・悔やまれることばかり
義理と人情で損ばかり 金が入れば有頂天、しかし続かず無一文
ははは はぁ↴ ほんまにお前はアホやなぁ と自問自答の人生
それでも悲観せず楽天主義で笑い飛ばしてきた
そんな秀さんが寂寥感ってなことをブログで書いたらいけませんですね。
確かにうら若き乙女が 「私、最近とても寂しいのよぅ」 と言えば、大勢の若者が我先になぐさめてあげようと名乗り出るだろうが・・・
50過ぎのおっさんでは気持ち悪がられて袋叩きに遭うだけである。
話は変わるが・・・
ベトナムでビジネスを開始するのに際し、誰をパートナーに選べば問題なく何事もスムースに事が運ぶだろうか?
要は最良のパートナーは誰か?
と言う問いに貴方ならなんと答えますか?
弁護士 コンサルタント 警察官 政府の役人・・・etcと答えは様々あるでしょうがここベトナムにおいて
最良のパートナーはホーチミンおじさんだと言われております。
そのこころは・・・ベトナムのお金(お札)はすべてホーチミンおじさんの肖像が印刷されています。
そう、ここベトナムにおいての最良のパートナーはお金・・・です。
お金で片付かない問題は無いと言われるほどベトナムではお金が最強のアイテムなのです。
何をするのにもお金、お金と言われる国です。
そんな国に長く住んでいるとやはり精神的な負荷がかかり寂寥感が増すのかもしれません。
確かにお金は大切ですが・・・お金に心奪われない志を持ちたいものです。
確かに美人の女性は貴重ですが・・・美人に心を奪われない志を持ちたいものです。
確かに奥さんの顔色は大切ですが・・・その顔色に左右されない志を持ちたいものです。
あ〜 いつものようにアホな締めくくりとなりました。
確かに秀さんのブログは低俗ですが・・・それでも継続して読む志を持ってもらいたいものです。
2008年03月09日
乾季の中の大雨編
本日午後過ぎに雨が降り出した。しばらくすると止むだろうと高をくくっていたらが5時間以上も降り続く大雨で市内は冠水するところも出た。
しかしベトナム人は合羽をいつも用意しているらしくバタバタしない。大したもんである。雨合羽を準備していない秀さんはびしょ濡れになり水も滴る良い男となってしまいやした。
何故に水が滴れば良い男なのか調べてみたがどうやらはっきりとした語源は無いとのことで解らないまま。
今年の南部でいう乾季のシーズンは北のハノイは例年にない湿度を含んだ寒さで大変だと聞いた。
ダナンに代表される中部地方も雨や曇りの日が多くここもあまり良いシーズンではないらしい。
総合判断するとはやはりベトナム南部地方の方が日本人が住むのには良い地域ではないかと秀さんは思う。
まぁ、暑がりの人は大変でしょうが・・・。
後2ヶ月もすれば南部ベトナムは雨季へと気候が変わります。
雨季といっても1日中雨が降ることはなく数時間で上がるし雨上がりは清々しい。
そういえば日本も春到来ですね。桜の開花がそろそろ話題に出始める頃でしょうか?
今月末か来月にかけて日本に帰ろうと考えておりやす。
約1年ぶりの帰国であります。
地下鉄に 自動販売機に 動く歩道に・・・初めて日本に来たベトナム人と同じように、日本に着いたら おお〜 凄いっわ〜! っと驚きの声を上げて人前で感激してみようかといつものアホな秀さんの考えがもたげてくるのであります。
今年はどうしても桜の花を見たいですね。
仕事関係も当然ありますが、千葉に住む愚息との再会、おかあちゃん&両親等の墓参りに佐賀で暮らす義母のご機嫌伺いに同級生や友人知人達との飲み会、温泉にも行きたいし美味い刺身も腹一杯食べたいし雄大な阿蘇山にも久しぶりに登ってみたいetc・・・
考え出したら時間&金が幾らあって足りない。まぁ、どちらも無いのが切実な問題でありやすが・・・。
今ベトナム人の金持ち達は結構日本に観光や買い物に行くらしい。
なのでチケットも日本への直行便は以前比べてかなり込んでいると聞いた。また値段も大幅アップしたので・・・やれやれでありやす。
秋葉原で高額な買い物をする中国人の姿は以前TVで見たことがありますが、ベトナム人の金持ち達も負けず劣らず日本人が想像する以上の大金を持っており使う金額も半端ではなのに驚く。
よれ〜としたシャツに裸足にサンダル履きのおっさんが数億いや数十億円持っているなんてことがざらにあるベトナムですので今では秀さんも見た目だけで判断しないようにしている。
しかし言葉は悪いが今のベトナム人の金持ち連中は全員成り上がり者である。
タイ王国のように面々と続くロイヤルファミリーがあるわけではなく、所詮前のベトナム戦争後に軍隊上がりの者たちおよびその家族縁戚の者達が略奪や利権争奪を繰り返して築いた金である。
お金に優劣はないのであるが今ひとつベトナムの金持ち連中を尊敬できない秀さんの深層心理でありやす。
中にはドイモイ政策を期に自己の才覚と努力で大きな富を築いた者もいるでしょうが・・思うにやはり人民委員らを頂点とした役人利権絡みで金持ちになった者の方が格段に多いのでないかと秀さんは邪推する。
いわれの無い金は受け取れん!と時代劇のヒーローのような人間はここベトナムでは目を皿にしても 皿が目になっても探すのは難しいのである。
そういう秀さんも、いわれはなくても受け取って下さいと言われれば素直に・・ごっつあんですと受け取りそう。なんじゃぃ!
