喫煙を注意する運動支援機構メンバー(最近は少し大人しいので表現を変えましたぞぃ)である事務員さんが秀さんに古い靴はないか? とお聞きなさる。
なんで? と聞いたところ、近所の人の娘さんがこのたび結婚することになったがその父親さんの履く靴がない・・・と。
その親父さん、事務員さんに貸し靴の店を知らないか? と聞いたそうで、おとうさん、幾ら貧乏な国ベトナムでも貸し靴のお店はないでしょう ははは と答えたそうな。
で・・・私が会社の社長に言って古い靴をもらってきて上げるから心配しないでヨロシ と言ったそうな。
今どき、革靴ひとつ買えない人もいるのかぁ と驚いた秀さんでごわす。
まぁ、路上に誰が履いたとも分らない中古の靴を並べて売っていることからそんな古い靴でもお金の無い人には重宝されてある程度の需要はあるのでしょうねぇ。
昔、秀さんが事故で道路に寝っ転がっていた時に盗られた靴もどこかの路上で貧乏なベトナム人に買われ結婚式で履かれたのかも知れないですな。
靴もアホなご主人を持つと流転の人生、いや、靴生を歩まねばいけないようで・・・
これを 靴痛 いや 苦痛の人生とは言いませんな。スミマセン、詰まらんダジャレをかましまして・・・。へぇ〜。
話を戻しまして・・・・ さて、何でも安請け合いする事務員さん、秀さんに向かって いらない靴を出しなさい! とは言いませんでしたが・・・
社長お願〜い、古い靴をひとつ頂〜戴ね!とおっしゃりましたわ。
まぁ、事情が事情だけに最近あまり履かなくなった靴をひとつ差しあげましたよ。
こういう場合は良いのですが・・・
顔面に銃口を向けられ おぃ! お前の靴を脱げ! なんて言われて取られる場合
世間一般ではこれ 靴辱 と言います。いえ、言いません。
本日二つ目の臭い奴ですので賢者の皆様はもうすでに十分な免疫が出来ており問題ないとして、初めて秀さんのブログを読まれる方には・・・
今後もこの程度の臭いダジャレがビシビシ出てきますのでお覚悟めされぃ!
まぁ、秀さんの会社の事務員さんはお二人とも情け深いと言うか、人情味に厚い人達でございますわ。
その一部でも秀さんに向けてくれれば良いものを・・・と思わないこともないですが、一応立場上会社の社長ということでありますからその対象にはなっておりませんて!
実態はメチャ貧乏な会社の社長でありまして50面下げて渋滞のホーチミン市を短い足でバイクにまたがり右へ左へと走っているのですが・・・ね。
さて、その靴ですが、先般秀さんに会いにホーチミンにいらした秀さんの人生の師匠でありますIさん一行をクチトンネルに案内する途中事務員さんの家に寄りましてその親父さんに届けたましたわ。
その家は親父さんが前の戦争で兵士として参加したと言うことで政府より無償で下げ渡された家で、まことにまことに小さな家のその入り口の壁にその旨を書いたプレートが張ってありましたぞぃ。
その家の娘の結婚式と聞いたIさん、ご祝儀ですと言って10万ドンをお茶代の代わりに差し上げていましたわ。
金額ではなく、そのお気持ちの優しさに頭が下がる秀さんでした。
情けは人の為にあらず と言う諺がありますが
最近の若い人はこの意味を本来の意味とは違って捉えている方も多いですね。
これも、世の中は世知辛くなった所為でしょうかねぇ・・・?
永井俊哉と言う方の論文(後で転載しますね)を読んだのですが
文化庁が2001年1月に行った「国語に関する世論調査」に、「情けは人のためならず」という諺の意味を問う二者択一の設問があったそうで
(ア)人に情けをかけておくと,巡り巡って結局は自分のためになる
(イ)人に情けをかけて助けてやることは,結局はその人のためにならない
どちらが正しいか。
正解はアである。正解率は47.2%。
60歳以上の回答者の正解率は65.2%で、年齢が下がるにつれて正解率は下がる傾向にある。
こういう結果が出ると、とかく年配の国語学者たちは「近頃の若者は…」と眉をひそめるものだが、言語一般がそうであるように、諺も時代や文化によって意味が変わることがある。
・・・・とありました。
秀さんが思うに情け深い人の大半は・・・
後で巡り巡って結局は自分の為になる と思ってやっているのではないと思いますねぇ。
どしてもそうしなければ自分の気持ちが治まらない というその人の持って生まれた情け心、または優しさから自然に発露するもので お〜し、後で言いことがあるだろう なんて考えてやる人はいないのではないでしょうか?
