2012年07月08日

第36回品友会終了のご報告編


今回は16名のご参加を頂き楽しく会食が出来ました。ご参加された皆さま、お疲れ様でした。有難うござました。

急な用事でご参加出来なかったASAさんからの差し入れの日本酒がメチャ美味しく、皆さん驚いていました。

ASA
さん、どうも有難うございました。また、機会があれば是非ご参加下さい。

月日の経つのは早いものですね、TRINHさんと2人で始めた品友会も3年が過ぎました。様々な方にご参加頂きました。
既に日本に帰国された方も多くおられます。

人のご縁とは不思議なもので継続したり途中で途切れたりとその時どきの状況で様々ですが、古いご縁も新しいご縁も大切にしていきたいと思っております。

今、自分がこの世で生きているのも今は亡きご両親の出会いがご縁で、まぁ、秀さんが誕生し、様々な経過を経て現在はベトナムホーチミンで生活をしている訳です。

また、これまたご縁があって品友会という場をかりて皆さまとの交流が出来ております。

人生においては、人間が生きていく中で様々なご縁の結びつきがあって人間社会は形成されております。人間は社会的な生き物ですので誰しもこの世で一人では生きてはいけません。

こう考えていたら、山科恭介氏の記事が目にとまりました。
結構難解な記事ではありますが、なるほどなぁ、と頷けるところも多いのであえて1部転載しますが、日本及びアジアと欧米との個人のベースになる基盤の違いに言及されています。

欧米人の個を強烈に前面に出す生き方と日本及び1部のアジアの方の
それとの違いが面白いですねぇ。

まぁ、あまり堅苦しいことを考えずに、皆で仲良く楽しく、自然と共生しながら穏やか生活したいものですねぇ。


では、皆さま、次回第37回品友会でまたお目にかかりましょう。



有難うございました。



人間存在を決定するその関係性は、絶対的な何ものかによって基底されており、何人たりともそこから逸脱することは適わず、その影響を受け続けるという意味なのだろうが、そこにはおよそ人間が感受する全てのものが関係しており、法律、風俗、習慣、慣習、因習、そして、歴史や文化、宗教に至るまで、考えられる多くの外部要因からの影響を排除できない。

そのしがらみの中で、人は如何に向き合い、如何に思考するか、そしてその結果として如何に行動するかは、人間の勝手気ままな思い込みとは違って、自由という名の下の制約に縛られている。

日本文化を表象する有名な 「恥の文化」という言葉は、米国の文化人類学者であるルース・ベネディクト(
Ruth Benedict)の『菊と刀』 からの引用だと推測されるが、この 「恥」という言葉は 「恥辱」 という意味ではなく、むしろそれは吉本が云うところの「関係の絶対性」と理解しても、あながち間違いではなさそうだ。

むろん、この場合の「恥」は、単なる日本の文化を暗喩する表象記号であって、それは何も「恥」 でなくてもよく、「A」 でも 「B」でも、場合によっては言葉である必要もない。

「恥の文化」に対抗する欧米文化の “記号” は、ベネディクトによれば、「罪の文化」と表されるが、ここに日本という地域に棲息する人間たちの精神構造が見事に示されている。

それは、神の存在に対しての人間の個体の位置が決定的に違うということで、欧米における個人が個体として神との一対一の関係性を築くのに対し、日本人はその個体と神との契約が存在しない。

しかし、社会生活を営む段階で、某かの“契約” は必須であるから、それを多くの日本人は「横」と結ぶ。

つまり、同位相に存在する人間同士でその関係性を結ぼうとする。

それは、地域共同体に被せられた平たい網のようなもので、常にメッシュ構造を持っているが、個体の側からいえば、自身から発信する一本の線の連なりである。

つまり、水平に近い「横線」 で日本人は関係性を築こうとしているのであって、欧米人の常である「縦線」 とは90度の違いがあるのだ。

もちろん、欧米でも人間同士の関係性は築かれており、それは「横線」 となるが、ここに個体独自性、つまりプライバシーと呼ばれる形態が存在する素地がある。その「横同士」は縦より弱く、繋がりの中で、その独自性を保つように設定される。
彼らの個体としての存在形態は、したがって、「+」の形状を示し、それはやがて 「十字架」 となる。そして、その「十字」の縦線は、個体から天空へと伸び、神へと繋がる。

十字を切るときに、まず上から下へ向かって縦線を描く行為は、神と個人、そして共同体との強弱の関係性を巧く表象している。カトリック教会と正教会とでは、横線を描く行為が左右逆になっているが、最初に縦線を描く行為は共通である。


一方、日本人の場合は、「横線」を基軸として、「縦線」 が見かけ上存在しない。

しかし、本当は目に見えない弱い「縦線」が存在している。

それは、欧米のように個体自身から上に伸びる線ではなく、個体から下に伸びる線だ。つまりそれは、「T」の字の形を示し、自身から地面に向かって伸びている。

要するにこれは、「土地」への信仰であり、日本人が古来よりDNAに刻み込まれている土地信仰の精神的根幹を為す。

昨今、多くの日本人が土地に異常なる価値を見いだす哲学的理由はここにあるが、経済的事由は、いわゆる「アジア的」という言葉により、すでにカール・マルクスによって明らかにされている。