昔、新宿でいわれもないのにバラの花を受け取ったら後から有料&変な宗教の誘い執拗に受け、えりゃ〜迷惑こいたことがある。
そう、お金のひとつひとつに過去の履歴遍歴を記憶することが出来たら面白いでしょうね。
この1万円束はまずは鉄工所のおやじさんから2号さんのお手当てとして移り
その2号さんの隠れ彼氏の遊び代へと変遷
その彼氏がパチンコ屋で使い
パチンコ屋からそこの従業員への給料へ
その従業員が焼肉を食べた代金として支払い焼肉屋のおやじへ
そのおやじが焼肉を焼くプレートの仕入れ代金として納入業者に支い
その納入業者はメーカへ支払い
メーカーは下請けの鉄工所へ部品調達代として支払って元の鉄工所のおやじの財布の中へ
無事元の鞘に納まり割と短い循環サイクル終了。
考えるに一度自分の財布から出て行ったお金(1万札でも何でもいいが)がいつの日か元に戻ってくる確立はどの位あるのだか
・・・といつもの取り留めのないアホな空想が浮かんでしまう秀さんでありやす。
いい年こいてこんなことを考えたり想像したりする秀さんは・・・やっぱヒト科アホ目の部類に入るのでしょうね。
でも、賢者の皆さんはこんなこと考えませんかぁ?
2008年03月03日
ミトーの眼科女医編
市販の目薬を何度さしても効果がないばかりか充血と痛みがひどくなりとうとうミトーの眼科医までフォンに連れて行ってもらった。
医者の名前はバクッシー(博士:ベトナムでは医者の意)ツゥー女医。日曜日に関わらず医院の前は診察を待つ人でごった返しておりその数ざっと100名か?・・・こりゃぁどうしようもなかばぃ と思っていたらフォンが人垣を掻き分け中へ入ること1分。
手招きされ中に入ると100名の待ち患者を飛び越えて診察するとのこと。
フォンがこの日本人はミトー市にとって非常に大切な人なので早く診察をしてくれとウソを言ったかどうか不明だが・・・。
朝早くから整理券をもらう為に並んだ患者さんやその家族に対して幾ら外国人とは言え100人も跳び超えての診察には申し訳なさで胸が一杯になった。
どうも済みませんでしたミトーの目の悪い患者さんたちよ。
ツゥー女医は50歳位くらいだろうかメガネをかけた小柄で優しそうな先生であった。
診察は仰向けになって両目をライトで照らして診察。専門英語で説明するが医学用語は分らない秀さんなので意味がない。
診察を終え目薬2種類 錠剤4種類3日分をもらう。
バーチヤムと聞こえたので30万ドンと思いきや診察料薬代込みでバーチョム3万ドン(220円)だったので驚いた。
外国人価格ではなくベトナム人価格。
そのベトナム人価格にしても安い・・・。計算間違い?かと思ったら、フォンいわくこの先生はミトーで誰でも知っている有名な眼科の先生でお金儲けよりも人助けをするのが第一目的の優しい人で高額な診察費は決して取らない立派な人だと話を聞いた。
良くみると医院も古く小さくいかにもお金もって無さそうな構えである。
もらった薬を後でネットで調べてみるとどうも結膜炎を起こしているみたいである。
完治に1週間程度かかると書かれていた。
しかし今回のミトー行きでお寺の尼さんに眼科の女医さん。
2人ともベトナムでは何よりも大切なお金に執着無しに生きている女性2人。
日頃のベトナム人感を払拭してしまうほどの感動を覚えた秀さんでありやす。
自分の生き方 立ち方 心の構え方に志がある人が好きである。
多くの人がお金を心の拠り所にしている国 ベトナムにおいてそれ以外の立派な意思を持ち活動されている人を身近に感じることができたことは今回のミトー行きの最大の収穫でありやした。