人間誰しも、自分が一番可愛いのでありますが
その気持100%の人、99%の人、98%の人、97%の人・・・以下・・・
その自分が一番可愛いと思う気持ちのマイナス部分がゼロの人、また1%の人、またある人は10%、更に50%の人、それ以上の人 と様々でしょう。
そのマイナス部分の大きさがその方の慈悲の心と言うか、愛の大きさと言い換えることが出来るかも知れないですね。
アホな秀さんが思うに・・・
困った人や弱者に見返りを求めない援助をする慈悲深い人は死ぬ時に
仏様か神様か分りませんが、その人のこの世での行いを採点する時に特別褒賞点と言うことで採点表に良い点数を付けてもらえ、高得点者だけが住むことの出来る 「天国」 と言う村にご招待されるのではないかな? とアホなことを思ってしまいます。
高得点を取れなかった者は、あんたはもう一度人生の修行をやり直しじゃぃ! と言うことで輪廻転生して再度 この世に生まれ変わる
そして・・・零点 の者は は〜ぃ ようこそSMクラブの 「地獄」 へいらっしゃ〜い と・・・・
アホの空想が続きそうなので もうやめますね。
ではまた次回!
以下永井俊哉氏の論文より転載・・・・
「情けは人のためならず」という諺の意味の解釈が、日本人の間で変化しつつある。
これは、福祉国家の理念が破綻し、新自由主義が台頭するという時代の流れを反映したものである。
つまり、若い世代の日本人は、自助自立・自己責任・受益者負担といった新自由主義的原則を当然視しているということである。
諺の意味は時代によって変わる
文化庁が2001年1月に行った「国語に関する世論調査」に、
「情けは人のためならず」という諺の意味を問う二者択一の設問があった。
(ア)人に情けをかけておくと,巡り巡って結局は自分のためになる
(イ)人に情けをかけて助けてやることは,結局はその人のためにならない
どちらが正しいか。正解はアである。正解率は47.2%だった。60歳以上の回答者の正解率は65.2%で、年齢が下がるにつれて正解率は下がる傾向にある。
こういう結果が出ると、とかく年配の国語学者たちは「近頃の若者は…」と眉をひそめるものだが、言語一般がそうであるように、諺も時代や文化によって意味が変わることがある。
例えば、“A rolling stone gathers no moss”(転石苔むさず)という諺は、もともと「転職ばかりしていると成功しない」という意味で使われていたのだが、最近では「常に活動している人は新鮮で沈滞しない」という意味で使われることが多い。
古い伝統を尊重するイギリスとフロンティア精神を尊重するアメリカとの文化の違いもあるが、終身(定年)雇用制の崩壊というグローバルな規模で起きている現代の雇用革命を反映している。
利他主義と利己主義の逆転「情けは人のためならず」の旧解釈(ア)に対して新解釈(イ)が台頭しているのは、どのような時代的背景によるものだろうか。
「人に情けをかけておくと、巡り巡って結局は自分のためになるから、情けをかけなさい」という旧解釈 と 「人に情けをかけて助けてやることは、結局はその人のためにならないから、
情けをかけてはいけない」という新解釈は 結論こそ逆だが、「人に情けをかけることは、利他的行為ではない」という認識で一致している。
では、なぜ情けをかけることは利他的行為ではないのか。
「ネガティブな交換の貨幣は何か」で、苦痛に対して苦痛をお返しするネガティブな交換について説明した。
復讐は不等価交換を等価交換にする。
損害を受けたにもかかわらず、復讐したり、補償を求めたりしなければ、それは不等価交換であるように見える。
しかし、もし加害者の罪を恩着せがましく許してやって、周囲から「あの人は寛大で慈悲深い人だ」という評価を受けるようになれば、その人は経済的損失と交換に人望という政治的資本を手に入れたこととなる。
経済的損失が大きければ大きいほど、入手できる政治的資本は大きくなるから、これは等価交換である。
もしその政治資本を元本にして、失った経済的損失以上の利益を手にすることができるとするならば、情けをかけることは、高利回りの投資ということになる。
では、なぜ、情けをかけることは、情けをかけられた本人のためにならないのか。
情けをかけられたほうは、A.負い目を感じるか、B.そうでないかのどちらかであるので、場合分けして考えよう。
恩を売られたほうは、借りができるので、恩人に頭が上がらなくなる。
だから情けをかけられた人は、経済的利益と交換に自由を売ったことになる。
仮に恩を返したとしても、負い目の一部は残る。
それは、元本とは別に支払わなければならない利子である。
だから、情けをかけられたほうは、決して得をしているわけではないのである。
人によっては、情けをかけられても、当然であるかのように何食わぬ顔をしているものもいる。
そうした人は自分の行為に対する反省がないので、悪行を繰り返すことになり、いつかは手痛い仕打ちを受けることになるだろう。
