2010年04月18日

日本人のメンタリティそのA編

ある思想家の文章(生きることと考えること (講談社現代新書) 森有正)を読んでアホな秀さん少し考えた。

下記に恋愛についての切り抜き文を掲載しますが・・・
日本的と言うか、アジア?的と言うか、宗教の違いから来るものなのかよく分からないが日本人の根底ある共認意識が日本人をして純粋なる個の恋愛は難しいと述べている。 

以下転載・・・・・ 

恋愛について

 日本人の経験というものは、分析が本当の個人意識まで絶対に下がっていかないのです。
最後のところに「親子」の関係とか、「夫婦」の関係とか,「家族」の関係とか、[友人」の付き合いとか、義理とか、そういうようなものが網の目のようにその中に張りめぐらされてある。

 だから少なくとも二人の人間で一つの個性というと具合がわるいが、一つの単位を構成しているというところが出てくる。
その場合に、自分の個を貫くために、その結びつきを破るかというと,日本人は破らない。

それが日本人の根本的な長所であり、また欠点だと思うのです。

 
 個人意識が大事だということは、最後のところになると親子、夫婦、師弟というふうな結びつきが破れて、それが個々に分離していくところにある。
ヨーロッパのばあいは、あるばあいには、ほんとうに親も離れ、先生も離れ、国も離れ、社会も離れ、なにもかも離れて、自分一人になってしまうという経験が、事実そこまで行ってしまうのです
夫婦でも日本みたいに融合しない。

親子でももちろん融合しないし、師弟も融合しない。
親は自分の責任を尽くして生きてきたのだから、あとから来た子供は,その子供自身の生活なのだから、その生活を自分で営んで、またその次に出てくる子供から離れて一人で死んでいくわけです。

そうであるからこそ、ヨーロッパには本当の恋愛が可能なのです。


 日本人には本当の恋愛が非常に少ないということです。

すぐに親がでてくる。すぐに先生がでてくる。
ことに、すぐ友人がでてくる。
そのために本当の恋愛は日本では成立しない。
恋愛は男の個と女の個との関係です。

ですから、孤独ということがなかったら恋愛なぞ絶対にありえないのです。
孤独において成立したもの以外は、多かれ少なかれ、みんな仲人口です。
究極において個を貫けないという要素によるものです。
 


以上転載終わり・・・・・・ 


この中で特に考えさせられたのは「自分の個を貫くために、その結びつきを破るかというと、日本人は破らない。」と言う箇所ですわ。

作者自身もそれが日本人の長所であり短所であると述べています。

しかし、日本人に本当の恋愛が存在しないとまで言い切って良いのでしょうか?

恋愛は確かに個人と個人の結び付きではありますが、その家族との関係も当然無視する訳にはいきませんな。
また親戚やら何やら色々出てくるのが日本人ですわ。

若い人は そうじゃ じじばばや古い人間が若者の行動についてあれこれ言うのはかなわんわぃ と思うでしょうな。

古来より年寄り達は 村(共同体)の秩序を乱さないように和を持って貴しとす と言うような共同体防衛意識みたいなものが働くのでしょうな。

結婚式なんてものを盛大にやるのも、これだけ大勢に人の前で結婚したのだから・・・簡単には離婚できませんよ と言う重しみたいなものですわ。
それでもって家族、地域といった共同体の秩序を保っていたのかも知れません。

話は変わりますが、欧米人は ハ〜ィ! 秀さん 何て平気で名前を呼びますわな。
日本人は〇〇さんと姓を呼ぶのが普通ですね。

ここにも個人と言うよりも家(集団)を表す姓の方が重要というか日本人の根底にある考え方が表れているような気がします。

ベトナムでも姓よりは名前で呼ぶ方が多いですわ。
まぁ、グエンさんとか同じ様な姓ばかりで混乱するのでそれを避けているのかも知れないですね。

根本ベースに日本もベトナム、韓国も儒教的な精神が現代の今でも少しは残っているのが原因かもしれません。

欧米人は自分の考えを個人として強く持っている人が多いですな。
日本人は群れると言うかあまり人前で自己主張を強く打ち出す人は稀です。

まぁ、秀さんのような爺いの年代だけの傾向で今の若い人は少し違うのかもしれませんが・・・ね。

医学についても言えることですが、欧米は大半が疾患個々について深く掘り下げ研究しその対象に対しての対症療法が主で化学物質から作られた強い薬や時には患部そのものを摘出なんてことをやります。
このことが身体全体にどのような影響を及ぼすのかあまり考えずにいかに早く症状を抑えるか悪い部分を摘出するかという方法論をとります。まぁ、これは今の日本の医学もそうですが。