やっぱ田舎は良いわぃ 大都会ホーチミンでは感じられないぬくもりを想い出にミトーを後にした。
帰り道、お〜そうじゃぁ 途中からいつもと違う帰り道(7区経由)で帰ろうと思ったのはよいが、フーミーフンを過ぎた辺りから道に迷ってしまい何とホーチミン市の南端の海側の町ニャーベー(NHA BE)の方向に走っていると気が付いてUターン。
標識を頼りに1時間遅れでホーチミン市中央まで戻って来ました。
知らない道は地図片手に出かねないといけませんわ・・・反省しきり。
ホーチミン市内は日曜日でも相変わらずの喧騒渋滞である。
エネルギーのルツボ(坩堝)の中にいるとひしひしと感じる。
ある在越の方のブログに書いてあった言葉・・・・
「上品に気取っては生きられない、感情と欲望を剥き出しにしてハイテンションで身構えねばどうにもならない」
言われるとおりこの町で暮らす日本人にとってはそんな町ホーチミンいやベトナムであることに間違いはない。
最後の一言。
タフでなければ生きてはいけないこの町で
半端な優しさを持ち込むと現実の厳しさに全身に激震が走る
傷を癒す薬もねぐらもない人は心傷つき望郷の念がもたげてくる
たった1日ではあるが色々と考えさせられた1日でありやした。
2008年02月24日
20年来の友人来越編
前に会ったのはいつか忘れてしまうほど前のことである。
ホーチミンの滞在はわずか数日でその後はムイネーでカイトサーフィンを1週間ほどやるとのこと。
彼は若い時から自分で会社を設立して大きくし現在は趣味半分仕事半分の悠々自適な社長業。
世界中の風のあるビーチ巡りをしているとのこと。
年収は彼の会社の役員が5千万円と言っていたので本人は多分1億円程はあるではないか思う。
年商ではなく年収なのである。
長い間生きてくると様々な友人が出来るのは当然のことである。
彼のように成功して人生をエンジョイしているかと思えば医学部を出て開業したが上手く行かず大借金で夜逃げした友人もいる。
そういう秀さんもあまり自慢出来た人生とは言えないがこうしてベトナムで何とか日々生活を慎ましくやっている。
無論、大金は持っていないが今の状況にそれなりに満足している。
若い時は金 金と今のベトナム人のように日々思っていた時期があった。
そうなる為には何をするか必死に考え、それを実行に移し、努力と運と能力があれば成功し 不幸にも無い者は成功しない。
まぁ当たり前のことである。
今の多くのベトナム人のようにお金儲けに対するもの凄い執着心の半分くらいの金儲け気力が秀さんにあれば良いのだが・・・こんなブログを書いているくらいだから所詮無理な話である。
人の一生を誰が決めるのかは分からないが運の良い人悪い人 幸せな人に不幸な人 それぞれ人間模様がある。
顔にシワが出来腹に脂肪がついてきて人生の折り返し地点を過ぎてくると何故か少しは物事を客観的に眺めることができるから面白い。
しかしどんな人でも必ず死んでしまうという事実は動かない。
いつも いつも感じることだが、人は何の為に生まれ 喜怒哀楽の中で生活し そして必ず死んで行くのである。
昔から人間いや動物もそうであるが・・・その繰り返しである。
そのことに対して無常感や疑問を強く抱く人達が哲学や宗教の世界に入って行くのでしょうか?
金も力も無い秀さんではありますが、せめて死んでいく時には自分が関わった全てのものごとのケジメだけはキチンと片付けてあの世に行きたいと思っております。
それをしないとあの世に入り口でパスポートを出した時に入国拒否をされそうな気がするのである。
え〜何ですぅ お前の行くところは地獄の方だから・・・関係ないと言われますか?
