「人間死ぬまで生きる」と言う言葉は秀さんが勝手に作ったものですわ。
何故って言われても深い意味はないのですが、ヒントになった記事があります。
その記事にはこう書かれてしました。
「健康な日常でも生死を意識することです。
なんと大げさなと、思われることでしょう。
しかし、人間の苦悩や悩みは、自分が明日にも死ぬことを、忘れているから生じるのです。」
と・・・。
ですからアホの秀さん悩みとは無縁でごわす。まぁ、アホですので難しく物事考えられないからでもありますがね!
前述の言葉、確かにそうですわ、
明日あなたは確実に死にます と神様?に言われたとしたら、家族も恋人も仕事も、趣味も、金儲けも、おねえちゃん追っかけも、全て一瞬で無くなるのですわ。
逆に考えれば、全て無くなるから悩む理由もなくなると言えるのかも知れませんねぇ。
最近秀さんと昔会社を共に大きくした当時の役員の一人が癌で急逝しました。
顔は少し怖い感じのする人でしたが男気のある内面は大変思いやりのある立派な人物でした。
残念でなりません。
我々凡人は普段の日常生活ではあまり「死」と言うものを認識しないまま生活しておりますねぇ。
いきなり大病したり、死ぬような思いをした人は人生観が変わるとよく言われます。
そのような状態になった時に初めて人間は自己の無力さと言うか、逆らえない運命みたいなものを感じるのかも知れません。
明日に死ぬことが確実となったとしたら・・・賢者の皆様はどう感じますかねぇ?
え! あと1日で俺の人生終わりかよ〜 そりゃないだろうが!
と怒ってもしょうがないですな。
自棄酒飲んで死後の1日を酒池肉林で締めくくると言う豪快な?方も中にはおられるでしょう、
また呆然自失で何も考えられないと言う方もおられるでしょう、大半の方がそんな状況を想像だにできないでしょうねぇ。秀さんもそうです。はい
過去秀さんも経験があるのですが、死の一週間前後、何故か重病人が温和な顔付きになり、急に周りの人(知らない人を含めて)に笑顔でお世話になりました〜 などと挨拶する場合があるそうです。
自分がいつ死ぬか分らないのに関わらず・・・ですよ。
不思議ですねぇ。ほんと!
秀さんも亡きおかあちゃんが同じようなことをしたので良く覚えております。
死ぬと言うことは家族 恋人 友達 仕事 財産etcから全て離れてたった一人で死んでいけなければなりませんねぇ。生まれる時も同じですね。
その時になって初めて、人間は日常の生活の中の何気ない有り難さ に気付くのでしょうね。
昔の鍋島藩(今の佐賀県)、「葉隠」にある有名な言葉に・・武士道とは死ぬことと見つけたり という有名な箇所があります。
その箇所の現代訳は以下ネットから転載・・・
武士道とは死ぬことである。生か死かどちらかを選択しなければならない時は、死ぬ方を選ばなくてはならない。別にそれ以上の意味はない。覚悟をきめて前に進むだけである。当てが外れて死ぬのは犬死だ、などというのは都会風の軽薄な武士道である。生死をかけるような場面では思いどおりに行くかどうかは分からない。私だって生きる方が好きである。人間は生きる方に考えようとする。もし、思い通りにはゆかずに生きながらえたなら、それは腰ぬけである。その境目はとても難しい。逆に、当てが外れて死ねば、犬死にであり気違いざたであるが、これは恥にはならない。これが武士道の本筋である。
毎朝毎夕のように死ぬことを決心して、常に死んだ身になっていれば、武士道と自分は一体となり、一生落ち度がなく、職務をまっとうすることができるのだ。
・・・・以上 何とも壮絶な覚悟と言うか
むしろ現代では あんた! 頭少しおかしい ちゃうねん? と言われるかもですね。
しかし健康なうちから常に生死を意識して生きるとしますと(中々出来ることではありませんが・・・)、この世のもの(嫉妬、ねたみ、金銭欲、その他あらゆる人間を迷わす全てのもの)に対する執着が解かれるのかも知れませんねぇ。
そうなると逆に生きている間は、そんなあの世にまでどうせ持っていけない(持って行っても意味のない)ものに対して執着することなく、せっかく生きている(生かされている?)のだから、少しでも生きていることを楽しもうとする気持ちが湧いてくるかも知れません。
秀さ〜ん 死んだら何んにもないぜ ただ全てなくなるだけ と言う人もおられるでしょうが・・・
秀さんアホかもしれませんがそうは思えないのでごわす。何故か分りません。
何人かの葬式を出しましたが、
未だ秀さんの枕元の現れて、こりゃ〜! 秀 あまりアホなブログを書くでない!
と怒ったご先祖さんはいませんので・・・果たしてあの世があるのか無いのか分りませんが・・・秀さんがこの様に思う心は宇宙か何か分りませんがそんな存在とどこかで繋がっているような気がする今日この頃なのでありやす。
見得はりの秀さんですので、ええ格好してですね、
普段の自分の欲にまみれたそれ(心)ではなく、せめて死ぬ前に大急ぎでクリーニングに出して、きれいにして、ほい、私の心はこの様に他人を思いやる優しい心をです!
と言ってあの世に行こうかと・・・
アホが訳ワカメなことを言っております。
多分・・・
明日からも・・・
また・・・
欲望にまみれた日々を送ることは へい 間違いないですな。
だめじゃ!こりゃ〜
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私、5年前に治癒不能というガンを宣告され、死を意識する日々を過ごしてきました。
涙が止まらないような日もありましたが、死を意識していると、身辺を綺麗にしておきたいという美意識が作用します。武士道にも通じる美意識かも知れません。
一方、借りられるだけ借金しちゃおうという意識も働き、実際にそうしましたけど、全額返済しました。
そうしてベトナムに来て、独資新会社を設立、美女チームを結成、日々、肉林的な環境を満喫しています???????。
死を意識したとき、自力で自己治療に挑戦しようと東洋医学の世界に入り、還暦にして首席で卒業、国家試験もトップ級でした。勉強の身構えが若い人とは全然違いますから・・。
そうして、まだ、生きてます。知人友人たちは、まだ、アイツ生きてんのか・・と思ってるのでしょうけど
そうですか、癌はまだその原因が解明できてないですね。
妻と義父を癌で亡くしましたが、抗癌剤治療が良かったのかどうか疑問に思っていますわ。
ひとみさんのアグレッシブさに乾杯を!