したがって、欧米人の場合は、「⊥形状」を基本として、目に見えない線がその下へ向かっても伸びている。逆に日本人の場合は「T 形状」を基本とし、同様にさらに薄く上方へ向かって縦線が伸びる。

この十字の強弱の違いは、人間の社会性と精神性における強弱の違いである。
神と人間との関係性において、欧米人は自身を神の下に置き、日本人は逆に、その精神性として自身が最上の位置にセットされる。


欧米人が懸念する 「神をも恐れぬ日本人の傲慢性とその行動」は、恐らくここから来るのだろうし、その意味では欧米人にとって日本人は理解不能な存在として映る。同様に、日本人の立場としては、個体と神との「縦線」 での “個別契約”を信じることは出来ず、互いに理解し合えない文化の違いとして存在してしまう。

太平洋戦争の末期、米国が日本占領に際して日本人を理解するためにベネディクトに日本文化の研究させたことは既知であるが、その成果としての『菊と刀』 の内容が相当程度、的を得ていたために、米国の“日本占領” は見事に成功する。


電通や日本テレビ放送網を中心とした日本人の精神性への浸潤は、政治の場や官僚システムをも包括して、経済界を巻き込み、やがては日本人全体への洗脳という形をとって具現してきたことは語るまでもない。

彼らがその後、多くの国に侵略して、その占領政策が失敗に終わるのは、ベネディクトほどの成果を持ち得ていなかった為であり、我が国はその結果、曲がりなりにも平和を維持することとなった。

だが、これが良かったのか悪かったのかは、今後の歴史の審判によるが、あまりにも都合よく占領が完成したために彼らは図に乗った。
そして、私の予想では、この彼らの図に乗った行為は、やがては自身の身に降り掛かることになるだろう。


個体を中心とした「縦線の文化」 は、神への絶対服従を強要する文化とも言えるわけで、その意味では、日本人は「横線」を基軸とする文化なのだから、そこに絶対性は存在せず、むしろ、対個体間の相対性の文化として存在しているはずである。

「絶対」は、絶対値を基準とするが、「相対」はその基準が存在しない。
これは、我々の文化が欧米文化と比べてが劣っているというわけではなく、それはむしろ逆で、その文化が如何様にも変化するという意味だ。

その「相対性」において、変化形は無数に存在し、その可能性は無限大に拡大する。

相対性文化が持つ特質として、我々は戦後一環して米国の文化を無造作に取り込むことになったが、これもまた我々の文化の特徴であり、同時に欠点でもあったことが現在では判明している。

これからは、従順なる追随ではなく、自主性をもって外部文化およびそこからのエネルギーの取り込みに神経を注がねばならないと思うし、物事の乾坤には減り張りをつけていく必要があるだろう。

カール・マルクスは、日本を含む東アジアの人間たちに、土着性を基準とする
「アジア的思考」の精神性が内在していることを鋭く看破しており、それが日本人の行動体系にも大きな影響を与えていることが強くメタファーされる。

水平に網の目のごとく張りめぐらされたメッシュ構造の社会性が神の存在を求めるとなれば、それは必然的に「八百万の神」 とならざるを得ず、欧米における神へと向かう「縦線」の集合体と水平メッシュ構造体とのせめぎ合いの中で、これからの日本は世界と融合していくのか、それとも反駁し合うのかは大きな問題なのだが、兎にも角にも、我々は欧米とは違った独自の文化を営んでいるのだから、それ相応の社会形態を模索しなければならず、その政治形態をも同様であろうと思う。


したがって、欧米べったりの政治や経済では日本の真の発展は望み薄であることは容易に想像がつく。政治経済に限らず、各分野における


「ジャパンオリジナル」 は、これからの日本人にとって必須項目となるだろう。



 



 



 



posted by 秀さん at 14:42| ハノイ ☁| Comment(6) | TrackBack(0) | ホーチミン貧乏友の会編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今回は秀さんはじめベトナム在住の方々と
話す機会ができず残念でした。
ドタキャンにも反省です。
また、重いものを秀さんに運んでもらい、
ありがとうございました。
せめて喜んでもらえたのが救いです。
これからもよろしくお願いします。
Posted by ASA at 2012年07月08日 21:52
先週日本に帰っていたら、品友会が終わっていました・・・。先月、「来月こそ」と言いつつ参加できず残念です。また、「来月こそ」と思っています。何とぞ宜しくお願いいたします。
Posted by あおき at 2012年07月11日 09:13
秀さん、いろいろありがとうございました。
これからもよろしくおねがいします。
いろいろお話できてとても幸せでした。
Posted by ASA at 2012年07月13日 02:27
ASAさん どうもです。

ラーメン、とても美味しかったですわ。
有難うございます。

また、お会いしましょう。

秀

あおきさん 次回よろしくです!

秀

Posted by 秀 at 2012年07月13日 11:33
なかなかタイミングが合わず、気付いたら今月は終わっていたのですね・・・。
3周年おめでとうございました!
またの機会には娘を連れて参加したいと思っていますので、宜しくお願いします。
Posted by かんぬし at 2012年07月13日 14:17
かんぬしさん

次回のご参加を楽しみにしております。

コメント有難うございます。

秀
Posted by 秀 at 2012年07月25日 10:03
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