ん〜その可能性は無いと信じておりやすが・・・
万が一 そうなったら天国のおかあちゃん
クモの糸ではなく何人も乗れる高速エレベーターでも降ろしてよ
頼むぜぃ!
2008年02月19日
夕暮れのホーチミン編
ベトナム南部は1年で今が一番良い季節である。ネオンが灯るか灯らないかの微妙な時間帯の街並みが好きである。
忙しい都会の中におとずれる昼と夜の切り替わりの踊り場みたいな時間に町をバイクで走ると風が肌に心地よい。
思えば最初にホーチミンの地に降りたつて7年が過ぎた。
とにかくバイクと人の多さに驚きこの町が持つ独特の熱気というかパワーの洗礼を受け、やる気を出したのか それとも恐れおののいたのかはもう忘れてしまった。
タイのバンコクとは一味違う雰囲気を持った国であると感じたことだけは覚えている。仕事や観光旅行で様々な国へ行ったがここまで長くベトナムという国に関わるとは思いもよらなかった。
色々問題のあるベトナム&ベトナム人に困らされたり時には怒りを覚えることも再々あったが、逆に素晴らしい人達との出会いもあった。
だから今こうして長い間住んでいることが出来るのでしょう。
人の縁というものは国は違えど同じで面白いものである。
当初ベトナムはただ単に仕事で訪れる国という認識しかなく仕事以外だったら決して訪れたいと思う国ではなかった。
何故にここまで入れ込んでしまったか不思議である。
遊ぶところも少なく共産主義体制特有の様々な制約もありバンコクのように何でも自由気ままに出来るという国ではないのであるが何故かはまってしまいやした。
好きな人(恋人)がベトナムに出来てはまり込んでしまったという人の話はよく聞くが、秀さんにとってはそんなこともない。
死んだおかあちゃんに義理立てしている訳でもないが何故か10年以上も経つのに飛び上がるほどのベトナム美人を見てもあ〜 凄い美人だなぁ と思うだけで別段再婚を考えるほどでもない。
ベトナムと言う国は中年以上の年齢の方には昔の日本にタイムスリップしたようなデジャヴ感があるのでしょうね。
特に子供の多さや国が毎年成長発展しているという何か将来に皆が期待してしまう雰囲気が以前の日本にあったように。
秀さん中学生の時は1学年10クラスもありやした。それも1クラス50人前後と多い。
当時そりゃお金持ちも貧乏人もいるにはいたが今の時代ほどその差を歴然と感じるほどでもなく、まぁどの家も今のレベルから考えると皆さ〜ん 間違いなく貧乏でありやした。
カラーテレビやエアコン、大型冷蔵庫、ステレオからマイカーに至るまで耐久諸費財を買う時の興奮というか喜びが今のベトナム人と同じで記憶がオーバータップします。
今の日本含め欧米先進国の人達は高度に情報化され豊かになった自国よりはまだ発展途上ではあるが未知なものがあると思わせる東南アジアの国々にロマンを感じるのでしょうか・・・
ホーチミンのファングーラウやデダム、ブイビエンといったバックパッカーが集まったり住み込んだりしている地域(それでも1区の中心地に近い場所にあるのです)を歩いてみれば様々な国の人達がベトナム人に混じってのんびりとまったりと生活している姿を見ることが出来ます。良いのか悪いのかは別にして自分の時間を持て余しているようにも見えますが何気に楽しそうです。
安い所は1泊7ドルから10ドルほどで泊まれるので食事も贅沢をしなければ4万円〜5万円で1ヶ月間はホーチミンで生活することは出来ます。
テトにカンボジアに行ったときのバスで隣併せになったカナダ人のおっさん(40歳くらい)が今から6ヶ月程仕事を休んでベトナムの各地を見て回るというのを聞いた。
荷物には折りたたみ式の自転車もありましたのでかなり本気モードでベトナム各地を回るとお見受けいたしやした。
これから、今まで忙しく追われるように働いてきた日本の中年のおっさんやおばさんたちが物価の高い日本から脱出して失った時間を取る戻す旅にベトナムに出てくるのも増えるかの知れないと漠然と考えてしまいました。
