2011年08月08日

へぇ〜?またタリバンの仕業ですか編

最近、アフガンでアメリカ軍のヘリがタリバンに撃墜され30数名が死亡したなんて報道がありましたが、

マスメディアはいつまで人々を嘘の報道で騙せ続けられると思っているのでしょうかねぇ?

まぁ、日本のマスメディアも同じで嘘つきばかり。NHKだって同じですがね!

知らないのは一般庶民ばかりの時代から、
今は様々な情報がネットを通じて発信されているので覚醒する人々も増えて来ていることを時の統治者(一体誰なのかは色々な説がありますが、間違いなくユダヤ(アシュケナジー=正当なユダヤ人ではないが・・・)が関係していることは間違いないでしょう。
国という概念を大切にする人々に対して裏ではせせら笑っていることでしょうな。


さて、本日も堅い話の転載で恐縮ですが、

お暇な方に限りますが興味がある方は鼻毛でも抜きながらお読みくださいな。へい

書いてあることはほぼ間違いないと不肖アホの秀さんは思っておりやすぞぃ。



では、転載開始・・・・・・・・・・・・・・・・・

アフガンで飛行中のチヌーク・ヘリが撃墜され31人の米兵が死んだ。31人の死亡した米兵の内、20人は海軍特殊部隊(SEALチーム6)のメンバーであった。

更に重要なのは、退役軍人(大佐)で軍の情報部員だった人物から、この殺された特殊部隊員らは最近アボタバドでオサマ・ビン・ラディンを殺害したとされて いる軍人達である、ということを伝えられたことだ(SEALチーム6は超エリートの’闇’の仕掛け人たちで、軍のプロトコル外に存在している者たちであ り、最高機密に関する作戦、しばしば国際法の枠を超える作戦に従事する)

公式の説明は、タリバンがこのヘリを撃墜したことになっている。これには疑問を持つ。

(パット・ティルマンを思い出そう。プロのフットボール・スターだったが、9・11同時多発テロ後の愛国的熱狂の中、大型の契約を捨ててアフガンへの志願 兵となった人物だ。
公式の説明では、ティルマンは味方の誤射事件で死んだとなっている。

米軍関係筋からのいくつかの報告によれば、パット・ティルマンは米 政府によって暗殺された、という。軍のリクルートのための代表的なポスター・ボーイであったティルマンは9・11同時多発テロ事件の嘘を知り始めていて、 しゃべりすぎてしまった。噂は広まった。彼の頭部に向けられた近距離からの3発の弾丸が彼を死に至らしめたのだ)


◆「我々は決して騙されることはない。我々自身で我々を騙すのだ」−ゲーテ
 
オサマ・ビン・ラディンの「最近の死」は、イラク侵略時に世界的に新聞の見出しを飾った写真を思い起こさせる。

サダム・フセインの彫像を喜びに湧くイラク人たちが引き倒す象徴的な写真を思い出さないか? 
知人の海兵隊員は、当時あの町の広場にいた友人がいる、と話 してくれた。

「喜びに湧く」イラク人はあそこに50人以上はいなかったし、その全員がそこで写真に撮られるためにお金を受け取って参加していた者たちなのだ(写真は一つのカメラアングルから撮られていたことを気づいていたか? 広場の他の場所はほとんで誰もいなかったのだ)


それから、髭もじゃで薄汚れた格好で両手を挙げて降参の姿勢を示すサダム・フセインが穴から這い出してきたあの古典的な写真がある。
これも準備されたものだった。私はこの卑劣な工作をした者たちの一人を知っているという元海兵隊員と個人的に知り合いである。


実際は、サダムは彼の友人の一人の家で追い詰められ、最後の弾丸が尽きるまで勇敢に戦ったのだ。
結局彼は捕らえられ薄汚れた格好にさせられ穴の中に無理や り押し込まれたのだ。

あの写真の目的は、イラク人に対して、彼らの指導者がみじめな敗北を喫した姿を示すことで、イラク人が彼に対して持っている人気をお としめることにあった。


◆オサマ・ビン・ラディンの実際の死


軍インサイダーたちには一般的に知られていることであるが、オサマ・ビン・ラディンは2001年に自然死している。ドバイのアメリカの病院で医療措置を受けた後、アフガンに戻ってすぐのことだった。

2000年の3月頃、アジア・ウィーク誌はビン・ラディンの健康状態に関する記事を掲載した。「腎臓の炎症が肝臓にまで拡大し、特別な医療が必要になっている」という彼の生命が危機に陥るような重大な疾病を説明していた。

パキスタンのクウェッタから出発したビン・ラディンはドバイに到着し、アメリカの病院に搬送された。
彼は自分の外科医と「忠実な副官(恐らくはザワヒ リ)」と一緒だった。彼はデリー・コールウェイ博士という胆石と不妊症の専門家のアメリカ人が率いる非常に評判の高い泌尿器科に受け入れられた。

ビン・ラディンは病院のVIP用スイートルームの一つに入った。
そこにいる間、彼は家族メンバーやサウジやアラブ首長国連邦の有名な者たちの訪問を受け た。
病院にいる間、地方のCIAエージェントでドバイでは多くの者たちに知られている人物がビン・ラディンのベッドのある階のメイン・エレベーターを使用 しているのを見られている。

数日後、そのCIAの男はビン・ラディンを訪問したことを友人に自慢した。
信頼できる筋は、ビン・ラディン がクウェッタに戻った翌日の7月15日、このCIAの男は司令部に呼び戻された。(注:CIAとビン・ラディンとの接触は1979年、ソ連軍と戦うアフガ ンのレジスタンスの志願者を募りはじめた時からである) 


◆ビン・ラディンの最後の「死」

「オサマ・ビン・ラディンの死」に関して世界に伝えられていることは、哀れで馬鹿げた不条理である(とりわけ、法医学的テストが行われなかったことや、遺体がすばやく海に投げ入れられた事などがそうだ。「あの最後の、手を加えられた写真は決定的な決め手だ)

真実は、ビン・ラディンはずっと前に死んでいる。 

アボタバドでの見え透いたお芝居は、全開中のメディアのプロパガンダの対象であるアメリカ人一般に対し、ここち良い心の平和を提供するための大規模心理作 戦であった。

反対に衰えることを知らない、最大、最悪で最高に金のかかる作戦:9・11テロと「テロとの戦争」が継続されてきた。

そして今や、SEAL チーム6のメンバーでこの「暗殺」に関った者たちは死んだ。


そして死人にくちなしなのだ。 【8月7日 by Julius Sequerra】



以上転載終了・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





posted by 秀さん at 23:35| ハノイ ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ベトナムで政治・経済雑感編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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