この場合、情けをかけることは、教育的観点から言って、本人のためにはならない。
以上、AとBより、情けをかけることは、相手の利益を考えた利他的行為ではなく、利己的な戦略であることがわかる。
情けをかけるという一見利他的な行為が実は利己的で、情けをかけないという一見利己的な行為が実は利他的なのである。
福祉国家の破綻と新自由主義の台頭
「情けは人のためならず」を互酬的モデルではなく、再分配的モデルで解釈する方法もある。
経済的弱者に仕事や補助金を与え、所得の再分配を行えば、すべての労働資源が活用され、有効需要が増大し、経済全体が活性化するから、経済的強者のためにもなるというケインズ的解釈である。
ケインズ的なマクロ政策は、福祉国家の破綻によって現在有効性を失っている。
「弱きを助け、強きを挫く」という理念は、構造的弱者を作り出す。
構造的弱者とは、弱いがゆえに援助されるというよりも、援助されるがゆえに弱くなった、いわば福祉国家や社会主義によって構造的に作られた弱者である。
「情けは人のためならず」の新解釈台頭の背景には、こうした構造的弱者の弊害が顕在化したことがある。
互酬的な限定交換では、情けをかける/かけられるの関係がはっきりしているが、再分配的な富の補填では、この関係がはっきりしないことも問題である。
日本の財政は、都市や優良企業から吸い上げた税金を過疎地や衰退産業にばらまいているのだが、財政受益者は財政負担者に感謝することはない。
むしろ「あの福祉会館は、うちの先生のおかげで建った」というような過疎地の住民の表現から明らかなように、贈与との交換で与えられる威信や人望といった政治的資本は、贈与を媒介しているだけの政治家が手にする。
これは、自動的な源泉徴収など、納税が不可視的に行われるのに対して、支出の方は、選挙などでその「実績」が政治家によって鳴り物入りで宣伝され、可視的であるからである。
財政受益者にとって、経済資本の蓄積にも政治資本の蓄積にもならない再分配は、怒りの対象になっても仕方がない。
福祉国家的再配分は、財政受益者のためにも財政負担者のためにもならない。
現在の先進国の経済は、前近代的互酬経済でも社会主義的あるいは福祉国家的再配分経済でもなく、市場経済である。
市場経済のルールは、自助自立である。
だから、「人に情けをかけて助けてやることは、結局はその人のためにならないから、情けをかけてはいけない」という新自由主義的解釈が支持されるのである。
以上転載終了・・・・
秀さんはこの方の意見には賛成しかねる考えですが、現在の資本主義経済優先の考えから言えば、
弱き者に情けをかけたところで本人のためにはならない と言った考え方をする若い人が増えて来ていることは日々生活をしていて感じることです。
ベトナムは日本よりは貧しい国ですが・・・
弱い人、不幸な人に注がれる思いやり、そしてそれに対する行動は日本よりは多いような気がしております。
罪人まですべて許す仏さまやキリストのようにはなれませんが・・・
出来るだけ情け心をもった人が増える世の中であるよう 祈りたいですね。
だって・・・
秀さん、逆境の時に優しい言葉をかけて頂いた方々のおかげで生きる勇気を貰いましたので・・・
いつかはご恩返しをしなければといつも思っておりますよ。ほんと!
ではまた次回・・・
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もしも明治維新のときに、日本がフランスや米国の巨額な援助を受けていたらと想定すると、その後の日本の富国強兵と独立、経済発展は危うかったのでは、いまのフィリピンと似たような国になっていたのではと想像するのですが、どうでしょうか。
いまのベトナムは、わたしたちの協力がタダと思ったりしています。その結果、熱意が感じられないことがあります。
一方、例えば北大のクラーク先生の給与は大臣より高額でした。学生たちは真剣にならざるを得ません。
援助は、被援助国に乞食根性を植え付けてしまうのではないでしょうか。
そして今、国策としての新幹線の輸出は、成功すると新植民地主義を招くと考えるのですがどうでしょうか。ベトナムが借金まみれになるのは明らかですから。
まぁ、過去の欧米の植民地政策は簒奪のみ、南米やアフリカをみれば分りますね過去の歴史が証明しています。
ベトナムしかり、過去にも書きましたが日本軍の残存将兵達がベトナム独立に協力していました。
戦前の日本の植民地政策は1部批判はありますが、台湾しかり朝鮮しかり、日本国の富を投下しての同化政策でした。
採算的には全くあっていないでsね。
日本は与え続ける国なのでしょう。
ベトナム人の一部には日本の援助に感謝している方もおられます。
色々と考えると何ともコメント出来ませんが、今は経済で覇権を争う次代へと変化してきております。
その中でベトナムがどのよな立ち位置で頑張るかでしょうねぇ。
ベトナム政府も新幹線の導入を諦めたようで財政についての危機感はあるようです。
日越双方頑張って とだけ言っておきます。
どうもでした