言葉の問題やら安全の問題が気になるでしょうがそこは同じ日本人の中年秀さん、そういう人達をお助けする仕事でも将来できたら面白いかなと思ったりしておりやす。
明日は朝一番顧客先訪問です。しかし本当にウソのように毎日天気。
雨が降りませんので快適です。
寒さ本番の日本の賢者の皆様
お体大切に日々お過ごし下さいませ。
2008年02月11日
書き出しはいつも悩む編
今日はこの話を書きましょうと決まっている時はそうでもないのであるが、何も浮かばない時は何の話題を書こうかとアホな秀さんゆえ結構悩むのである。
悩むくらいなら書くのを辞めたら? と言われそう
そうだね そういえば何の為に無理してブログ書いているのかいな?と自問自答することがある。
まぁ、日記をつける代わりかも知れないですね。
そういえば昔よく日記帳ってありましたね。
死んだ親父さんは良くこまめに日記を付けており、後で遺品を整理した時に日記の1部を読んだことがあるが、子供の大学進学が重なり今年は家計的に厳しいので自分の小遣いも減額の必要あり なんて書いてある日記を読むと あ〜 小遣いまで減らさせご迷惑をかけ誠に申し訳ございませんでしたと頭が下がる思いでありやした。
その点、おふくろさんは全くそういうものは残していないですね、そもそも遊んでばかりの人でしたので文章を書くなんてことは性に合わなかったのでしょうよ。
その代わりお花にお茶に琴、三味線、琵琶(筑前琵琶)、日本人形作り、機織り、和裁に洋裁と趣味多彩でどれもプロレベルでありやした。
ここまで書いて未だ本日のブログの主題が浮かびません。
ん〜、今までちゃんとした主題なんてありましたか?と言われると黙るしかないのですが・・・。
仕方無しにふと机の上を見ていたらカンボジアで買った置物が目に入った。
普段秀さんは全くと言っていいほど旅行に行ってもお土産は買わない主義ですが、何故だかプノンペンの博物館を見学していたらヒンズー教(インド神話)に出てくる神鳥ガルーダがとても気に入ってしまいました。
お土産に買おうと売り場のショーケースを見るが売っていない。
仕方ないのでロシアンマーケットまで行き探すが余り人気がないのかこれ一つだけですと言われ買って来たのが下記の写真です。
価格は10ドル、普段は20ドルで売っているが、・・・
あなたがとても素敵なので10ドルにしますと歯の浮くような英語でお世辞を言われ買ってきた代物です。
秀さんこの世に生まれてかれこれ五十数年、いまだかってこのようにあからさまに赤面するような口上でお土産を買わされたことは有りもうさん。
値切る前に張ったりをぶちかまされ立ち合い負けで一気に土俵際まで寄り切られた感じであります。
このガルーダは太陽の神ヴィシュヌ神の乗り物で空を飛ぶ神鳥であります。
インドネシアの航空会社でガルーダインドネシア航空と言う会社がありますが多分語源はここから来ていると思われる。
買った時はてっきり木(木材)で出来ているものだと思ったが家に帰って良く見ると型から作られたプラスティックの量産品でありました。
売り子のおばちゃんの甘い言葉にいい気になってしまった秀さんの失敗でありやす。
あなたがとても素敵なら無料にせんかい!と後から文句をたれる秀さんでありやすが
あなたの顔が気に食わないので2倍ですと言われるよりマシかと考え直すことにいたしやした。
この気持ちの切り替えの早さで何とか今まで辛いことやどん底の生活を乗り切って来れたのでありやす。
もう少しすれば日本は待望の春の季節になりますね。
秀さんも春先には墓参りを兼ねて田舎の福岡に帰ろうと思っております。
長い冬をじっと耐え、待ちわびて 待ちわびて 春に喜びの花を咲かせる桜のように・・・
秀さんをず〜と陰ながら思い続け 春になったら思い切ってこの熱い思いを打ち明けようと考えている そこのベトナムのお嬢さん達よ
秀さんは春には日本に一旦帰りますので
思いを打ち明けるのは今しかないですぞ! 早くしなはれ!
と妄想を膨らませて本日はまとまりの無いまま終わり
もう 寝ます!