これにひきかえ古臭いと言われる東洋医学ですが即効性のある薬や患部の切除なんてことはあまりやらず身体全体のバランス、経脈、ツボ、気の流れなんてもの、肉体及び精神(気)のバランスを重要視しますな。

病気とはそのまんま、気が病になると書きます。

昔愚息が腰のヘルニアで手術&激しい運動が今後一切不可と大きな病院で言われた時に、ある人の勧めで東京青山にある整体師&気功師の所に半信半疑で行ったのですが3回の治療で完治した事実があります。
手術して切らなくて良かったなぁ と愚息と言い合ったものですわ。

おっと、話が脱線気味ですな・・・ 


宇宙は無限、しかし逆に小さく更に小さく掘り下げて行ってもキリがなく無限に最小単位が続きます。
大きいのも小さいのも同じ無限。
そう考えると無限と無限がトータルで繋がって一つのものを形成しているのではないかと考える思想が出てきても不思議ではないですな。個々は全体の一部、個々だけで存在し得るものは何もない。

植物(緑色植物)には光と二酸化炭素が光合成をするために不可欠であります。
当然植物の成長を支える為に水やその他の栄養分も必要です。

全て自然のサイクルの中で相互に循環し合って個の生き物が成り立つのであります。

欧米のキリスト教徒の世界では、それはあくまで個人と神とのやり取りです。
神もキリスト意外はダメで一神教ですな。

それにひきかえ日本なんて神様だけでよろず八百の神、それに加え各種仏様まで入れると一体幾つあるのか数え切れない程でありますな。

要は、これも神、あれも神、山も川も海も神、何でも神様が存在していると考える。

自然=神 の考えであります。
自然とはそのものが在ると言う意味ですのでこの世に生を受けたもの全てという意味になります。
無論、人間も自然の一部でありますな。

そんな土壌の中では人間だけが個として独立したものなんて考えることは そりゃぁ間違いじゃやないのか? と考えても間違いではないのでは?

個体としての人間ではなく、思考や精神を持った人間として考えれば別ですが、欧米人のように俺は一人だ! なんてさみしい考え方をせずに皆で仲良く助けあって行こうよ と言う考え方の方が自然の摂理にあっているような気がしている秀さんであります。


 秀さんが万が一困ったら・・・・
賢者の皆さん助けてね!
 何じゃぃ そりゃ ですな・・・スマソ。


 本日は柄にもなくアホが難しい話をしてしまいましたわ。

また次回は・・・お約束の・・・メタボ爺いのダジャレブログに戻ります。ハイ。


 では皆さま ヨロシクです。

posted by 秀さん at 00:05| ハノイ ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | ベトナム生き方編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして・・さくらです。
3月末よりホーチミンで1人暮らしをしています。以前にも住んだ事があります・・「残生はここにしたら?」なんて息子の勧めでやってきました。未だおろおろ状態です・・(*^_^*)今日のお話し良かったです。
Posted by watanabe keiko at 2010年04月18日 11:34
ふゥ――いつも隣接世界にいてときどきイチャイチャすることが恋愛と思い込んでいたわたしにはすごく高尚で難しいお話でしたわー。
きのう、ハノイで二つの歯医者に行ったのですが、両方とも料金はいらないというのです。最初は、今度X線を撮るときにという理解可能な理由でしたが、つぎはの所は、付け薬も出してくれたのに検査だけでは料金は取れないと・・・日本では考えられないですよね
Posted by ひとみ at 2010年04月18日 18:10
さくらさん 初めましてどうぞヨロシクです

そうですか、息子さんのお勧めでホーチミンへ住まれるようになったのですか。
温暖な気候の中でゆっくりされるのも良いですね。
楽しいベトナムライフを送られますようお祈りいたします。

コメント有難うございます。
Posted by 秀 at 2010年04月19日 00:13
ひとみさん どうもです

恋愛について云々と自説を披露出来る程の人間ではございません!

が・・・

惚れたから一緒になった!
ただそれだけでしたわ。
シンプル is ベスト の典型、秀さんです。

コメントサンクスです。
Posted by 秀 at 2010年04月19日 00:17
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
にほんブログ村 海外生活ブログ ベトナム情報へ
にほんブログ村
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。