2008年02月02日
正月のイルミネーション編
秀さんの事務所周辺の道路はどこも色とりどりの電飾サインや花々で溢れかえっている。
それ程豊かではない国ベトナムですがこういったイベントのデコレーションには金に糸目を付けないような感じです。
きっとお祭り好きな国民性なのでしょうよ。
まぁ、戦争するよりは楽しくお祭りをしていた方が良いに違いありません。
問題なのが周辺の大渋滞であります。
事務所の前のグェンフェ通りはメイン会場のようでロータリーを封鎖してデコレーションをしている関係で反対側に渡るのに相当先まで行ってUターンしなければならず不便この上ない。
ホーチミン市以外からも大勢のおのぼりさんが繰り出して来るので車やバイクや人垣で大混雑であります。
道路には子供相手の風船売りやオモチャ売りまで出てくる始末でまるでお祭りのようでありやす。
秀さんも焼きそばかたこ焼きでも売ろうかしらん と考えたが原価が高くなり過ぎて採算割れ確実なので無理だと断念。
今思えば秀さんがガキの頃、故郷の製鉄の町北九州市八幡東区、今は新日鉄と名前が変わりましたが当時は八幡製鉄。
明治時代に国営の製鉄所として日本で初めて設立された歴史がありやす。
近くに豊富な埋蔵量を誇った筑豊炭鉱もあり積み出しの為の外海(洞海湾から玄界灘)も有ることから候補地として選ばれたのだと思うが、そんなことはどうでもいい話で、
何が言いたいかというとその八幡製鉄所の創業記念日が八幡では何故か祝日で学校はお休み。
11月18日だったと記憶するが前後3日ほど起業祭という市を上げてのお祭りがあったのでありやす。
その時は製鉄所内を開放して工場内を見学させたり夜には沢山の夜店や屋台、お化け屋敷、蛇女&ろくろ首女ショーに小人ショーなど等今では人権問題に発展しかねないような訳の判らないゲテモノ小屋が多数出店しておりました。
ゲーム機もなけりゃビデオもない時代の話ですのでガキにとってみればそりゃ嬉しさ楽しさ満載のお祭りでありやした。
親にねだって鉄?で出来たような本物風の刀のオモチャを秀さんと弟が買ってもらったのは良いが、翌日2人でチャンバラごっこをしたら直ぐに壊れたという超B級品。
今のベトナム製品と同じレベルのクオリティでしょうか。
東京の様に一年中お祭りみたいな大都会は別にして青森県のねぶた祭りのような北国の祭りは、長くつらい厳しい冬を耐え普段は地味な日々の生活を過ごすが年に1度くらいは夏に家族全員が集まり、皆でお祭りを盛大にやって楽しみ郷土のきずなを深めましょうということだと思いますね。
ベトナムのテトもそのような感じだと思います。どんなに成功して立派になろうと大金持ちになろうとテトには両親へもとに帰り家族と時間を共有することがベトナム人にとってはいかに大切か外国人である秀さんでも理解できます。
日本も昔は同じでごわした。
国や企業が発展するにつれて家族の結び付きより企業(会社)との結び付きの方が重要になってしまった日本人。
村社会から企業社会へのシフト・・・これが良いのかどうかは分かりませんが定年退職した団塊の世代のおっさん連中が中々地域社会に溶け込めないもの当然のことであります。
そりゃ企業という機能集団の中だけで長年生きて来たおっさんがその職や地位や肩書きを外された時に初めて己が地域社会の中での居場所が無いことを実感するのでしょう。
いつでも帰れる村というか、古巣=帰る場所のない人が多い日本。
貧乏だけど必ず帰る場所帰る田舎のあるベトナム人 あなたはどちらが幸せだと思いますか?
そういう秀さん・・・帰る故郷や家はあるが両親の居ない故郷・・・両親が亡くなって兄弟姉妹とも会う機会がめっきり減りました。
親があっての家族のきずな、親が扇子のカナメの役目をしていたのでしょうね。
親って子供が出世しようがしまいが、アホな子であろうが賢い子であろうが そんなことに関係なく常に愛情を注いでくれるありがたいものだと今になってつくづく思う。
ベトナムでは子供を売り飛ばす親もいますが、日本だって昔昔凶作の年の貧乏農家では同じことがありました。
一人が涙呑んで犠牲になることで家族を救うといった考え方が正しいのか間違いなのか秀さんには分かりませんが早くベトナムもそのようなことがない国になって欲しいと願っております。
テトの期間中、さて何処に行こうか思案橋ブルースの秀さんでありやす。
ブログの更新が途絶えたらアホなブログを掲載した罪でベトナムの刑務所に入所中か
一人身の寂しさに絶望したあまり各地を彷徨った挙句にカンボジアの地雷を踏んで吹っ飛んだか
はたまた、突然借家の家の壁から金銀財宝に小判がザクザク出て来て絶世の美女と夢のような旅行中か
賢者の皆様のご想像にお任せいたしたしやす。
では皆様 Hava a good day!
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